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束縛

 





「おはようございます。本日も美しいジル様のご尊顔を拝することができて、天にも昇るような気持ちです」




 ニッコリと微笑むルシフェルは確かにとても嬉しそうに見える。


 ……最近のルシフェルは少し押しが強い気がするな。


 何かを無理強いしてくるというわけではなく、我をことあるごとに誉め称える。


 それが妙に照れくさくて、だが、嫌というわけでもないので戸惑っていた。




「ああ、おはよう。フェル、そなたも今日も良い男だな」


「ありがとうございます! ジル様のおそばに立つためにも日々の努力は欠かしておりません!」


「そうか」




 あまりに嬉しそうなので、つい笑ってしまった。


 本当に尻尾があればブンブンと振られているだろう。そんな喜び様が少し可愛らしい。


 男性に可愛いという表現は不適切かもしれないが、今のルシフェルにはピッタリの言葉だ。


 部屋から出て、扉を閉めていると後ろから「おや」という声がする。




「ジル様、少し寝癖が……」




 と、後頭部にルシフェルの手が触れる感触がした。


 優しく、丁寧に、慈しむように触れられてドキリとする。




「……直ったか?」


「もう少し……ええ、これで整いました」




 ルシフェルの手が離れていき、一瞬残念に思った。


 ……残念? 残念とは何だ……?


 己の感情が分からず混乱していれば、ルシフェルに声をかけられる。




「ジル様? どうかされましたか?」


「あ、ああ……いや、何でもない。寝癖など、恥ずかしい姿を見せてしまったな」


「いいえ、ジル様のお可愛らしい姿を拝見できて眼福でございます」




 ニコニコ顔のルシフェルにそう言われ、より気恥ずかしくなった。




「フェルよ、あまり褒められすぎるとさすがに照れる。……我はそういったことに耐性がないのでな、少し手加減をしてほしい。急に積極的になられると我の心臓がたん……」




 そう伝えたが、何故かルシフェルが両手で顔を覆って天を仰いだ。


 ……何をしているのだ?




「……私の主人が可愛すぎてつらい……」


「またそういうことを……我を気恥ずかしさで殺すつもりか?」


「ジル様は私に・・褒められると気恥ずかしいのか、それとも褒められ慣れていないから照れくさいのですか……? ノエルもあなたを褒めるでしょう……?」




 逆に問い返され、珍しく言葉に詰まった。


 我自身、そこまで深く考えていなかったが、確かに何故これほど気恥ずかしいのだろう。


 ……ノエルに褒められても気恥ずかしいとは思わんな……?


 しかし、褒められて慣れていないというのも語弊ごへいがある。


 魔王ヴィエルディエナだった頃は配下達が常に称賛してくれた。


 だから、褒められ慣れていないというわけではないはずなのだが……。




「……フェルに褒められるのは、上手く言えないが……気恥ずかしくて、照れくさくて、だが、嫌ではない。どちらかと言えば嬉しい……のだと思う。すまない、我自身も理解できていないが、そなたに褒められるのは、少し皆とは異なる気がする」




 両手を離したルシフェルが顔をこちらに向けた。


 その柔らかな茶色の瞳が、蕩けるように熱のこもった眼差しで見つめてくる。




「ジル様、つまり、私は特別・・ということでしょうか?」


「そうだな。そもそも、そなたは我の右腕だ。誰よりも我に近しく、誰よりも我はそなたを信頼し、そばに置くために契約を交わしたのだ。元より、そなたは我にとっては特別なのだろう」


