表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/54

白の亡霊③


 319階層から階段を上がり、私は新しい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


 「……っあ」


 広がっていたのは、圧倒的な森だった。

 巨木が天を突き、枝葉は空を覆い隠し、昼でも光はほとんど差し込まない。

 土は湿り、苔が敷き詰められ、遠くから低い咆哮が響いてくる。


 すぐに 気配遮断を展開し、さらに シールドを重ねた。

 そして千里眼で周囲を探る。


 「……未知の階層。絶対に油断しない」


 木々の間を渡るように、巨体が動いた。

 ――巨猿。群れで行動し、赤い目がぎらぎらと光っている。

 幸い、気配遮断のおかげでこちらには気付いていない。


 「初見は……閻魔で」


 私は魔力を練り上げ、漆黒の光を収束させた。


 「――黒炎閻魔、一式!」


 閃光が走り、巨猿の胸を正確に貫いた。

 咆哮を上げる暇もなく、巨体は崩れ落ちる。


 『巨猿――初撃、黒炎閻魔一式。胸部貫通で即死。行動パターン未確認』


 ノートに記録を残す。最初の検証はこれで十分だった。


 さらに進むと、巨木に絡みつく大蛇の姿があった。

 鱗が光を反射し、獲物を狙うように身をくねらせている。


 「……次も閻魔」


 迷わず魔力を込め、狙いを首に定める。


 「――黒炎閻魔 一式!」


 漆黒の閃光が首を撃ち抜き、大蛇は痙攣して崩れ落ちた。


 『大蛇――初撃、黒炎閻魔一式。首部狙撃で撃破。行動:不明』


 ペンを走らせながら、呼吸を整える。


 枝葉の影から現れたのは、鋭い鎌を備えた巨大蟷螂だった。

 鎌が風を裂き、目にも留まらぬ速さで迫ってくる。


 シールドが火花を散らして攻撃を受け止めた。


 「っ……危な……」


 すぐに距離を取り、漆黒の光を放つ。


 「――黒炎閻魔 一式!」


 関節を正確に撃ち抜き、甲殻を砕く。

 蟷螂は絶叫を上げ、動きを止めた。


 『巨大蟷螂――初撃、黒炎閻魔一式。関節狙撃で撃破。行動:跳躍、鎌による斬撃』


 書き込みを終え、深く息を吐く。




 探索を続けて四日目の朝。

 巨木の根の下に、石造りの大階段を見つけた。


 「よし……317階層に続いてる」


 石畳には古代の紋様が刻まれ、淡く光を放っている。

 その横には、一つの石碑。


 ――記憶の石碑。


 手を触れると、脳裏に声が響いた。


 『――名を刻む者よ、汝の名を示せ』


 本名を刻めば、地上の両親に伝わり心配させてしまう。

 それだけは避けたい。


 「……“白”」


 光が走り、石碑に刻まれた。


 「白 / 318階層到達」


 「……これでいい。私のことを知らなくても。

 でも、ここまで来た証だけは、確かに残したい」


 石碑を振り返り、一礼する。

 自分なりのルールを守る。未知には閻魔、常にシールドと気配遮断を重ねる。

 次の、317階層も油断はしない。




318階層の原始の森を抜け、次に辿り着いたのは焼けつくような砂漠だった。

 階段を上がった瞬間、全身を叩きつける熱風に思わず息を詰める。見渡す限りの砂丘、揺らぐ陽炎。


 千里眼を巡らせると、砂の下で巨大な影が蠢いていた。次の瞬間、砂を割って巨大なサソリが姿を現す。


 「……初見は閻魔で」


 迷いはない。

 漆黒の魔力を練り上げ、私は詠唱する。


 「――黒炎閻魔、一式!」


 閃光が砂を切り裂き、サソリの甲殻を正確に貫いた。巨体は痙攣し、砂に沈んでいく。


 『巨大サソリ――黒炎閻魔一式。頭部貫通で即死』


