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覚悟と誓い(20)


 白ちゃんの手を握ろうと、手を伸ばした瞬間、目の前の“境界線”が波紋のように揺らいだ。

 岩壁だと思っていたそこは、水面みたいに僕の身体を飲み込み――気づけば、全身ごと吸い込まれていた。


 視界がぐにゃりと歪み、耳が詰まるような感覚。

 次の瞬間、硬い地面に背中から落ちていた。


 「ぶへぇっ……! いったぁぁ……、ちょっと、白ちゃんひどくない!? そう言うのが、バ、ハーニートラ……」


 額を押さえ、痛みに顔をしかめる。

 だが――その苦痛すらすぐに忘れた。


 目を見開く。

 そこはもう、さっきまでの苔むした通路ではなかった。


 淡い光に包まれた小さな空間。

 頭上では光苔が静かに脈動し、足元には透明な小川が流れている。水音がさらさらと響き、木立の間を抜ける風が肌を撫でた。


 「お、おー!!……ここが……秘境……」


 息を呑む。

 噂で聞いてから、今まで何度も探した“夢のエリア”。

 体育座りしてふてくされていた俺が、こんな風に入れるなんて。


 胸の奥が熱くなる。

 自分でも情けないくらい、目頭がじんわりしていた。


 「……やっと……僕も来れたんだ……」


 境界線を振り返る。

 揺らめいていた岩壁は、もう静かに閉じていて、外の気配は一切感じられない。

 ここは完全に“隔絶された空間”――運に恵まれた、選ばれた者だけの場所だ。


 思わず、拳を握った。

 高揚感が全身を突き抜け、心臓が跳ねる。


 視線を正面に戻すと――そこにあった。


 「……本……?」


 エリアの中央。

 苔むした地面に置かれた一冊の古びた本。

 革表紙は色褪せているのに、そこからは淡い光が滲み出ていた。


 「こ、これって? え、白ちゃんが言ってたスキルの書……!」


 声が震える。

 黒曜石の瞳が、その光を食い入るように追った。


 胸の奥から、積み重ねてきた過去の記憶が一気に押し寄せる。

 依頼。孤独。信じてくれた人たち。

 ――そして、信じ続けた自分。


 「……っ」


 震える指先を、本へ伸ばす。


 指が触れた瞬間、境界線と同じ光の波紋が弾け、空間そのものが脈動する。

 眩い粒子が宙を舞い、身体を包み込んだ。


 視界が真白に弾け飛ぶ。

 胸の奥に刻まれるのは――ただひとつの言葉。


 ――ユニークスキル


  胸の奥が熱くなる。

 魔力が極端に低い僕にとって、こういう“特殊なスキル”は本来なら無縁のはずだった。

 剣鬼――そう呼ばれる僕は、魔を捨て、刃だけを研ぎ澄まし、ただ技量でここまで上り詰めた。


 ただひたすら、修練で磨き上げた剣技のおかげだ。スキルなんて必要ない。そう思い込むことで、自分を押し殺してきた。


 だが――剣だけでいい、と、世界に証明しろと言わんばかりに、このスキルは僕の胸へ刻まれた。


 だからこそ、この瞬間は特別だった。


 「……アブソリュートブレイド……」


 自分だけが知る、己の切り札。

 魔力ゼロに等しい僕に、唯一与えられた攻撃系の、ユニークスキル。

 魔を捨てた代償に、僕の剣は“絶対”を得た。振るえば必ず、そこに“斬られた結果”が残る。


 防御魔法・障壁・肉体強化すら無効化し、「切れないはずのもの」を切り裂く。

 “斬ると意識した対象”にしか発動しないため、無差別に周囲を切断することはできない。


  (ただし、発動には膨大な集中力が必要。使用中は身体への負荷が極端に大きく、長時間は維持できない。連続使用は不可か)

 