「ああ、ジル様……申し訳ありません」




 謝罪の言葉と同時にルシフェルに抱き締められた。


 いつもそうだが、香水を使っているルシフェルからは甘く柔らかで、僅かに癖のある良い匂いがする。抱き締められるとその香りに包まれ、心臓が早鐘を打った。




「フェル……?」




 一応呼んでみたが、耳元で「……愛らしすぎるジル様が悪いのです」と掠れた声で囁かれる。


 ギュッと強く抱き締められるとよりいっそう香りを強く感じ、顔が熱くなる。


 全力で戦っている時のように心臓が激しく鼓動を繰り返しており、これがルシフェルにまで届いてしまうのではと思うと言葉に表せないほどの羞恥心を覚えた。


 今まで一度もルシフェルを抱き返したことはないが、触れてみたい、と思う。


 ドキドキと早鐘を打つ心臓だったが、ふと、あることに気が付いた。


 ……鼓動をもう一つ感じるような……?


 身動げば、密着するようにギュッと抱き締められる。




「感じますか? 私の心臓が暴れています。……ジル様が愛おしくてたまらないのです」




 我と同じくらい、ドキドキドキドキともう一つの鼓動が脈打っているのを感じる。


 そしてルシフェルの体が僅かに緊張で強張っているのも分かった。




「……そなたでも、緊張することがあるのだな……」


「当たり前です。ジル様の前では、私はその愛を乞う哀れな男に過ぎません。……嫌われたくないと思いながらも、触れたくて、気持ちを伝えたくて、醜悪な想いを抱きながらも……いつだってジル様を愛しているのです」




 普段の仰々しいものではない、静かで、落ち着いた──……けれども切実な声だった。


 きっと、この言葉に応えればルシフェルは消滅するまで我のそばにいるだろう。


 我の魂が何度、輪廻転生を繰り返しても必ず見つけ出し、支えてくれるだろう。


 ……たとえ応えなくても、フェルならばそうするかもしれないが。


 ルシフェルの無償の愛に我は甘えすぎているのではないか。


 これほど、誰かに強く想い、乞い願われたことがあったか。


 感じる鼓動の速さが、ルシフェルの想いを伝えてくる。


 ……恋だの愛だのというものは、いまだに分からない。


 分からないが、ルシフェルを他の誰かに渡すのは嫌かもしれない。


 それがたとえ仕事であっても、ただの契約であったとしても、ルシフェルが他の誰かと強い繋がりを持つとして、我はそれに笑顔で頷けるだろうか。許可できるだろうか。


 色々と考えてみたが、多分、無理だ。


 そう結論がついた途端、頭の中でパッと全てを理解した。




「……ああ、そうか……」




 我は『理解できなかった』のではなく、それに『怖気付いていた』のだ。


 ルシフェルの絶対的な信頼を、忠誠を、愛情を感じていながら、いつかそれが消えるのではと心のどこかで疑念を抱き──……己を守るために分からないふりをして、返事を先延ばしにした。


 優しいルシフェルなら、返事を無理強いすることはないと気付いていたから。


 ……だが、そんなことは無意味だったのだ。


 千年前も、今も、我はルシフェルをそばに置いた。


 自ら選び、召喚し、契約し、共に在ることを願った。


 少し体を離して見上げれば、ルシフェルの不安そうな眼差しと視線が絡む。


 ここまで言わせておいて、させておいて、我は一体何をしているのだろう。


 これほどルシフェルは己の心を示してくれているというのに、我は自己保身ばかりではないか。


 手を伸ばせば、まるで子犬のように素直に頬を寄せてくる。


 堕天し、悪魔となっても尚、ルシフェルは純粋だった。




「フェルよ」




 みにくいというなら、それは我のほうだ。




「我の最も近しいところに……隣に置くのはそなただけだ」




 こう言えば、きっとルシフェルを我だけに縛りつけられる。


 そうと分かっていて我は言うのだから。




「我も、きっと……そなたを愛している」




 瞬間、目の前の柔らかな茶色の瞳が見開かれ、煌めき、ジッと見つめてくる。




「それは、本当……ですか……?」


「そなたを他の誰かにくれてやるつもりはないし、神にすら渡したくない。我のそばにいるのはそなただけだ。この気持ちを愛だというなら、きっと、そうなのだろう」




 力強く抱き締められる。少し息苦しいほどだ。




「ああ、ジル様……! 愛しています……! 貴方様だけをずっと、永遠に愛し続けると『ルシフェル』の名に誓って……私は永遠に貴方様だけのもの……! もしも主が『戻れ』と命じても、私はいつまでも貴方様のおそばにおります……!」




