表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

20/54

白の亡霊⑩


 戸惑いを隠すように頭をかきながらも、麻桜はすぐに表情を引き締めた。


 「……それより、ここは危ない。まだ近くにモンスターがいる。――場所を移動しよう」


 綾乃が頷きかけたその時、視界の端で淡く光るものが目に入った。


 「あ……待って!」


 足元に転がっていた転送石。

 未桜を抱いたまま、綾乃は手を伸ばして拾い上げる。


 掌に収めた石は、深いひびが走り、表面の光がすっかり消えていた。

 欠けた部分からは、かつて宿っていた輝きが零れ落ちていくかのようだった。


 「……だめ……もう、使えない……」


 呟いた声は、かすかに震えていた。

 母としての希望が砕け散る音を、自分の胸の内で聞いてしまったからだ。


 未桜が胸元で不安そうに顔を上げる。


 「ママ……?」


 小さな声に、綾乃は石を抱き締め、唇を噛む。

 それでも娘を安心させるように、震える口元に微笑みを浮かべた。


 「……大丈夫。転送石は壊れてしまったけど――」


 視線を麻桜へと向け、強く息を吸う。


 「――あなたを信じるわ。だから……導いて」


 麻桜は一瞬きょとんとした後、にこっと笑った。


 「……任せて。必ず、安全なところまで連れていくから」


 ⸻

綾乃の視点


 彼女がそう告げると、周囲を一瞥して先に立つ。

 白いマントの裾が岩肌をかすめ、乾いた足音が一定の間隔で続いた。私は未桜を胸に抱き寄せ、その背中だけを見失わないようについていく。


 やがて、崩れた岩塊が作った庇のような岩陰にたどり着く。外からの視線も通りにくい、狭いが落ち着ける場所だ。彼女は足を止め、そっと息を整える。


 ――その唇が、ほとんど音にならないほど微かに動いた。


 「……聖域天蓋せいいきてんがい


瞬き一つの間に、淡い光膜がふわりと芽吹く。

 半球状の“幕”が私たちを包み、外気のざらつきがすっと遠のいた。温度が和らぎ、岩壁を伝う水音が膜の向こうで丸くなる。耳の奥に溜まっていた緊張が、ゆっくりとほぐれていく。


 「……っ」

 思わず息が漏れた。訓練で見たどんな防御よりも、静かで、強い。触れずとも分かる――これは破られない。


 未桜が私の袖を握る指に、少しだけ力を残したまま見上げる。

 「ママ……あったかい……」


 「ええ……大丈夫よ」

 言いながら、私自身の声が震えていないことに気づく。守られている、そう身体が先に理解していた。


 彼女は肩越しにこちらを見て、にこっと笑った。

 「ここなら、しばらく安全。……座ろっか」


 岩に背を預けて腰を下ろす。未桜の鼓動が落ち着いていくのを胸で感じながら、私は目の前の十八歳の少女を見つめた。幼さの名残と、途方もない強さ。その両方をたしかに宿した瞳。


 気づけば、言葉が零れていた。

 「……あなたは、何を……探していたの……?」


 責めるためでも、踏み込むためでもない。ただ、知りたかった。どうしてここにいて、どうして戦えて、どうして――人を助けられるのか。


 彼女は一瞬だけ視線を落とし、すぐにまっすぐ返してくる。

 その瞳に、影が一瞬だけ揺れた。


 「……私みたいに、突然転送されてきちゃった人が、どこかで助けを待ってるかもしれない。だから……せめて、他の冒険者達が未到達の階層までは…… 探して帰ろうって」


 胸の奥が強く揺れた。

 ――そうか。だから“下りる”のではなく“上がって”いたのね。そして、私達は救われた。

 世界が首を傾げ続けた謎が、今この岩陰で音もなく一本の線になって結ばれていく。


 未桜の髪を撫でながら、私は小さく頷いた。

 「ほんとうに……ほんとうにありがとう…… この子を救ってくれて」


 少女は照れくさそうに頭をかき、笑顔を見せた。

 「えへへ……ありがと。そう言ってもらえると、がんばった甲斐あるかも」


 結界の光が、岩場に柔らかな明滅を落とす。

 恐怖の余熱が、ゆっくりと静かな温度に変わっていった。


 私は静かに息を吐いた。

 「……神崎さん。いえ、麻桜さん。――ここは一体、何階層なの?」


 彼女はこちらを見て、ほんの少し目を伏せてから答えた。

 「……うん。ここは211階層だよ」


 胸が大きく打った。

 私が不安定ゲートに呑まれる前。本部で確認していた記録。

 石碑に刻まれていた“白”の到達階層は、確か212階層だった。


 「……そう……やっぱり……」


 すべてが繋がった。

 石碑に残された“白”の名。

 世界を震わせた“白の亡霊”という呼び名。

 そして――四年前に不安定ゲートで姿を消した少女、神崎麻桜。


 目の前の十八歳の少女こそ、その全てだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