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どうか、知らなかったフリをして

「……すまない。私は今日、好きな子を誘おうと思ってるんだ」


 ヴィクトールの静かな声が空間に響いた。

「あ……」とギーゼラ先輩から力の抜けた声が聞こえる。


「だから……、ごめんよ。ギーゼラ、君と学園祭を回ることは、……出来ない」

「……会長……」


 沈んだギーゼラ先輩の声。とてもショックを受けている声色だ……。



 一方、それを聞いた私。


(好きな子って言った! しっかり好きな子って言ったぞ今!! キタコレ!!)


 と喜ぶ気持ちと。

 人の恋が破れる瞬間を聞いてしまっている罪悪感で、心の中はよくわからんことになっていた。


 これって素直に喜んでいいやつなんだろうか。いやだめだよな。たった今お世話になっている先輩の恋が散ったような状況になっているのだし。


 そこでふと思う。


(そうか。いっつもアイラちゃんとの恋を応援してたけど……、その分、攻略対象を好きな人達は失恋に泣くことになるんだよな……)


 いくらここが乙女ゲームの世界で、攻略対象達の関心はいつでもヒロインのアイラちゃんに向かっているといっても。

 そんな彼らを一心に慕う人達は存在する。

 攻略対象がヒロインを愛する限り、彼女らの想いは報われることはないのだ。

 ……ちょっと切ない現実的なのが見えちゃったな。


「……そう、ですか」


 重くて、苦しそうなギーゼラ先輩の声が聞こえる。

 よく見なくても、彼女が深い悲しみを覚えているのはよく分かった。キタコレとか言ってごめんなさい。


「……分かっておりました。どこかで」

「ギーゼラ……」

「彼女、ですわよね? 会長の愛する子というのは」

「……ああ。受け入れてくれるかは、分からないけれどね」

「ふふ、それは恋する者、皆同じです。……変な申し出をしてしまって、大変申し訳ありませんでした」

「いや、そんなことは無い。嬉しかったよ、私は」

「……左様、ですか。……それでは、失礼いたします……っ」


(わっ)


 走っていくギーゼラ先輩が見えた。思わず口に手を当てて、走り去っていく姿を黙って眺めてしまう。


 ……先輩、泣いてたな……。


(よくない所を見てしまった……)


 早くこの場を離れよう。

 そう思い、そろそろと身体を動かしていると──。


「ウィラ?」

「っ?!?!」


 突然上から声をかけられて肩が飛び跳ねた。

 おそるおそるそちらを見れば……。


「……に、兄様……」


 なんでこう、何でこう。この兄はいつもいつも無駄に察しがよいのだろう。

 おかげで今ものすごく気まずい。私完全に盗み聞きしてた奴だし。


「こんな所に居たんだね、ウィラ」

「……すみません、すぐに去ります」

「いやいや、気にしなくていいよ。大丈夫」


 いや何が大丈夫なんじゃい。


「それより。今の話、聞いてた?」

「い、今の話って……」

「好きな子を学園祭デートに誘うっていう、アレだよ」

「…………ハイ」


 素直に答えた。だってこの距離で聞いてないとか無いだろうし。

 苦々しい顔で言う私に、ヴィクトールはしょうがないなぁって顔で言う。


「ま、手間が省けたしいいか」

「へ?」


 手間が省けたって、なんや。どういうこと。


 疑問に思っていると、ヴィクトールはいつも通りの。本当にいつも通りの笑顔で、こんなことを言い放った。


「ねえウィラ。学園祭、私と一緒に回らないかい?」

「はっ?」


 思わず素っ頓狂な声が出てしまった。

 今この人なんて?


「……あの。冗談を言ってからかうのはやめてください」


 アンタさっき「好きな子を誘う」って言ってギーゼラ先輩を振ってたやんけ。

 さすがにその後、何とも思ってない義妹に向かって冗談を言うのはいくら何でも不謹慎……、


「冗談じゃないよ」


 静かな、それでいて真っ直ぐとしたヴィクトールの声が聞こえてくる。その声がなんだかとても真剣なものに思えて、私は彼を見やった。


 ヴィクトールの紅い瞳は、私を捕らえて離さない。


「さっきの話を聞いていたのなら、分かっているんだろう? 私は「好きな女の子を誘うつもりだ」ということを」

「…………」

「この言葉の意味、君には理解ができないかい?」

「…………え、と」


 私はその言葉に、なんと答えていいものか分からなくなった。


 ヴィクトールは「好きな子を誘う」と言った。私はその相手はアイラちゃんだと思っていたが、ヴィクトールは今し方、私を学園祭デートに誘った。


 ……どういうことだ?


 つまり、その言葉を文面通りに受け取るのなら。

 ヴィクトールの好きな相手は────。


(だめだ。頭が、理解することを拒んでる……)


 頭が痛くなってきた。ああ、だめだ。駄目なのだ。

 それは、いけない。


 それを理解してしまったら。

 それを、私が正しく認識してしまったら──。



「……わ、からないですねー! 私には!」


 グイッ! とヴィクトールの身体を押し返した。努めて明るく、何も分かってないような無邪気な笑顔で返す。


 ヴィクトールの顔がどんな風になっているのかなんて、今の私には考える余裕はなかった。


「もー兄様! いくら義妹と仲良しアピールしたいからって、重要な学園祭でのデートにまで誘うのはだめですよ!」

「…………」

「ほら! 本当に誘いたい相手は他にいるんでしょう? 義妹になんか構ってないで、早くそっちに行ってください!」


 ああ、今私は自然に笑えているだろうか。声は不自然に震えていたりしないだろうか。


 大丈夫。誤魔化せるはずだ。

 いつもみたいに、何でもないように笑っているはず。


「……ウィラ、私は──」


 ヴィクトールが私の名を呼び、何かを言おうとした。

 が、私はそれを慌てて遮る。


「さ、兄様! 仕事はまだまだ残ってますよ、まずはそれらを片付けちゃいましょう!」

「……、……そうだね」


 彼の言葉に、こっそり息をついた。

 そしてそんな自分に、ほんのちょっとだけ、自己嫌悪。


(……何にも聞いてない。私は)


 今は、そういうことにさせてほしい。



 その後。学園祭の休憩時間は、たまたまアイラちゃんとの休憩時間が被ったから二人で回ることにした。

 本当はユーリとかサーシャとかと被ってたらよかったんだけど……二人とも忙しかったみたいで。


「ウィルヘルミナ様?」

「え、あっ、な、なに? アイラちゃん!」

「……何かありましたか?」


 心配そうな彼女の表情が見える。しまった、折角天使が一緒に歩いてくれてるのに、暗い顔をしてしまっていた。


「なんにもないよ、大丈夫」


 ……何にもないのだ。本当に。何も。


 そのはず、なのである。



 ということで。

 今年の学園祭は、推しと一緒に回れたけれど……どこか引っかかりを忘れられない日でもあった。





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