お茶会の招待
「ジル様宛てにお手紙が届いているのですが……」
と、ルシフェルが不機嫌そうに一通の手紙を片手にやって来た。
夕食中にルシフェルが離席したので珍しいと思っていたが、影魔法で他の魔族と連絡を取り合っていたらしい。たまに意識が逸れている時があるとは気付いていたので驚くことではない。
「手紙?」
差し出されたそれを受け取り、裏返したものの、あまり覚えのない名前だった。
しばしジルヴェラの記憶を辿ってから、ようやく「ああ」と思い出す。
そこに書かれていたのは以前、ジルヴェラの友人だった令嬢の名前であった。
ビアンカ・アウレリウス侯爵令嬢──……数年前まではジルヴェラの友人だったが、そこにシルヴィアが割り込んできてから侯爵令嬢との関係は崩れたようだ。
最後の記憶からして、シルヴィアが侯爵令嬢にありもしないことを吹き込んだのだろう。
侯爵令嬢に蔑むような視線と共に「そんな人だったとは思わなかったわ」と吐き捨てるように言われ、それ以降、ジルヴェラは彼女とは不仲になってしまった。
最初は何とか誤解を解こうとしていたが、シルヴィア絡みだと気付いてからは諦めたらしい。
……今更、何の用なのか。
とりあえず封を切り、中身を確認する。
手紙の内容を読み、溜め息が漏れてしまった。手紙をルシフェルに渡す。
「不愉快な内容ですね」
手紙を読み終えたルシフェルが笑顔でそう言った。
手紙の最終的な目的はお茶会への招待らしいのだが、婚約破棄されたことは我自身に問題があるからで、その後に相手もいないままデビュタントに出ることは貴族の令嬢にあるまじき行いで、伯爵家に恥をかかせたというのに我はそれを放置して家を出た無責任な人間だという非難が書かれていた。
招待客を非難しておいて、茶を飲みに来いとはどうかしている。
……それとも、これが貴族の令嬢の一般的な考えなのか?
婚約も婚約破棄も家が決めたことには絶対服従し、常に貴族令嬢として正しく在るべきで、家のためなら死ぬとしても仕方がない。そういう雰囲気が感じられた。
同時に、なるほど、と思う。
自分こそが正しいと信じて疑わない信念の強さが伝わってくる。
方向性は多少違うかもしれないが、シルヴィアの『自分こそが正義』という感じと似ている。
シルヴィアはすぐ泣くので、もしかしたら『姉に酷いことをされている』と泣きついたのかもしれない。数年前ならば令嬢も未成年の子供だったのでシルヴィアの涙と言葉をあっさり信じただろう。
「ふむ……奉仕活動を休むことは可能か?」
「ジル様、まさかこのような無礼者の招待に応じるおつもるですか?」
「まだ伯爵家からの籍は抜けていないからな。何より今になって自分が切り捨てた相手に、わざわざ大神殿にまで手紙を送って寄越すほどの用事が何なのか気になるではないか」
恐らくシルヴィア関連だろうということは分かる。
だからこそ、あえて相手の誘いに乗ってみるというのも面白い。
「たまには敵の懐に飛び込んでみるのも愉快だと思わないか?」
ルシフェルに笑いかければ、眉尻を下げたルシフェルが笑い返してくる。
「転生して、ジル様は以前より大胆になられましたね」
「我慢したところで良いことはないと、今生で学んだのでな」
* * * * *
手紙が届いてから五日後。今日はアウレリウス侯爵家の茶会の日だ。
この五日の間に今までより入念に魔力循環を行い、体を整え、美容に集中した。
髪をブラシで梳き、化粧はせず、いつもの修道女の装いに着替える。
「ジル様、その格好で行かれるのですか?」
そう言ったルシフェルもいつも通りの司祭服だった。
「今の我は教会に身を寄せているのでな。ドレスで行くほうが滑稽だ」
