お義兄様! 目が死んでおります!
肩で息をする二人を呆然としながら見つめる。
目の前の光景が未だに信じられない。
「おとう、さま、……にいさま……」
助けに来て、くれた、のか?
何で、どうやって。そんなことを考えている内に、無意識下で涙がどんどん出てくる。
…………そうか。
私、怖かったんだな。
この状況下になって、ようやく、わかった。
「うわっ?! な、何だお前ら?!」
「大人しくしろ!! お前らは連行する!!」
壊れた扉からはどんどん兵士の人達がやってきて、私を取り押さえていた男達を捕まえていく。
そうしてあっという間に解放された私はというと。
「ウィラ!!」
「お父様っ、……!!」
父がすかさず抱きしめに来てくれた。
安心感で目の前が潤んでしまう。
「ど、うやって、ここが、」
「先日、うちにガブリエラが来ただろう?」
「!」
「私も迂闊だった。ヴィクトールの周りの警備を強化しろと命じてはいたが……、まさか彼ではなく、お前が誘拐の標的になるなんて。ヴィクトールは、お前が誘拐されたと分かった時、真っ先に「母様の仕業である可能性が高いです」と助言してくれてね。そして、ブロムベルクの別邸にあるこの地下室にアタリを付けたんだ」
なるほど。そういう感じだったのか。
そこで、突然のことに呆然としているガブリエラが見えた。
父はガブリエラをキッと睨みつけながら重い声で話す。
「ガブリエラ。よくも私の娘に酷い行いをしてくれたな」
「……あら、何のことかしら? 私達、ただお話しようとしてただけよねぇ?」
ねー? とガブリエラが笑顔で話しかけてくるが、私も父と同じように睨んでやったら不機嫌そうに「チッ!」と舌打ちした。
ほんとこの女、好きになれん。
「──そんなわけ、ありませんよね?」
カツン、と靴音が鳴る。
そう口にしたのは、共に助けに来てくれたヴィクトールだ。
「ヴィクトール……」
「覚えていますよ。この部屋、この造り。……あなたが私に、『これが愛なのよ』と言って、世にもおぞましい行為をしていた。その為に用意されていた部屋です」
マジかよ。
確かに机とベッドくらいしか無い簡素な部屋だけど、こんな上界から離れた所でこの女は息子に性的虐待をしてたのか。引くわ。
「使用人達にも近づかないように言いつけて、あなたはいつも私をこの部屋に連れて行った。長い階段を降りた先にあるこの地下室は、……上の音など何も聞こえない。ここに居る人間の声も、上には届かない。そんな牢獄だ。疚しいことをするにはうってつけの場所でしょう」
そう話す彼の顔は、俯いていてよく分からない。
「そんな部屋に誘拐してきて、あんな男数人で捕らえて、身体中を力で押さえつけて。……その上服まで破っておいて、何もする気はなかったと?」
「ヴィクトール! お母様を信じて、ね?! あの女の演技に騙されないで!」
「私にとって、あなたは最早母ではありません」
ヴィクトールが、自ら。
ガブリエラの目の前に足を運んだ。
それにびっくりしている内に、
「────私の大事な妹までもを穢そうとした、汚らしいゴミだ」
ガッ!! と、ヴィクトールの足が、ガブリエラの身体を蹴り飛ばした。
思わぬ光景に言葉が出ず、ただ目を見開くのみだ。
蹴り飛ばされたガブリエラは身を起こそうとしたが、すぐさまヴィクトールに再度蹴りを入れられた。
床に倒れ込むガブリエラ。
そのまま。
蹴って、殴って、蹴って、殴って。
ひたすら鈍い音が地下室に鳴り響く。
男達を取り押さえていた兵士達も、私も父も、この異様な状況に固まることしかできない。
「やッ、や゛め、ヴィク……がッ!」
「喋るな。耳が腐る」
ガブリエラの必死の懇願も、冷酷極まりない態度で突き放した。
「ヴィ……ヴィクトール! もうその辺りにしておきなさい!」
「…………」
「ヴィクトール!!」
一足先に意識を取り戻した父がヴィクトールの名を叫ぶが、それにも彼は反応を示さない。
黙って蹴りを続け、と思ったら顔を殴りつけ、の繰り返し。
(……いやいや待て待て)
何にも言えずに静観してたけど、どんどんエスカレートしていく光景に我に返り、今度は冷や汗が出始めた。
待って?! アレ、マジで死ぬんとちゃうの?!
まずい、下手したら身内から犯罪者が出る!!
