第二十話 分かれ道 中編
イーサ山の火口。そこには全ての元凶が存在している。“不死者の祭典”は百の満月の夜を経る毎に、無数の不死者が湧き出すようになっていた。不死者を狩るために、多くの冒険者が大陸中から集い来る八年に一度の奇祭だ。
その大元である謎の髑髏が今日この夜だけ姿を見せる。普段は酸と毒気を含む湖水によって守られ、誰もその姿を見ることはできない。しかし、百の満月の夜だけは祭りの主催者として姿を見せる。常人ならば立っているのが困難なほどの禍々しい魔力、吐き気を催すほどの死の気配を漂わせながら、死と愉悦に浸っている。
髑髏を守る火口湖の湖水は、この夜だけはいずこかへと消え去る。今、目の前には髑髏の姿があらわとなり、祭りの喧騒を空の満月と共に楽しんでいるかのようだ。
そして、目の前には二つの贄が捧げられた。半吸血鬼のジョゴと、人虎族のユエだ。
ジョゴが装備していた神々の遺産《多頭大蛇の帯》でユエを背後から射抜き、自身は短剣にて自らの心臓を貫き、血の海に沈んだ。
ほんの僅かな時間の出来事だった。髑髏の周囲に展開されていた結界を砕き、さて解呪に取り掛かろうというときに、ジョゴがすべてを狂わせ、自身も自害して果てた。
何が起こったかは少し離れたいた場所から見ていたイコやラオにも認識できた。だが、なぜこうなったのかという理由が全く見えてこない。なぜ、ジョゴがユエを撃ったのか。なぜ、ジョゴが自害したのか。状況は理解できても、その過程で何が起こったのか、あまりに劇的な変化に頭がついていけていなかった。
「ジョゴさん! ユエさん!」
イコは耐え切れなくなり、狂ったように叫びながら倒れた二人の方へと駆けだした。
ラオは動けなかった。元々それほど勇敢というほどではなかったというのもあるが、何より優先されるのは情報の整理と分析だと考え、体よりも頭の方を全力で動かしていたからだ。
ジョゴがユエを撃ち、その後に自害。これが見たままの状況だ。これは動かしようのない事実であり、問題なのはそこに至るまでの過程だ。
ラオはいくつかの可能性を検討し、最も分かりやすい答えにまず到達した。即ち、ジョゴが何者かに操られていた、という可能性だ。
よく用いられるのは〈傀儡〉と言う術式だ。相手の体を乗っ取り、操り人形のように意のままに操る術式で、これを使えば先程の状況を作り出すことは簡単だ。邪魔なユエを人形で攻撃し、それが片付いたら人形も始末する。これが一番分かりやすい説明だ。
(でも、それは変だ。〈傀儡〉は成功確率が低い術式。余程の力量差でもないとまず成功しない。ジョゴさんがかかるとは思えない。仮にかかったとしても、抵抗されて動きがぎこちなくなる。先程の動きは余りにも、動きが滑らかすぎる)
ラオの見ていた限り、ジョゴの動きに不自然さは見当たらない。外から操作されていたような、固い動きに見えなかった。
そうなると、考えられる結論は一つ。
「なら・・・、あれはジョゴさん自身の意志でやった?」
考え抜いた末の結論。ラオは思わず口に出したが、それでも自分がその結論に達したことを信じられなかった。ラオの知る限り、ジョゴは強い上に頭も回る。普段は無口で不愛想なところもあるが、仲間想いであるし、戦闘中は的確な指示を飛ばしてきてとても頼りになる。
それ故に信じられないのだ。仲間への殺害行為と自害、普段のジョゴの行動とは相容れない。
ラオの背筋に何かが走り、ブルリと身震いした。犬耳と尻尾が逆立ち、何かを感じ取った。そして、気付く。あのジョゴが、強くて頭もいいジョゴが、自らの意志でこの惨劇を起こしたと仮定した場合、“この程度”で終わるはずがない、と。
「イコさん、近づいちゃダメだ!」
ジョゴへの信頼があるからこそ、その先についても考えが及んでしまった。ラオは必至で叫んだが、もう手遅れであった。イコはすでに倒れた二人に駆け寄っており、なによりイコの耳にはラオの声が届いていない。それを聞けるような余裕がないからだ。
