8. 生真面目な男
「……? えっと、ライオネル様? あなた顔が赤いですわよ?」
「くっっ」
私の指摘にビクッとライオネル様の肩が分かりやすく震えた。
そして、そのままそっと私から目を逸らそうとする。
「暑い? いえ、季節的にもそんなことはありませんわよね、それなら───」
「~~っっ! こっ! これは別に何でもありませんっ!」
ライオネル様は真っ赤な顔のまま声を荒らげる。
「───さ、さっさと殿下とセオドラ妃の元に行きますよ!! ひ、妃殿下!」
「え、ちょっ……」
ライオネル様はそれだけ言うと、私を置いていきそうな程の勢いでズカズカと再び歩き出した。
(は? 意味不明なんだけど!?)
「……」
(ってか、耳まで真っ赤じゃない?)
ライオネル様からチラッと見える耳が赤い。
まあ、ライオネル様の意味分からん所は昔からか、と思い直して慌てて彼の後ろを着いていった。
「───セオドラ妃の部屋はこちらです」
そうして辿り着いた、ジャイルズ殿下の正妃の部屋───
その隣の部屋を見てあっ! と気付く。
(そっか……)
当たり前と言えば当たり前のことだけど、正妃の部屋は殿下の部屋の隣になる。
おそらく、部屋の中にも扉があって繋がっていて互いに行き来が出来たりするのだろう。
(よくよく考えれば、私の部屋とはめちゃくちゃ離れてるし)
殿下、徹底してるわー
そして改めて感じる。本当にエドゥイナは欠片も愛されていない。
(前世の記憶が戻ってなかったら私、発狂してそう……)
「───妃殿下?」
「ん、え!?」
そんなことを考えてぼんやりと扉を見つめていたら、怪訝そうな顔のライオネル様に声をかけられる。
さっきまであんなに真っ赤だった顔はすっかり落ち着いたみたいでいつもの仏頂面だった。
「貴女……まさかこのまま、勢いよく扉を蹴破って中に突撃するつもりじゃ……」
「は!?」
(するかーーーー!)
私は、ジロリとライオネル様のことを睨みつける。
「ふっ……わたくしがそんな野蛮なことをするように見えまして?」
「ああ、はい。見えます」
「んあ?」
ライオネル様は迷う素振りも見せずにあっさり肯定しやがった。
「昨日、開いた扉を顔面で受けたあれはとても痛かったですし……」
「うっ!」
確かにあれは私もびっくりした。
「ふ、ふんっ! あれは少し勢い余ってしまっただけですわ!」
「……普段の行いが出たのでは?」
「っ!」
(こ、いつぅぅ!?)
キッと睨み返すもライオネル様はすまし顔。
ここで揉めてもしょうがない。私は怒りを抑えて命令する。
「もう、その話は忘れて! コホンッ……それより、ライオネル様。まずはあなたが先に入ってわたくしが来ていることを二人に伝えなさい!」
「…………承知いたしました」
ライオネル様はまだ何か言いたそうな表情ではあったけど、私の言うことには従ってくれて部屋の扉をノックした。
その様子を私は少し下がったところから見つめる。
「───誰だ? 何人たりともこの部屋に近付くなと命令したはずだが?」
「殿下、俺です」
ノックの音に反応したのはセオドラではなく殿下だった。
そんな殿下に対して、またもやオレオレ詐欺のような受け答えをするライオネル様。
(……あれ、別にわざととか意地悪とかじゃなくてデフォだったのか)
「その声はライオネルか? またか。しつこいぞ!」
私とは違ってさすがに殿下は声だけでもライオネル様のことが分かるらしい。
そして“また”と言った。
すでにライオネル様は何度か部屋への突撃を試みていたようだ。
「だから、公務はセオドラが元気になったら再開すると言っているだろう?」
「殿下!」
(色ボケ王子! それじゃ、遅いって言ってんのよ!!)
私はキリキリしながらその場で地団駄を踏む。
同時にライオネル様も声を荒らげた。
「いい加減にしてください! あなたはセオドラ妃のことばかりで他のことを蔑ろにし過ぎです!!」
ライオネル様が殿下にきっぱりと訴える。
こうしてはっきりした意見を言えることからも、ライオネル様は殿下と親しい存在であることが窺える。
……やはり、この男を交渉役に選んだ私の目に狂いはなかった!
「昨夜のエドゥイナ妃に対してもそうです!」
「ん? またその話か! しつこいぞ」
(え、私?)
話の流れで自分の名前が出て来たことに驚いた。
しかも、“また”その話、とは?
「結婚した日に夫に放置される花嫁の気持ちを考えろだの、せめて代理ではなく私自らが説明しに行くべき……だったか? そんなことは知らん!」
「殿下っ!」
「私はあの女の顔なんて見たくなかったんだ! だから代わりにお前を行かせた、以上!!」
(───もしかして……ライオネル様って)
昨夜の私に対する殿下の行動に抗議してくれていた……の?
