消えた男
「セイが、酔い醒めていて助かった」
ロッキーの助手席で酒臭い薫が言う。
「うん。パーティでもそんな飲んでないし。帰ってから飲んでないから大丈夫。俺ゲーム中は飲まないから」
「ほんまにアリガト」
ぺこりと頭を下げ、ついでのように
「その汚れた白衣は脱ぎや。病院やからな」
と、酔っ払っていても注意は怠らない。
県道を進み、駅の手前で右に逸れ、そこから5分で現地到着。
幸福会記念病院夜間受付口に吉村が立っていた。
薫のラインしていた相手は吉村だったらしい。
(いつの間にそういう仲に?)
聖はちょっと意外。
吉村はラフな服装。スーパーの袋をぶら下げている
中身は靴に違いない。
吉村は、幸森の妻からの電話で駆けつけたと最初に話す。
幸森の妻は、午後10時に救急隊から連絡を受けた。
スーパーの清掃スタッフの通報で出動したと。
娘(家族で敷地内同居)が不在のため
自分1人での対応は心細いと、吉村を頼ったのだ。
「さっき集中治療室から個室に移りました。娘さんが付き添っています。
症状は安定しているらしいですよ。命に別状はないって。家族以外面談できないし、私はそろそろ帰ところでした……薫君、セイ君、中入ろうか」
吉村は建物の中に入る。
照明は控えめで薄暗い。
カウンターに夜間受付のスタッフが1人。
その70才位の男が、
「ジュン、電気つけるからな」
と吉村に声を掛ける。親しいのか?
親戚かも知れない。
役場にも銀行にも病院にも親戚がいてもおかしくない。
田舎ではありがち
全照明が付いた明るい中で、吉村と薫は、互いの袋から靴を出した。
吉村が靴を出したとたん、明らかに鹿の糞の臭い。
「薫の靴だね」
薫の反応が鈍いので聖が言う。
「こっちは、俺の靴では無く、ヨシムラさんの靴ですやろか?」
自分の靴の可能性を、まだ捨ててないの?
なんで?
「違うね」
吉村はチラ見しただけで答えた。
「ケンの靴やな。娘に買って貰ったと自慢していた。本革に見えるけどストレッチらしいですよ。軽くて歩きやすいと言ってましたよ」
「スストレッチ、でっか。成る程、足にぴったりして、走りやすかった」
薫は名残惜しそうに幸森の靴を見ている。
よほど履き心地が良かったのだ。
「では、もう1人の靴を間違えた人が、ヨシムラさんの靴を履いていったんですね。そして、その人の靴は幸森さんが履いてって……盗まれたのか」
聖は事態を整理する。
「セイ君、それがね、」
吉村は、薫の他に靴を間違えた人物が見付からない、と伝えた。
「間違えたと、気付いてないんちゃいますか? 自分みたいに」
薫は、どんな靴だったかと聞く。
「黒い革靴やったね。紐靴。ちなみに私の靴も黒で紐」
「革靴でっか。限られてきますね。13組の爺さんらはスニーカー、ボアブーツやったような……」
「私もそう記憶しています。革靴で来たのは私とカツミ(娘婿)君、ケンと施設長、そして君ら2人。考えたら、その6人しか居ないんですよ。ホテルのスタッフは、皆同じスニーカーやった。それでも念の為、どっちも問い合わせました。結果、だれも出てこない。カオル君どういうコトやと思う?」
「招待客でもスタッフでも無い男が、パーティに紛れ込んでいた。そいつが靴を間違えたんでしょうな」
薫は考えるまでも無いという口ぶり。
聖はこの推理がなぜか怖い。
「薫君、招かれてもないのに何で来たワケ?」
吉村も感じわるそうな顔。
「タダメシ喰いに来たんちゃいますか?」
「そっか。なるほど。薫に同行した俺と一緒か」
聖は納得した。
(料理が多すぎるから若い友人を連れてきて欲しい)
幸森は薫の他にも、誘っていたかも知れない。
招待状提示も名札も座席表も無かった。
皆より遅れて会場に入り、途中で退出した男がいたのかも。
自分達は気付かなかっただけで。
「ジュン、怖い話やなあ。出たんとちゃうか、タグチのオッサンの亡霊が」
受付スタッフが唐突に話に入る。
(当たり前のように近くでやり取りを見ていた)
で?
今何て言った?
<タグチのおっさんの亡霊>
なにそれ?
薫と聖は同じ思いで顔を見合わせた。
「タグチのオッサン? 誰やった?……はは、あいつか。そんなヤツおったな。えらい昔の……古い話やで。カンジ、しょーもない話、すんな」
吉村は笑っている。
旧友相手だと、口調と顔つきが紳士で無くなっている。
カンジと呼ばれたスタッフも笑っている。
けど、続く会話は怖い……。
「ジュン、タグチのオッサンの亡霊が、タダメシ喰いに来よったんや。ジュンの靴履いていったんやろ? ほんでケンが、タグチの靴履いて……殴られて靴盗られて……俺のおる病院に来た。タグチの祟りで、決まりやな」
カンジが言い切った。
幸森が襲撃された事件を<祟り>と。
ところでタグチって誰?
