覚悟と誓い(17)
132階層 ― 石碑の前
階段を上りきった瞬間、私はふと足を止めた。
冷たい空気が流れ込み、苔の光が淡く石畳を照らす。
「ん……?」
隣を歩いていたアルザスが、不思議そうにこちらを見る。
「どうしたんだい、白ちゃん」
私は目を凝らした。
目の前に石碑が静かに佇んでいる。――各階層に必ず存在するはずのもの。
だが今、その光はどこか異質に見えた。
「ふふ……少し寄り道しますね」
フードの奥で、わずかに口角を上げる。
アルザスが首を傾げる。
「寄り道……別に大丈夫だけど、あー……ごめんごめん!?気がつかなくて悪かったよ、僕は覗かないから安心してね。それにちょうど僕もしたか……」
「ち、違いますっ!このエリアには――秘境が隠されているかもしれないんですよ……」
言葉を落とした瞬間、石碑の淡い輝きがわずかに揺らぎ、周囲の光苔が呼応するように脈打った。
普段なら見過ごしてしまう違和感。けれど、今は確かに“何か”が呼んでいる。
私は石碑から歩みを外し、エリアの地図を埋めていく。しばらく探索を続け、岩壁に囲まれたエリアを静かに踏みしめた。
自動マッピングの網目が、脳裏で次々と描かれていた。
けれど――一角だけが、どうしても埋まらない。
「やっぱり……座標が、噛み合わない」
小さく呟く。
線がずれて、立体が歪んでいる。
まるでこの空間に“余白”があるかのように。
しばし視線を奥へ送った。
広がるのは何の変哲もない苔むした岩場。
けれど――胸の奥で、ひっかかる。
「……おかしい」
脳裏に展開した自動マッピングの網目が、わずかにずれている。
本来なら綺麗に繋がるはずの線が、ひとところだけ“浮いて”いる。
私は無意識に歩き出し、壁際へ手を伸ばす。
――指先が触れた瞬間。
ビキリッ
岩肌に走ったのは、光苔の脈動。
波紋のように広がり、ほんの一瞬だけ空間が“ずれた”。
「……っ」
思わず息を呑む。
間違いない――ここが“秘境”の座標だ。
「え、ビックリした……今、壁が……揺れたよね?え、なに?もしかして、ここが秘境の入口って事なの?え、すごくない、白ちゃんってエスパーかなにかなの!?それとも、もしかし……」
背後でアルザスの声が震える。
私は振り返らず、フードの奥で口元をわずかに吊り上げた。
「やっぱり……隠してありましたか……ふふ」
再び掌を当てると、脳内のマップが一気に修正される。
欠けていた座標が、音を立てるように組み合わさっていき――。
目の前の空間に、“ありえない扉の輪郭”が浮かび上がった。
石の壁が水面のようにたゆみ、奥に隠された道の影がのぞく。
「ここから先に……秘境があります」
静かに告げたその瞬間、
アルザスの黒曜石の瞳が驚愕に大きく揺れた。
岩壁は波のように揺らぎ、隠されていた通路が姿を現す。
その奥からは、淡い光と冷気が静かに漏れていた。
「……入れそうですね」
私は掌を下ろし、振り返ってアルザスに問う。
「アルさんどうしますか? 先に入ってみますか?」
黒曜石の瞳が一瞬だけ鋭く光り――次の瞬間、ふっと緩む。
アルザスはわざとらしく肩を竦めて、口元に笑みを浮かべた。
「いやいや、これは白ちゃんが見つけたものだろ。レイデェイ、レーデェーファーストだよ――どうぞ、お嬢様」
キリッとした表情で、一礼までしてみせる仕草に、思わず目を瞬かせた。
「……じゃあ、甘えさせてもらいます」
私はフードを直し、軽く息を吐く。
「――お邪魔しまーす……」
半歩踏み出すと、すっと身体が空間の奥へ吸い込まれた。
音もなく、私は秘境の中へと消える。
⸻
直後。
「よし、俺も――!」
アルザスは続こうと壁に飛び込む。
ゴンッ!
「ぶへぇらっ!? へ、へ……っ!」
頭を押さえてよろける姿は、さっきまでの黒き冒険者の面影が消し飛んでいる。
「な、なんで……!? 入れないんだけど!? なんでだ!? あれぇっ!? 僕は信じなーいぃっ!!」
彼は慌てて壁を両手で探り、もう一度勢いよく突っ込む。
ドンッ!
「ぐべふっ!? ……っだぁぁあああ! やっぱり入れない!?」
苔むした壁に額をこすりつけて、うめき声を漏らす。
「そんなぁ……! 僕、秘境入ったことないんだよ! 見たい見たい! 白ちゃん押しのけてでも先に入ればよかったぁぁぁ!……っ な……なにが…… お嬢様だ…… 僕ってやつは…… くそぉ…… こんなの…… あんまりじゃない…… か……」
132階層の静謐な森に、ブラックランク冒険者の情けない叫びが虚しく響いた。
淡い光に包まれた空間。
私は数歩進んでから、ふと足を止めた。
(……あれ?)
背後から、アルザスが続いてくる気配が――ない。
妙に静かだ。
「……?」
私は目を閉じ、千里眼を展開する。
視界が反転し、岩壁の向こうの様子が脳裏に映し出された。
そこにいたのは――秘境に弾かれたらしいアルザス。
壁にもたれて体育座りをしている。額に赤い痕をつけ、ぶすっとした顔で、苔を指先でつついていた。
(……なにやってるんですか……)
条件で弾かれた――そう理解するのに時間はかからなかった。
この秘境は、正直、何もわかっていない。どうやら今回は1人が対象だったらしい。
「…………」
私は深く息を吐き、千里眼を閉じた。
外ではアルザスが、体育座りのまま小声でぶつぶつ言っている。
(“見たい見たい……なんで僕だけ入れないんだぁ……”)
フードの奥で、思わず口元が緩む。
(……ブラックランクなのに。ほんと、掴めない人……)
私は光の奥へと歩みを進めた。




