209:切り上げよう。
「うーん、『空間』を認識するというのは難しいものですわねぇ」
「まぁそれは解ってた事だし、気長にやるしかないんじゃない?」
カトリーヌさんの提案に乗って【空間魔法】の訓練を始めてみたけどやっぱり難しい。
ついつい目に見える光や、そこにあるのが解ってる空気を動かしちゃうよ。
「おや、それは?」
「ダメだねー。光を曲げちゃってて歪んで見えるだけ」
「本当ですわねぇ」
「いや、びっくりするから普通に手を突っ込まないでよ。本当は歪んでておかしなことになっちゃったらどうするのさ」
魔人さん……みーちゃんだっけ? じゃないんだからさ。
「望む所ですわよ?」
あぁ、そうだったね。
まぁわざわざ生身の右手を突っ込んでるんだから、聞くまでも無かったよ。
そのまましばらく二人で続けてみたけど、一向に成功する気配が無い。
「んー、だめだー…… っと。そういえばカトリーヌさん、昼過ぎにフェルミさんのとこ行かないといけないんじゃ?」
「はい。お昼を頂く事を考えますと、そろそろ切り上げ時でしょうか」
「む、終わりか。今日は完敗だな」
こちらの話を聞いて人形の腕を下ろすアリア様と、その腕を駆け上って頭の上でお尻をぴこぴこ振るラキ。
なんだあれ、勝利の舞か?
腰に手をあててフフーンって感じに胸を張ってるし。
「むぅ。ラキよ、次は捕まえて見せるからな」
そう言って人差し指をそっと近づけて、ラキと握手するアリア様。
……練習してないで仕事してくださいね?
「ジョージ、コレット。そちらも終わりだ」
「はい」
「へーいってお前……」
「何ですか? どうせ片付けるのですから同じ事でしょう」
「いや、そうだけどよ……」
アリア様の言葉で人形から糸を抜いて立ち上がり、ジョージさんの人形だけをグシャッと踏み潰すコレットさん。
うん、まだちょっと怒ってるよねあれ。
自分の人形は足から地面伝いに魔力を流して、普通に埋めてるんだし。
コレットさんの足元をじっと見て、少し息が荒くなってるカトリーヌさんは無視しておこう。
大体何考えてるかは察しがつくからな。
「白雪、糸は返した方が良いのか?」
「いえ、そのくらいならみなさんに差し上げますよ。魔力さえあればいくらでも出せますしね」
「そうか。ではありがたく頂くとしよう。コレット、後で編んで指輪にでも繋げておいてくれ」
「かしこまりました」
束をクルクルとねじってコレットさんに渡すアリア様。
指輪である必要はあるんだろうか。
単に身近にある適当な物って事なんだろうけどさ。
「ほれ、そこのド変態。治してやるからこっち来いよ」
「はい、お願いします」
いやド変態て。まぁ合ってるけども。
おー、ぐちゃぐちゃになってたのが腕の形に集まって、ほわっと光ったと思ったらちゃんと治ってる。
やっぱり凄いなぁ。
「ありがとうございます。こんな一瞬で治るものとは、凄いですわねぇ」
左手をぐーぱーしながらジョージさんにお礼を言うカトリーヌさん。
「そりゃ、ちんたら治してる暇が無い時も多いからな。そんくらい出来なきゃ、生きてここにゃ居ねぇよ」
「必要に迫られて磨かれた技術という事ですわね」
「おうよ」
どれだけ過酷な職場だったんだろうなぁ……
やっぱ貴族とかが一杯居ると、裏の戦いも激しいのかな?
よく解んないけど。
「ほら白雪、受け取れ」
「あ、はい。おかえりー」
アリア様がラキのぶら下がった指を差し出してきたので、糸ごと回収する。
私の手の上でお尻から糸をぷちんと切り離し、もくもくと食べてしまうラキ。
そういえばグローブもいつの間にか無くなってるな。
大丈夫? お昼ごはんの前にお腹いっぱいになっちゃってない?