 ノートに記録を残し、記憶の石碑に“白”の名を刻む。


 「白 / 317階層到達」




 さらに階層を上がるたび、環境はめまぐるしく姿を変えた。


 316階層――切り立った山岳。急降下する猛禽を閻魔で仕留め、石碑に名を刻む。

 315階層――雪原。吹雪の中、牙を剥く狼型の魔物を閻魔で撃破。石碑に名を刻む。

 314階層――無数の洞窟が張り巡らされた暗闇。蝙蝠の群れを晴天で散らし、石碑に名を刻む。

 313、312階層――荒野と森林。現れる魔物はすべて閻魔で倒し、記録を残し、石碑に“白”の名を刻んだ。


 刻まれるたびに、胸の中に「もうすぐだ」という確信が強まっていく。

 ――次は311階層。その先、310階層には必ず転送装置がある。


 「ようやく……帰れるかもしれない」


 胸が高鳴り、思わず独り言が漏れた。




 311階層に足を踏み入れた瞬間、目の前に広がったのは荒涼とした岩場だった。

 乾いた風が吹き抜け、耳の奥に不気味な音が残る。


 千里眼で周囲を探りながら進んでいた私の視界に、不自然な影が映った。


 「……あれ……?」


 慎重に近づく。岩陰。

 そこに横たわっていたのは――人の形をした白骨だった。


 「え……まさか、人……!?」


 声が震える。

 骨は岩の隙間に体を縮めるように潜り込み、そのまま力尽きていた。

 モンスターに荒らされることなく、ただ朽ち果てた姿。


 胸元には擦り切れた小さな鞄が抱え込まれていた。

 私は迷いながらも、震える手でそれを開いた。


 中には、薄汚れた日記と学生手帳。

 掠れた文字が必死に刻まれていた。


 ――『怖い……助けて……ここから出られない』

 ――『水がない……もう歩けない……』


 息が詰まり、喉が焼けるように痛んだ。


 「……私と一緒で、転送されたんだ……」


 震える声が零れた。

 もし私が秘境に転送されていなかったら――今ここで白骨となっていたのは、私だったかもしれない。

 胸の奥から恐怖が這い上がり、足が震える。


 学生手帳には、まだあどけなさの残る顔写真と名前が印刷されていた。

 私は唇を噛みしめ、手帳を胸に抱きしめる。


 「……助けてあげられなくて、ごめん」


 涙が滲み、声は冷たい岩場に吸い込まれていった。




 白骨を前に立ち尽くしながら、胸の奥で別の思いが芽生える。


 「……もしかしたら、今も……どこかで誰かが助けを求めているのかもしれない。私達がそうだったように……」

 「それを見つけられるのは……ここまで来られた私しかいないんじゃないか……」


 恐怖と悲しみ。

 そして、芽生えた責任感。


 自分にそんな覚悟があるのか分からない。

 けれど、この事実を見てしまった以上、知らないふりはできなかった。




 重い気持ちを抱えたまま、探索を続ける。

 やがて、310階層へと続く石造りの大階段が現れた。


 「……ここを登れば……310階層」


 その横には、光を放つ記憶の石碑。

 私は深呼吸し、手を触れた。


 『――名を刻む者よ、汝の名を示せ』


 脳裏に響く声に、迷いなく答える。


 「……“白”」


 光が走り、石碑に刻まれる。


 「白 / 311階層到達」


 胸に灯る希望。

 310階層にはセーフティーエリアがあり、転送装置が待っているはずだ。

 地上に戻れる。家に帰れる。


 だが同時に、数日前に目にした白骨が脳裏を離れない。


 ――今も、どこかで助けを待つ声があるかもしれない。

 ――それに応えられるのは、私しかいないのかもしれない。


 期待と責務、その狭間に揺れながら、私は階段へと足をすすめた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