義兄との対話
背中に引き続き、今度はお腹にひどい痣ができてしまいました。
でもまぁこれは背中と違ってすぐ治るだろうし。打撲痕みたいなもんだから。
それでも痛いけどな。
「お嬢様、お加減はいかがですか……?」
ドロテアが心配そうに話しかけてくる。
「う~~……ん、まぁ、だいじょうぶ、すぐ治るよ」
「もう、この間のことも含めて、お嬢様は本っ当に目が離せませんね!」
うぐ。それを言われるとイタイ。腹もついでに痛い。
「今度からは、すぐに人をお呼びなさいませ! これでは心臓がいくつあっても足りません!」
「いや、呼ぼうとしたんだけどさ~……」
その前に兄様が来ちゃったんだよ。しょうがないじゃんね。
と、そこへ。
「……ウィラ……」
コンコン、とノックが聞こえてきたかと思えば、ヴィクトールの声がドア越しに私を呼んだ。
え、ていうか、めっっちゃくちゃ声重いな。
「……入っても、いいかな」
大声を出すとお腹が痛みそうなので、ドロテアに「OK」の合図をして、代わりに返事をしてもらう。
そしてガチャリとドアが開き、今にも死にそうなくらいの顔をしたヴィクトールがやってきた。
「ウィラ、怪我は……」
「大丈夫です、大したことありませんよ」
「大したことあるでしょう?! もう!」
私の言葉にドロテアがぷんぷん怒る。
いや、だから大丈夫だって。どうせ1週間くらいで消えるよ。多分。
なんなら背中刺された時の方が痛かったわ。
そんな私達に何を思ったか、ヴィクトールがひっそりと口を開いた。
「……すまない、ドロテア。ウィラと二人きりにしてくれないかな」
「!」
「彼女と、二人きりで話がしたいんだ」
ヴィクトールの言葉に、ドロテアが「……かしこまりました」と返す。
「何かあれば、すぐにお呼びくださいませね」
「うん、ありがとうドロテア」
ドロテアは心配そうにこちらをちらちらと見ていたが、やがて扉が閉まり、私とヴィクトール、二人だけの空間になった。
「…………」
「…………」
暫しの沈黙。
……この空気の重たさ、どっかで覚えあるな~~?
具体的にいつかと言うと、ユーリの誕生日パーティーで刺された時だな~~??
(ヤバイ。またお説教食らうかも……)
いや確実に食らう。
嫌な予感に顔を青ざめさせていたところ、ヴィクトールが急に私の身体を抱きしめてきた。
「エッ」
突然人の体温に包まれ、身体が硬直する。
何故。なにゆえ急にそのようなことを。
思わず驚愕の声を漏らすと、彼は「……ごめんね」と沈んだ声色で呟く。
「ごめん、ウィラ、ごめんね」
「え、あの、兄様」
「私のせいだ。私があんな風になったから、君がこんな怪我を負ってしまった」
顔は見えないけれど、抱きしめている身体が小刻みに震えているのが分かった。
どうやら彼は、自分のせいで妹が怪我をしたと思っているらしい。慌てて「落ち着いてください」と声をかける。
「兄様のせいじゃないですよ。これは私があの人に半ばケンカを売ったからというか」
「あの時、私を庇ったじゃないか」
「まぁそう言われればそうなる…? んですけど…それとこれとは話が」
「私が君を守っていれば、君は怪我なんてしなかった」
「いやだから…」
ええい話が進まん。
確かにあの時ヴィクトールが動いていたら何かしらが変わっていたかもしれないが、もしかしたら私を守るために彼が無理矢理母親に連れ去られでもしていたかもしれない。
そしてそうなる前にどうせ私が噛み付いていただろうから、結果的に私がボコられるのは避けられないんじゃなかろうか。
……何とか平和的に解決出来なかったんか? と思うけど、あの時ヴィクトールが来た時点である意味ジ・エンドである。
「……なさけない、だろう?」
考え込んでいた私に、ヴィクトールはそう小さく呟く。
思わず「え?」と返すと、くつくつと自嘲気味な笑いを漏らしながら言った。
「あれほど普段優しくして、面倒を見て、君の兄ぶって過ごしていたくせに、このザマなんだ。私はあの時、恐怖で何一つ動けなかった。君が怪我を負わされた時も、あの人に立ち向かおうなんて勇気は、全然湧いてこなかった」
「…………」
「なんて、自分は情けなくて哀れな存在なんだろうと思ったよ。たった一人の幼い妹さえ、私は守れなかったんだ」
……いや、しょうがなくね?
素直な感想が、それだ。
(んもー、ユーリといいヴィクトールといい、全くこの世界の男は!)
思わず叫びたくなった。みんなマジで気にしすぎなんじゃないか。
そりゃ気持ちは分かるよ。分かるけど! でもそれってしようがなくないですか?!
