エピローグ 自分で買ったのです
今日も6時の鐘が、街中に響き渡ったのです。
続いて最初に聞こえたのは、小鳥の鳴き声でした。
チュンチュンと、楽しそうなのです。
その次に感じたのは、太陽の温かい光。
暑いのは苦手ですけど、これくらいならちょうど良いのです。
そうして、ゆっくりと目を覚まし……ている場合ではないのです!
布団を引っぺがす勢いで跳ね起きたわたしは、ベッドから跳び下りました。
顔を洗うのも歯を磨くのも着替えるのも、後回しなのです。
ドアを勢い良く開いて、自室を出ました。
そこには――
「おはよう、ネージュ。 朝から騒々しい」
白いエプロンを纏って、朝食を作っているグラ。
彼の姿を見たわたしは、思わず涙ぐんで抱き着きました。
結構な衝撃だったはずですけど、微動だにしません。
やっぱり、グラはグラなのです。
他の精霊王――どんな人(?)たちか知らないのです――に会うと聞いたときは、どうなることかと思いましたが……ちゃんと帰って来てくれたのです。
コートの袖が欠けているのを改めて見て、悲しくなりましたけど……。
わたしの内心を悟ったのか、グラは優しく抱き締め返して来ました。
そのままゆっくりと頭を撫でて、噛んで含めるかのように言葉を連ねたのです。
「心配無用。 我はここにいる。 顔を洗って来ると良い」
「……はいなのです。 あの、昨日はどのような話を……?」
「それについては、また後日。 今日は、いつも通り過ごそう」
「……わかりました」
グラから身を離して軽い足取りで自室に戻り、身支度を始めました。
鏡を見ると、だらしなく頬を緩ませた、わたしと目が合うのです。
少し恥ずかしくなりましたが、今日だけは許しましょう。
改めてグラの元に向かったわたしは、対面してテーブルに着きました。
今日の献立は、ロールパンにトマトスープ、いつものサラダなのです。
豪華とは言えないかもしれませんけど、グラの手に掛かればご馳走なのですよ。
目の前に座る彼と視線で合図して、食べ始めました。
期待通り……いえ、なんとなく期待以上に美味しいのです。
精神的な要因な気もしますが、確かにそう感じました。
食事を終えたわたしは、髪の手入れをしてもらうのです。
普段から好きな時間ですが、より一層幸せに思えました。
最後に六花の髪飾りを付けてもらったら、完璧なのです。
上目遣いでグラを見ると、彼は力強く頷いてくれました。
そのことに勇気付けられたわたしは破顔し、今日の分の氷柱を作るのです。
我ながら、見事な出来栄えなのですね。
グラが運んで来た籠に詰めて、玄関で幟を付けたら、いざ出陣。
玄関を開けると、早くも街の喧騒が聞こえて来ました。
今日も暑くなりそうですが、わたしたちの絆の証である幟があれば、へっちゃらなのです。
太陽に挑戦状を叩き付けた気分でいると――白い呼気。
隣に立ったグラの口から漏れて、流れて来ました。
それを合図として、わたしたちは一礼し――半拍。
同時に声を発するのです。
『1、2、3……出発』
「被害ゼロ」
「優先なのです」
幾度となく繰り返して来た、やり取り。
それが出来ることの有難さを、痛感しました。
視線を交換したわたしは微笑を浮かべ、グラは無表情。
しかし、非常に心が穏やかになったのです。
そうしてわたしたちは、石畳の通りを歩き始めましたが、そこに彼女が現れました。
「おはよう、ネージュちゃん、グラくん」
柔らかく微笑んだ、セレ。
彼女とはいろいろありましたが、今でははっきり友だちだと言えるのです。
まだ、照れはありますが。
それはともかく、挨拶なのです。
「おはようなのです」
「おはよう」
「ふふ、2人とも元気そうで良かったわ。 体はなんともない?」
「はいなのです。 そう言うセレは、どうなのですか?」
「うーん、ちょっといつもとは違うかも」
「え……? 大丈夫なのですか? 無理しないで、寝ている方が良いのです」
心配になったわたしは、本気でそう訴え掛けましたが――
「大丈夫よ。 いつもと違うのは、ネージュちゃんと友だちになれたからだから」
「……意味がわからないのです」
「ほら、わたしって意外と友だち少ないのよ。 だから、ネージュちゃんみたいな子と友だちになれて、凄く嬉しいの」
「……紛らわしい上に、恥ずかしいことを言うなです」
「あ、照れてる」
「照れていません!」
「否定。 照れている」
「だから、照れていません!」
氷ハンマーでセレの頭とグラの肩を、コツン、コツン。
ところが、2人は全く堪えた様子もなく、平然としているのです。
むぅ、腹立たしいのです。
ですが……楽しいと感じてしまいました。
ニヤケそうになるのを必死に我慢していると、グラがセレに尋ねたのです。
「それで、今日は何か用事があるのか? 精霊薬と定期購入契約の代金精算は、夕方の予定だと記憶しているが」
「あ、そうそう。 実は、氷を売って欲しいの」
「毎度ありなのです」
