表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ありふれた悪夢 ~ホラー短編集~  作者: 長篠金泥


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

58/98

10円

 ベッドで上半身を起こした米谷よねたには、いつものひょう(ひょう)とした雰囲気もなく、こちらに愛想笑いの出来損ないみたいなものを向けてくる。

 痛み止めの副作用なのか単に疲れているのか、まぶたの下がった眠たげな表情は、病室という場に似合いすぎるほど似合っていた。


「病院からの電話は何事かと思ったけど、ワリと大丈夫そうだな」

「お前の大丈夫の基準、ガバガバすぎんだろ亮次りょうじ


 表情を苦いものへと変えながら、米谷はギプスで固定された左腕を吊られた右腕と同じ高さまで持ち上げる。

 両腕の骨折と、全身にくまなく残った打撲。

 ついでに、肋骨数本にもヒビが入っているらしい。

 予め怪我の状態を聞いてはいたが、実際に目にしてみると中々に壮絶だ。


「原チャリで事故ったって……どんだけダイナミックに事故るとそうなるんだ? コケた後で車に轢かれたのか?」

「いや、道路上にあったコンビニ袋を踏んだらハンドルとられて、道から外れた先で柵か何かにぶつかって……軽く飛んだね、空」

「そんなキメ顔で言う状況じゃねえよ」

「まぁ、飛んだ先にプチ崖っていうか、結構な段差があったんで衝撃がハンパなくてな。それでこのザマなんだわ」


 そう言って米谷は、左腕を伸ばして胸を反らせる変なポーズを作る。

 ふざけてみせる仕草も痛々しいが、ここで深刻なリアクションをするのも違うだろう。

 なので俺は敢えて薄ら笑いを浮かべ、スマホのカメラを米谷に向ける。

 電子的なシャッター音が鳴ると、米谷は渋面を向けて抗議してきた。


「おいおい、ノーメイクなんだから勘弁してくれよ」

「やかましい。みんな心配してるし、ちゃんと生きてるって証拠写真がいるだろ。コンビニ袋でコケたって面白情報も、キッチリ伝えとくからな」

「正確には、袋の中の食パンのせいだな。二斤入ってて、それで」

「つまり、パンを踏んだ罪で地獄に落ちた、と?」

「あー、何だったっけ? それ。変なメロディは思い浮かぶんだけど」


 米谷は合ってるんだか合ってないんだかわからない、不安定な音程の鼻歌をワンフレーズ続け、それを溜息でくくった。


「しっかし、いきなり道の真ん中にそんなん落ちてるとか、無理ゲーっしょ……そもそも踏む直前まで見えなかったんだよなぁ、マジで全然」

「事故る時ってのは、大体そんなんだろ。普通ならない運の悪さが発揮される感じで」

「まぁ、なぁ……ここんとこ、微妙についてない雰囲気あったから、そのトドメなのかも知れんわ」

「そういや最近、意味不明な愚痴が多かったな」


 中高と一緒だった米谷だが大学は別だし、未だに実家暮らしの俺と違って学校の近くで一人暮らしをしているので、昔ほど顔を合わせることはない。

 それでも何をしているかは、大体SNSを見ていればわかる。

 欠かさずチェックしているワケでもないが、この半年ほどの米谷の呟きはやけにネガティブ――というか、トラブルの報告が目立っていた気がする。

 

 自転車が前輪も後輪もパンクしていたとか、停電で作成中のレポートのデータが飛んだとか、風呂の天井がカラフルなカビで覆われたとかの、地味にしんどいタイプの災難。

 他にも、飲み屋で謎のブラジル人に絡まれて千円たかられた、スーパーで買った惣菜のコロッケから絆創膏ばんそうこうが出てきた、ぶつけた記憶もないのにスマホの画面が割れた、風邪っぽい体調が二ヶ月近く続いてる等々、覚えているだけでも結構な数だ。


