事件のあとで
『──そうして、僕は心底痛感しました。貴族というのがどういうものか、……自分がこれから、どのような世界で生きていかなくてはならないのかを』
『そうだったんですね……』
『誰も信用してはならない。いつそれが覆されるか分からないから。そう思いながら今まで生きてきて……、なのに、どうしてでしょう。あなたから貰う言葉は、どれも暖かくて、……つい、泣きそうになってしまうんですよ』
「う、ぅ゛~~ん……、次のぉ、せんたく、し、は…………」
────ハッ!!
突然の覚醒。
見上げる天井は見覚えのないそれで、暫しの間頭が混乱しまくる。
「あれッ、ここ……っい、でででで?!」
何気なしに身体を動かすと、背中に激痛が走った。
ちょっと待って。私は今ユーリルートの選択肢を選ぼうとしていたところ……で……、
…………じゃない!!
「そうだ、私……」
この痛み、思い出したぞ。ブスッとやられたやつだな。
畜生。この恨み晴らさでおくべきか。いや、自分から突っ込んでいったのはそれはそうなんですけど。
……ていうか。
さっきから気になってたんだが、私の寝てるベッドの端の辺りで蹲ってるこの金色の毛玉なに?
凝視していると、その金色毛玉がいきなりバッと起き上がった。
思わず驚きの声を上げると、起き上がった顔がゆっくりとこちらを見てくる。
「……ゆ、ユーリ様?」
何かと思ったらユーリやんけ。麗しの婚約者様を毛玉とか言ってしまった。
まだ可愛らしさが残るその顔は悲惨なものだった。目元がめちゃくちゃ赤く腫れてるし、なんか涙の跡みたいなのもめっちゃ見える。
えっ、どうしたのその顔。ていうか、そもそもあの後どうなった?
頭の上に「?」を浮かべていると、「うぃら、」とユーリのあまりにもか細い声が聞こえ。
次の瞬間。
「う、」
「え」
「うわぁぁぁあぁんっ!!」
(ええええ何何なになに?!?!)
ユーリの渾身の大号泣が起こり、相変わらず状況が読めずにアホみたいな顔して驚愕する他無い私。
そしてこの声を聞きつけやってきた公爵一家と私の家族、そして医者やら何やらで、部屋の中は一層カオスなことになるのだった。
*
まさか、ゲーム中屈指のキラキラロイヤルイケメンの大号泣が見れるとは思いもしなかったよ、開発陣の皆さん。ただしやったのはショタ時の彼だが。
あれから詳しい説明を受けた。
やっぱり私はユーリを庇い、あのメイドに背中を刺されたらしい。
まさか私が突っ込んでくるとは思わなかったメイドが驚き手元が狂ったため、意外にも傷はそんなに深くなかったそう。それでも刃物突き刺されたからスゲー痛いけどな。
叫びと共に私が倒れたことにより、現場は騒然。
その場でメイドはすぐ捕らえられたし、陽動目的だった賊達も役目は終わったと言わんばかりに逃げようとはしたが、そのままあっさり捕獲。……普通逃げられないのは分かるだろうに。騒ぎに乗じてならいけるとでも思ったのだろうか。
ちなみに、バーデン侯爵は逃げなかったらしい。
わざわざ賊を雇ってあんな騒ぎを起こさせたのも、自分から大々的に出てきたのも、全ては「エカチェリーナ様の心に少しでも多く残るための舞台劇」……だそうだ。
まぁ、公爵家の一人息子を殺そうとしたのだから、隠れてやっていてもその内捕まっていただろうが。それも含めて、全てを投げ出す覚悟で彼はやっていたのかも。
とにかく、説明を聞いている内に「あーやっぱゲームと同じ感じね」と納得した。
そんな中で、一層酷かったのはユーリの状態だったようだ。
元々自分が狙われていたこと、それをまさかの婚約者が庇い怪我を負わされたことに彼は酷くショックを受け、治療をひとまず終えた後の私にずっと付き添ってくれていたらしい。
家族が少しでも休むようにと言っても聞かず、ただただ涙をぼろぼろと零し、「ごめんなさい、ごめんなさい、ウィラ」と謝罪の言葉を述べていた。
聞いててめちゃくちゃ可哀想になってくる話だわ……。
命に別状は無かったけれど、あの騒動と怪我のショックで気を失っていた私は、結局翌日に目を覚ました。
そしてユーリに大泣きされそれに大勢駆けつけ、何やかんやと今に至る。
「…………」
「…………」
大体の説明の後、気を遣って皆がユーリと二人きりにしてくれた。話したいことがあるんだそうだ。
……内容は容易に想像つくけど。
なにせ空気が重い。おっっもい。
(お腹痛くなってきた……)
背中ズキズキ、腹キリキリ。もう身体中ボロボロやで。
案の定だが、この張り詰めた重苦しい空間に耐えきれず、口を開いたのは私の方だった。
「……ユーリ様は、あの後大丈夫でしたか? ……怪我とか、されませんでしたか」
「…………はい。ぼくは、どこも」
そっか。倒れた後のことは知らなかったから、あのメイドに追撃とかされてなくて安心したわ。
「そうですか。なら良かっ──」
「何が良いというのですか?!」
ガタンッ!! とユーリが突然椅子から勢い良く立ち上がり叫ぶ。
私は「わっ」と驚きの声を上げつつも、彼を見上げることしかできない。
「怪我をしたのはあなたなのに、何が、何が良かったというんですか!! あなたのおかげで僕はこの通り、怪我一つしませんでした。ええ、そうです、あなたが僕を庇ったから!!」
「ユーリさ……」
「どうして、」
ぽろり、と、彼の碧の瞳から涙が一筋伝う。
「……どうして、僕を、かばったりなんか、したんですか」
「…………」
「あなたも聞いたでしょう? 狙われていたのは僕だった。あなたがそんな傷痕を負う必要など、一切無かったのに」
