3. 信用のない私
ドキドキしながら返答を待っていると、ライオネル様はスッと冷たい目で私を見る。
私は、あっ……と思って目を逸らす。
(……そうだった)
殿下だけじゃない。
エドゥイナはその周囲の人間からも嫌われていることを思い出す。
だから、きっとライオネル様も仕事として仕方なく嫌々ここに来たのだろう。
「……来ない」
「え?」
そんなことを考えていたら、ライオネル様は冷たい目と表情を変えずに淡々と私に言った。
「今夜、ジャイルズ殿下は来ない」
「来な……い?」
(い、今、殿下は来ないって言った!!)
クワッと私の目が大きく見開く。
そんな私の顔を見たライオネル様が気まずそうに視線を逸らした。
「……妃殿下には申し訳ないが、俺はその伝言を────」
ガシッ
私はライオネル様の腕を掴んだ。
「!?」
「来ない……殿下は本当の本当の本当に今夜、ここには来ない……んですのね!?」
「…………っ、あ、ああ」
ライオネル様が嫌そうに私の手をそっと離しながらコクリと頷く。
「!」
私は慌てて下を向いて口元を手で覆う。
これはもちろん、油断したら思いっきりニヤけてしまいそうになる顔を隠すため。
だって来ない……殿下は来ないって言った……
(────よっしゃあああ!! 初夜、回避よーー!)
喜びで私の身体がブルッと震える。
(とりあえずの危機は乗り切った!)
明日からのことは、これからゆっくり考えればいい。
今の私はまず今夜を乗り切ることが大事だったわけだから。
「コホンッ、理由はセオドラ妃の体調が優れないからだそうだ」
「……まあ!」
(セオドラ! 貴女やるじゃない。グッジョブよ!)
さすが大恋愛の末に結ばれた二人なだけある。
本当に体調不良なのか仮病なのかは知らないけれどとにかく感謝の言葉しか出て来ない。
「……そう、なんですのね」
下を向いていた私がゆっくり顔を上げるとライオネル様と私の目が再び合う。
彼は眉間に皺を寄せていてしかめっ面をしていた。
一方の私はニヤけそうになる顔をどうにか押さえ込む。
「それでは、わたくしからはセオドラ様に何かお見舞いの品を贈り───」
「いいえ、妃殿下! それはお止め下さい」
(ん?)
一応の礼儀としてそう口にした私をライオネル様が静止してくる。
私は内心で首を傾げた。
(なんで?)
不思議に思っているとライオネル様は眉間に皺を寄せた険しい表情のまま言った。
「……エドゥイナ妃にとって、今夜は大変不本意なことだとは思いますが…………バカな真似は考えないでいただきたい!」
「バッ……」
(バカな真似ですって!?)
思ってもなかったことを言われて目をひん剥いた私にライオネル様がさらに畳み掛けてくる。
「───貴女の魂胆は分かっています!」
「は?」
「見舞いの品などと言って、この機会に便乗してセオドラ妃に嫌がらせをするつもりなのでしょう!? そうはさせません」
「は? い……」
(嫌がらせぇェ!?)
どうして私がそんなことを……と言いかけて思い出す。
確かに“エドゥイナ”ならやりかねない、のだと。
だって私、あの手この手でセオドラから殿下を奪う画策してたじゃん。
机の引き出しの中にも初夜で殿下に使う気満々で“やべぇ物”仕込んでたじゃん。
「……っ」
ライオネル様が警戒するのは最もなことだった。
“私”はそんなことしない───と言っても無駄だろうなぁ、とため息を吐く。
これまで散々、悪役令嬢ムーヴかましてきておいて、今更心入れ替えました! が通るはずもない。
「殿下からもう一つ妃殿下に伝言です」
「……もう一つ?」
「くれぐれも今夜は部屋から一歩も出ないように───とのことです」
「…………へぇ」
(余計なことはするな───って聞こえるわ)
私としては初夜回避は最っ高に有難くて嬉しいことだけど言い方よ。
この伝言だけで、殿下がエドゥイナのことが大っっ嫌いな気持ちが伝わって来る。
「そういうことですから、今夜は大人しくしていてください」
ライオネル様の言葉も棘があってめちゃくちゃ冷たい。
言われなくても大人しく過ごすつもりよ。
「……」
「ちなみに今夜の俺は扉の前で一晩中、妃殿下……貴女の監視役を仰せつかっています」
「え? 監視!?」
(そ、そこまでするーー!?)
エドゥイナの信用のなさと殿下の警戒心がえらいこっちゃになっている……
「なので、夜中にこっそり抜け出して何かしようとしても無駄ですよ?」
「───しませんわよ!!」
「……」
私は強く反論したけれど、ライオネル様は無言。
でも、その目が信用出来ないと言っている。
「───そこまで言うなら、一晩中、監視役でも何でもどうぞお好きになさって!」
「うっ……?」
私は両手を突き出すとライオネル様をドンッと扉の外に思いっ切り突き飛ばす。
不意をつかれたからなのか、ライオネル様がフラついた。
(ふんっ、弱い男っ!)
廊下で一晩中過ごして風邪でも引いてしまえ!
