第二十二話 裏工作
人々の目の前には葡萄畑が広がっていた。それほど大きい畑ではないが、この畑は特別で、人々から『金の成る畑』と呼ばれていた。遥かな昔から数百年にわたって実を付け続け、これを使用した葡萄酒の酒造に利用されてきた。
今、その畑の前に五百を超える数の人々が集まり、その口々から歓声が上がっていた。杯を手に持ち、新たな国王の誕生に湧いていた。その日、『酒造国』レウマにおいて、新国王が即位し、その式典が開かれていた。
新国王の名前はフロン。レウマ国を統治する十二伯爵家の一つであるトゥーレグ伯爵家の当主だ。この国では定まった王家があるわけではなく、十二伯爵家の当主が輪番制によって国王に就任するという独特な政治形態を執っていた。
フロンは本来ならば、国王に即位する立場になかった。というのも、彼は伯爵ですらなく、王位に就くのはまずありえないことであった。
なぜこうなったのかというと、遡ること半月前、毎年一度の定例会議が開催されていた。国を運営する十二伯爵家の代表を始め、商業組合、酒造組合、農民互助会など、多くの国家運営や酒造に関わる者が集まり、今後の方針を話し合っていた。話し合いが一段落したところで利き酒と称した宴が始まり、人々は酒杯を重ね、歌を歌い、笑い声が会場となっていた城館に響き渡っていた。
そして、その歓声がほんの僅かな時間で悲鳴に変わった。突如として轟音が城館に響き渡り、鉄の巨人が幾体も現れたのだ。巨人の正体は金属で体が構成されたゴーレムであり、それが城館の中から周囲の庭の各所にいきなり現れたのだ。
まず、犠牲者となったのは、十二伯爵家の一つであるトゥーレグ伯爵家の当主コレチェロで、このゴーレム軍団を操っていると思われる仮面の剣士に刺殺された。それが合図となって、ゴーレム達が次々と列席者を殺害して回った。
コレチェロの実弟フロンは当時、警備兵や給仕の差配を行っていた。忙しなく宴会場や酒蔵、調理場などを動き回っていたのだが、いきなりの襲撃事件である。兄が刺される現場を見ながら何もできず、他の列席者を逃がすだけで手一杯であった。しかも、この襲撃に自身の所属するトゥーレグ伯爵領の兵士らも加わっており、反撃の手段も失い、もはや手の付けられない状態となった。
やむなく囲みを突破し、逃げ出さざるを得なかったが、追手に執拗に追い回された。馬は潰れ、山道に逃げ込み、それでも追跡が止まず、山林の道なき道を突き進んだ。飲まず食わずで二日も逃げ回り、追い込まれてこれまでかとなったところで、フロンに幸運が舞い降りた。山奥で野宿をしていた三人の冒険者と出会えたことだ。
しかも、その三人はただの冒険者ではなかった。統一国家『魔導国』の崩壊後、数百年にわたって往来が途絶えていた東大陸からの来訪者で、しかも吟遊詩人の歌にも登場する英雄達であったのだ。
三人は東大陸の海運業において絶大な影響力を持つ白鳥と呼ばれる存在の依頼を受け、西大陸にいる天使に手紙を届ける依頼を受けて渡海してきたのだ。
こうして強力な助力を得ることとなったフロンは数々の困難を乗り越え、ついに事件の首謀者であった仮面の剣士とゴーレム軍団を討ち取ることができた。
そこで事件は解決したものの、十二伯爵家の当主全員が死亡するという大惨事には違いなく、その後の処理が山積みとなっていた。しかし、フロンは慌てることなく順々に対処していき、表面的には一応の平静を取り戻すことができた。
そして、犠牲者の追悼式を行い、慰霊の祠を惨劇の現場となった『金の成る畑』の側近くに建立した。
こうしてトゥーレグ伯爵家を名実ともに継承したフロンは、そのままレウマ国の国王にも即位したのだ。順番的にもトゥーレグ伯爵家が次の国王の番なので、特に問題なく進められた。事件当日の警備責任者であったのでその件でフロンを問責する者もいたが、“なぜか”体調不良で寝込んでしまい、反対する者は一人もいなくなった。