「うむ、楽しかったぞ。また遊ぼうな」
素早く完食して「またねー」とアリア様にぶんぶん手を振るラキと、それに応えるアリア様。
すっかり仲良しだなぁ。良い事だ。
「遊んであげてくれて、ありがとうございました」
「なに、今も言ったが私も楽しんでいたのだから気にするな。では、そろそろ仕事に戻るとしよう」
ひらひらと手を振りコレットさんを引き連れてホールに戻っていくアリア様を見送って、中庭の後片付けを始める。
土遊びのし過ぎでちょっと地面がデコボコになったままだしね。
良く見るとさっきコレットさんが嫌がらせで動かした所はきっちり直されてるな。
流石に抜かりない。
「ったく…… まぁぶん殴られなかっただけ良しとするかね」
ぶつくさと文句を言いながら、コレットさんに踏み潰された人形から糸を引っこ抜くジョージさん。
「怒らせなきゃ良いじゃないですか」
「こういう性分なんだから仕方ねーだろ。いちいち気にしてられっか」
「いや、仕方なくはないと思いますけどね……」
開き直る所じゃないだろう、それは。
まぁ別にこっちにとばっちりが来る訳じゃないし、問題は無いけどさ。
「良いんだよ。さて、俺も普段の仕事に戻るとするか。いい加減鬱陶しいしな」
「何がです?」
「普段は俺が監視しながらやってる分の仕事してる奴が、チラチラ様子を伺ってやがるんだよ」
「それ悪いのジョージさんなんじゃ……」
「うっせぇ、たまには息抜きくらいさせろってんだ。サボり癖の有る奴だから仕事押し付けるくらいで丁度良いんだよ」
「まぁ途中から息抜きどころじゃなくなってましたけどね」
「ケンカ売ったのはこっちだから文句も言えねぇしな」
やり方に文句は言いまくってたけどね。
まぁあれは言いたくもなるだろう。
【空間魔法】の訓練中なんか、お腹から腕が飛び出したりもしてたし。
フックで足ひっかけた時と同じ反論してたけどね。
「サボってない。転がっててもちゃんと警戒してる」
ぬ、姿を見せないままに声だけで反論してきた。
どこから聞こえてきてるのかよく解らないけど、私より若い感じの女の子の声だな。
言葉とは裏腹に、すごいやる気なさげな声してるけど。
「お、そういう事言うのか」
なんかジョージさんが悪い顔になった。
「それじゃ他の連中に『今度からお前が寝てる時には、物陰や隙間に隠してるおやつを狙って良いそうだ』って言っとくわ」
「な、なぜそれを……!?」
……ハムスターか何かか、この隠密さんは。
「皆知ってんぞ。まぁ俺がバラしたからだけどな」
「うぐー、それで知らないうちにいくつか消えてたのか……!!」
「警戒出来てねぇじゃねーかよ。っていうかもう取られてんのか……」
「はっ、しまった!!」
うん、なんていうかユルいなぁここの人達……
いや私が言うのもなんだけどさ。
「まぁ仕事にゃ戻るから大丈夫だ。取られた分も少しは買ってやるよ。バラしたのは俺だしな」
「おとーさんありがとー」
「えっ」
「いや白雪、信じるなよ? 流石にそんな歳にゃなってねぇよ」
「あー…… うん、そうですよね」
ほんとかな? いや、そりゃ親子じゃないだろうとは思うけど。
「……一応言っとくけど、これメイクで実際より老けた顔に作ってるからな」
「いや、そういうの言っちゃダメなんじゃ?」
「良いんだよ。こういう仕事やっててまともに素顔晒してる奴の方が少ねーし」
「まぁジョージさんが気にしないなら別に良いんですけど」
一応聞いてはみたけど、言っちゃダメな事を漏らしちゃう人じゃないのは解ってるしね。
つい無駄にからかっちゃったりはするみたいだけど……
「あぁそうだ白雪。この後工房の方に行くなら、ついでに行ってみたらどうだ?」
「あ、粉の調査ですか?」
「あぁ。丁度良いから案内と護衛にこのバカつけてやるよ」
「えー、めんどい」
「コレットにサボりの仕置きされるのと、どっちが良い?」
「わたしがんばる」
実に素早い手の平返しだな……




