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覚悟と誓い②


 石扉の前に立つと、指先がわずかに震えた。震えは恐怖じゃない。体が“戦い”を思い出して、血のめぐりを上げているだけ。


 私は右手を胸元へ添え、深く息を吸う。


 「――聖域天蓋せいいきてんがい


 静かな言葉ひとつ。透明な天蓋が、砦のように私を包む。肌をかすめた空気の輪郭が変わる。熱も衝撃も、ここから先は通さない。


 続けて、フードの影を指でつまむ。


 「――黒隠虚衣こくいんきょい


 視線の縁がほどける。存在の輪郭が闇へ沈み、気配が薄紙一枚ずつ剥がれていく。双蛇の腕輪が小さく脈打ち、魔力をほんの僅かに啜った――疲れは、逆に軽くなっていく。


 「……大丈夫。やれる」


 扉に掌を当て、押し開く。


 ――ギィィ……ッ。


 中は、夜みたいに暗かった。空気が乾いて、鉄の匂いがする。足を一歩踏み入れた瞬間――


 天井のどこかで、雷が笑った。


 バチ……ッ。


 空気に白いヒビが走る。壁の紋様が、青い閃光に一瞬だけ浮かぶ。遠いはずの音が、耳の奥で直に鳴った。


 ズン、と床が脈動する。闇の底から、四つの影が這い上がる。最初に見えたのは爪。刃のように細く長い、光る線。続いて、肩。背。黒い毛皮に、細い稲妻が絡みついて走る。


 姿を現したのは、雷を纏う獣だった。狼に似た輪郭。だが、狼ではない。背に沿って並ぶ発光器官が、心臓と同じ拍で明滅し、眼の奥に走る稲妻が、こちらの“境界”を試すように弾ける。


 ――ゴロロロ……ッ。


 喉の奥で鳴った低い音だけで、床石がわずかにさざめいた。


 「……速そうだね」


 呟きは自分に向けたもの。黒隠虚衣の陰で、口元だけがわずかに笑う。


 雷獣が、一歩。爪が石を擦る音と同時に、世界の線がほどけて“白”になった。稲妻が空間を切り裂き、私の頬をかすめ――聖域天蓋が柔らかく鳴って、熱を外へ押し出す。


 「はや……。でも、見えるよ」


 回避。半足ぶん、体を滑らせる。気配を消した私を、獣は嗅覚で追う。鼻先がこちらを向くたび、髭も稲妻で光った。


 まずは、当ててみる。


 「――白炎白夜はくえんびゃくや――四式よんしき


 白い光弾が、間を刻むように走る。間隔は心拍と同じ。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ――雷獣は前脚で二発を弾き、残り二発を肩口と脇腹に受けた。白が花のように散り、皮毛が焦げる匂い。


 効く。けど、浅い。


 雷獣が吠えた。吠え声じゃない。電流そのものの悲鳴が、空間の端から端へ走る。床が跳ね、壁が歪む。四方から“線”が私に向かって伸びてくる。


 「――青炎晴天せいえんせいてん


 青い炎の簾を、低く、広く。天蓋の内側から押し出すように展開すると、迫っていた電の糸が、触れたそばから焼き切れて落ちる。刹那、視界が澄む。


 雷獣は、間を空けない。爪が水平に走った。刃の束が、面になって押し寄せる。私はひとつ息を抜いて、足場をずらす。


 「……危なかったぁ」


 言葉より先に、身体が次を選ぶ。獣の懐へ一気に踏み込んで、白炎白夜を“点”で撃つ。


 「白炎白夜――六式ろくしき、集中」


 六つの白が、心臓の辺りへ小さく集まり、連続で穿つ。雷獣の体勢が、半拍だけ崩れた。追う。


 黒い影が横から走った。尾――鞭のようにしなる稲妻の塊。天蓋が火花を散らし、靴裏に痺れが残った。肩越しに獣の横顔。牙に電がからみつき、咬み砕かれた空気が悲鳴の形で散る。