「速くない!? もうちょっと、言葉のラリーをしましょうよ! 1か月用を持ってるのに、なんで買うかとか気にならない!?」
「面倒な人なのです。 それで? 何に使うのですか?」
「ネージュちゃん、商売になると本当に冷たいわよね……」
「うるさいのです。 話さないなら、とっとと買うのです」
「わかったってば! えぇとね、正直に言うと氷には困ってないの。 明日からは定期購入が始まるし」
「ふむ。 でしたら、どうしてわざわざ買うのですか?」
疑問に思ったわたしは、シンプルに尋ねました。
するとセレは笑みを深めて、ポイントカードを差し出しながら言ったのです。
「スタンプを押すときのネージュちゃん、とっても可愛いのよ。 だから、また見たくて」
「……金持ちの道楽なのです」
「あ、また照れて――」
「いません!」
「わかった、わかった。 ほら、売って頂戴?」
「はぁ……わかったのです。 グラ」
「承知」
溜息をついたわたしは、グラが背負った籠から氷柱を1本抜き、布に包んでセレに手渡しました。
当然、レシートも忘れずなのです。
交換で受け取ったポイントカードに、六花印をポン。
確かにわたしはこの瞬間が嫌いではありませんが、改めて指摘されると気まずいのです……。
微妙に顔が紅潮するのを自覚しましたけど、きちんとやるべきことを終えて、ポイントカードをセレに返しました。
彼女は満足そうに微笑んでおり、思わず目を逸らしてしまったのです。
クスリと笑う声が聞こえましたが、咳払いして仕切り直しました。
「コホン……それでは、わたしたちは行くのです。 セレ、また夕方に。 お金はきちんと用意するのです」
「はいはい、わかってるわよ。 グラくんも、またあとでね」
「あぁ」
そうしてセレは、鼻歌混じりに立ち去りました。
まったく……5つも年上なのに、子どもみたいなのです。
などと思いつつ、憎くは思えませんでした。
彼女との関係は始まったばかりですけど、願わくば長く続いて欲しいのです。
誰にともなく願ったわたしは、足を踏み出しましたが――
「お、お姉ちゃん!」
小さな男の子が、前方から駆け寄って来ました。
何なのです?
反射的にグラを見ましたが、彼も軽く肩を竦めているのです。
心当たりはない、と。
何はともあれ、ひとまず話を聞いてみるのです。
「どうかしましたか?」
「お、お姉ちゃん、氷屋さんだよね?」
「そうなのです。 1本、100メルからなのです」
「100メル……。 お、お金が貯まったら払うから、1本くれないかな……?」
「駄目なのです。 後払いは、受け付けていないのです」
「そ、そんな……。 このままじゃ、母ちゃんが……」
「……お母さんが、どうしたのです?」
「昨日から熱を出してるんだ……。 うち貧乏で、薬を買うお金はないから……。 せめて、氷で冷ましてやれないかなって……」
下を向いて、泣き出す寸前の男の子。
事情はわかったのです。
だからと言って、後払いはやっぱり許容出来ません。
タダで譲るなんて、もってのほかなのです。
ですが……。
「グラ」
「承知」
グラに合図して、わたしは男の子に氷柱を無言で差し出しました。
男の子は驚いていましたけど、顔を背けてつっけんどんに告げるのです。
「早く行くのです。 お母さんが、苦しんでいるのでしょう?」
「あ……う、うん! 有難う、お姉ちゃん!」
大喜びで走り去る男の子を、わたしは見送らずに踵を返しました。
そこに、グラからの視線が突き刺さったのです。
チラリと見ると、彼は無表情ながら喜んでいるようでした。
勘違いされているかもしれないので、ここははっきり言っておきましょう。
「無料にした訳ではないのです」
「では、何だと言うのだ?」
「自分で買ったのですよ」
「自分で?」
「そうなのです。 自分で買った氷をどう扱うかは、わたしの自由なのです」
「……なるほど」
「何ですか、その間は?」
「気にするな。 仕事をするぞ」
「何だか引っ掛かりますが……もう良いのです」
不満に思って頬を膨らませましたが、グラはサッサと前を行くのです。
それゆえ、どのような顔をしているかは、見えませんでした。
ただ、上機嫌にしているのは、伝わって来たのです。
そのことに苦笑したわたしは、急いで彼を追い掛けました。
そうしてグラと並び、今日も氷を売り歩くのです。
それがわたしたち、街の氷屋さんなのですよ。
ネージュの帳簿
残り氷柱=20本→18本
今回収入=+200メル(氷柱2本販売)
前回までの収入=+0メル
今回支出=-100メル(氷柱1本購入)
前回までの支出=-0メル
―――――――――――――――
収支総合計=+100メル
次回目的地=商業区画(夕方にセレとご飯なのです)
ここまで読んで頂き、有難うございました。
第1章はこれにて完結です。
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