(何それ……そんな素振り……一切してなかったじゃん)
そう思ったら何だか胸がキュッとなる。
私は自分の胸の前で手を強く握りしめた。
「……っ」
(……そんなのずるい……ずるい男)
殿下に顔も見たくない“あの女”呼ばわりされていることなんてどうでも良くなってくる───……
「いいか? ライオネル。昨日、私はお前たち側近の前でも宣言したがもう一度言うぞ? 私はあの女を“妃”だとは思わん」
「───殿下っ!! 分かってますから、それ以上はもう言わなくても結……」
「名ばかりでも側妃と名乗らせてやってるだけエドゥイナは私に感謝するべきなんだ!」
「殿下~~っっ」
私が今、この場に来ているなんて知らない殿下は言いたい放題。
ライオネル様がマズい……という表情で必死に発言を止めようとしていたけれど無駄だった。
(ホホホ、バッチリ聞いちゃったわよ!)
これ前世ならスマホでこの会話を録音しておけば、離婚時にハラスメントで訴えて慰謝料請求が出来るような案件じゃない?
「……」
けれど、そんな殿下の最低な発言のおかげで気付いてしまった。
私は今も殿下に抗議を続けているライオネル様へとチラッと視線を向ける。
(…………この人、だけじゃん)
────今夜、ジャイルズ殿下は来ない。妃殿下には申し訳ないが、俺はその伝言を……
────エドゥイナ妃にとって、今夜は大変不本意なことだとは思いますが……
(どんなに冷たくても私のことを“妃”扱いしているの────)
そう。
さっきの執務室での殿下の他の側近は皆、私のことを“エドゥイナ様”と呼んでいた。
セオドラのことはきちんと“セオドラ妃”と呼んでいたのに。
ましてや、夫となった当の本人の王子すら私のことを“あの女”呼ばわり……
「…………バカッ! どこまで生真面目なのよ……」
私はライオネル様には聞こえないくらいの小さな声で文句を言ってやった。
「────よし! 行くわよ」
私は気合いを入れ直す。
夫となった王子がやっぱりお花畑の住人だと改めて理解出来た。
「───ライオネル様」
「!」
私は今も殿下に抗議を続けているライオネル様にそっと後ろから声をかける。
ガバッと振り返ったライオネル様。
その表情はどこか複雑そうだった。
先程から続く殿下の私への暴言を気にしているのかもしれない。
私はそれについては言及せず、無言でライオネル様に向かって顎をしゃくる。
「……(わたくしのことはいいから、さっさと本題に入りなさい!)」
「……」
意図は伝わったようで、コクリと頷き返したライオネル様。
一呼吸おいてから扉の向こうの殿下に淡々と告げる。
「───殿下。落ち着いて聞いてください。実は今、」
「なんだ?」
「今、こちらには“エドゥイナ妃”がいらしています」
「エッ」
ゲフッと殿下が息を詰まらせたのが分かった。
「エドゥイナ妃です」
「…………エ、エッッ」
その瞬間、ガターーンッとものすごく大きな音が部屋の中から聞こえてきた。
音の聞こえた感じから殿下は扉の前ですっ転んだのかもしれない。
「ゥエ……エドゥイナだとぉぉ!?」
「はい。エドゥイナ妃です。今、俺の横……扉の前にいらっしゃいます」
「ぅお!? ラ、ライオネル~~お、お前、〇✕△□~~!?」
殿下は相当テンパっているのか後半はまともな言葉にすらなっていなかった。
まぁ、何で連れて来たぁ~~!? とかなんとか言っているのだとは思うけど。
(パニックであのイケメン顔がぐちゃぐちゃになってそう……)
想像すると何だか笑えてくる。
私は必死に笑い出したいのを堪えた。
「エドゥイナ妃はセオドラ妃にお会いしたいそうです。殿下、許可を」
「出せるか! 阿呆!」
(阿呆はお前よ、色ボケ王子……!)
どうせこうなると分かってはいたけど殿下はすんなり許可はくれなかった。
ゲホゲホとむせている。
「許可なんて出来るわけないだろう! そもそも、セオドラは体調がすぐれな…………あ! セオドラ!? 起き上がっ……え? おいっ、セオドラ!」
(ん?)
「ま、待て! セオドラ……どうしたんだ!」
どうやら、ここで部屋の中のセオドラに動きがあった様子。
ドタバタと足音が聞こえるので、中では走り回っ……追いかけ合っているのかも?
「殿下? ……な、なんだ? 中で何が起きている!?」
「……」
扉の前で私とライオネル様は顔を見合わせる。
このドタバタが終わったら扉が開くかな? なんてちょうど考えたその時。
「お、おい!? どうしたセオドラ、待っーーーー」
バーンッ
そして、すごい勢いでセオドラの部屋の扉が開いた。