「・・・とまあ、事件は解決。フロンさんも無事即位となりました。めでたしめでたし」
即位式の会場の目立たない隅の方で、一人の少女が王冠を被るフロンを見ながら呟いた。
少女の名はフリエス。東の大陸から渡来した三人組の一人で、《小さな雷神》の二つ名で知られるかつての英雄であった。今回の事件に際して、並々ならぬ助力をフロンにしており、その報酬を受け取るために未だにレウマ国に滞在していた。
「めでたくはあるが、あくまで表向きだろう? 不満、混乱、いくらでも噴き出してくるぞ」
同じくフロンを見ながら、少女の横で壁に背を持たれ掛け、腕を組みながら男が言った。
男の名はセラ。フリエスと同じく東大陸からやって来て、今回の事件にも関わって来た。しかし、彼は《十三番目の魔王》を自称する魔族であり、助けるというよりかは楽しむという意味合いで事件を見てきた。
もう一人、フィーヨという女性神官もいるのだが、激戦で傷ついており、その傷がまだ完治してないので、この即位式には顔を出してはいなかった。
「まあ、あんたは面白くもないでしょうけど、政治の世界なんてこんなものよ。不平不満なんていくらでもあるし、全部を解決するなんて不可能よ。どこかで折り合い付けなきゃ、キリがないもの。それが分かってるからこそ、他の伯爵家もどうにか堪えているのよ。このままじゃ、国ごと潰れかねないから」
「それが嘘や欺瞞で塗り固められたものでもか?」
「そりゃね。時として、嫌な奴とでも笑顔で握手しなきゃならないときもある」
フリエスはにこやかな笑顔で皆の前に立ち、即位式に集まったお歴々と言葉を交わすフロンを見ながら言った。あの笑顔は仮面だ。仮面のその下には醜く爛れた悍ましい顔があり、服の下には返り血で真っ赤に染まった汚れた体であることをフリエスは知っていた。
世間に公表されている情報と、フリエスが把握している情報はかけ離れていた。
まず、今回の襲撃者である仮面の剣士は正体こそ不明のままであったが、それを手引きしたのが十二伯爵家のワウン伯ということが発覚した。彼の別邸にある執務室の机から今回の襲撃に関する“計画書”が発見されたからだ。
また側にあった“日記”に動機についても書かれていた。ワウン伯は次の次の国王になる番であったが、トゥーレグ伯爵コレチェロを始末して手早く自分の番に回そうと、普段から彼の悪評を振りまき、さっさと退場させようと画策した。だが、思いの外、コレチェロが堪えていたのでとうとう我慢できず、この襲撃を考え付いたというのだ。王位を手にして混乱する他の伯爵家を抑え込み、国全体の利権を押さえようという計画だ。
賊の頭たる仮面の剣士は用意しておいたゴーレム軍団を使って手当たり次第に列席者を殺しまわり、混乱に乗じて“トゥーレグ伯爵領の兵士”に変装した配下の者も乱入させた。
だが、当のワウン伯も報酬の件で雇い入れた襲撃者と折り合いがつかなかったのか、『金の成る畑』からそれほど離れていない山中にて遺体が発見された。
(よくまあ、ここまで嘘を並べれるもんだわ)
あくどい事をする、フリエスはフロンにそう告げられ、またその際には協力することも伝えたが、まさかここまでやるとは思ってもみなかった。
まず、仮面の剣士の正体がコレチェロであることは完全に消し去られた。コレチェロは事件当日に殺されており、それを目撃した者もいたので、これは怪しまれなかった。
ワウン伯の件は完全なでっち上げだ。ワウン伯の遺体は刺し傷だけでゴーレムに潰されていなかった上、騒動以降の数日間は現場となった城館は無人であったので、これ幸いとばかりに少しばかり腐乱した遺体をこっそり山中へと移した。また、偽の計画書と日記を用意し、それを『金の成る畑』の近くにある彼の別邸に仕込んでおいた。
そして、その仕込みを頃合いを見て表に出し、他の伯爵家の怒りをワウン伯爵家に集中させた。もちろん、ワウン伯爵家としては寝耳に水な話であったが、実際に全ての伯爵家の当主が殺されてしまっていることや、事件の真相を知らなければ絶対に描けない“完璧な”計画書が出てきたことから、誰もワウン伯爵家の弁明を聞こうとはしなかった。
