見つめなければいけないもの
……どれほどの時間が経ったのだろう。
ここには時計が置いていないから、よく分からない。
ガチャガチャとドアノブを触ってみる。
が、やはり。
「動かないよなぁ……」
私はため息一つついて、またベッドの方へと戻っていった。
何せここではやることが何にもない。
何にもないからこそ、深く考え込むにはいい空間だった。
「……今まで、兄様を苦しめていたのかな……」
いや、兄様だけじゃない。
ユーリやサーシャだってそうだ。
……本当は、心のどこかで気が付いていたのかもしれない。
それを、見ないふりしてただけで。
今までがあまりにも盲目的すぎたせいで、本当に気付いてなかったのか、それとも見ないようにしてたのか、どちらなのか自分自身でも分からなかった。
ただ一つ。ハッキリしているのは。
ヴィクトールをこんな行為に及ばせたのは、自分が原因なのだということ。
「……何してるんだろ、私……」
今までの自分を思い返し、自己嫌悪に走る。
けれど、やっぱり。
私が一番優先すべきなのはアイラちゃんで。
その彼女を放置するようなことは、どうしてもできなくて。
「いや、でも……、この考えこそが、今まで盲目的に信じてきた「ここはゲームの世界だから」に繋がっちゃうのか……?」
考えても考えても答えが出ない。苦しい。
なんだか無性にみんなに会いたくて、でも申し訳なくて会えなかった。
*
「ウィラ、今日の夕飯は何がいい? 兄様が作ってあげるよ」
ひょい、とドアから顔を出してやってきたヴィクトールに、私は申し訳ないが顔を顰めるしかなかった。
普通に出てきたよこの人……。義妹を誘拐して監禁してる自覚あるのか……?
「……食べたくありません」
「ふぅん? じゃ、私の愛を受け入れる心づもりでもできた?」
「…………」
そんなもの、もっと出来ていない。
何も答えない私を見て察したのだろう。ヴィクトールが私の居るベッドに、ギシ……と音を鳴らしながら上がってくる。
俯いていた顔を手で上に向かされた。強制的に、彼の紅い瞳と目が合う。
「ッ……!」
その仄暗さに息を少し呑んでしまった。
「結構確信的なことを言ったと思うんだけれど……、これでもダメかな。じゃあ、もう実力行使に出ようか?」
「実力行使……? って、ちょ……ッ!!」
ヴィクトールの手が私の服の中に入る。無防備な腹を撫でられて、変な声が上がりそうになった。
まさかとは思うけど、実力行使って、そういう意味じゃあるまいな。
「ひっ」
「その反応はひどいな。頬にキスをしただけじゃない」
「兄様の雰囲気が怖いんですよ!!」
「へぇ……、もっと怖くしてあげようか?」
「ヒェ」
お願いしますやめてください。
心の中でそう必死に願い、同時になんとか身体を動かそうとするが、ヴィクトールは止まらない。
「や……っめて、ください、兄様!!」
「だって、君が私を受け入れてくれないから」
「っ……そ、そんなの……」
そのセリフに、いつかの女が頭を過った。
ああ、そうだ。あれは子供の頃──。
「っ自分の愛を受け入れてほしいから強行手段に出るなんて、兄様の母親みたいですよ……!!」
言ってから、は、と気が付いた。
ヴィクトールも固まっている。
(……や、ばい)
今確実に、言っちゃいけないことを、言った。
でも、だって、頭に思い浮かんだのがそれだったのだ。
死んだ夫に似ていたからとヴィクトールに性的なことを求めた、彼の母親。今のヴィクトールの姿が、どうしてもそれと重なってしまって。
そんなことをしないで欲しかった。誰よりもあなたは、力で相手をねじ伏せるやり方を嫌っていたはずなのに。
……けれど、この発言はとんでもない地雷であろうことも分かっている。
現に、ヴィクトールは口を開けて固まったままだ。よほどの衝撃だったのかもしれない。
「……ご、ごめん、なさい、私……」
謝る私の声が室内にやけに響いて、その後消える。
だが、少しの間の後。
「……ああ、そうだ。これは、私の一番嫌いなやり方だった」
「へ……」
うわごとのように彼が言葉を紡ぎ出す。
