キライ×スキ
「随分あの子に入れ込んでるんだね、ダンテ」
ルーベンスの問いに、ダンテは無表情で答えた。
「リオンは、呪いを緩和する手立てだからな」
「薔薇以外にうつつを抜かすなんて、ロズウェルの血が泣くな。母さんは、まさに死ぬ思いでおまえを産んだのに」
ルーベンスは、ダンテが恋をすることなど許さないだろう。
「誰だろうがうつつなんか抜かさない。──それに、薔薇じゃ俺の呪いを癒せない」
「それはどうかな」
ルーベンスが口元を緩めた。心からは笑っていない笑顔。物腰は優しいが、兄が本当は笑いたくなどないことを、ダンテは知っていた。ダンテはそもそも、彼に笑いかけはしなかった。
ダンテとルーベンスの間に冷たい空気がながれると、バカ兄貴が突撃してきて中和する。ロズウェルの三兄弟はそうして関係を保ってきた。
だが、花魔術教師として就職した上の兄が家を出て、そもそも顔を合わせる機会もなかったのに。今更「ダンテの婚約者」を連れて現れるとは、いったいどういうつもりなんだか──
ダンテは大叔父のそばに立つ少女を見た。すらりとした手足、肩を覆う長い黒髪。まさに薔薇の花のように、美しい少女。兄が選んだからには、薔薇の花魔術を使うのだろう。ダンテに会う前にリオンに近づいたのは、計算の上なのだろうか。
しかし、リオンに絵本を渡して何がしたかったのか。わからない。ベッドの傍らに立つ少女をみて、ダンテは小声で言う。
「何する気なんだ、あいつ」
「まあ、見ていろ」
少女は大叔父に向かって手をかざし、足元に薔薇を出現させた。
(でかい)
ダンテはその大きさに目を見張った。ダンテと同等か、もしかしたらそれ以上。花の大きさは、そのまま花魔法の力の強さに直結する。つまり彼女は、ロズウェルの紅薔薇に匹敵する力の持ち主ということだ。
(いったい何者だ……)
白と薄紅が混じり合った、美しい薔薇の花びらが、大叔父のからだを包んでいく。花びらで埋め尽くされていくベッドは、美しいが異様だった。その時──つるに覆われている大叔父の手が、ピクリと動いた。
「!」
薔薇の花びらは、つるを枯れさせ、徐々に消えていった。ダンテは大叔父に駆け寄り、その肩に触れる。
「ミルテ叔父さん」
大叔父はゆるやかに瞳を開き、ダンテを見た。不思議そうに尋ねてくる。
「どうした、なんでそんな顔してる?」
ダンテは大叔父の手をぎゅ、と握りしめた。そのままベッドの脇に崩れ落ちる。頭上に、大叔父の心配そうな声が降ってきた。
「ダンテ? どうしたんだ、ダンテ」
ダンテは手を震わせながら、呆然としていた。
(信じられない)
植物化した人間は、まず助からないと言われている。植物化は、呪いの末期状態。そこから助かることは、もはや奇跡に近いのだ。それを、いとも簡単にやってのけた。何者なのだ、この少女は──。大叔父はダンテから、少女へと視線を移した。
「彼女は……?」
「シルヴィアです。ダンテさんの婚約者ですわ」
シルヴィアはにこりと笑い、スカートをつまんで優雅に礼をした。ロズウェルが選んだ美しい薔薇──。
「俺は認めてない」
ダンテがピシリと言うと、背後にいた兄が口を開いた。
「今のを見なかったのか? ダンテ。目が悪いのか理解力がないのかどっちだ。彼女は薔薇の呪いを解けるんだぞ」
「呪いが解けたかどうかなんてわからないだろう」
ダンテは、大叔父の手をそっと開いた。手のひらに薔薇の呪いを受けたものは、みなここにあざがあるはずだ。ミルテの手に視線を落としたダンテは、目を見開いた。
「……ない」
色濃く刻まれていたはずの薔薇の呪印が、跡形も無くなっている。まさか、本当に呪いが解けたというのか。こんなにあっさりと? 呆然とするダンテに、兄が声をかけてくる。
「ダンテ、家に帰ってきたらどう? 薔薇の娘に呪いが解ける以上、それ以外の花なんて、必要ないだろう?」