追い詰められたワウン伯爵家であったが、ここで助け船を出したのがフロンであった。他の伯爵家への説得は自分がやるから、大人しくしておいてほしい。そして、自分の国王への即位を“表向きは反対”するように、という話を密使を遣わして伝えた。
こうしてフロンは他の伯爵家を説得して回り、多額の賠償金を条件に表面的には落ち着かせることに成功した。また、即位の話もワウン伯爵家の代理人が当日の警備が杜撰だから起こったのだとフロンに問題ありと提起したが、いくらなんでもこれには他の伯爵家がお前が言うなと言わんばかりに責め立て、当日の警備云々についてはうやむやとなり、ワウン伯爵家への怒りが上積みされる結果となった。
こうして、フロンは国内の混乱を収めつつ、速やかに国王へと即位し、兄への度重なる不埒な真似を行ったワウン伯への仕返しを十倍返しで行うことを達成した。
(まるで別人のような狡猾さ。鎖から解き放たれるとはこういうのを言うのだろうか)
フリエスはにこやかに握手を交わすフロンを見てそう思わずにはいられなかった。
数日間、フロンと一緒に旅をしてきて、誠実で真面目な青年という印象を受けてきた。今でも表面的には変わらないが、一皮むけば悪辣な策士に外ならない。悪評は他人に押し付け、美味しいところはきっちり回収する、実に抜け目のないやり方をするようになった。
今までフロンは兄コレチェロの補佐役に徹してきた。決して自分からは動かず、兄の意向に沿って動いてきた。もちろん、兄の計画や行動に不備があればそれを告げ、許可を得た上で修正を加えることはあったが、全てを自分でやるということはなかった。だが、今はそうした縛りがなくなり、抑え込んでいた頭脳を全力で使っている状態なのだ。
他にもまだまだ仕込んだ事はあるが、一番大きい事柄は今回の賊討伐の功績をほとんどすべてアルコに押し付けたことだ。アルコは隠居の身であったが、今回の事件を聞いて駆けつけ、次々と襲ってくるゴーレム軍団を次々と屠り、最後は仮面の剣士諸共吹き飛んでしまった、ということになっていた。
もちろん、これも真っ赤な嘘である。だが、アルコが元から絶大な名声を受けていたため、その活躍ぶりに誰も疑わずに受け止めた結果、これが真実として語られることとなった。
また、『金の成る畑』もアルコの“遺言”によって変わることとなった。
「今回の襲撃で畑に流れ込む大地の力が不安定になり、一度は崩壊してしまった。しかし、長年に及ぶ畑の研究の結果、どうにか戻す方法が見つかったので、フロンに後事を託した。十二伯爵家は宝剣にあしらわれた宝玉を提供し、畑の維持に努めてほしい」
これが“フロンが聞いた”アルコからの遺言であった。当初はいぶかしむ者もいたが、枯れたと思われていた畑が元通りにいなっていたことから、フロンの助言通りに畑の周り十二か所に祠を設け、そこにそれぞれ宝玉を安置し、定期的に整備することが決められた。
また、フロンはこの功績をすべてアルコに捧げるとして、アルコを讃える碑文と共に、アルコの銅像を作ることも決定されていた。
「大きすぎる功績は妬みの対象にもなりかねませんので、アルコ師にお願いしました」
フリエスはフロンからそう聞かされていた。今回の騒動での功績の多くをアルコに押し付け、自分はあくまで後始末の調停役として役目を果たしているだけ、という体裁を取った。
元々アルコは国内では知らぬ者がいないほどの名声を得ていた。それが今回の騒動でさらに大きくなり、しかも最後は国を守って果てたのだ。その功績からおそらくは百年後にも語られる伝説の魔術師や大賢者となるだろう。
もちろん、アルコは十数年前に死んでおり、偽者の功績と作り話の共作であるが、そんなことは裏の事情が表にならない限りは真実であり続けるだろう。
