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ありふれた悪夢 ~ホラー短編集~  作者: 長篠金泥


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ずりずり

 あれは確か、小学校の三年生か四年生……うん、四年生の時だったかな。

 教室が替わったばっかの記憶あるし、たぶん四月。

 その前の年の冬、同じ市内でマンションから一軒家に引っ越したの。

 借家だったと思うんだけど、前に住んでたトコより全然広いし新しくて。

 私は自分の部屋が初めて貰えて、すごい嬉しかったのを覚えてる。


 子供の頃の私って、一度寝たら朝まで起きないタイプだったのね。 

 だけどその日に限って、変な時間に目が覚めちゃって。

 布団の中で寝惚ねぼけながら、ゆっくり夢から抜け出すようなのじゃなくて、いきなりパッと昼間の自分に意識が切り替わったみたいな、そんな。


 トイレに行きたかったんでもないし、寒さや暑さで寝苦しかったってワケでもないし、ホントに「何これ?」としか言いようがない、変な感じ。

 枕元の時計を見ても、まだ深夜の三時ちょっと過ぎだったな。

 もう一回寝ようにも完全に目が覚めちゃってるし、どうしようかな……って思いながらベッドに座ってボーッとしてたら、「あれっ?」て気がついたの。

 

 ずりずりっ……ずりずりっ……ずりずりっ


 ――っていう、何か引きずってるような音が、外から聞こえてくることに。

 まぁ変な物音がしても、普通だったらちょっと気になるくらいで、すぐ忘れちゃうと思うんだけど、色々とおかしくてさ。

 外から聞こえる「ずりずり」って音が、ね。

 ウチの前を行ったり来たりしてるみたいで、ずっと消えないの。


 その家って、ちょっと入り組んだ住宅街の奥っていうか行き止まりっていうか、そういう場所に建ってたんだよね。

 向かいは空き家だったから、誰かが前を通ることも殆どないハズ。

 なのに変な音が一定のテンポで、大きくなったり小さくなったりを繰り返してて。


 ずりずりっ……ずりずりっ……ずりずりっ


 五分くらい、暗い部屋でジッとしてたんだけど、音はまだ続いてる。

 それを怖いとかキモいとか思うんじゃなくて、ただただ不思議でね。

 こんな真夜中なのに、どこの誰がやってるんだろう、そもそも何の音だろう――って、外の状況が気になってしょうがない感じ。


 だからね、そっとカーテンを開けて外を見てみたんだけど、二階の私の部屋からだとよく見えなくて。

 角度的に、家の前あたりがちょうど隠れてたんだよね。

 なら音の正体だけでも突き止めようと窓を開けたら、もっとクリアに聞こえてきた。


 ずりずりっ……ずりずりっ……ずりずりっ

 

 硬くも柔らかくもない何かが、アスファルトの地面をこすっている。

 靴底を引き摺って歩く音に似てなくもないけど、もっと重たい印象だったよ。

 息を殺して耳をすませても、「ずりずり」以外の音は聞こえない。

 でも、車の音なんかもまるでしなかったのは、今思うと変だなぁ。

 ワリと近くに、結構な交通量のある道路が通ってたんだけど。


 でね、また五分くらい待ってみたけど、音はずっと続いてる。

 気になって気になって、このままじゃ絶対に寝られない。

 こうなったらもう、直接確かめるしかないでしょ。

 真夜中に外に出る、っていうイケナイ行動にドキドキしながら、ゆっくりと階段を下りて、忍び足で廊下を進んで、玄関のドアの前まで辿り着いたの。


 ずりずりっ……ずりずりっ……ずりずりっ……ずりずりっ……ずりずりっ


 部屋にいた時よりも、もっと大きな音で「ずりずり」が聞こえてきて。

 そういえば、ドア越しなのにやけにハッキリと聞こえてたのも、不自然っていうか何ていうか、ちょっと謎だよね。

 その時は別に、おかしいと思わなかったんだけど……うん、やっぱ変だ。


 ともあれ、やっと音の正体を確かめられそうだから、私もテンション高くなってたね。

 背伸びしてチェーンロックを外して、その下の二つの鍵も回してドアノブを握った。

 さぁ、ついに開けるぞ――ってなった瞬間だよ。

 五センチくらい隙間が出来たところで、急に後ろから腕がニュッて伸びてきて。

 ノブを私の手ごと掴むと、グイッと後ろに引っ張ってドアをバタンと閉めたの。

 

