273:蜜を垂らそう。
「とは言え王女様に頭まで下げられれば、そうそう断れるものでも無いでしょう」
「んー、まぁ確かにな」
お、レティさんが軽く擁護してくれた。
そうだそうだ、私チョロくないぞ。
……ごめん嘘。流石に少しは自覚してる。
「すまんな。無理を言っているのは解っているから、対価は相応に奮発させてもらうぞ」
「いえ、そんな……」
「遠慮するでない。私とて肌に塗った物を譲ってくれ、風呂の残り湯を譲ってくれなどと言われれば、余り気分の良いものでは無いだろうからな」
「まぁ確かに、それはそうなんですけど」
「だろう? それを押して頼んでいるのだから、せめて十分な金額を受け取る事でこちらの気を楽にさせてくれ」
「むぅ、解りましたよぅ。金額はお任せしますけど、無茶な額はやめてくださいね?」
諦めて受け取る事には同意しつつも、一応釘は刺しておく。
正直な所、効果にはあまり期待してないけど。
まぁ前もって言っておくことで「言ったじゃないですか」って言えるから。
いや、それに意味が有るかって言うと微妙だけどね。
「しかしなんだなぁ」
「ん?」
前置きといった感じで口を開いたアヤメさんに対し、疑問の相槌を打つ。
「昔の人達が有難がってた食べ物が、実は【妖精】がぐちゃぐちゃのおもちゃにした成れの果てって言うとなんか微妙な気分になるな」
「そう言われるとそうなんだけどさ」
「わざわざ頭を下げて頼み込んで、やっと譲ってもらう約束をした奴の前でそれを言うのか……」
アリア様が苦笑しながらツッコむ。
やっとって言うほど交渉は難航してないと思うけどね。
「あぁいえ、他意は無いです。ちょっと思っただけなので」
「うむ。まぁ言わんとする事は解るがな」
「そうは言っても、私達の世界でも由来は気にしない方が良い物は色々と有りますしね」
ん、「私達の世界」?
現実側ってことかな。
アリア様達に配慮した言い方なんだろうか。
まぁその辺は今度お姉ちゃんに聞いてみるとしよう。
「例えば?」
レティさんの発言に、お姉ちゃんが問いかける。
「メジャーな所では、着色料の原料が虫であったり」
「あー、聞いた事あるねぇ。赤っぽい食べ物とか、口紅とかだっけ」
「そうですね。他には意図的に嫌な言い方をしますが、ソーセージなどは腸に挽肉を詰めた物という事ですので、洗浄してあるとはいえその前には糞が詰まっていた訳ですね」
「解ってる事とはいえ、そう言われるとなんか嫌だな」
「まぁ向こうで手軽に買える物は人工の皮の物が殆どですので、それには当てはまりませんが」
へー、そうなんだ。
まぁどっちにしろ、きちんと洗浄した上で調理されてるんだから気にする必要は無いんだけどね。
「見る機会の少し少ない物では、燕の巣でしょうか」
「あー、あれって燕の唾液みたいなものなんだっけか?」
「はい。まぁそれはマシな方なのですが」
「他に何か変な物があるの?」
「とある高級なコーヒー豆の製法が、『ジャコウネコに果実を食べさせて、その糞の中から種を探して採取する』と言った手法でして」
「そう言われると、あまり飲みたくはならないな……」
「それがなくとも、かなり好みの別れる味と聞きますね。ただ貴重なのは間違いない様で、普通のコーヒーの数十倍の価格だとか」
「うっわ」
「試してみようとも思えないね……」
いや、安くてもあんまり思わないけどさ。
「香料にも少し有名な物が一つ有りまして」
「なんだっけ、聞いた事が有る気はするんだけど」
「龍涎香と言いまして、クジラの腸内に出来る結石の事ですね」
「うへー。あ、それもやっぱり高いの?」
「はい、とても。ごく稀に海岸に流れ着いている事があるらしいのですが、リンゴくらいの大きさの塊に数百万の値が付く事も有るようです」
「雪ちゃん、後で海いこっか」
「行く訳が無いでしょ」
日曜の夜中に何言ってんだ、この姉は。
いや平日の昼間でも行かないけどさ。
「まぁ要するにそんなのに比べれば、【妖精】がかき混ぜた程度は大したことないって言いたい訳か」
「はい、そういう事ですね」
「そういえば蜂蜜だって蜜蜂のお腹の中に一旦溜めた物だし、ちょっと蜂さんの唾液とかも混ざっちゃってるんだよね。……あー」
んー、お姉ちゃんが続けて何か言おうとしてるけど、またしても嫌な予感しかしない。
黙らせておいた方が良い可能性まで感じちゃうくらいだよ。
「もしかしたら、【妖精】のお口で蜜をくちゅくちゅするともっといい蜜になるんじゃない?」
「何を言いだしてるのかな、このおバカさんは」
「ストレートにひどい!」
うん、黙らせておくべきだったらしい。
そもそもなんでそんな発想になるんだよ。
「しかし有り得ないと言い切れないのがまたなんとも……」
「【妖精】だしなぁ」
むぅ……
実際正直な所、自分でも何があっても不思議じゃないって思っちゃうくらいだしなぁ……
「……あの、アリア様」
「む?」
「そんな『まだかなー』みたいな顔されても困るんですけど」
「なんだ、試さないのか?」
「そりゃまぁ…… 普通やらないでしょう?」
「む、そうか……」
くぅ、そんな露骨に悲しそうな顔を……
いや、でもこれ私は何も悪くないよね?
「……んもー、仕方ないですね」
「おぉ! 本当か!?」
私が折れると、アリア様の表情がパァッと輝いた。
うぅ、なんでこんな本気で嬉しそうなんだよう……
観念して庭のバラから比較用の物と合わせて二滴採取して、一滴をアリア様の舌に垂らす。
「んむ、美味い」
「お、ありがとうな」
いつの間にか復活してたカトリーヌさんが、他の人達に普通の蜜を配ってる。
うん、モニカさんにも上げておいて。
なんかさっきからちょっと怖いから。
視線はずっと紙に向けられたままなんだけど、奥歯が砕けかねない位ぐぎぎって噛み締めて震えてるんだよ。
さて……
うん、観念して口に含むとしよう。
むー。当たり前だけど、相変わらず甘い。
うっかり飲み込んじゃいそうだ。
「さあ、受け止めてやるから遠慮なく吐き出すが良いぞ」
そう言ってんべっと舌を出すアリア様。
え?
ちょっと待って、そこに直接行くの?
むぅ、まぁ別に良いけどさ……
口をもごもごさせながら、そっとアリア様の顔の前に飛んで行く。
別に何もする気は無いけど、少しでも害意が有ったらコレットさんに叩き潰されるか握り潰されるだろうから、変な緊張感があるな。
こっちが何もしないんだから、そんな事が起きないのは判ってるんだけどさ。
アリア様の舌の上に顔を近づけ、口を開いて頬張った蜜を垂らす。
落ちて行かなかった分を再度くちゅくちゅしてとろっと垂らし、残った分は自分で飲み込んでおいた。
「アリア様、どうでした? ……あの、アリア様?」
舌を収めて蜜をもむもむと味わっていたアリア様が、なんかあらぬ方向を見つめて少し赤い顔でぽーっとした表情のまま固まってる。
え、これどういう症状?
二人とも止めなかったしまだ殺されてはいないから、私の唾液が混ざったせいで毒になっちゃったとかいう訳じゃないと思うけど……