ちなみに、フリエスら三人組の功績も僅かばかりであるが広まっていた。フリエスは当初、他国者が内乱に関わるのは良くないとして、存在自体を抹消しようとフロンに持ち掛けたが、フロンはこれを却下とした。もちろん、派手な功績はアルコに押し付けたので、その他の細々した点の部分で、東大陸からの渡来者が手を貸してくれたということにしておいた。
東大陸との交流が始まったばかりで、まだ一般的には知られていないこともあった。そこで、多少はいい印象を持ってもらうよう地味だが、存在感を少しくらいは出した方がいいとフロンは判断したのだ。
おかげでフリエスやセラは渡来人として物珍しさから方々で引っ張りだことなったが、これを逆用してフロンのいい部分をそれとなく喧伝したり、あるいはフロンに反発する連中の情報を集めたりと、抜け目なく利用した。
こうして、フロンは新たな国王に就任した。それは死体の山の上に築かれ、王冠にあしらわれた黄金の葡萄は血で塗り固められている、欺瞞の玉座と知りながら。
***
即位式の後、フロンは自領であるトゥーレグ伯爵領へと帰還した。領地を出る際は、兄コレチェロの補佐役として出立したが、僅か一月足らずの間に目まぐるしく状況が変わり、国王としての帰還となった。
領民は新たな国王の誕生を歓迎し、口々にフロンに向けて歓声を上げた。フロンは出迎える人々の花道を馬上から手を振り、笑顔で応じた。
しかし、どこか盛り上がりに欠けるというか、虚しく空騒ぎをしている様子も感じ取れた。本来であれば、王冠を被っているのはコレチェロであり、フロンが被るものではなかったからだ。
しかし、コレチェロはもうこの世の人ではない。少々神経質だが、誰よりもよく働き、領民にも家臣にも慕われた領主はいないのだ。領内の人々はいずれコレチェロが黄金の葡萄をトゥーレグにもたらしてくれると期待していたが、もうそれは叶わぬ願いとなった。
もちろん、フロンを侮っての事ではない。フロンもフロンで優秀であるし、それは家臣も領民も認めるところだ。だが、それでもコレチェロを失った空虚な感覚は埋めようがなかった。それゆえに埋めたつもりでいるための空騒ぎというわけだ。
(白々しいというか、何と言うか・・・。あたしが言えた義理じゃないけど)
フリエスは馬車の手綱を握り、フロンの後姿を眺めながら思うのであった。
領地への帰還に際し、フリエスはフロンから幌付きの馬車を用意されていた。中にはセラが荷物を背もたれにして眠っており、またフィーヨも毛布に包まって横になっていた。
フィーヨはこの半月で随分と回復したが、それでも自力で歩くのは困難で、杖を突いてようやく歩けるかというところであった。もう少し休んでから、いずれ旅を再開するつもりでいたが、フリエスは不安で仕方がなかった。
かつて自分を作り出し、フィーヨを誘拐した狂える魔術師《狂気の具現者》ネイロウがまさか生きていて、今回の騒動を裏で操っていたことを知ってからずっとこうだ。フリエス自身もいずれあの狂人と再会することになるだろうが、できれば会いたくもないと考えていた。フィーヨも同様で、その怯えが回復を鈍らせているのだ。
そのフィーヨを二匹の赤い蛇が心配そうに眺めていた。
外傷はすでに完治している。残るのは精神面における損耗からの回復だ。限界を超える魔力を絞り出し、術を行使し続けた結果、危うく神の御許へ旅立ちかけたのだ。そして、ネイロウへの恐怖が重なり、どうも内向きに引きこもっているのだ。
(まあ、もうすぐ新月だし、それで立ち直ってもらうしかないか)
フリエスにはフィーヨに立ち直ってもらう手段があった。それは新月の夜にだけ使える通信の秘術だ。それで父である《全てを知る者》トゥルマースと連絡を取り合うことができるのだ。そこで、色々と助言を貰うつもりでいた。なにしろ、この一か月の内に起こった出来事が余りにも多すぎて、一晩で語りつくして助言を受けられるか心配なほどだ。