 「よし……そろそろ――」


 右手を前へ。闇の奥に、熱が凝る。私の色――黒。


 「――黒炎閻魔こくえんえんま、一式」


 音は短く、熱は深く。黒い炎が、光を吞むように生まれて、矢となって走る。狙うのは胸の中心――“核”のあるべき場所。


 雷獣は、跳んだ。


 空中で体を捻り、黒の軌道から自分をずらす。黒炎はほんの僅かに逸れて、背の発光器官を掠め――


 私は、拳を握る。


 「……爆ぜろ」


 黒が、咲いた。無音で膨らみ、次の瞬間、遅れて衝撃が追いつく。獣の背が弾け、稲妻が散って床に白い裂け目が走る。喉の奥で、低い怒りの音。


 効いてる。けど、落ちない。


 雷獣の眼が、私を“見た”。その視線だけで、空気の粒が細かく震える。次の瞬間、天井から地面まで、縦に“雷の柱”が降りた。


 「――ッ!」


 天蓋が唸って、膝が沈む。耳の奥で音が弾け、視界の端が白で焼ける。重ねてくる――側面から三本、遅れて背後、そして正面。


 「青炎晴天――三式、最大!」


 青炎の幕をひとつ、ふたつ、みっつ重ね、柱の根元だけ角度をつけて削いだ。青と白がもつれて、火花と水しぶきみたいな光がはじける。息が熱い。舌の裏に鉄の味。


 「……はぁ……はぁ……でも、まだだよ」


 にこっと笑って、もう一度、懐へ。雷獣の爪が“音の前”に来る。気配が刃になる瞬間、首を傾けて回避。頬のすぐ横を風が走る。白炎白夜を、今度は“十”。


 「白炎白夜――十式じっしき、集中砲火」


 十の白が、等間隔で打ち込まれていく。心臓の前に“白い階段”が重なるように。雷獣が体をひねり、数発を外側で躱す。外れ弾は壁に当たって、白い花粉みたいな光を散らした。


 ここで落とし切る――そう、体が言っていた。


 私は、黒をもう一段、深くした。


 「――黒炎閻魔・かい


 炎が“静かになる”。黒が黒の奥へ沈み、温度だけが上へ伸びる。細く、鋭く、目では追えないほどの刃で、核の手前の“膜”を焼き切るための一撃。


 黒が走る。雷獣は――躱さない。足裏で床を噛み、正面から“飲み込む気”で前へ出た。稲妻が渦を巻き、黒とぶつかる。空間の端が波打った。


 「……いいね。じゃあ――」


 黒が膜を薄くした、その瞬間を逃さない。私は黒の尾に“起爆”の針をひとつだけ縫い込んでおいた。


 「――爆」


 小さく言う。黒の心臓が、内側からほどける。叩き込まれていた稲妻が逆流して、獣の胸の内側で暴発した。雷鳴が遅れて洞窟を満たし、獣の体が半歩、沈む。


 今。


 私は、腰に刺したボトルを指先で空け、口の中に一気に流し込む。すぐに白を最大まで引き上げた。胸の内の魔力の“芯”を、双蛇の腕輪が穏やかに撫でてくれる。


 「白炎白夜――三十式、一閃白夜いっせんびゃくや!」


 吐息と拍を重ね、三十の白を“線”にする。ばらばらの弾じゃない。ひとつの“走る杭”。薄くなった膜を突き破って、核へ届くための白炎の楔。


 雷獣が、吠えた。吠え声が“形”を持って押し寄せる。音圧が体表を叩く。聖域天蓋の内側で、心だけは凪いだ湖みたいに静かだった。


 「――おやすみ」


 白が核へ触れ――光が、内側から咲いた。


 稲妻がほどけ、黒い毛皮が炎に変わり、獣の輪郭が音もなく崩れていく。最後の最後まで、眼だけは私を見ていた。勝ち負けじゃない。“通った”という合図みたいに。


 消える。粒子になって、空気へ混じる。床には、雷を閉じ込めたみたいな淡青の晶がひとつと、焦げた紐状のドロップが残った。


 「ふぅ……」


 天蓋を薄くし、黒隠虚衣をいったん解く。汗が一気に肌へ戻ってくる。喉が渇いて、マジックポーチから癒しの水を一本取り出した。ポーチの中身は、心なしか少し減った気がする。……うん、まだたくさんある。十分。


 ひと口だけ飲んで、息を整える。


 「ありがと、双蛇」


 腕輪が、こくりと頷いた気がした。気のせいだ。そういうことにしておく。


 そのまま、部屋の奥――通常エリアへ通じる通路に出る。足音が、石にほどよく吸われる。しばらく歩くと、壁面が広がって、そこに“それ”があった。


 石碑。


 淡く光る面が、誰かの名と日付と到達階層を静かに抱くのを待っている。私は一度、指先で白のマントの裾を整えて、息を整える。


光の紋様が脈打ち、触れると脳裏に声が響く。


 『――名を刻む者よ、汝の名を示せ』


 私は深呼吸し、しっかりと答える。


 「……“白”」


 光が走り、石碑に刻まれる。


 「白 / 209階層到達」


 世界はきっと、この先もざわめき続ける。私は、ただ前へ進む。


 私は名を刻む面に、指を置いた。自動で掘られるのは呼び名だけ。私は、世界へ向けての名じゃなく――私へ向けての名を呟く。


 「神崎麻桜」


 指を離し、にこっと笑う。


 「……うん、よし」


 マントのフードを被り直す。黒隠虚衣がもう一度、私を夜へ溶かす。聖域天蓋は薄膜のまま。息は落ち着いた。足も重くない。


 次の扉は、この先。薄い風が流れた。遠くで何かが鳴いたような気がして、私はふっと肩の力を抜く。


 「まだ……だよ」


 この先に“だれか”がいるかもしれない。あの日の私みたいに、突然、ここへ落とされて、震えている誰かが。だから私は、止まらない。ただ刻む。私の歩幅で。息の長さで。名で。


 白い影は、またひとつ、深層から“上へ”と進んだ。




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