歩き出すとルシフェルもついて来たので思わず立ち止まった。
「……そなたも来るつもりか?」
「当然です。私はジル様担当の司祭であり、監察官ですので」
「そういえばそうであったな」
……女だけの茶会だが、まあ、構わないだろう。
そもそも向こうも一方的に縁を切っておきながら、平然と茶会に招待してくるような人間だ。
こちらが多少無作法をして相手からの評価が下がっても気にすることではない。
大神殿を出るとルシフェルが大通りで辻馬車を停め、二人でそれに乗り込む。
四人乗りで正面にも座れるはずなのに、ルシフェルは何故か我の横に座ってくる。
「……フェルよ、少し近くないか?」
肩や腕が触れ合うほど近くにルシフェルがいる。
「私とジル様はこの距離が適正なのです。ジル様の存在を感じ、確認し、安心できるこの距離こそが私にとっての正しい距離! ジル様と離れている夜の間、どれほど胸を焦がしていることか……!」
「物は言い様だな──……っ!?」
ガタンッと馬車が大きく跳ね、座席から落ちそうになった瞬間、力強い腕に引き寄せられる。
細身だけれど意外にもがっしりとした腕と胸板に抱き寄せられ、一瞬、息が止まった。
「っと、やはり辻馬車はあまり乗り心地が良くありませんね」
近い距離にルシフェルの声と吐息を感じ、どうしてか鼓動が速くなり、顔が熱くなる。
あまりに鼓動が大きいので、ルシフェルにも聞こえてしまうのではとおかしな不安を感じた。
「ジル様、大丈夫ですか? お怪我はございませんでしたか?」
「あ、ああ……問題ない……助かった」
心配なのかルシフェルの腕は離れず、抱き寄せられたままだ。
……何故、これほど気恥ずかしく感じるのだ?
ドラゴンの生でも、今生でも、これほど恥ずかしいと感じることは初めてだった。
今は確実に顔が赤くなっているだろう。それを見られるのはもっと恥ずかしい気がした。
顔を見られたくなくてルシフェルの胸元に寄りかかる。
「少し休む。……着く頃に起こしてくれ」
そう言えば、ルシフェルの「かしこまりました」という声がする。
「大神殿に来てからお疲れでしょう。私がお守りしておりますので、しばしお休みください」
「ああ、任せた」
この顔の熱や鼓動が落ち着くまで、ルシフェルの顔を見るのは難しそうだ。
……このような経験は生まれて初めてだ……。
酷く落ち着かないのに、嫌な気分ではないのがとても不思議だった。
* * * * *
「──……ル様、ジル様……そろそろ到着いたします」
ルシフェルの声に、ふと意識が浮上する。
顔を見られたくなくて適当に言ったことであったが、いつの間にか本当に眠ってしまったようだ。
抱き寄せられていたルシフェルの体から離れれば、ニコリと微笑み返される。
「少しですが、お休みになれましたか?」
「ああ。……気が付かなかったが、自分が思っていたよりも疲れていたのかもしれん」
伸びてきたルシフェルの手が「失礼します」と我の頭を撫でた。
少し髪が乱れていたのだろう。髪を撫でつける手の動きが優しく、心地好い。
思わず目を閉じてルシフェルの手を受け入れていれば、その手が止まった。
どうしたのかと目を開けると、顔の赤いルシフェルと目が合った。
「フェル? どうかしたのか?」
「……いえ、ジル様があまりにお可愛らしくて……胸が痛い……」
「我が可愛いかはともかく……胸が痛むのは大丈夫か?」
心配なので一応治癒魔法をかけてみたが、特に異常はなさそうだった。
ルシフェルは「ありがとうございます」と何故か良い笑顔で言う。
そんな話をしているうちに馬車が目的地に到着した。
先に降りたルシフェルの手を借りて馬車から降り、屋敷を見上げる。