 我もそっとルシフェルの体に腕を回し、抱き締め返す。




「聖属性を極めればこの呪いも解けるかもしれないが、解けなければ、また人間に転生するだろう」


「それでも……たとえ、ジル様が全てを忘れてしまっても、必ずやおそばにまいります……っ」




 ぽたぽたと肩口に雫が落ちる音がする。




「泣くな、フェル」




 背中を撫でると縋りつくように身を寄せてくる。




「申し訳ありません……っ、あまりの喜びに、つい……っ」




 それでも、肩口が段々と湿っていく。


 ……嬉し泣きなら良いか。




「この程度で泣いていたら、今後どうするのだ?」


「今後……?」




 少し戸惑うような声に体を軽く離して見上げれば、ルシフェルの泣き顔があった。


 大の男の泣き顔を可愛いと思ってしまうのだから、我も相当、執着しているのだろう。




「まさか、想いを確認し合って終わりにするつもりか? 我の心を奪った責任は取ってもらうぞ。これからは我の恋人として、いずれは婚約者として、隣に立ってもらうのだからな」




 想像したのか、ルシフェルの目が見開かれ、頬が赤く染まる。




「こ、恋人になってもよろしいのですか……?」


「そうでなければ他の何になるというのだ?」


「……そう、ですね……こいびと……恋人……私がジル様の、恋人……」




 何度も繰り返し呟き、現実を噛み砕いて理解しようとしているルシフェルが微笑んだ。


 嬉しそうに、幸せそうに、無邪気に、照れたように、笑った。




「このまま死んでも悔いはありません」


「待て。何故そうなる? ……そもそも、そなたに『死』という概念はあるのか?」


「さあ、どうでしょう? 考えたことはありませんが……」




 互いに顔を見合わせていると、コホン、と誰かの咳払いが響く。


 顔を動かせば、そこにノエルが立っていた。


 早朝なのに何故と思った瞬間、ここが大神殿であることを思い出した。


 同時に二人揃って朝食を摂り損ねたことにも気が付いた。




「も〜、ルシルシってばヘタレなんだから! それにしても、さすがお姉サマ! 自分に言われたわけじゃないのにノエルもドキドキしちゃった〜! ルシルシはもうお姉サマの虜って感じ〜? お姉サマもルシルシもおめでと〜!」




 ノエルが手を叩くと、どこからともなく現れた小さなコウモリ達が花を降らせてくる。


 ……魔力で作られた花か。昔から器用だとは思っていたが……。


 ノエルの魔力で作られただろう可愛らしい小花達は、我とルシフェルの上に降り注ぎ、地面に落ちるまえに溶けるように消えていく。よほど魔力制御に長けていなければこのようなことはできない。




「ありがとうございます、ノエル」


「ありがとう……? ところで、何故ノエルはここにいる?」


「魔法大会の件で急いでお姉サマに知らせたいことがあったから。で、案内してもらって来てみたら、お姉サマとルシルシが廊下で良い雰囲気だったから声かけられなかったんだよね〜」




 案内、とノエルが指差した先の角の向こうに僅かに司祭服の裾が覗いている。


「も、申し訳ありません……!」と言いながら顔を出したのは大司祭の息子だった。


 その居た堪れないという表情にこちらが申し訳なくなった。




「いや、我らのほうこそすまない。廊下でする話ではなかった」


「いえ、私共も立ち去れば良かったのですが──……」


「はいはーい、謝るのはそこまでにしておいて! 今はノエルの話が大事なの!」




 パンパンッとノエルが手を叩くとコウモリ達が消えていく。




「それで、ノエルが伝えたかったことなんだけど、手続きをしようとしたら既にお姉サマは魔法大会に参加済みになってたの。しかもノエルが手続きをする三日前にはもう申請が出てたみた〜い」