「にっ、にに、兄様っ!! もうやめてください!! 」
必死に叫ぶと、何故かその声に反応しピタ、と止まるヴィクトール。
……あれっ、今のは聞こえてくれたのか?
そして、ゆっくり、こちらへ振り向く兄の顔。
その顔には……、返り血、が…………。
「どうして?」
「……えっ?」
「どうして、君を危ない目に遭わせたこの女を許さないといけないの?」
(────こここ怖ぁぁぁぁ!!)
目!! 目ぇ死んでるよアンタ!! ゲームで見たスチルと一緒だぁぁぁあ?!
くらりと目眩がした。
やはり、これはあのイベントのやつだったのか。
私が何故かあのスチルを取ってしまったのか。何でや。今の私はスチル集めとかしてないよ、要らねえよぉ!!
────って、何そこ追撃しようとしてんだ!!
「兄様、ストップ!!」
私は父の手から離れてヴィクトールの方へと走った。
その勢いのまま腰に抱きつくと、拳を振り上げていた彼の身体が止まる。
「もういいですから!!」
「…………」
「この通り私は怪我もしてませんし!! ね、もうやめときましょ?! その人死んじゃいますよ?!」
「……別に良いよ」
「良くないです!! わっ私、兄が犯罪者になるなんて、嫌ですからね?!」
「…………」
腕を下げ、ゆらりと私の方へ視線を向けるヴィクトール。
相変わらず目が死んでて、コワイ。
それでも、さすがにこの状況はやばいと思い、勇気を振り絞って言った。
「だから……、もう帰りましょう? 一緒に……」
お願いだから。
震える声で彼の左手をぎゅっと握ると、心なしか、その紅い瞳に光が戻ったような気がした。
そして。
「……ウィラ」
「わっ!」
ヴィクトールに強く抱きしめられる。
その体温は安心するもので。彼の身体からはいつものよい香りもして。
「怖かったよね。よく頑張ったね」
よしよしと頭を撫でてくれる手は、ひどくやさしい。
それにもうなんか、色々と感極まってしまう。
気付けば止まっていた涙が、また溢れ出してきた。
「に、にっ、ざま、ごわかっだ、でずぅ、」
「うん、ごめんね。来るのが遅くなって」
「ぜんぜんそんなこと、ありまぜん、っ! あ、あり、ありがとうございま゛ず……!!」
涙で上手く喋れない。でもヴィクトールは辛抱強く聞いてくれている。ありがたい。
そのままちょっとの間、彼の腕の中でわんわん泣いた。
*
そうして今、私は屋敷へと帰る馬車の中に居る。
隣にはヴィクトールが居て、私の手を優しく握ってくれていた。
……もう大丈夫だと言ったんだけど。聞いてくれなかったし、私もさすがに今回ばかりは心細かったからね。
ちょっとだけならいいかと思って。
そういえば、とヴィクトールの空いている右手に視線を向けてみる。
案の定。あんだけ人を殴ったんだから、腫れたり血が出てたりしていた。
「兄様、兄様」
「ん?」
「右手、貸していただけますか」
「おや、今私の左手を握っているのに、右手までもを独占したいと言うのかい? かわいいね」
「全然違います。ほら、そういうのはいいですから!」
からかうような態度を冷静にスルーして、彼の右手を取る。
着ていた服のポケットからハンカチを取り出して、手の中にある右手に簡単に巻きつけた。
「屋敷に戻ったら、ちゃんと手当を受けてくださいね」
「……うん」
ヴィクトールは手に巻きつけられたそれを見て、ほわりと笑みを零す。
何だろう、その生温かい目は。下手やな〜って思ってる??
ちなみにだが、あんだけガブリエラをボッコボコにしたヴィクトールだけども、父や私が必死に「兄様は悪くありません」「妹に酷いことをされて頭に血が上ってしまったんだ、どうか許してやってほしい」と弁解したことにより、特に逮捕されたりとかそういったことはされませんでした。
多分兵士の人達も気を遣ってくれたんだと思う。まぁ元々の身分のこともあるだろうが。
「全く、あんな風に何度もやってしまったら、こうなるに決ま、……って……」
ここに来て疲れが出たのか、うつらうつらと船を漕ぎ始める私の頭。やばいちょー眠い。
そんな私を見たヴィクトールが言う。
「ウィラ、眠いなら寝たら? ちゃんと屋敷に着いたら起こしてあげるから」
「でも……」
「今日は大変だったろう? お前は少し休みなさい」
「……じゃあ、はい」
父からもそんな優しい言葉をいただいたので、それに甘えることにし、馬車の椅子に寄りかかりながら瞼を閉じた。
……全く。今日は、1日大変だったよ。