数年前、まだジルヴェラとビアンカ・アウレリウス侯爵令嬢が友人同士であった頃には何度も来ていたが、ジルヴェラの記憶からどこか懐かしい気持ちになる。
……茶会にも呼んでもらえなくなったからな。
まだ社交界デビューもしていなかったあの頃は令嬢に招待をしてもらえなければ他家の茶会に出席することもできなくて、ビアンカ繋がりの友人達からも敬遠されて行けるお茶会が減った時期もあった。
使用人に出迎えられ、案内を受ける。
茶会の会場は庭園のようだ。手紙に書かれた時間通りに来たが、既に令嬢達が揃っている。
ルシフェルは会場に入らず、その手前で待機させた。
わざと目立つように最後に呼ばれたのかもしれない。
令嬢達の好奇の視線にさらされるが、この程度ならまだ可愛いものだ。
その中の一人が立ち上がり、近づいてくる。
燃えるような赤い髪に水色の瞳をした、気の強そうな顔立ちが美しい令嬢だ。
「ドレヴァン伯爵令嬢、よくお越しくださいました。……まさか、本当にいらっしゃるなんて」
どこか馬鹿にするような声で言われ、我はニコリと微笑んだ。
「うむ、我もまさか茶会に招待されるとは思わず驚いた。しかも、一度我のことを捨てたそなた直々の手紙であったものでな、何と面の皮の厚いことかと感心してしまったぞ」
そう返せばアウレリウス侯爵令嬢の顔が一瞬で赤くなる。
貴族は遠回しな言葉に慣れてはいても、直球のものに耐性がないらしい。
我は遠回しな言い方が好きではないので貴族らしい言葉遣いはしない。
「っ、侯爵家のわたくしに無礼ではなくってっ?」
「つまりは『身分が上の者は何を言っても許されるが、身分が下の者が反論するのは許せない』と言いたいのだな。確かに貴族社会は地位に対して厳しいが、上の者こそ寛大で落ち着いた振る舞いをせねば、下の者に示しがつかぬのではないか? 人の心とは容易に離れていくものだぞ」
「余計な気遣いでしてよ。わたくし、これでも友人は多いですもの」
と、チラリと侯爵令嬢が後ろを見る。
いくつかのテーブルに令嬢達が座ってこちらを見ている。
「そもそも、双子の妹を虐げ、家のことすら考えて行動できないあなたをこの場に呼んであげた、慈悲深いわたくしに感謝すべきではなくて? 初めての社交がわたくしの茶会なんて光栄でしょう?」
……なるほど、やはりシルヴィアからろくでもない嘘を吹き込まれたらしい。
あの夜会での我を見て、まだその嘘を信じているとしたら、この侯爵令嬢もその程度ということか。
「まあ、招待はして差し上げましたけれど、椅子は自分でご用意なさってくださる?」
それにクスクスと令嬢達が小さく笑う。
これが普通の令嬢であったなら、傷付いて、泣いて帰っただろう。
我は後ろに向かって手招きをした。
「だ、そうだ。フェルよ、椅子を用意してくれ」
「かしこまりました」
入ってきたルシフェルに令嬢達の視線が一心に注がれる。
ほとんどの令嬢が──侯爵令嬢も含めて──ルシフェルの美しい顔に見惚れているようだ。
近づいてきたルシフェルが闇属性魔法の影で漆黒の美しい椅子を作り出す。
それに腰掛ければ、ルシフェルがそばに跪き、我の手の甲に額を押し当てる。
その仕草に令嬢達がキャーッと黄色い声を上げた。
「それで? 招待客に椅子も用意できない令嬢が、次はどのように我を楽しませてくれるのだ?」
肘置きに頬杖をつき、わざと傲慢な振る舞いをしてみせる。
ルシフェルが「ああ……傲慢なジル様も麗しい……」と呟いていたが聞こえないふりをした。
「もしや、茶会に招いておきながら客人に出す茶もないのか?」