***
慌ててて駆け寄り、息荒いイコの目の前には二人の遺体が転がっていた。ジョゴは自ら心臓を短剣で一突きにして、噴き出した鮮血に身を沈めた。ユエは後ろから的確に六発も撃ち抜かれ、穴だらけの体を横たえていた。
「そんな・・・。なんで、どうして」
イコはその場に崩れ落ち、膝を付いた。杖がなければ、上体を支えられず、そのまま倒れ込んでしまったかもしれない。目の前の光景が未だに信じることができず、涙と錯乱によって視界がぼやけて見える。
愛の女神セーグラの聖印が飾られた杖を放し、ゆっくりと四つん這いで動かなくたったジョゴに近づいた。純白の長衣が土と飛び散っていた血肉で汚れていき、ジョゴの真横にまで来たときには、見るも無惨な姿となっていた。涙と困惑で顔もひどいことになっており、汚れきった服装のこともあって、普段の特異だが愛らしい姿は見る影もない。
イコは恐る恐る手を伸ばし、ジョゴの穴の空いた胸に手を当てた。当然ながら、心臓は完全に停止していた。
自らの手で確認した。ジョゴは死んだ。
視線を上げると、ユエの死体が見えた。頭部や心臓などに穴が空いており、致命の一撃なのは間違いなかった。あれでは、当然生きてはいないだろう。
イコは再び視線をジョゴに戻し、改めてその死を感じ取った。大粒の涙がこぼれ落ち、嗚咽を吐きながら血だらけのジョゴの胸に顔を埋めた。
「どうしてですか・・・。どうして死んじゃったんですか! これからずっと一緒にいるって誓ったじゃないですか!」
この日の朝、イコはなけなしの勇気を振り絞り、ジョゴに告白をした。ジョゴもそれを受け入れ、周囲の人々もそれを祝福してくれた。
だが、現状はどうか。愛する想い人は血溜まりに沈み、祝福してくれた戦友も動かぬ躯と化した。もはや何も残っていない。悲観と絶望だけが彼女に寄り添っていた。
これから先、どうすればいいのか。この先、どう生きていけばいいのか。愛する人がいなくなった無機質な世界と、どう向き合えばいいのか。イコには考えることすらできない。
いっそこのまま消えてしまえと、死んでしまえと、そう願わずにはいられない。
その時であった。何かがイコの頭を撫でてくれた。イコはその感触から、ジョゴの手だとすぐに察した。
死んだはずなのに、生きていたのかと、イコはガバッと慌てて体を起こした。そして、確認した。頭を撫でてくれたのは、間違いなくジョゴであった。
だが、心臓はまだ止まったままだ。ジョゴの胸に置かれた手には、心臓の動きが一切感じられない。
「・・・あ」
イコは思い出した。気が動転していて忘れていたことを、ようやく思い出したのだ。
ジョゴの側から離れようとしたが、すでに手遅れだった。先程まで優しく頭を撫でてくれた手は、今度は荒々しくイコの首を掴み、締め上げてきた。
「くがぁ・・・」
イコは呻き声を上げた。そして、目の前のジョゴの姿をしたそれが、化け物に変わる瞬間を見せ付けられた。
フワリと重力がなくなったかのように浮かび、イコの首を締め上げながら二本の足で大地に立った。その口元からは鋭い犬歯が姿を現し、目は真っ赤に染まり、怪しく光り始めた。
それだけでは終わらない。周囲に噴き出していた血がジョゴの装備していた|神々の遺産《多頭大蛇の帯》に巻き付き、それがあたかも蛇のように形を成した。さながら、ジョゴの背中から六匹の蛇が生えてきた印象を与えた。
その六匹の蛇がイコの体に巻き付いた。四肢に、胴体に、首に、それぞれ絞め上げた。ただし、首に巻いたものだけは、喋れる程度に緩めに絞めていた
「ぐぅ・・・。あ、不死者、ジョゴさんが不死者に・・・!」
イコの目に映るジョゴは、彼女の知るジョゴの面影を次々と消していった。見た目はもとより、気配も完全に化け物のそれだ。逃れようともがくが、絡まった蛇がそれを許さず、首以外の箇所を更にきつく絞めた。
「いかにもその通り。私は生まれ変わった。いや、死んだのだから、死に変わったとでも評すればよいのだろうか。まあ、どうでもいいことか」
「どうでもよくないです! どうしてこんなことを!」
イコはジョゴを睨みつけたが、ジョゴはただ笑うだけであった。元々笑うのが珍しい性格であったが、今の笑みはおぞましいにも程があった。戦友を殺し、恋人を絞めているというのに、笑っていられる精神が明らかに異常だ。