「どういうことですか?」


「だから〜、そのままの意味だってば! でも問い合わせてみたら向こうは『本人が申請に来た』って言うし、特徴を聞いてみてもまんまお姉サマだし、どういうことって感じ〜」




 我はずっと大神殿ここにいたので、参加申請など出していない。


 だが、誰か名前や姿を偽って申請を出した可能性もある。


 そうだとすれば思い当たる人物が一人いる。


 ……我と特徴が同じで、見分けがつきにくく、我の名前を騙ってもバレにくい。




「……恐らく、双子の妹のシルヴィアだろう」


「え? お姉サマの双子の妹ってそんなに似てるの〜!? 妹がいるっていうのは噂で聞いてたけど……ええ〜、なんかすっごく不愉快なんですけど〜!!」




 と、ノエルが嫌そうな顔をする。




「雰囲気は違うが、背格好は同じだ。化粧をして髪型を変えれば見分けはつかないかもしれない」


「大会のほうに言うことはできるけど、もう参加許可が出ちゃってるから取り消しはできないかも〜」


「取り消す必要はない。出場する予定だったのだから、むしろ手間が省けて良かったではないか」


「それもそっか! でも大会から伯爵家にチクッと抗議文だけ入れさせちゃお〜っと」




 この国でも立場が高いノエルの言葉を、大会を主催する王家も無視はできないはずだ。


 いまだ我を抱き締めたままのルシフェルが震える。




「ただでさえジル様に姿だけでも似ていて、ジル様を虐げ、色々と奪っておきながらまだ関わろうとしてくるとは……ジル様、やはりあの者は家共々、潰すべきではありませんか?」


「え、何それ、ノエルその話詳しく聞きたいんですけど」


「ええ、後で詳細を説明します。……伯爵家も双子の妹も殺したくなりますよ」


「ルシルシ、顔スゴイことになってる〜」




 見上げれば、ニコリと微笑むルシフェルの顔がある。


 ……いつものルシフェルだな……?




「どういたしますか? 今すぐ塵芥ちりあくたにいたしましょうか?」


「そなたは見た目に反して過激なところがあるな。……そのようなことはしなくて良い」




 我を抱き締めるルシフェルの腕にそっと触れる。




「そんなことのために、そなたが我のそばから離れるほうが面白くない」


「っ、かしこまりました……!」




 嬉しそうにすり寄ってくるルシフェルは、やはり大型犬のようだ。




「何より、簡単に潰してしまっては生温いではないか。我が光を浴び、名を響かせるほど、伯爵家とシルヴィアは落ちていく。絶望に近づいていく恐怖を感じる時間は長いほうが苦しくつらいものだ」


「さすが〜! そういう冷酷なお姉サマ、ノエルだぁい好き〜!」




 ノエルが飛びついてきて、またノエルとルシフェルに挟まれた。


 ……両手に花……いや、前後に花か?




「ああ……ジル様、お懐かしい……」




 と、ルシフェルが恍惚とした表情を浮かべていた。


 ……これは恋人兼右腕であり、我の信奉者といったところか。


 しかし、それが嬉しい。


 ルシフェルの心はもう、我のものだ。






 

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恋人兼右腕で、信奉者。 ジルヴェラさまにとって、ルシフェルは最高の存在。 良かったね、ルシルシ!(≧▽≦)
お二人ともおめでとうございます。 こういう恋もまた素敵ですね。 二人の会話から段々と自分の心について理解を深めていくジルヴェラの様子がとても分かりやすく表現されていて素敵でした。特に、『我は『理解でき…
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