5.強敵―1
だが、その一瞬ですら、相手にとっては遅い。一秒が一秒ではない。相手の見ている世界は、二人が見る世界の何倍も速い。
どちらにせよ、悩んで答えを出して、行動する間に攻撃を受けていただろう。
豹型が、再度二人に向かってその恐ろしい程に大きく鋭利な牙を剥き出しにしたまま飛びかかってきたと同時、横から木々を『ぶった斬って』また新たな敵が出てきた。
巨大な包丁の様な鉈を持った男だった。ガタイが良く、肩幅も広く筋肉質で、身の丈程の鉈も片手で軽々と振ってみせる男だった。能力までは当然わからないが、力が異常に強い、という事だけは一瞥しただけで判断が出来た。が、目の前に迫る豹と、横から横一閃に振られる巨大な鉈の軌跡を推測して、どちらも、
「おぉおお!?」
避ける。
斜め下に落下する様に、成城は再度飯塚を抱え込み、無理矢理巻き込む様に落ちた。体勢を保っている余裕はなかった。次の瞬間には、頭すれすれの位置を豹型が通り過ぎ、その次の瞬間には巨大な鉈の一閃が頭上を越えてしゃがみこんだ勢いで僅かに舞い上がった飯塚の髪の一部を叩き切った。
「ッ!!」
「うわぁ……」
二人とも、絶句した。
が、そうやって止まっている事は出来ない。
成城はすぐに立ち上がった。が、目の前には鉈を持った巨漢。人を見下す独特の不気味な笑みが、成城を見下ろした。挙句、その男は成城に迫りきっていない。鉈を振るうに丁度良い距離を保ったままで、見下している。距離があっても見下せる。それ程に男は大きかった。
一瞬、本当に一瞬だけ、成城の視線が男の右腕に握られる巨大な包丁、鉈に向いた。それを見て、確認して、男は更に不気味な笑みを深めた。
(ッ!! 素早さに力って、ゲームの設定みたいなコンビが出てきやがったな!)
そう焦る成城の足元には既に、牙が、迫っていた。
「ッがぁあああああああ!?」
ズブリ、と突き刺さった巨大な牙二本は、成城の右足の膝から下を貫いて、そこで、固定された。
成城の身体が自然と落ちる。膝をつくが、膝をついたのは左足だけで、右足は変に伸ばしたままで、そこに、豹型が食いついている状態に陥った。激痛が、走る。痛みに耐える成城だが、足が動かない。
だが、頭は回っている。激痛のせいか、逆境にも、頭は冴えていた。故に、叫ぶ。
「逃げろ! 飯塚さんッ!!」
これは、飯塚を逃がす好機である。目の前には、動けなくなった成城を狙う鉈を持った巨漢。そして、足に食らいつき、成城の動きを封じる豹型の宇宙人。敵は、二匹とも成城に集中している。
今こそ、飯塚を頂上に向かわせるチャンスだ。
だが、
「嫌だから、そんなの!!」
「はぁ!?」
思わず、成城は痛みも忘れてそんな間抜けな声で応えた。
飯塚は、成城の足に夢中に食らいつく豹型の宇宙人の胴体を両手で、小動物を掴む様に鷲掴みにし、そして、思いっきり引っ張った。
「いっ!! いってぇえええええええ!!」
成城の右足に激痛が走る。だが、豹型がどうしても成城から離れない、という事だけはわかった。
「あ、わわ。ごめん、ごめんなさいっ!!」
成城の大声で、飯塚ははっと我に帰って手を離し、その場で尻餅をついた。
成城も激痛が走る足でなんとか体勢をしゃがんだままで保ちつつ、飯塚へと手を伸ばし、上体が僅かに下がったそのすぐ上を、一閃が通り過ぎた。風圧が頭の頂上を襲う。すぐに、成城は男の方を見上げた。
やはり、次に見えたのは、鉈が真っ直ぐ上に、掲げられたその光景。
横に振ってしゃがまれ、躱されるのだから当然、叩き落とすに決まっている。挙句、成城は動けない。
「ッ!!」
悪寒が走った。恐怖した。その光景を見上げたその瞬間に、冷や汗がどっと吹き出して、指先が凍ったようだった。