「あなたのような無礼者に出す必要がないだけよ。反省して立場に見合った振る舞いをするなら、出してあげようと思っていたけれど、あなたには不要なようね」
「そうだな。ここで出される茶より、大神殿で飲む茶のほうがまだ美味しいだろう」
ルシフェルがパチンと指を鳴らすと、その手元にティーカップと銀盆が現れる。
差し出されたそれを受け取れば、紅茶の良い香りが漂ってくる。
……また随分と張り切ったものだ。
良い茶葉で淹れた紅茶の香りを楽しみ、一口飲む。
「うむ、やはりフェルの淹れる茶が一番だ」
「お褒めいただき、光栄に存じます」
そういえば、昔からルシフェルの淹れた紅茶は美味であった。
一人だけ立っている侯爵令嬢に視線を向けた。
「どうした? いつまで立っている? 茶会を進めるが良い」
「っ、言われずとも分かっておりましてよ」
フンと顔を背け、踵を返して侯爵令嬢が自身の席に戻る。
そこから始まった茶会は我を無視し、楽しげな様子で令嬢達が会話を交わす。
その様子を眺めながら飲むルシフェルの茶は、なかなかに悪くはない。
立ち上がったルシフェルが我の座る椅子の背もたれによりかかり、我のかぶっているウィンプル越しに髪を撫でてくる。特に気にせず好きにさせておこう。
「子供の嫌がらせですね」
と、耳元で囁いてくるルシフェルに微笑み、囁き返す。
「彼女らはまだ十代後半、我らからすれば赤子のようなものだ。赤子の反抗など可愛いではないか」
「このような茶会で無為な時間を過ごすより、ジル様には私とお茶をしていただきたいのですが」
残念そうな顔で呟くルシフェルが大型犬のように見えて可愛らしく、ついその頬を撫でた。
「埋め合わせに、今日の自由時間に茶でも飲もう」
「本当ですか? 是非、ジル様に召し上がっていただきたい菓子があるのです」
「それは楽しみだ」
嬉しげな表情で見つめてくるルシフェルに微笑み返していれば、ガタリと音が響く。
振り向けば、侯爵令嬢が赤い顔で立ち上がっていた。
「こ、このような場に不釣り合いでしてよ!」
「不釣り合いとは何のことだ?」
「男性とそのように触れ合うなんて、恥ずかしくないのかしらっ?」
少し考えたが、別に問題はないように思えた。
「我には婚約者もいない。そのうち伯爵家からも籍を抜く予定だ。誰とどのような関係になったとしても、何も問題はないように思うが。それにルシフェルは我の右腕だ。我が我の右腕と何をしようとこちらの勝手だろう」
「な……っ」
赤い顔で侯爵令嬢が震えている。
そして、横でルシフェルが満面の笑みを浮かべていた。
「はい、私の身も心も、全てがジル様のものでございます……!」
……何故そこで感動している?
己の発言を思い返してみたが、物扱いされて喜ぶとは思わなかった。
ニコニコ顔で後ろから抱き締められる。
……これは少し照れるな……。
だが、ここで恥ずかしがる様子を見せるのは良くないので、笑みを深めておいた。
「ジルヴェラ・ドレヴァン伯爵令嬢!」
侯爵令嬢に鋭く名前を呼ばれ、振り向けば、侯爵令嬢がこちらに歩いてくる。
そうして、侯爵令嬢が手につけていた手袋を外し、我に投げつけてきた。
「もう我慢なりませんわ! わたくしを侮辱したこと、後悔なさい!」
貴族の間では『相手に手袋を投げつける』というのは『決闘の申し込み』を意味する。
女性同士の決闘は珍しいが、ないことではない。
「わたくし、ビアンカ・アウレリウスはジルヴェラ・ドレヴァンに決闘を申し込むわ!」
それに驚いたが、これはむしろ良い機会かもしれない。
投げつけられた手袋を掴み、椅子から立ち上がる。
……聖属性の力を広めるには丁度良い。
「その決闘、受け入れようではないか」