また、フィーヨもフィーヨで新月の夜は忙しい。新月の夜だけ、二匹の蛇に宿る二人の男性の意識が鮮明となり、人語で会話できるのだ。あの二人であれば、フィーヨを励ますくらいわけないであろう。
フリエスはやるべきことを考えながらも、人々に対して笑顔で応じるのを忘れなかった。目立たないようにしつつも、ある程度の名声を稼ぐという相反する状況を作るため、フリエスは腐心していた。なにしろ、セラはこの手の事をやりたがらない。一応、裏工作の際には珍しく色々と動いてくれたが、そこまでだった。三人組の顔役はフリエス一人に押し付けて、自分はずっと昼寝を決め込んでいた。
フィーヨも本調子でないので、顔出しもほとんどできていない。もし、普段通りに動けるならば、皇帝時代に洗練された外交儀礼が役立つだろうが、今は控えてもらっている。
結果として、その手の役回りはフリエスが一手に引き受けざるを得なかったのだ。
とはいえ、フリエスもこの手の仕事をやった事がないわけではなかった。普段は面倒なのでガサツに振舞っているが、これでも王妃付きの侍女を務めていたこともあった。その気になれば猫の毛皮を何枚でも重ね着できる自信はあった。
今は地味な旅装束から、ドレスへと着替えていた。また、しばらくご無沙汰だった湯浴みで汚れは落とし、いくつかの装飾品で着飾り、外見年齢相応の愛らしい姿へとなっていた。普段は適当に降ろしている波打つ金髪も、今日は後ろで結い上げていた。もちろん、その可憐な姿で馬車の手綱を握るなど少々違和感を覚えるが、そこは冒険者という触れ込みなので、なんとなしに受け入れられた。
ちっちゃいだの、可愛いだの、色々とフリエスの耳に入ってくるが、それに対しても笑顔で応じていた。目の前の少女が実は三十路を越えていると知ったらどういう反応を示すのか、少しばかり興味はあった。
そうこうしている内に、館に到着し、フロンは下馬した。フリエスは馬車を館の前で乗り捨て、待ち構えていた兵士に手綱を渡した。
「セラ、フィーヨさんをお願いね。部屋は来客用の館に用意してもらってるから、そこに運んどいて。あんたはどうせ面倒とか思ってるから、出て来なくてもいいわよ」
セラは無言で頷き、フィーヨを抱えて本館の隣にある別棟の方へと歩いて行った。
フリエスはフロンに追いつくために小走りで追いかけたが、久方ぶりのドレスであることを思い出し、スカートを軽く摘まみ上げ、裾を踏まないように気を付けた。
そうしてフロンに玄関前で追いつくと、そこには館で働く人々が集まっていた。兵士達がずらりと並び、侍女も数は少ないが何人かいた。そして、その中央に留守を預かっていた執事のコルテの姿があった。
色々と話したいことはあるだろうが、衆目の有る場所では絶対に話せない内容であるので、フロンもコルテも口を開かず、目を合わせて一度頷くだけであった。
フリエスもそれに倣い、コルテに対して軽く会釈した。一度とはいえ、実際に顔をあわせているし、互いの状況もある程度認識できているので、これも目を合わせるだけでおおよそ把握できた。
「皆の者、帰ったぞ! 留守居、ご苦労だった!」
沈黙を破ったのはフロンから出された労いの言葉であった。兵士達は敬礼し、侍女たちは首を垂れて、新たな主を出迎えた。その中からコルテが前に進み出て、フロンに向かって恭しく頭を下げた。
「フロン様、いえ、国王陛下、よくぞお戻りになられました。臣下一同、心よりご即位をお祝い申し上げます」
コルテも丁寧にお辞儀をして、フロンに対して改めて忠誠を示した。
ただ、この執事にとってこれは理想的な展開ではなかった。もし、当初の計画通りであれば、フロンの横には顔を隠した謎の男が付き従っているはずなのだ。だが、その男が現れることがもうないことも、この執事は知っていた。
(コレチェロ様・・・。どうか安らかにお休みください。フロン様だけでも、この身に代えましても支えてまいります。非才なる老骨の身なれど、必ずや!)