「話が見えませんやろ」
吉村は紳士の顔を薫と聖に向ける。
「かいつまんで言うと……タグチは葬式に必ず現れていたタダメシ目当ての男でね」
その男に、祟られる理由があるの?
「大人が『タダメシ喰いにまた来てる』と話しているのを聞きました。誰の葬式やったか通夜やったか忘れましたけど。……ケアハウスの建ってる辺りに、昔公民館があって、そこで葬式してた頃の昔話です。私ら4人、タグチに悪戯したんです。たいした事では無いよ。タグチの靴をね、森に投げ入れただけ」
……それで?
「タグチは靴下で森へ探しに行きましたよ。大人がね、『あの子らが靴持って森へ行ってた』と教えたんで」
それで?
タグチは靴を見つけたの? ……<入れずの森>のなかで?
「それきり」
続きはカンジが答えた。
「誰も姿を見てないねん。消えよった。な、兄ちゃんら、怖いやろ。タグチは森に喰われたんやで。ほんでな、ワシら4人への恨みを抱えて怨霊になった。ジュンとケンが森へ近づいたりするから化けて出てきたんや」
カンジは面白がっている。
「半世紀前の出来事やからね。薫君、セイ君、カンジのアホな話は聞き流しといて。……そろそろ引き上げようか。セイ君、橋渡ったとこまで乗せてくれるかな?」
吉村は話を終わらせた。
吉村の家は、幸福会記念病院の北800メートル。
歩いて来れる距離だ。
車では数分。
「さっきのタグチのおっさんの話、詳しく教えて欲しいですねんけど」
薫は吉村に言うが、
「薫君、また今度な。もう着いたしな」
吉村は車を降りた。
橋の袂。真新しい地蔵のあるあたりで
「家の前まで行かなくて良かったのか?」
聖は、どうせなら門前までと思ったのだ。
「この先は道が狭いねん。古い街やからな。橋は大正時代に作られた橋やで」
「どおりで。欄干メチャ低いんだ。夜渡るのは怖いかも」
「うん。落ちて死んだ人、おるで」
「ちょっと怖い橋だね。さっきの『タグチのおっさん』の話も怖いけど」
「しやな。気にはなるな。セイ、何かのついでに酒屋の婆さんにでも聞いといて」
「うん」
「さあ、はよ帰って続き(ゲーム)しよか」
その夜薫は
<幸森の事件>にも<靴の謎>にも<タグチのおっさん>の話も
いっさい触れなかった。
聖も久しぶりの4人揃った楽しい時間を
どーでもいい話で潰したくは無い。
幸森が軽傷だったので、襲撃事件を軽く受け止めていたのだ。
翌日午後、ネットニュースで
「奈良県の商業施設で高齢男性何者かに襲われる……殺人未遂事件として捜査」
と出ていた。
殺人未遂、が腑に落ちない。
傷害ではないのか?
幸森は背後から襲われ転倒し頭と肘を打撲。肘を骨折。
と、聞いたけど……。
幸森のことを考えれば頭の中には、その姿が浮かんでしまう。
年寄りなのに妙に威圧感があって、あまり好きでは無いのだが。
何回も会っている。無意識に姿形は記憶していた。
身長172~174
胴が太く首、手足は短い。
頭大きめ。
禿げ上がってるのを、潔く全部剃った感じのスキンヘッド。
いつも血色良く艶のある肌。
上瞼が垂れ、少ししか見えない眼は鋭い光を放っている。
どっかりした大きな鼻。
唇厚く大きな口で顎も立派。
「やっぱ、おっかない……70の爺さんなんだけど」
あの威圧感は、おっかないオーラはなんで?
「戦闘レベル高そうなオーラだよな」
戦闘、と口に出して、気付いた。
「あれだ、確か『柔道耳』だった。一番最初に会った時、あの耳が目に入ったんじゃなかったか?」
独特の潰れ方をした耳。柔道の有段者と認識したはず。
「頭の打撲が軽傷としたら……最初に後ろから殴られたのではない。いきなり転倒させられたのか?……どうやって? 両足首を掴んで仰向けに床に叩きつけたとか?……柔道やってるから、とっさに肘で頭を庇えた?」
つまり格闘技の心得の無い者なら死んでいた……それで殺人未遂か。
そして犯人は複数だ。
1人で可能な犯行では無い。
通り魔では無いかも知れない。
あの爺さんなら、どこかで人の恨みをかっていても不思議では無い。
「でも……なんで靴持って行ったんだろ?」
靴については全く想像つかない。
……今夜、マユに話を聞いて貰おうと思った。