「死が二人を分かつまで、だったか? 別れは辛いものであるし、さあ、イコよ、一つとなろう」
ジョゴはイコの首に巻いていた蛇を解き、大口を開けた。そこには先程まではなかった、鋭く尖った大きな犬歯が見えた。これから何をどするかは、すぐにイコの察するところとなった。
「吸血鬼め、ジョゴさんを返せ!」
イコは必至でもがくが、一向に束縛からは逃れられない。完全に縛り付けられており、イコの細腕ではどうすることもできなかった。
「ひどいことを言うな、イコ。私はジョゴだ。化物? 不死者? 吸血鬼? どのような存在になろうとも、私がジョゴであるという本質は変わらん」
「黙りなさい! ジョゴさんは・・・、私の知っているジョゴさんは、そんなこと言わない!」
イコは怒りを露わにしながらも、その両目からは大粒の涙が零れ落ちていた。“こうなること”は分かっていた。“こうなること”になるからこそ、イコは側にいようと考えていた。
だが、今この瞬間に“こうなること”は考えてもいなかった。もっと先になるものだと思っていた。しかし、現実にはこうなってしまい、今自分は想い人に殺されようとしている。なんという無力なのか、溢れ出るイコの涙は自身への怒りと、想い人への悲しみを形にしたものだ。
「今から、私とお前は一つとなる。死が二人と分かつのではなく、死こそ永遠の始まりなのだ。さあ、共に暗き魔道を歩んでいこうぞ」
「・・・もういい、喋らないで。早く殺しなさい」
「そう言うな、イコ。お前はこの瞬間のために、“きれいなまま”でいてもらったのだからな。生贄には処女の生血が必要であろう?」
不気味に笑うジョゴに対し、イコはさらなる絶望へ落とされた。イコはジョゴに対してずっと想いを告げていた。子供じみたものであることも自覚していたが、それでも前々からジョゴへの思慕を言動によって示してきた。
だが、目の前の怪物は、自分の愛していたジョゴは、それに応えようとしていなかった。その理由が“この瞬間”のためだけであったと告げられたからだ。
「ジョゴさん、あなたが私に近付く悪い虫を追い払っていたのも、それでも私に手を出さなかったのも、すべてはこれのためなんですか?」
「決まっておろう。果実は実り、熟し、一番美味しい時を見計らってもいで食らうのが一番であろうが。それが今だというだけの話よ」
ジョゴの口より吐き出された言葉は、イコの心を砕くのに十分すぎた。目の前の男に寄せていた好意は本物だったが、目の前の男からの好意は全くのまやかしに過ぎなかったと告げられたからだ。
今朝、告げられた告白の回答は、すべてがでたらめ、嘘だった。想いは届いていなかった。そもそも、受け取る気すらなかった。自分のことは、餌程度にしか見ていなかった。
ジョゴの言葉はそれをイコに告げたのだ。
イコの心から完全に抵抗の意志を奪い取り、生きる意味と活力を消し去り、絶望と虚無を伴い、暗き深淵へと落ちていった。
完全に抵抗の意志が無くなったのを感じ取ると、ジョゴはイコに巻き付いていた蛇を退け、その体は彼の腕だけで支えた。泥と血で汚れた長衣を力任せに引きちぎり、首元を露わにした。汚れなき純潔の乙女に相応しく、白く透き通った瑞々しい肌が目の前に現れた。
「イコよ、願いは成就される。二人で一つとなり、永遠を歩み続けるのだ」
ジョゴはその口をゆっくりとイコの首筋へと近づけていった。
「・・・違う」
イコの頭の中には今までの、ジョゴと出会った日からの記憶が駆け巡っていた。
愛の女神セーグラの巫女見習いとして修業を積んでいたとき、街中でジョゴと出会った。すぐに、この人が運命の人だと感じた。女神からの天啓だと考えた。
その日、その瞬間から、イコは片時も離れずジョゴと過ごしてきた。突然の押し掛けであるし、腕前も未熟な神官であるし、ジョゴはイコのことを邪険に扱うこともあった。
だが、いつしか仲間になった。家族のような、兄妹のような、微妙な距離感はあったが、それでもずっと歩んできた。