その涙はどんどん溢れてきて止まらない。彼の激情が、そのまま流れてきているようだ。
怒り、憤り、後悔、……悲しさ。
そんな感情を携えた彼の瞳が、泣きながら、私を貫く。
「……どうして、あんな、ことを……ッ!!」
(……ああ)
そうか。
結局私は、この少年を守るばかりか、傷付けてしまったんだな。
身体の傷からは守れても、心へのダメージは考えきれていなかった。考えている余裕なぞ、あの時には既に無かった。
ただ、助けなければと。その一心で、私の身体は咄嗟に動けたのだ。
「……ごめんなさい」
小さく呟いた私に、ユーリは荒げていた息を少し落ち着かせてから、ゆっくり椅子に座り直す。
「……どうして、あなたが謝るんですか」
「私が、ユーリ様を傷付けてしまったからです」
「だから、傷付けたのは僕の方で……」
「それは、違います」
ハッキリと言い放った私に、彼は目を見開いた。
「……正直、何であんなことをしたのかと言われると……、身体が動いてしまったから、としか言いようがないんです。ユーリ様が危ない、と思った時にはもう、飛び出してしまっていて」
「…………」
「だから、私が怪我をしたのは、実際に刺した犯人と後先考えずに行動した自分のせいです。決して、ユーリ様のせいなんかじゃありません」
「……ウィラ」
「……でもそのせいで、あなたの心に大変な心配をかけてしまうであろうことを……、あの時の私は考えられていなかった。だから、ごめんなさい」
こんなことを今更言ったって後の祭りだが、……一か八かの判断だったと思う。
彼が目の前で刺されて倒れる所なんて、私は見たくなかったのだ。刃物で刺される痛みや恐怖なんて、こんな子供には味わってほしくなかった。
その一瞬の判断が、彼をこんなにも泣かせてしまう事態に導いてしまったのだけれど。
言っておくが、後悔はしていない。
していない、が。
……やっちゃったなー、と、頭の中はそんな申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
少しの沈黙が流れた後。
ぎゅう、と私の両手を、俯きながら強く握ってくるユーリ。
「……ほんとうに、心配、しました」
「はい」
「あなたが目の前で血を流しながら倒れた時は、何が起こったのかよく分からなくて。ただ、目の前がどんどん、真っ暗になっていきました」
「……はい」
「医師を呼んで治療をしてもらっている時も、あなたが眠っている間も、ずっと……、あなたがこのまま死んでしまったらどうしようと、そんなことを考えて眠れずにいました。……眠りたくなかったのと同じですけれど」
そうだよな。そりゃ気に病むよな、あんなこと目の前でされたら。
私が逆の立場でも多分そうなると思うし、相手の目が覚めるまできっと気が気ではないに違いない。
……それを、まだこんなにも幼い子供が。
一晩中罪悪感に苛まれながら眠らずにいたなんて、どれだけ、辛くしんどかったことだろう。
改めて心がちくちくと傷んでいた時、俯いていたユーリの顔がパッと上げられた。
「ごめんなさい。……先程のことは、僕の完全なる八つ当たりでした。こんなものをあなたにぶつける資格なんて、僕にはあるはずもないのに」
「そんなこと、無いです。むしろ怒られて当然のことをしたんですから」
「……いいえ、それでも。あなたが目を覚ましてくれた時、僕は真っ先に、あなたにこう言わなければならなかったんです」
真っ直ぐ私を見据えて、涙を湛えながら、それでも微笑む。
腫れた目元が痛々しくて堪らないのに、彼のその笑顔は、……とても、綺麗だった。
「僕を、たすけてくれてありがとう。……あなたを喪わずに済んで、ほんとうに、……本当に、よかった」
(……本当に?)
私、君を助けられたかな。
助けられたと、思ってもいいのかな。
悲しい気持ちにさせてしまったけれど。こんなにもたくさん涙を流すくらいに、心を傷つけてしまったけど。
君を危ないものから救えてよかったと、思っても、大丈夫?
そう思いながら、彼の言葉に何かを返答しようとした、その時────、
──ぱたりと、突然彼の頭が倒れる。
「?!」
ま、まさか、死?!?!
慌てて「ユーリ様?!」と彼の名前を呼ぶと、すぅ、すぅ、と、穏やかな寝息が聞こえてきた。
「…………ね、寝ちゃった」
……一晩中起きてたみたいだもんな。色々と張り詰めてたものが切れて、一気に疲れが来たんだろう。
ていうか、手、握ったまま寝てるんだが。
どうしようこれ。
「……まぁ、いいか」
さすがにこんな状態では起こせないし。私も大人しくしていよう。
……私のやったことについては、賛否両論分かれるものだと思う。
人を助けられて偉いと言う人も居れば、無謀な行いだと怒る人も居るはず。あの時ああして良かったのか悪かったのか、……果たして「正しかった」のか。
正解なんて、無いように感じた。
でも。
「……君が痛い思いをしなくてよかったなぁって、思う気持ちは、本当なんだよ。ユーリ」
あどけない寝顔を見せる彼を眺めながら、誰に聞いてほしいでもなく、何となくそう呟いた。
この可愛らしい男の子が生死の境を彷徨うような経験をしないで済んで、心から安心しているのは、真実なのだ。
枕により深く頭を埋めて息をつく。
疲れた。昨日から今日にかけて、もうなんか色々と疲れた。
「……ふぁあ」
そうしていると、なんだかこっちも眠気が襲ってきてしまい、私は誰も見ていないのを良いことに大あくびをかましたのだった。