まさに、ぞっとした、という感想を抱き、それを直に体感した成城と、飯塚。飯塚に矛先が向いているわけではないが、それでも、その光景を見て、飯塚もその恐怖に真正面から直面した。
これが、――成城は既に一度体験している――殺されるという現実。
成城の頭にも、飯塚の頭にも――なかった。現状を、考えるべきだった。当然、その事実を敵が知るはずもない。
ここは、山頂のすぐ近くで、既に何度も、その存在をアピールするかの如く、悲鳴が上がっているという事実。山頂、つまり、そこは、
「オォラァッ!!」
成城達の味方が、集っていた場所である。
雄叫びめいた声と共に、成城を殺そうと鉈を振り上げていた男の横をものすごい勢いで通り過ぎた影があった。自然と、成城の視線は敵から移り、その男を追っていた。
「……誰ッ!?」
その男を見た成城の口から出た言葉は、それだった。
諸星清人。まだ、成城達とは出会っていない顔である。
「大丈夫、味方だから」
と、隣から聞こえてきた声には、聞き覚えがあり、成城はその存在を見上げた。
「砂影君!!」
同時、右足に走っていた激痛が、僅かだが緩和された。見れば、砂影の持つ刀が、豹の頭を貫いて、既に殺していた。緑の蛍光色の血液が漏れ出し、顎の力が抜け、ずるりと成城の右足から牙が抜け落ちた。牙が抜けるその瞬間に成城は顔を顰めたが、痛みがある程度でも引いた事には安堵できた。
そして、次の瞬間には、砂影が身を翻し、諸星が背後から迫り、右手を失った巨漢の身体が、前から斬られ、後ろから貫かれ、立ったまま、絶命したその姿が見えた。
「すっごい……」
緑に輝く蛍光色の血液というモノを見ているからだろうか、飯塚は人間の形をしたモノが殺されたその光景を見ても、飯塚の口から漏れたのは、その二人の動きの素早さと、手馴れた殺し方に、驚愕したモノだった。
そんな飯塚の度胸、器量に関心したのは、
「うわ。すごいね。驚き方が普通じゃなく普通」
笑いながらそう言う、橘だった。橘だって、最初に宇宙人の死体を見た時はこんな余裕のある反応はできやしなかったし、するつもりもなかった。
そして、ぞろぞろと集結する。
砂影、諸星、橘に、当然、里中に高無に佐伯に、霧崎に、……だった。
それぞれがとりあえず、と宇宙人の驚異が一時的に去った事に安堵し、それぞれ自己紹介をして、情報を交換しあった。
しあった、ところで、霧崎が辺りを見回して、不思議そうに言う。
「東雲は……?」
その言葉に、事情をまだ聞かされていなかった成城と飯塚の二人以外が、はっとしたように目を見開いた。
東雲は、成城達の助けに向かったはずだった。霧崎は、その行動が東雲の信用回復のための行動で、自ら進んでやったモノだと思っていたからこそ、不思議だった。
「東雲って?」
「俺達の代わりに、成城さん達を助けに行った俺と同じテストクリア済みの参加者なんだけど……」
霧崎が説明するが、その言葉にはどこか困った様な様子が伺えた。
テストクリア済み、という言葉に込められた存在の強さは、この現状とテストの存在意義を知ってしまえば、聴いただけで理解が出来る。
テストをクリアしている人間は、例外なく、人外と呼べる程に身体能力が高く、単純な言葉ではあるが、強い、という事実。
「東雲さんって、敵、ではないよな?」
今までの事情を知らない成城はそう問う。問うと、僅かに場の雰囲気が落ち込んだのがわかった。当然だ。最初こそ、霧崎に対してだけだったが、確かに、敵だったのだから。そしてまだ、彼女は味方らしい事をしたという事実を持っていない。
誰もが、東雲は裏切り、どこかで罠を張って待っているのでは、と考えた。
だが、霧崎だけが否定した。
「いや、彼女は良い子だよ。さっきまでは場合が場合だったから」
そう言って微笑んだ後、どこか遠くを見て、呟いた。
「……嫌な予感がする」