兄弟が肩を並べて、国を率いてもらうのが、この執事にとって望むべき世界であった。だが、もうその理想の世界がやってくることはない。コレチェロがあの世へ旅立ち、フロンだけでこれから国を導いていかねばならないからだ。
多くの者を失った、コルテの心の底からの嘆きだ。主人であるコレチェロを始め、兵士長のベルネやその他大勢の兵士達、トゥーレグ領の人間だけでこの有様だ。他の伯爵領を含めればその数はさらに増える。もちろん、主人を愚弄した他の伯爵家当主らには死んでもらってもなんとも思わないが、それでも巻き込まれてしまった者は大勢いる。
コルテは当初、この計画について相談を持ち掛けられた時、反対の意を示した。コレチェロへの度重なる嫌がらせにははらわたが煮えくり返る思いであったが、それでも国内への被害が大きすぎると危惧したのだ。
一方で、兵士長のベルネは最初からやる気満々であった。絶対的な忠誠を誓う主人がコケにされたのだ。ワウン伯を殴り殺し手くべきだったとまで吐き捨てる始末だ。
結局、ベルネの勢いに押され、最後はコレチェロの懇願に近い要請によって折れた。その他慎重に人選を進めた数十名の兵士もこれに同調してくれた。皆、主人への忠誠が国への思いより勝った者達だ。
今でもこの決断を間違いだとはコルテは考えていなかった。あえて間違いという言葉を使うのであれば、この国の重臣達の心持ちだ。酒が中心で回っている国であるから、その作成や販売に付いて頭を悩ませるのは当然であるが、酒の味が分かるとか飲めるのとかいうのはまた別の話だ。にも拘わらず、酒が飲めないコレチェロを意図的に除け者にした。
コルテに言わせれば、頭が固い上に目が曇っている連中にご退場願っただけだ。あとは、目の前の新たな主君を盛り立てて、国をより良い方向へ持っていかねばならない。
「コルテ、留守居の任、ご苦労であった。指示通り、宴の準備は万端か?」
フロンの演技も完璧であった。あくまで、いくつかの偶然が重なって王位を得ることになったという作り話は決して外さない。にこやかに微笑み、兄の死を乗り越えて強くあろうとする弟が新国王となる、これを表面的には貫くつもりだ。
無論、コルテにも痛いほどにそれが伝わっており、どこまでも合わせるつもりでいた。また、兵士の中に今回の件に加担した者がおり、硬く口止めを命じられていた。どのみち、漏れてしまえば国も自分達も崩壊するのは目に見えているので、誰も漏らそうと考える者などいなかった。
「はい。宴の準備は整っております。どうぞ屋敷の中へ。後ほど、領内の民も駆けつけてまいりましょう。その晴れ姿をお示しくだされ」
演技じみたコルテの言葉に、フロンもまた満面の笑みで応じた。ゆっくりと優雅に足を出し、その王冠や煌びやかな装束を誇示しながら進み出た。事情を知らぬものが見れば、なんとも感動的な新たなる門出ともなるが、事情を知ったうえでこの光景を眺めているフリエスには、吐き気を催す醜悪な喜劇でしかなかった。
(誰も彼もが踊っている。仮面を被って、醜い面を隠している。バカバカしい演目がずらりと並び、うんざりするような臭い台詞と大げさな振り付け。見ているこっちがおかしくなる。でも、それも間違い。見ているあたしもまた、この舞台劇の台本の中に入っている)
事情を知る者には傍観者たる資格はない。くだらない演劇だと分かってはいても、盛り上げていかねばならないのだ。せいぜい、上手く踊って歌って、駄作の劇を凡作くらいには持ち上げてやらねばならなかった。
「ささ、フリエス様も長旅でお疲れでございましょう。あとで是非とも武勇譚でもお聞かせくだされば幸いです」
コルテに誘われるがままにフリエスもフロンの後に続いた。その内、兵士の幾人からは殺気にも似た気配がにじみ出ていた。必死でそれを抑え込もうとしているのが、フリエスには痛いほど伝わっていた。
(多分、あたしがベルネを殺したってのを知ってるんでしょうね。兵士からしたら上官殺しの犯人がいるのに、罵声の一つも言えないのは嫌でしょうけど・・・)
軽はずみな行動は自分はもとより、主君の未来も潰すことになるので、必死で堪えているのであろう。察したコルテもその兵士らに視線を向け、落ち着くように促していた。
フリエスは一連のやり取りに気付かないフリをして、皆が見守る中、フロンに続いて館へと踏み込んでいった。
~ 第二十三話に続く ~