「・・・違う」
それからユエと出会った。豪快で、放埓で、それでいて仲間想いな大人の女性に、イコはジョゴを取られてしまうのではと、笑顔を作りつつも内心ビクビクしていた。
だが、ユエはそんなつもりなど更々なく、二人の間を取り持ってやるとまで公言してくれた。
もっとも、不器用に煽るだけで、二人の進展には全く寄与していなかったが、それでも三人の旅路は楽しかった。
「・・・違う」
腕のいい魔術師が欲しいという話が三人の中で持ち上がって、方々の魔術師組合やその関連施設を回り、魔術師養成施設を卒業したばかりのラオを見つけた。イコの見立てで、将来伸びると判断され、かなり強引(主にユエ)ではあったが部隊に加入することとなった。
見立て通りメキメキと腕前を上げていき、ラオは三月もしないうちに部隊に馴染んでいった。
そのあたりから、特等級冒険者の部隊と目されるようになっていき、混血種と亜人のみで編成されていることから、《混ざりし者》とラオの提案で名乗ることにした。
楽しかった。イコがジョゴに絡み、ユエが二人を煽りながらラオをおちょくり、ジョゴが溜息を吐く。それが四人の間に繰り広げられたいつもの風景だ。
「・・・違う」
今回の任務、“不死者の祭典”の参加を決めた際、女神より啓示が降りてきた。偽りの看板を掲げし三人組との出会いが大願成就の大助となる、と。
はてさて何が待ち受けられているのかと胸躍らせて来てみれば、女神と魔王と元皇帝という風変わりな三人組と出会うこととなった。
そして、いくつかの戦場を共にし、元皇帝からの後押しもあって、長年溜め込んでいた思いの丈をジョゴにちゃんと伝えることができた。ジョゴもそれを受け入れ、周りもそれを祝福してくれた。
明日の朝日が二人のこれからを照らしてくれる。皆と一緒に歩む明るい未来が待っている。そのはずだった。
「・・・違う」
何もかもがまやかしだった。想い人は化物になり、長年連れ添ってきた仲間は穴だらけの無残な死体と成り果てた。自分もこれから死に取り込まれ、子犬だけが残される。これだけは本当に申し訳ないと思っている。
だが、もうどうすることもできない。生きる価値など、この世界のどこにもない。想い人にここまで裏切られてしまったのだから。
いや、裏切る以前に自分が想い人の心の中に、光を差し込めていなかった方が問題なのだ。例え、心の中が闇に満たされていようとも、それを切り裂く光となればよかったのだ。それができていなかった。自分の弱さの不甲斐なさが招いた結果が、今の目の前の怪物なのだ。
「・・・違う」
女神からの啓示が意味するところとは何であったのだろうか?
“誰”の大願成就なのだろうか。そもそも、“どのような”願い事が叶うと言うのか?
神の言葉はいつも曖昧だ。あとでどうとでも採れる内容なものが多い。それを勝手に解釈し、都合よく改変して、思うままに咀嚼する。それが“人”の弱さであり、同時に傲慢さの表れなのだ。
イコは願った。ジョゴと一緒になり、添い遂げることを。そして、これからそれが叶う。たとえ赴く先が魔道であろうとも、これからずっと一緒にいられるのだから。
神は間違っていない。間違っているとすればそれは、“行き先”を告げなかったことだけだ。
それでも、イコは叫んだ。理解はできても、納得などできようはずもない。最後の最後で、神の信徒たる神官にあるまじき言葉を吐き出した。
「これは私の望んだものじゃない! こんな結末は私の願いなんかじゃない! 悪辣なる神よ、私は決してあなたに・・・、あなた達にもう祈りを捧げたりなんかしない!」
ジョゴの牙がイコの首に突き刺さる。滴る血はジョゴの中へと流れ込み、それと同時に意識と命も吸い込まれていく。イコの薄れゆく視界に映るのは、自分の愛した想い人が自分自身を貪り食う姿だ。
そして、イコはこの世界での生を終えることとなった。かつて愛した者の手によって、命も、魂も、何もかもを喰われて。
傍らに座する髑髏だけがその光景を暖かく、それでいて悦楽と共に見守っている。
~ 第二十一話に続く ~




