271:バターを捏ねよう。
うん、確かに言われてみれば、試すまでも無いくらいの人選ミスだよね。
この人に【妖精】の体に塗られてた物を舐めさせたら、肯定的な感想が返って来るのは当たり前の事だった。
ていうか、「私の手から貰った」って時点で全部そうなりそうな気もするな。
下手したらこっそり泥と入れ替えてても素晴らしいって言うかもしれないくらいだし。
「では、僭越ながら私が」
「これ、待たぬかコレット。抜け駆けはズルいぞ、私にも寄越すのだ」
「いや、そんなに一杯あるんですから、取り合わなくて大丈夫でしょうに」
「白雪から見れば沢山であろうが、私達にとっては一口に収まってしまう程度の量だぞ?」
「まぁそれはそうですけどね。ってそうだ、質がどうこうって話なんだから、そのままも舐めておいた方がいいんじゃないですか?」
さっきは何も考えずにモニカさんに舐めさせたけど、比較対象が無いままどうなったか聞いても仕方ないだろう。
「ふむ、確かにその通りだな。コレット、頼む」
「はっ」
スプーンに乗せたバターを人差し指で少し掬い取り、少しだけ開かれたアリア様のお口にスッと挿しこむ。
……別のスプーンとかではないんだ。
良いけどさ。
舌にこすって乗せたのか少し口の中で指を動かして、つぷっと引き抜く。
そして今度は中指で少し掬い取り、人差し指と一緒に自分の口へ。
っていや待て、なんでだよ。
……いや、うん、気にしないでおくとしよう。
多分知らなくて良いやつだし、迂闊にツッコんだら消されかねない。
「うむ、良い品ではあるが普通のバターだな」
アリア様も気にしてないな。
多分いつもの事なんだろう。
この人の周囲からの好感度の高さ、なにげに【妖精】並だし。
「はい。それでは白雪様、再度お願い致します」
「はーい。カトリーヌさん……はとっくに準備出来てたみたいだね」
両手でごそっとバターを取って振り向いてみると、机の上で四つん這いになっているカトリーヌさんの姿が。
あれ、背中にラキが乗ってる。
いつの間に肩から飛び降りてたんだろう?
「ひあぁ」
「だから変な声を出さない。確かにちょっとひんやりはするけどさ」
いくら常温の物とはいえ、流石に体温よりは結構低いからね。
今度は量が多めだから、ぐにゅっと潰して広げては端をひっくり返す様に真ん中にまとめていき、持ち上げて混ぜ合わせる様にひとまとめにしてから再度背中にもにゅっと落とす。
全部を薄く広げられる程には台が広くないから、上手く練り合わせて【妖精】分が染みた所とそうでない所のムラをなるべく少なくしていこう。
わざわざ横にラキが居るって事は多分品質検査をしてくれているんだろうから、検査官から合格の合図が出るまでは頑張ってもにもにするとしようか。
「カトリーヌさんがまな板代わりかー」
ん、お姉ちゃんが突然口を開いたぞ。
あれは余計な事を言う顔だな……
「という事は雪ちゃんなら前」
「アヤメさん」
「ぷぎゃっ」
私が声をかけたのとほぼ同時に、アヤメさんがお姉ちゃんの後頭部に短剣の柄をゴツっと打ち付ける。
うん、言うまでも無く察してくれたな。
「これで良いか?」
「ありがと」
「うぅ、ひどい……」
「いや、お前バカだろ」
「どちらかと言うと、酷いのはミヤコさんだと思いますよ」
「解ってたけど味方が居ない!」
「当たり前じゃないの。っと、オッケーかな?」
カトリーヌさんの頭に移動してたラキが、こっちを見て腕を大きく振ってる。
あ、頷いた。もう大丈夫なんだな。
「それじゃ…… あ、はい」
カトリーヌさんの背中に付いた物も拭い取る様に集めて両手に乗せた所で、コレットさんがスッと指を出してきた。
「うむ」
コレットさんが先で良いのかなとアリア様の方を見てみると、頷いたので問題は無いんだろう。
あぁ、毒見的な意味でいつも先に食べてるとかかな?
いや、普通にアリア様に直接食べさせたり飲ませたりしてるし、そういうのでは無いか。
……あー、多分これ、コレットさんに少し渡して残りをアリア様に全部渡すのが正解だな。
そういうのではないかも知れないけど、少なくともコレットさんの方が多くなるのはマズいだろう。
「ありがとうございます。む…… これは確かに、良い物ですね」
「ほう。それでは、私にも貰えるかな」
「はい。……ってアリア様、ちょっとはしたなくないですか?」
コレットさんの指に乗せるのかアリア様も指を出してくるのかと思っていたら、スーッと顔を近づけてきて私の前で舌を出すアリア様。
確かに手も汚れないし手っ取り早くはあるだろうけど、王族の女性としてこれは大丈夫なの?
「んむ、良いではないか。さ、早く。手に付いている分もだぞ」
「あ、はい」
一旦舌を収めて、要求して再度舌を出してくる。
まぁ本人が良いって言ってるんだし、お付きのメイドさんも何も言わないんだから良いけどさ。
手に持ったバターを舌の上に乗せ、言われた通りバターまみれの両手をアリア様の舌で拭う。
舌先を撫でる様に手の平と手の甲を一回ずつ擦りつけ、バターはあらかた落とした。
相変わらず唾液の粘度が人間基準だから舌から手を離すのに一苦労だったし、指同士がひっついてなかなか離れない。
むぅ、うっかり握っちゃって開けなくなったぞ……
「白雪様、お手をどうぞ」
お、コレットさんがおちょこみたいなサイズの器に水を入れて出してくれた。
んー……
幸せそうな顔でバターを味わっているアリア様をチラッと見る。
「何を心配している。唾の付いた手を洗ったからといって、私が汚いとでも言うのかなどと言うはずもあるまい」
こちらが何を考えているか察したアリア様が、苦笑しながら言ってきた。
うん、まぁそんないちゃもんつけて来る人じゃないのは解ってるけど。
「そうですよね。それじゃありがたく使わせてもらいます」
「うむ、洗え洗え」
おちょこの水でチャプチャプと手を洗い、同じくコレットさんが差し出したハンカチで拭かせてもらう。
仕上げに自前の温風で乾かして完了だ。
「コレットさん、ありがとう……ございました」
私のお礼に、静かに頭を下げるコレットさん。
うん、おちょこの水をクイッといってたのは見なかった事にしよう。
これも触れちゃいけないやつだ。