「そりゃ愚痴も増えるって。三日に一回くらいのペースでもって、ロクでもないことが何かしらあるんだぜ?」

「日頃の行いが悪いんだろ……で、頼みごとってのは何だよ」

「ああ……このまましばらく入院らしいからさ、家から色々と持ってきてほしいんだわ」

「そんなら、おばさんに頼んだ方がいいんじゃね?」


 当然の返しをする俺に、米谷は眉根を寄せて言う。


「お袋、婆さんの介護で田舎に戻ったって話、してなかったか」

「初耳だ。田舎って確か……滋賀だっけ?」

「佐賀だよ。そんで、親父は青森に単身赴任中。とにかく、この程度の怪我で東京まで呼び出すのもな」


 この程度、どころではなく結構な一大事の気もするが、本人が言うのだから仕方ない。

 大学のツレに頼めないのか――と訊きかけたが、一年や二年の付き合いしかない相手を自分のいない家に送り込むのは、少なからず不安が残る。

 そこに思い至った俺は、米谷の頼みを聞いてやることにした。


「ところで、部屋に変なモン置いてないだろうな」

「変って……どんなんだよ」


 言われた品物をメモりながらの問いに、米谷は怪訝な表情を見せる。


「パッケージ見ただけでドン引きする特殊なAVとか、謎の宗教団体のメタリックな御神体とか、そういう今後の付き合い方を考え直す必要が出てくるブツ」

「ねぇよ、そんなの」

「クローゼットにXLサイズのセーラー服があるとか、冷蔵庫に大量のハムスターのメスの死体が詰まってるとか」

「だから、ねえってんだ……ああ、だけど変なモンはあるっちゃあるか」

「あるのかよ!」


 米谷の予想外の発言に、俺はつい大声で返してしまう。

 しかつらで左手を持ち上げた米谷は、乾燥した唇の前に人差し指を斜めに立てる。

 つい、ここが病室――四人部屋だということを忘れていた。


「すまん……それで、変なモンってのは?」

「古いグラスなんだけど、引っ越し直後に流し台の下にある収納スペース開けたら、何でか一個だけ残されてたんだわ。オレンジの水玉模様の、昭和っぽいデザインなヤツが」

「まぁ、不動産屋もチェックしてるだろうに、そんなのがあるのは変だな」

「それも変なんだけど、もっと変なことがあんだよ」


 言葉を切った米谷は、何故かこちらと目を合わせようとしない。

 そこはかとない嫌な予感を覚えつつ、俺は少し間を空けてから訊き返す。


「……どんな」

「十円がな、入ってるんだ」

「は?」

「えぇと……そのグラスな、ちょっといい感じだったんで、捨てずに部屋に飾っといたんだよ。したらさ、時々そこに十円玉が入ってるんだって」

「え? どゆこと?」


 意味がわからず質問を投げるが、米谷も首を傾げながら応じてくる。


「いや、オレにもわからん。とにかく気がついたら入ってんだわ、十円」

「何だそれ? お前んちに遊びに来た誰かが入れてる、ってこと?」

「部屋にオレ一人でも、いつの間にか入ってたりするから……違うんじゃないか」

「え? いやでも、それって……えぇ?」


 それは、相当にヤバいんじゃないのか。

 声を大にしてそう問い詰めたい気持ちもあったが、ここは病室だし自分でも何をどう訊いたらいいのかがよくわからない。

 混乱した俺が黙り込んでいると、米谷が気の抜けた短い笑いの後で言う。


「別に、グラスに十円が増えてくってだけで、特に害もないし」

「いやいや、違うだろ。害とかそういうんじゃなくて……そもそも、その十円って本物なのかよ」

「普通に自販機でも使えたし、本物じゃねえの」

「マジかよ! 使うかそれぇ!」


 つい声を張り上げると、隣のベッドから咳払いが聞こえた。

 米谷もまた渋い顔をしているので、俺は抑えめの音量で続ける。


「とにかく、そのグラスは何てぇか、こう……よくないんじゃないか?」

「考えすぎだろ。まぁそのグラスはいらないから、さっき頼んだモンをよろしくな、亮次」

「頼まれたって持ってこねえよ」


 部屋の鍵を預かった俺は、病院から徒歩十数分の米谷のマンションへと向かう。