だってヴィクトールの母親って、現世で言う「毒親」ってやつじゃん。
幸い私の家庭は如何にもフツ~な家庭で、特に問題も起きなかったけど。毒親持ちの友達は居たし、ネットにもそういう話題はたくさん載ってた。
それで、そういう親を持つ人はみんな言うんだ。「怖くて逆らえなかった」って。
……子供にとっての親は、本当に、絶対的な存在なんだと思う。
幼い時期に焼き付けられた「恐怖」は、どんな風にしたって無くすことなんて出来ない。
そんな中でずっと過ごしてきた人が、またその悪魔と相対して。戦えなくて。それを怒れる人が、果たして居るだろうか。
世の中、魔王を倒せる勇者になれるような人は、そんなに居ないよ。
だから。
「……兄様は」
「…………」
「兄様は、大丈夫ですか?」
「……、……え?」
見開かれる紅い瞳と目が合う。
今見ると子供みたいだ、ほんとに。
……いや、彼は13歳だから、ホントは今までずっと子供だったんだけど。
そう考えると、変に彼を疑いまくって色々疑心暗鬼になってたのがちょっと申し訳ないなと感じた。攻略対象時の彼に引きずられ過ぎてたかも。だって、ゲームの中の彼は17~18歳の先輩だったからなぁ。
「兄様、私はあなたの詳しい事情を知りません。無理に聞こうとも、思いません。でも、兄様は、……あの人がこわいのでしょう?」
「…………!」
「私が見てるだけでも、それは分かりました。だから、今兄様の心は、大丈夫なのかなって。私は、それだけが心配です」
トラウマの根源に会ったんだから、ビビって当たり前だろう。
だから、今は怖くないか。ちゃんと落ち着けているか。そっちの方が重要なのだ。
私の怪我など、この際どうだっていい。彼の抱えるものや、それによって引き起こされる恐怖に比べれば。
「……きみは」
少し身体を離した後、くしゃりと、ヴィクトールが顔を歪める。
「どうしてそんなに、やさしいの」
……優しくは、ないと、思う。多分。
心配するのは当たり前だ。だってあんなの見た後だし。
それに。
「言ったじゃないですか。 ……わたしは、兄様の味方でいますよ、って」
まさか、こんな形でその言葉が実現されるとは思ってなかったが。
結局のところ、ユーリと同じだ。守らなきゃと思った。二人を近付かせたらダメだと、私の心が感じた。
だから二人の間に立ち塞がった。……それだけだ。
「……もう、怖くないよ」
「本当ですか?」
「うん。君が、守ってくれたもの」
だから大丈夫、と微笑んだヴィクトールに、ほっと息をついた。
よかったーー!! 普通ならとんでもねえ事態に発展してたからな!! 前世の毒親持ちフレンドの話とか聞いてたらやっべえ雰囲気しかしなかったから、流血沙汰とかになんなくてよかった!!
(────あ、そうだ)
ここいらで言っときたいことがある。
ユーリも言ってたけど、その「守られて情けない」とかいう感情!
「言っときますけどね、兄様。この世に怖いものが無い人なんて、殆ど居ませんから! あなたは何にも悪くありません、情けないなんて言わないでください!」
「……じゃあ、ウィラは?」
「え?」
「ウィラの怖いものって、何かな」
そう来るとは思わず、今度は私が驚く番だった。
怖いもの。怖いものな。何だろう。うーんうーん。終わらない課題、期末テスト、金欠、好き絵師もしくは好き文字書きの作品全削除…………、
いや違う、そういうのじゃなくて。
「えーっと、……怖い話とか……」
「怖い話って……、亡霊とか?」
「そうですね。あとは……、山の中に一人で居る時に超でかい熊とかに遭遇したら固まるし死を覚悟します」
要はそんな感じじゃない? えっ、違う?
私の言葉にぽかんと口を開け、「くま」とカタコトで呟くヴィクトール。
そして少しの間の後、「ふ……っあ、ははは!」と大笑いする彼の姿があった。
「く、熊、熊ね……大きいやつ……っ、ふ、ふふ……」
「何で笑ってるんですか! 兄様だって無理でしょう、そんな状況になったら!」
「ち、ちなみに……武器は?」
「無いです」
「っくく、それじゃあ、きびしいなぁ……!」
いや厳しいってどういうこと。武器無かったら大抵の人間はデカい熊相手に勝てんだろ。
まさかその拳で何とかするつもりなのか? 無茶だ! やめとけ!!
そうやってひとしきり大笑いした後。
目尻に浮かんだ涙を拭いながら私を見るヴィクトールの顔はスッキリしていて、どうやら元気を取り戻してくれたようだと安心する。
……そんなに面白いこと言ったかな。私。
「良かったですね、そんなに笑えるならもう大丈夫ですね」
「ありがとう。ふふ、君も何か笑わせてあげようか」
「多分兄様くらい大笑いするとお腹の傷に響いちゃうので結構です……」
「あ、そうだったね……ごめん」
「ほらもうまた暗い顔する! いいですよじゃあ笑わせてもらっても! 渾身のギャグを言ってくださ、っていだだだ」
「だ、大丈夫?! ほら、ベッドに休んで。兄様がお腹をさすってあげよう」
そんなサービス要らんわ!!
と言いたかったけどそうするとまた腹が痛みそうなので、大人しくさすられることにした。
どうしよう。存外に気持ちいい。
「……あの」
「ん?」
「うっかり寝ちゃいそうです」
「いいよ、寝なよ」
……なんだか、憑き物が取れたみたいな顔してるな。この人。
まぁいいや。マジで眠くなってきたし。
(……寝るか……)
本能に身を任せて瞼を閉じる。
すると「おやすみ、……ありがとう、ウィラ」とめちゃくちゃ優しい声色で言われると同時に、何か瞼に柔らかい感触を感じたような気がしたが。
多分、気のせいだと思う。