脳裏に、リオンの笑顔が浮かんだ。ダンテはぎゅ、と拳を握りしめる。
「……俺は帰らない」
「理由は?」
「リオンが外で待ってるんだ」
ダンテはそう言って出口へ向かう。シルヴィアが口を開いた。
「あなたの呪いも解いてあげるわよ?」
「いらない」
ダンテはシルヴィアを横目で見て、
「俺はピンクが嫌いなんだ」
☆
リオンは、ダンテが出てくるのを門の前でそわそわと待っていた。まだかな。もう二十分はたつけど、何してるんだろう……。
黒髪が門を抜けるのが見えたので、慌てて駆け寄って声をかける。
「ダンテ」
紅い瞳がこちらを向いた。
「……わるい、待たせたな」
「ううん。あの二人は……」
「気にしなくていい。行こう」
ダンテはそう言って歩き出す。
(なんだか、ダンテ、変だ)
リオンは、前を歩くダンテをちら、と見た。商店の前を通りかかったので、彼を引き止める。
「あ、ダンテ、買い物していっていい?」
「ああ」
リオンが買い物をしている間、ダンテはポケットに手を突っ込んで、ぼうっと立っていた。顔立ちの端正さも相まって、そうしていると、まるでできのいい人形のようだ。
「あのにいちゃん、あんたの連れかい? なんか黄昏てるが、大丈夫かねえ」
店主に尋ねられ、リオンは曖昧に笑う。ふと、店頭に置かれている瓶に視線がいった。
「それ、なんですか?」
「ああ、これかい? 金平糖っていうんだよ。隣国の砂糖菓子だ」
「かわいい。ねえ、ダンテ、見て」
ダンテはぼうっとしていて、聞こえていないようだ。リオンは肩をすくめ、一つください、と言って金平糖を買った。
買い物を終えたリオンは、ダンテに近づいていき、お待たせ、と言った。ダンテはこちらに手を差し出し、
「持つ」
「いいよ、自分で」
「いいから貸せ」
ぼうっとしてても偉そうなんだから。リオンは肩をすくめ、ダンテに袋を渡した。彼は物珍しげに袋をながめ、
「ロズウェルの家にいた時は、こんなもの持ったことなかった」
「本当にお坊ちゃんなんだね、ダンテ」
「ああ。おまえの家に住み始めて、未知のことばっかり体験したな。焦げたパンケーキも食べたことなかったし」
リオンはむっとしてダンテを睨んだ。彼はといえば、じっと夕焼けを見ていた。橙色の太陽は、まるでもぎたてのオレンジのように、蕩けて見えた。
「きれいだね」
「おまえの目の色だ」
ダンテの視線がこちらに向いて、リオンはどきりとした。近づいてきた顔から、リオンは目をそらす。
「あ、の、ダンテ」
「なに」
「人前、だからっ」
じろじろと見られているのにやっと気づいたのか、ダンテが動きを止めた。
「俺は別に気にしないけど、おまえが恥ずかしいならやめとく」
「いや、気にしてよ……」
ダンテはいつも通りに見えた。変だと思ったのは杞憂だったのだろうか? 大叔父さんがあんな風になって、ショックを受けるのは当然だけど……。──俺の末路だ。その言葉を思い出すと、かすかに胸が軋む。
リオンは、袋を持っていない方のダンテの手を、そっと掴んだ。彼がこちらに視線をやると、その紅い瞳が細くなった。
「人前なのにいいのか?」
意地悪く言われて、リオンは顔を赤らめた。手を引こうとしたら、ダンテがそれをつかみ直す。きゅ、とにぎられて、心臓が、どくんと跳ねた。
(どうしよう)
前を行く広い背中。意地悪で、不意打ちばかりして、子供みたいなところがあって。リオンを翻弄する、紅い薔薇の王子さま。
俺は恋なんかしない。ダンテはそう言っていたのに。
ダンテのことを、すきに、なってしまった。
夕焼けでよかった。赤い顔を見られずに済んだ。
リオンは皿を洗いながら、内心でため息をついた。ダンテはソファにもたれて目を閉じている。
(疲れたのかな? )