「でも、だって、それじゃあ……私の想いはどうやったら君に伝わった……?」
「に、いさま……」
「君が好きだ。好きなんだ。昔からずっと。どうか、私を嫌いにならないで……」
ヴィクトールが私の肩に顔を置く。
寄せられた身体はガタガタと震えている。
……怯えているのだ。彼は。
「……嫌いになりませんよ」
私はそっと彼の背中に手を回した。びくりと跳ねるヴィクトールの身体。
「でも、こんなやり方はあなたらしくないです」
「……けど、それなら、私はどうやって……」
その時だった。
屋敷の呼び鈴が鳴るのが聞こえたのは。
「……来客?」
まさか、このタイミングってことは……。
そう考えていた時、ヴィクトールが私の身体からそっと自分のそれを離した。
「……行ってくる」
「え、で、でも……」
「大丈夫だよ。……こんなことは、もうやめにしないとね」
そう言って、ヴィクトールは部屋から出ていったのだった。
そして取り残された私。
自分の予想を裏付けるため、部屋にある窓から身体を出して屋敷の外を眺めてみる。
……屋敷の入り口が見えるかと思ったけど、ギリギリ見えないな……、くそっ。
そんなことを考えていた私の耳に、「──ウィラ?!」と突然見知った声が聞こえてきた。
慌てて下を見ると。
「……ユーリ様!」
何故か真下にユーリの姿が。
ヴィクトールには申し訳ないが、少しほっとしてしまった。
「ああ、よかった。ここに居たんですね……! 今助けに行きますから!」
「え、あ、ありがとうございます……! でも、よくここがわかりましたね」
「……君のお兄さんが、わかりやすい手紙を残してくれましたからね」
「?」
手紙って、なんだろう。
そんな私の疑問に答えることもなく、ユーリは「今行きます!」と屋敷の入り口の方へと回っていってしまった。
私は窓から身を乗り出すことをやめ、ずるずると壁に背を凭れさせる。
……直にユーリ達がこの部屋へ辿り着くだろう。
これで、私とヴィクトールによる小さな軟禁生活は終わる。いやほんと短かったな。
(……それでも……)
決定的な何かが起こり、そしてそれは今の私を支配している。
それだけは確かだった。
「…………はぁ、疲れた」
*
「で? 説明していただきましょうか」
怒り心頭のユーリが私を抱き上げながら言う。
対するヴィクトールは困ったように笑うだけだ。
「義兄上、いくらなんでもウィラをこんな所にまで連れてきて監禁するのはやりすぎですよ。一体全体、どうしてこんなことを……」
「あ、あのっ!!」
意を決して叫ぶ。
みんなが私を不思議そうに見た。
「……じ、実は、兄様とゲームをしておりまして!」
「ゲーム?」
「か……、かくれんぼのようなものです!」
「……ウィラ?」
ヴィクトールが私を呼ぶが知ったこっちゃない。
私はこれを貫き通させてもらうぞ!!
「ほら、クリスマスですから! 別邸を使って、私がみんなを騙すゲームがしたいと言ったのです。ですから……っ」
だから、ヴィクトールは何も悪くない。
彼がやったことは確かにいけないことかもしれないが、それでもやった原因は私だ。私が悪いのだ、全て。
だから、ヴィクトールがこの件で何か言われる必要は、無い。
「……そうか」
同行していたサーシャが呟く。
ユーリは「信じるんですか、この話を」と言ったが、サーシャは瞳を閉じたままこう言った。
「好いた女の言うことだ。余は信じるぞ」
……いかにも直球な言葉である。
そんなサーシャに対し、ユーリはふぅ、と息を一つついて。
「そう言われてしまえばしょうがないですね。……ウィラの言葉を、今は信じましょう」
と言った。
(……やっぱり、逃げられないのか……)
盲目的な姿勢をやめたからこそ分かる、彼らのとても直球な愛の言葉達。
それを聞いた私の心はちくちくと嫌な痛みを覚えていて。
(……考えなきゃいけない)
そして、折り合いをつけなければならない。
「今までのままでいたい」と駄々をこねる自分と──そんなままではいられないと分かっている自分が、必死に頭の中で戦っていた。