そんな目で彼を睨みつけてから私はバタンッと勢いよく部屋の扉を閉めた。
「───ったく!」
ボスンッ
私は寝室に入るとそのままベッドにダイブする。
「くっ! ふっかふか……!」
さすが側妃とはいえ、王子の妃の寝室のベッド。
ふっかふかで気持ちがいい。
趣味につぎ込みすぎて貧乏生活を送って来た前世の自分の部屋にあったベッドとは大違い。
そのまま、ゴロンッと転がる。
「……でもいいわ。とりあえず初夜は回避出来たんだもの」
殿下はこのまま明日も明後日も明明後日も部屋になんて来なくていい。
私のことは名ばかりの側妃として扱って、ゆくゆくは離縁してくれればそれでいい。
「けど本当に、なんて……タイミング……悪…………」
前世のこと───
一度に色々なことを思い出して考え疲れたのもあり、私は睡魔に襲われウトウトしながらそのまま目を閉じた。
「……ハッ! え、私、寝てた!?」
ブルッと寒気がして飛び起きた。
時計を確認するとまだまだ夜中。
そんなに時間は経っていない。
「寒っ……さすがにちょっと冷えるわね」
思わず身体を摩る。
前世風に言うならば、ちょうど今の季節は冬に入った頃。
そりゃ寒くもなる。
「さっさと布団かぶって寝直そう……このままじゃ、風邪引いちゃうし」
とりあえず身体を休めて明日に備えよう。
明日はきっと殿下と顔を合わせる時間もあるはず。
そう思ってベッドの中に入ろうとしたその時。
ふと、生真面目そうな面白みのない顔をしたライオネル様の顔が頭に浮かんだ。
「……」
そっと部屋の扉に目を向ける。
「…………あの人、本当にこんな寒い中、扉の向こうで私のことを監視してるのかな?」
抜け出して悪さしようなんて企んでいないのに。
「……」
思い返せばライオネル様って結構、薄着だったような……
あのままの格好で廊下で一晩過ごすの?
いや、さすがに着替え……
「~~っ! ……もうっ!」
私は側にあった毛布を手に持つとそのままベッドから降りてズンズンと部屋の扉へと向かう。
そして、そっと薄~く部屋の扉を開けて廊下を覗いてみる。
(……ガチで居た!)
殿下の伝言を持って訪ねて来た時の格好のままで、壁にもたれかかっている。
目を閉じているので、起きているのか寝ているのかがちょっとここからだと分かりづらい。
もうちょっと……
そう思って扉をもう少しだけ開けてみようとした。
(……あ!)
その瞬間、扉がガチャッと音を立ててしまう。
「ひっ……!」
「───!」
ヤバッ……と思った時にはもう遅かった。
起きているのか寝ているのか分からなかったライオネル様がハッと顔を上げた。
そして、扉の隙間から覗いている私とバッチリ目が合った。
「……」
「妃殿下!」
ライオネル様に眉間に皺を寄せられ思いっ切り睨まれる。
そりゃそんな顔になるわよねーー……と一瞬たじろいだ。
「くっ! やはり貴女は!」
「いや、」
「油断も隙もない……」
「…………わたくしの話、聞きなさいよ」
こういうガチガチに思い込んでいるタイプって話が通じないのよねぇ……
「いいですか? 気持ちは分かりますが貴女を殿下の元に行かせるわけには……」
「えいっ!」
「うっ!?」
弁解するのが面倒になった私は手に持っていた毛布をライオネル様に向かって投げつける。
ボフッと毛布は彼の顔に命中した。
「……え? ひ、でん……か?」
「……」
「え? あ……?」
毛布を顔面にくらって呆然としているライオネル様を一瞥したあと、私はそのまま部屋の中に戻りバタンッと思いっ切り扉を閉めた。
「───ああ、スッキリした!」
私のせいで風邪なんて引かれたら寝覚めが悪すぎる。
ただ、それだけ。
それ以外に深い意味は無い。
「さ、寝ましょ寝ましょ」
そう言って私はいそいそとふっかふかのベッドの中にもぐりこみ、今度こそしっかりと眠りについた。
────そして翌朝。
「エ…………エドゥイナ様? お、おはようございます……」
「……ん、もう、あさ?」
若干、気まずそうな顔をしたメイドに起こされた時には、既にライオネル様の姿は消えていた。
「は、はい。朝でございます……」
「……」
なんでこのメイドはこんな気まずそうにモゾモゾしているの?
そう疑問に思ったところで昨夜の初夜───は殿下の訪れが無かったことを思い出した。
(この顔、この怯え方。私が怒り狂うとでも思ってそう……)
私はやれやれと肩を竦めて軽く息を吐くとメイドに言った。
「お腹がすいたわ。朝食にしたいから早く支度をしてちょうだい?」
「……は、はい!!」
「……」
(うーん、何だかなぁ……)
メイドはホッと安堵したような顔で朝の支度を整えていった。
「…………で? 肝心の殿下は朝もわたくしと顔を合わせる気がない、と?」
「はい……」
そして朝食が部屋に運ばれて来たことで私はすぐに察する。
「セ、セオドラ様の体調が優れない……そう、でして」
「…………そう」
「え」
昨夜も聞いた話をメイドが震えながら口にする。
しかし、頷くだけの私の反応を見て目を丸くした。
「え? って何かしら?」
「あ、い、いえ……」
私から目を逸らしたメイドの顔は、なぜ怒らないのだろう? と不思議に思っているかのような顔だった。
(どいつもこいつも……)
そうして朝食を終え、特にすることもなくぼんやりと午前中を過ごし昼食も終えた後の午後のティータイムの時間。
「……え? 殿下が?」
「はい。これからエドゥイナ様のお部屋に来られるそうです!」
メイドは朝とは打って変わって嬉しそうに弾んだ声で私にそう告げた。
(来るの? 顔を合わせる気、あったんだ!?)
こうして私は、ようやく夫となったジャイルズ殿下と顔を合わせることになった。