 もうビックリして、「えっ、何何何何っ?」ってテンパってたら「見たのか?」って低い声が後ろから聞こえて。

 何事かと思いながら振り返ったら、そこにいたのはパパだったんだけど。

 その時のパパが、何ていうか……今までに見たことない、やたらと怖い顔で私のことを見下ろしてたの。


 怒ってるとか叱られるとかじゃなくて……何ていうのかな。

 そうそう、電車の中で意味不明なことをデカい声で延々と喋ってるような、危ない感じのオジサンって偶にいるじゃない?

 ああいうのを見た時に近い、本能がヤバさを伝えてくるタイプの怖さ、だったね。 


 見てないんだから、ただ「見てない」って答えればよかったんだろうけど。

 ドアの外では相変わらず変な音が聞こえてるし、パパは変な雰囲気全開だし。

 だから頭がフリーズしちゃって、何のリアクションもできずに固まってたのね。

 したらパパが屈んで、私と目線の高さを合わせながら「見たのか?」って、さっきより低い声でまた訊いてきて。


 ずりずりっ……ずりずりっ……ずりずりっ


 このままだと、きっと、もっと、ずっと怖くなる――

 そう思った瞬間、ブンブンブンブンって何度も何度も、首を左右に振ってた。

 その最中、パパの手が私の頭にそっと触れて。

 ビクッとして動きを止めたら、やさしく撫でてくれながら言ったの。


「何か聞こえても、気にするな。部屋から出るな。外は見るな……約束できるな?」


 もう怖い顔してないけど、超ウソくさい笑顔を作ったパパが、変に優しげな声でもってそう確認してくるの。

 私としては一秒でも早くこの場を切り抜けたくて、コクコクコクって何度も何度も、首を上下に振るしかなかったよ。


 ずりずりっ……ずりずりっ……ずりずりっ


 二人で話をしている間も、外からの音は聞こえ続けてたんだよね。

 そんなのさぁ、やっぱ気になって仕方ないでしょ?

 だから、部屋に連れ戻されてベッドに寝かされた後で、思い切っていくつかまとめて訊いてみたの。


「ねぇ、あの音は何なの?」

「家の外には何がいるの?」

「パパは、それを見たの?」


 質問に対するパパの答えは、無言で私の目の前に拳骨を落とすことだった。

 完全に本気のパンチが「ドゥン」って音を響かせてベッドを揺らしたんで、いやもうマジに心臓止まりかけたよね。

 要するに「もうこの話はしたくないから黙れ」って意思表示だったんだろうけど、今も自分に向けて手を突き出されるのは苦手で、ちょいトラウマになってるっぽい。


 ぶっちゃけ、あの夜からパパともずっと気まずい感じになって、未だに元の関係に戻れてんのかどうか、怪しいような気もするな。

 あの時の雰囲気からして、パパは家の前に何がいたのか知ってるんだよね……どんなのを見たのかな。


 それから? えぇと、何度かまた夜に「ずりずり」ってのを聞いたけど、音の正体は最後までわかんないまんまだったなぁ。

 夏休みが終わるのと同時に、その家から引っ越しちゃったし。

 怖い話を頼まれたのに、ヘンテコな話しか出てこなくてゴメンね。

 でもその家の場所は覚えてるから、もし興味あるなら詳しい場所を教えられるけど……どうする?

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