鬼
スーパーマーケットの喫煙コーナーは建物の外にあった。
正面入り口から見て左の端になる。
手前にトイレの外側の入り口がある(店内の入り口もある)。
ベンチが2つ。それぞれに灰皿1つ。
前の駐車場から丸見えの位置。夜間は見えにくい。
店内の照明、看板の照明が明るすぎ、喫煙コーナーあたりは真っ暗に近い。
それでも防犯カメラは人影を捉えていた。
カメラはトイレ入り口の上に設置。
幸森の姿は画面右端に確認出来る。
幸森は駐車場側から歩いて来て、喫煙コーナーへ。
スーツの上に黒っぽいコートを羽織っている。
壁を向いて立ったままタバコに火を付ける。
その瞬間、幸森の足下に黒い人影2つ、ふわっと動き、
同時に幸森の身体は仰向けに地面に叩きつけられる。
犯人2人はしゃがんだ姿勢のまま。幸森の靴を盗り、姿勢を低くして
画面から消えた。トイレ入り口方向へ去ったのか?
公開された防犯カメラの映像は暗くて不鮮明だ。
「これでは犯人達の服装もはっきりしないわね」
マユはがっかりしていない。
謎多き事件に惹き付けられている。
「靴だけ奪うなんて奇妙ね」
「変な強盗だよ」
「動きが素早いわ。まるで練習したみたいに2人とも無駄がない」
「うん。喫煙コーナーに誰かが来ると待ち伏せしていたのかな」
「誰かが?……幸森さんを狙った犯行ではないと?」
「狙った可能性はあるとは思うよ。犯行場所でタバコを吸うのは習慣だったらしい。けど、ずっと待ち伏せしていたとは考えられない。たまたまこの時間、だから」
「じゃあ尾行していたとか?」
「いつから?」
「ケアハウスを出てから。尾行して襲撃のチャンスを見計らったかも」
「なるほどね。警察もその可能性を調べているんだろうな。ケアハウスからスーパーまでどうやって移動したのか聞いてないけど、吉村さんの養子の車かタクシーかどっちかだろうな」
「殺人未遂事件ですものね。まずは幸森さんの近辺を調べるんでしょうね……でも防犯カメラの画像を見る限り、靴を奪うのが目的のように見えるんだけど」
強引で手早いやり方で靴を剥ぎ取っている。
結果、幸森がどうなろうが気にも留めていない風にも見える。
靴のGETのみがミッションでもあるように……。
「そして、奪われた靴もややこしい事情があるのね」
「うん。幸森さんの靴じゃない。誰の靴か今のところ不明。まあ、いずれ持ち主は判明するんじゃないかな」
ケアハウスのオープンパーティの参加者に違いは無いのだ。
「特別な靴で、どんな手段を使ってでも取り返す必要があった……じゃ、ないわよね」
「特別な靴なら間違えないだろう。それに靴を間違えただけ。穏便なやりかたで回収できるだろうからな」
「そうよね。謎の靴泥棒、持ち主不明の靴……でも靴で関連付ける材料は今のところ無いのね。偶然かもしれないわね。不可解で気味が悪いけど」
「不可解だからな、タグチの祟りだって、そういうオカルトチックな話になってたね」
「ヨシムラさんの幼なじみらしい病院のスタッフが言ったのよね……それも気になるわね」
「そのうちに酒屋の婆さんに聞いてみるよ。薫も気に掛かっていたみたいだし」
「そのうち? ……なあんだ、明日じゃないのね」
マユは、明らかにがっかりしている。
「いや……明日必ず行くよ」
「そう。明日が待ち遠しいわ」
マユの瞳が煌めいた。
聖は、なんでマユが<タグチのおっさん>に興味をしめしているのか、不思議に思った。
吉村は(アホな話)と言い捨てた。
……あのカンジという爺さん。
祟りだ、怨念だ、と言いながら面白がっている風にも見えた。
幼なじみが奇妙な事件で顔を揃えたので、<靴>にまつわる悪戯を思い出したのだ。
幸森が命に関わる深刻な状態でないのも知っていただろうし、
面白い怪談話、はリップサービスに過ぎなかったのでは?
聖は翌朝、楠本酒屋を訪ねた。
90才前後の婆さんはタグチを知っているはずだと見込んで。
(タグチが森へ入って消えた)
そんな事実はないと、きっと婆さんは言うだろう。
それでタグチの話は終了。
そうに決まってる。
さっさと済ませようと思っていた。
まさか酒屋の婆さんまで
「カンジが祟りやと言うてたんか。うちもな、タグチが来よったに違いないと分かってたで」
言い切るではないか。
全くの想定外。
「その……タグチさん、ホントに森に入って以来消息不明なの?」
問う声が掠れ、背中が冷たくなってくるのを感じる。
不吉なモノに触れてしまった感触。
聖は、この話は禁忌かもと感じた。
だが手遅れ。
婆さんは、長年この時を待っていたかのように
息つく間も惜しむように……語り始めた。
タグチのエピーソードは末端。
恐ろしい人食い森の起源であった。
「……聴いた話やで。
此処は奈良の最果ての小さな村や。
しやから焼き場があってん。
焼き場の手前にな、大きな木が一本だけあったらしい。
杉か楠か、どっちかや。
昔な、東のほうの大きな村から男衆が一団でやってきて
1人の大男を、大きな木に縛り付けて行きよった。
明治になる前、洪水の後やったって。
洪水の後にな、木の側に池が出来てたんやて。
何も無かったところに池が出来るのは不吉やねん……。
男衆はな、村の者にこう言うたんや。
『こやつは死んだ赤子を喰らった鬼や』とな……」
だからどうする、とか説明は無かった。
<鬼>を縄で大木に縛り付け、去って行ったのだ。
村人は三日三晩、縛られた<鬼>の叫び呻く声を聞いた。
恐ろしく、近づく者などいない。
やがて静かになり<鬼>は息絶える。
村人はその遺体に触れるのも忌み、放置した。
やがて腐敗。カラスに突かれ壮絶なグロさになる。
「骨になったら崩れてバラバラになるやろ。見苦しくなくなるやろ、と思うやろ?」
ところが<鬼>は骸骨と成り果てても同じ位置に留まった。
そのうちにも木は太っていき、骨を取り込んでしまった。
「誰も恐ろしくて木を切り倒せない。……そんでな、隠したんやて」
つまり、周りに植林したのだ。
誰も木に近づけぬよう、何重にも周りを成長の早い木で囲んだのだ。
中のおぞましいモノを取り繕うように美しい花の咲く木を植えた。
「それで『入れずの森』なんだ……吉村さんはこの話知ってるの?」
代々森を所有している吉村家の当主だ。事実ならば知ってる筈。
知っていて、そんな気味悪い森でサバゲーさせるつもりなのか?
