覚悟と誓い(15)
私は冷静を装い、短く返す。
「……だったら、どうするんですか」
――その瞬間、男の表情が揺れた。
黒曜石の瞳がかすかに潤み、口元が震える。
次の瞬間には眉が寄り、苦悶のような色が浮かぶ。
さらに一拍、頬がわずかに緩み、何かをこらえるように目を伏せた。
背筋に冷たい汗が流れる。
膝に力を込め、喉が詰まる。防御を張るか、黒炎を放つか――判断のための鼓動がうるさいほど響く。
けれど彼は、ただ立っているだけだった。
その表情はまた変わり、口元にほんの一瞬だけ、笑みに似たものが浮かぶ。
(……っ、え、なに……笑ってる……? いや、何この圧……!?)
私にはわからなかった。
その男の胸の奥で、どんな炎が燃えているのか。
⸻
アルザス内心
(……やっと……見つけた……。
……早く篠原副支部長が俺を送り込んだ事を、彼女に伝えれなければ。そして、麻桜さんの両親が四年間、俺に探索依頼を出し続けていた事も。
信じてくれていた。必ず見つけてくれと――。
ようやく会えたんだ、神崎麻桜……!)
(……だが今話すわけにはいかない。誰が聞いているかわからない。
俺はまだ、白の亡霊の存在を外に漏らしちゃいけない立場だ……。
伝えたい。けど、今は……くっ……今はまだ……!)
(でも、俺は……いや、もう隠さなくてもいい……?
本当の気持ちを、今ここで……麻桜さんに……)
胸の奥で、幾重もの感情がせめぎ合う。
あえて無口を演じる仮面の奥で、人情に厚い自分が暴れ出そうになる。
抑えきれず、表情がコロコロと変わっていく。
麻桜さんを守るために……今はまだ、耐えるしかない……!)
心臓が暴れる。
今はまだ感情を押し殺し、ただ無口な“黒き冒険者”を演じ続ける。
⸻
麻桜サイド
私は息を詰めたまま、その顔の変化を凝視していた。
殺気、苦悩、笑み……コロコロと変わるその表情が、恐怖を煽る。
(……な、何なの……!? なに考えてるのこの人……!? 感情が読めない……! 絶対、これは攻撃のタイミング計ってる……!)
膝に力を込め、喉の奥で唾を飲み込む。
背中のマントが、かすかに震えた。
男の表情は刻一刻と変わっていた。
鋭い眼差しが燃えたかと思えば、次には何かを堪えるように顔を歪める。
かと思えば、わずかに笑みを浮かべ、チラッと私を見つめてくる――そして、またすぐに苦悩の色へ。
(ッ……!? こっち見たっ! どういう感情!? いや、これ絶対――攻撃の前触れ……!)
息が詰まる。
私は黒隠虚衣を展開する寸前で、喉の奥を固く噛み締めた。
その瞬間、男の瞳がこちらをまっすぐに射抜く。
「……ようやく……会えた……」
――低く、震える声。
「っ……」
全身が強張った。
今の言葉は、確かに私に向けられたもの。
だが、意味が分からない。会えた? 私に? なにを言ってるの……?
(どういうこと……!?)
混乱で喉が凍りつく。
けれど男はそれ以上は続けず、深く息を吐き、再び冷徹な仮面をかぶるように表情を戻した。
私は息を呑んだまま、背中に冷や汗を伝わせていた。
「ようやく会えた」――その言葉の意味は、わからない。
ただひとつ確かなのは。
この男もまた、灰色の男とは別種の“化け物”だということだった。
黒曜石の瞳は冷ややかに光り、次の瞬間には何も語らぬ、仮面をかぶったかのように無表情へ戻っていた。
張り詰めた空気の中、私は震える手をマントの下で握りしめた。
(……灰色の男も、この人も……冒険者って、どうなってるのよ……!)
混乱で固まる私を前に、男の表情はさらに変わっていく。
冷徹な仮面、歓喜、苦悩、そして押し殺したような笑み――。
まるで胸の奥で抑えきれない何かが、波のように押し寄せているみたいだった。
「これは…… 俺…… 僕のおぉ――秘密のシークレット任務だ!」
「ここまで……ここまでやっと辿り着けた……!」
顔を覆う影の奥で、鋭さと熱が交互に浮かぶ。
怒りか、歓喜か。わからない。
(な……なに……!? シークレット任務……? 秘密……私に言っていいの!?)
私は反射的に魔力を練り、身体を構える。
でも彼は動かない。ただ感情を抑えきれないように、顔を歪めていた。
「力と……パワァーで……僕はここまで……乗り越えてきた……」
叫びにも近い声が、苔むした森に轟く。
鋭い眼差しに光るのは、怒りか、歓喜か――どちらとも判別できない。
(……こ、怖い……! 灰色の男とは違う……でも、なんで……なんでこっちをそんな目で……!? やだ、意味が分からない……!)
鼓動が耳の奥で爆音のように鳴る。
黒曜石の瞳に射抜かれた瞬間、私の身体は凍りついた。
――この人もまた、灰色の男に並ぶ化け物だ。
声が熱を帯びた。
黒曜石の瞳に、燃えるような光が宿る。
「篠原副支部長ぉ!!」
その名前を聞いた瞬間、私は息を呑んだ。
「……篠原……副支部長……?」
アルザスは真顔に戻り、黒曜石の瞳でこちらをまっすぐに見つめた。
―― ――
――
139階層・木陰
湿った苔の匂いが漂う森の外れ。
岩の根元に腰を下ろした私は、まだ全身の神経が張り詰めていた。
隣には――さっきまで感情を爆発させていた黒髪の男。
鋭い瞳でこちらを射抜いていたはずなのに、今は木陰に座り、肩を落として小さく笑っている。
「ほんとごめんね。僕、感情昂ると周り見えなくなる癖あるみたいでさ……なんか、誤解させちゃったよね」
……
「元カノにさ、“あなたは黙ってればカッコイイんだから、もう少し気をつけたら”なんて言われたこともあってさ。いやぁ、僕こう見えて結構喋っちゃうんだよね」
「みたいですね……」
「ははっ!あ、それにさ、白ちゃんどう思う?――こんな事も言われたんだけどさ、あなたは……」
「あ、はい……」
思わず、口から漏れた。
(……めちゃ喋るじゃんこの人……!?)
さっきの無口で冷徹な印象はどこへやら。
拍子抜けするほど人間味があって、逆にどう反応していいか分からない。