 自宅で起きている怪現象に対する、米谷の危機感のなさはどういうことだ。

 長いこと続いたから麻痺しているのか、本当に気にしていないのか、単なるフカシでしかないのか。

 色々と考えてはみたが答えは出ず、部屋の前に辿り着いてしまった。


 鍵を開けて中に入ると、ソースの匂いを含んだ空気が充満していた。

 出所でどころは、コンロに乗っているフライパンの中の焼きそばだろう。

 夏場じゃなくて助かった、と思いつつ乾いてひと塊になったそれをゴミ袋に突っ込む。

 ついでに三角コーナーの生ゴミも捨てて、袋の口をきつく縛った。


 キッチンの先にあるドアを開けると、軽い埃っぽさと薄い脂っぽさを鼻が察知する。

 まだ実家で暮らしていた頃の米谷の部屋と、よく似たニオイに思えた。

 これに懐かしさを感じるのはちょっと嫌だな、と苦笑しながら電気を点けて頼まれた品を探し始める。

 着替え、本、スマホ、イヤホン、保険証――それらを見つけては、部屋の隅に転がっていたリュックに突っ込んでいく。

 

「あとは充電器、っと……」


 スマホ用の充電器を求め、散らかってはいないが物が多い六畳間を見回す。

 その最中に、サイドボードの上に置かれたグラスが視界に入った。

 よくわからんフィギュアと、ブタの蚊遣かやりに挟まれるような位置に置かれた、オレンジの水玉模様をした小さなグラス。

 容積の半分くらいが十円玉で埋まっているのに気付いた瞬間、寒気が背筋を駆け下りて行った。


「……これか」


 米谷から何も聞いていなければ、特に気になることもないグラスだ。

 小銭が詰まっているのは少々変だが、それも普通にスルーできる程度だろう。

 サイドボードに近付き、グラスを上から眺めてみると、一番上には十円ではないものが乗っかっていた。

 昭和六十一年の刻印が入った、細かい傷の目立つ百円玉。


「詰めが甘いんだよなぁ」


 そんな独り言を口にしながら、グラスのふちを指先で軽く弾いた。

 硬質の音が小さく響くが、小銭が重石おもしになったグラスは動かない。

 中身が全部十円ならもっと不気味な雰囲気が出たっぽいのに、百円が混ざったせいで台無し感がちょっと凄い。


 にしても米谷の奴、これをワザワザ仕込んだのだろうか。

 それとも、たまたま小銭を溜めといたから、怪談っぽく仕上げてきただけか。

 気を取り直し、充電器の探索を再開しようとしてから数秒後。


 チャリ――


 と、聞き慣れた金属音が鳴った。

 財布の中やポケットの中で発生する、小銭同士がぶつかった音。

 まさか。

 米谷の話の通り、どこからともなく十円が。

 迷うと動けなくなりそうだったので、思考を止めて振り返る。


 誰もいないし、何もない。

 当然だ、そんなおかしなことが起こるハズもない。

 さっきグラスを弾いたせいで、中の小銭が動いたんだろう。

 ただそれだけの、単純な現象――


「うっ」


 グラスの一番上にあった百円。

 それに半分重なるように、五百円が乗っていた。


 どこから出てきたんだ。

 っていうかこれは何なんだ。

 十円が増えるって話だろ。

 五十倍じゃねえか。


 混乱した脳の中で、疑問符が無秩序に踊る。

 浮いてきた汗で湿った顔を撫で回し、俺は見たものの意味を考える。

 このグラスが問題なのか、じゃなくてこの部屋に原因があるのか。

 それとも、米谷に向けられた何か――悪意や、呪い、そういうものが。

 そういえばアイツ、近頃ずっとツイてないって話をしてなかったか。


 十円が日常に発生する不幸の代償で。

 百円がありえない不運の代償だとする。


 だったら、この五百円は。


 俺は考えるのをやめて、充電器の入っていないリュックを掴んで部屋を出る。

 震える手で鍵をかけようとするが、妙な抵抗があってシリンダーが回らない。

 やがてドアの向こうで、小銭を床にぶちまけたような音が響いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