地面に手をつき、立ち上がる。

 苔に反射する淡い光が、剣の鍔をぼんやりと照らしていた。


 「ふっ……」


 思わず小さく笑みが漏れる。

 ――やっと、僕の番だ。おはよう世界。そして、おはよう…… 僕。


 しばらく、淡い光に包まれた空間を歩き回った。

 小川の水面に手を浸せば、ひんやりとした冷たさが指先を走り、飲めば胸の奥まで透き通るように澄んでいく。

 樹木の根元には小さな光苔が芽吹き、どれも脈打つように呼吸していた。


 「……ちっちゃいエリアだけど……悪くない」


 心の中が妙に落ち着く。

 新しいスキルを得て、今の自分が何かに選ばれた気すらしていた。


 ひととおり見回った僕は、やがて入口――あの揺らめく境界線の前に戻ってきた。

 淡い光の膜が水面のように波打ち、僕を送り出そうとしている。


 「……アブソリュートブレイド、か」


 無意識に腰の剣へ手をやる。

 その名を口にするだけで、胸の奥で熱が燃え上がるようだった。


 「いや……、秘技……奥義……必中剣。こっちのがカッコいいかな……いや、ちょっとありきたりかな? でも……ありだな。もっとカッコよく……んん……」


 ぶつぶつと呟きながら、境界線を見据える。

 未来の戦いでこの力をどう振るうか、想像しただけで胸が高鳴る。


 深呼吸をひとつ。

 意を決して、一歩を踏み出す。


 ――フッ


 視界が揺らぎ、光が後ろへ流れ去った。



 次の瞬間、湿った苔の森に戻っていた。

 境界を抜けた視線の先――そこには、待っていた白ちゃんの姿。


 「……お待たせ、白ちゃん」


 無意識に口元が綻ぶ。

 ほんのわずか前まで、秘境で得た新しい力の余韻に胸を熱くしていたことを悟られぬように、軽く咳払いをした。


 (……よし。これで――一緒に進める)


 岩壁の傍らで待っていた麻桜が、こちらに振り向く。


 「……アルさん。秘境はどうでした?」


 白ちゃんの瞳に射抜かれ、僕は胸の奥が熱くなるのを抑えきれなかった。


 「……すごかったよ。あの秘境、ちっちゃいエリアだったけど……川や木があって、落ち着く場所でさ。その真ん中に……スキルの書が落ちてたんだ」


 「……私と一緒で、スキルを覚えたんですね?」


 「うん。ユニークスキルだ……アブソリュートブレイド。僕の全力を剣に変える、一撃必殺のスキルらしい」


 声が震えるのを自覚していた。

 でも隠せない。胸の奥から、素直に喜びが溢れていた。


 「……じつは、僕は魔力が他の人より極端に低いんだよ。 だから、スキルに縁なんてないって思ってた。でも……やっと、僕だけの力をもらえたんだよ」


 拳を握りしめると、白ちゃんはじっとこちらを見つめ――やがてフードの奥で小さく口角を上げた。


 「……よかったですね、アルさん」


 「……あぁ、白ちゃんのおかげだよ」


 その一言が、やけに温かく胸に沁みた。


 麻桜は少し考えるように視線を伏せ、そして小さく呟いた。


 「……でも……これで確信しました」


 「ん?」


 「クロックで時間を戻せば、秘境に二回……ん?違うか……もしかしたら、誰も入ったことのない秘境なら、クロックで先に時間を進めてから入れば……三回入れる……そういうことです」


 僕は思わず瞬きをした。

 白のフードの奥、麻桜の目は冗談ではなく本気の光を帯びていた。


 「……なるほどね……これは、試す価値がありそうだ……」


 クロック――彼女の新しいスキル。

 時間を操れるなら、秘境の“条件”も、未来、現在、過去の時間で、進め、そして、巻き戻せる。

 その発想に、背筋がぞくりと震えた。


 (……やっぱり白ちゃんは、只者じゃないな……)





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