「当たり前や。13組も12組も、年寄りは皆知ってる話やで。親から森へ入るなと言い聞かされたからな。ほんでも男の子はアカン。絶対な、1回は行きよる」
「行くなと言われたら行きたくなるんだ。怖いと聞けば肝試しを思いつく」
「そうやで。しやけどな『鬼の木』を見たモノは無いらしい。どんな細工か知らんけど奥までは行けないんや」
聖は薫との肝試しを思い出す。
先へ進めなかったのは森の迷路のような構造のせいだったのか?
「『鬼』がおる森やからな、まっとうな人間は入られへんのやろな」
「まっとうな人間?」
なんで条件付き?
「タグチは、赤の他人の通夜に、香典も持たんと飲み食いしに来てた。死人にたかるウジ虫みたいな男や。<鬼>と同類やからな……森の奥へ収まったんやろ」
森へ入ってそれっきり……事実だったのか?
なぜ、出てこなかった?
怪我して身動きが取れなくなったんじゃないのか。
で? 誰も助けに行かなかったの?
聖は、知ってることを教えて欲しいと頼んだ。
タグチが森へ入った日の事を。
「湯本の先代の通夜やった。暑い盛りやったな。隣組やからな。私も料理の手伝いに朝から公民館に詰めてた。2階の座敷でな、弔問客に酒や料理を出してた。一番先に来たのがタグチやった。40くらいのネズミみないな顔した痩せた男や、ヨレヨレの礼服着て来よった」
住まいも素性も知れない。いつからか公民館の通夜に必ず現れた。
ボロい自転車に乗って、やって来るのだ。
故人の友人であるかのように、しれっと座敷に上がる。
そして食べて飲んで、いつのまにやら、居なくなる。
近隣の公民館や寺にもタダメシ目当てに現れるので、有名人であった。
誰かが声を掛ければ(タグチと申します。このたびはご愁傷様でした)と
小さな声で繰り替えした。
「また来よった、陰口言うてた。聞いていた中学生の悪たれ4人がな、タグチが外の便所から戻った後に、脱いだ靴を持って『森へ隠してくる』と……」
カンジの話と相違は無かった。
タグチは密かに退出しようとしたが靴が無い。
狼狽えていた。
様子を見ていた湯本の親族は、タグチが誰かの靴を履いて帰るかも知れないと思った。
それで、靴がどこに在るか教えたのだ。
タグチは舌打ちしながら、そのまま出ていった。
森へ行ったかどうかは誰も見ていない。
夜も更けていたので、たとえ外を見ていたとしても、タグチの姿は目で追えない。
「何だ、森へ入ったかどうかも分かってないんだ」
聖はちょっとほっとする。
<入れずの森>の言い伝えは怖いけど
タグチの話は吉村の言葉通り(あほな話)だった。
タグチは悪質な悪戯に懲りて二度と顔を出さなくなったのでは?
「セイちゃんは、そう思うんやな。……そんなことやろと、結局は、皆で言い合ったんやけどな」
「やっぱりね。それならタグチさんの祟りじゃないよ」
「あれきり顔見てないし、他でもぷっつり来なくなった言うし……」
「せこい詐欺師だよね。全国を渡り歩いてたりして。潮時だと、この村に見切りを付けたんだよ」
「そうやな。セイちゃんが言うんやから、それがホンマやな。コウモリのパーティで気色悪いコトあったからな。あの2人(幸森と吉村)がな、靴が無い、言うてたやろ。ふっとタグチ思いだして。ほんで幸森のケンが襲われたやろ。怖かったんや」
婆さんは聖の訪問が嬉しかったという。
聖は、それではと、腰を上げた。
店の外に出る。
背中に
「ほんまに有り難う。すっとしたわ」
と明るい声。
続く呟きに、聖は息が止まる。
「タグチは、自転車置いて、慌てて逃げよったんやな」
「え?」
振り向いたが婆さんは視界に居ない。
店の奥へ行ってしまった。
ロッキーに乗り込み。婆さんの最後の言葉を反芻。
「自転車置いて……それって俺がロッキー乗ってきたのに、置いて帰るのと同じか?」
移動手段が自転車の男が、自転車を置いて行ったのか?
靴を履かず歩いて帰ったと?
後日自転車を取りに来たのではないだろう。
タグチは消え、自転車はずっと公民館の前にあったのだ。
そうで無ければ、婆さんはタグチが森へ消えたとは思わない。
やはりタグチは森の奥深くに?
この先は1人で想像するのはキツイ。
早々に薫に報告しようと思った。