リオンは、丹念にお茶を淹れた。金平糖と共にお盆に乗せて、ダンテのところへ向かう。ダンテ、と呼びかけたら、彼はぱち、と瞳を開き、むくりと身を起こした。金平糖を見て目を瞬く。
「なんだ、それ」
「金平糖。たべる?」
「ああ」
ダンテは金平糖をつまみ、ガリガリ噛んだ。眉が寄る。
「えらく……あまいな」
「お砂糖だもん。不思議な形だよね。どうやってつくるのかな」
リオンが金平糖を指でつまむと、
「菓子職人にでもなる気か」
「かわいいから気になっただけだよ」
リオンは手をコーヒーカップに添えて温めながら、金平糖を咀嚼するダンテをちら、と見た。
「ねえ、ダンテ。なにか……あったの?」
「なにかって?」
「なんか変だったから」
がりっ……。金平糖が鳴る音が響く。ダンテは、金平糖を咀嚼するのをやめた。紅い瞳が、こちらをじっと見つめている。
「あの女が、ミルテ叔父さんの呪いを解いた」
あの女──ダンテの婚約者。シルヴィア。
「シルヴィアさん、が?」
「ああ、薔薇の花魔法を使ったら、つるが枯れて、大叔父が目を覚ました。まさしく魔法だな」
シルヴィアは、紅薔薇の呪いを解くことができる。それはすなわち、ダンテの呪いを解けるということなのだ。つまり、リオンは必要ない──。
「じゃあ、ダンテの呪いも解けるね」
リオンは笑顔を作った。
「よかったね」
ダンテが目を瞬いた。
「……いいのか?」
「いいって、なにが?」
彼はなぜかむっとした表情になり、ソファから立ち上がる。
「ダンテ?」
「風呂に入る」
さっさと浴室に向かったダンテを見送り、リオンはコーヒーを一口飲んだ。
「……さめてる」
★
ダンテは浴室でシャツを脱ぎ、カゴに放った。よかったね。リオンの笑顔を思い出すと、なぜかむしゃくしゃする。その理由がわからなくて、余計にイラついた。黒髪をくしゃくしゃかき回していたら、浴室のドアから、ダンテ、と小さな声が聞こえた。そちらに目線を向け、問いかける。
「なに」
「あの、さっきの話だけど」
ダンテはドアを開け、リオンを見下ろした。
「なんだよ」
「なんか、怒ってる?」
リオンは上目遣いでこちらを見ている。
「べつに怒ってない。ただ、こっちが気にしてたのが、あほらしく思えただけだ」
「気にしてたって?」
「だから……おまえに世話になったから、他のやつに呪いを解いてもらうのは、なんか違うって、思っただけだ」
リオンは丸い瞳を見開いて、慌てたように首を振った。
「私、そんなこと気にしないよ。ダンテの呪いが解けるのが一番だもん」
ああ、そうだ。リオンはそう言うと思った。彼女はそういう人間だ。だけどそれが、気にくわないのだ。
「気にしろ」
「え?」
「俺のこと、もっと気にしろ」
「なに言って、わっ」
細い腕を引き寄せて、壁に押しつけた。彼女はダンテの格好を見て真っ赤になる。
「は、はだか!」
「下は履いてる」
そういう問題じゃない、と顔を覆うリオンの耳元に、唇を近付けた。
「気にしない、ってなんだよ。綿毛のくせに、随分余裕だな」
小さな肩が、びくりと揺れる。
「余裕じゃないです、全然余裕じゃないです。服着て」
耳まで真っ赤になり、消えそうな声で訴えるリオンを見て、多少溜飲が下がった。彼女は指の隙間から瞳をのぞかせ、つぶやく。
「ほ、本当は……」
「なんだ」
「私が、ダンテの呪い、解いてあげたかった」
その瞬間、心臓が妙にうるさくなった。リオンは恥ずかしそうに瞳を揺らし、服着て、とつぶやく。
「……ああ」
ダンテはリオンの頰に手を滑らせた。
「俺の呪いは、おまえが解け」
唇を重ねたら、リオンがびくりと肩を揺らし、ダンテの腕を掴んだ。リオンの唇から伝わる柔らかさが、暖かさが心地いい。何度も口付けを繰り返していたら、腕を掴んでいる手から、だんだん力が抜けていく。
「う、ぅ」
真っ赤な顔でずるずるしゃがみ込んだリオンを見下ろし、ダンテは笑った。




