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第二十五話 拭い去れないトラウマ


---ザイツェフ視点---


 

 またか。

 いい加減にしてくれ。

 俺はそう思いながら、心の中で懇願した。


 夢の中の俺は真っ暗な闇の中で立ち尽くしていた。

 俺の前方に一人の女が仰向けに倒れていた。

 俺は無言でその女を見つめている。


 女の顔はまるで地獄を見たような顔であった。

 白目を剥いて、口から泡と血を吐き出していた。

 ……俺がやったんじゃない!?


 俺はお前を殺してない!

 俺が劇場内に毒ガス弾を投げ込んだんじゃない!

 だからそんな目で俺を見ないでくれ。


 お願いだ、お願いだ、俺を見ないでくれ!

 俺がお前を殺したわけじゃない。

 俺はただ見ていただけだ。


 俺は……あくまでテロリストの撃滅任務にあたっただけだ。

 でもまさか一般人を巻き添えにするとは思わなかったんだ。

 だから俺が悪いわけじゃない。


 だからお願いだ、俺を許してくれ、許してくれ、許してくれ!

 お願いだ、お願いだ、俺はもう軍を辞めた人間だ。

 だからこの悪夢から俺を解放してくれ……。


 だが地面に倒れ伏せた女は何も言わない。

 何も言ってくれない。 ただ絶望の表情で俺を見据えるだけ。

 ……俺はいつになったら、この悪夢から解放されるんだ?


 もしかして永遠にこの悪夢が続くのか?

 これが神、あるいは底意地の悪い悪魔が俺に課した罰なのか?

 ……誰か教えてくれ。


 だが誰も答えてくれない。

 俺の全身に漂う疲れきった空気とある種の絶望感。

 そこで目が覚めた。



「……マクーシャ、大丈夫? またうなさされていたわよ?」


「……レーナ。 俺はどれくらいに魘されていた?」


「結構長い間よ? 本当に大丈夫なの?」


「あ、ああ……大丈夫だ。 心配かけたな」


 俺は恋人のイリーナにそう答えて、キングサイズベッドから起き上がった。

 今の俺は黒いボクサーパンツ以外は何も身につけてない状態。

 とりあえずその上から白いバスローブを羽織った。

 するとイリーナも立ち上がって、

 同様に白いショーツ一枚の姿の上から白いバスローブを羽織る。

 俺がベッドに腰掛けると、彼女のまたその隣に腰掛ける。


「マクーシャ、辛そうね」


「……いやもう大丈夫だ。 たまに見る悪夢に魘されただけだ」


「悪夢? 軍隊時代の夢なの?」


 俺はレーナの問いに「ああ」と頷いた。

 そう俺は元ロシア軍の軍人だったのだ。

 それも只の軍人ではない。


 俺はエリート軍人で構成された特殊部隊スペツナズの一員だった。

 所属していたのは、かの有名なアルファ部隊だ。

 主な任務は、テロ対策、人質解放、輸送手段、

 国家施設の奪取と関連した過激派対策といった活動である。


 俺の家系は大体軍人家系であった。

 曾祖父はあのスターリングラードの戦いの経験者であり、

 俺の父親はあの地獄のアフガン戦線を戦い抜いた軍人だ。


 だが俺が生まれる前に、ソビエト連邦は崩壊した。

 それから親父はアフガン戦線の経験者――通称・アフガンツィで

 結成されたロシアンマフィアと手を組むようになった。


 まあその話は置いておこう。

 兎に角そんな軍人家系で育った俺は、幼年学校から士官学校へと進み当然の如く軍人となった。 ボクシングに関しては、あくまで格闘術の一環で習っていたに過ぎない。 だがそのボクシングのおかげで、除隊後もこうして生活をする事が出来た。

 

「ああ、軍隊時代の夢――悪夢だ」


「そう、そんなに辛い過去があったのね」


「……そうだな、恐らく俺の人生に一生ついて回るだろう」


「……マークシャ、ようやく世界チャンピオンになれたのよ。

 もっと嬉しそうにしたら?」


 と、イリーナが俺の顔を見据えながらそう言う。

 ……そうだな、本来なら喜ぶべき事だ。

 いや実際、あのナンジョウに勝った時は嬉しかった。


 奴は日本人ヤポンスキーだが、一流のボクサーだった。

 日本人ヤポンスキーにあんな強いボクサーが居るとは計算外だった。

 だから奴に勝って、世界のベルトを巻けた現状をもっと喜ぶべきだ。

 いや実際、俺自身喜んでいた。

 この悪夢を観るまでは……。


「マークシャ、あまり無理しないでね。

 私もオフィス街で働いてるから、生活には余裕があるわ」


「いやそれじゃ駄目だ。

 俺はもっともっとボクシングで稼ぐよ。

 そして大金持ちになって、君を楽にしてあげるよ。

 言うならば、それが俺の生き甲斐だ」


「マークシャ、ありがとう。

 でも私は貴方にも幸せになって欲しいわ。 

 だからあまり根を詰めず、気楽にしましょう。

 そうでないといくらお金があっても不幸よ」


「レーナ……」


 レーナの言うとおりだ。

 俺自身出来るものなら、そうしたい。

 でも無理なんだ。


 あの忌まわしい過去が俺の人生について回るんだ。

 あのテロリスト集団が劇場を占拠した事件。

 俺はアルファ部隊の一員として、テロリスト集団と一戦を交えた。


 それ自体は問題ない。

 テロリストは悪しき存在、これは今や全世界の共通認識。

 問題はテロリストの人質とされた民間人が居る状況で、

 劇場内にアルファ部隊のベテラン隊員の一人が毒ガス弾を投げ込んだ事だ。


 この行動によってテロリストは撃滅できたが、

 人質となっていた民間人もその毒ガス弾の犠牲者となった。

 当然、犠牲者となった民間人は俺達を糾弾し、そして政府に猛抗議した。


 だがロシア社会は彼等、彼女等の訴えを完全に封殺した。

 むしろ一部の政治家や軍人は、この暴挙を褒めたくらいだ。


「テロリストに譲歩してはならぬ!

 これは必要な犠牲だ、だから君達には罪はない」


 この言葉を聞いて、俺は心の底から嫌悪感を抱いた。

 そして俺は軍人としてエリート街道を歩んでいたが、除隊を決意した。

 民間人を犠牲にした上での成功なんて糞食らえだ。


 だから俺は軍人を辞めた。 

 だが俺みたいな戦いしか出来ない人間にやれる事は限られている。

 しかし幸か、不幸か、俺にはボクシングの才能あった。


 世界選手権で金メダル、五輪で銀メダルという実績をあげていたおかげで、

 俺はアメリカの有名プロモーターの目に止まり、

 全てを捨てて、一からやり直すつもりで、26歳の時に単身で渡米した。


 そこからはひたすら練習と試合を繰り返す日々が続いた。

 そして同じくロシア人でありながら、アメリカでOLをしていたイリーナと出会い、故郷を懐かしみながら、彼女と逢瀬を重ねた。


 そしてプロデビュー後、一年半という短期間でWBL世界ライトの王座に上り詰めた。

 ここまでは順調だ、順調すぎると言ってもいい。

 だが俺の中にはいつも不安があった。


 それは俺が人として一線を超えたからだ。

 勿論、あの惨劇は全て俺のせいというわけじゃない。

 だが俺もあの惨劇――事件の関係者だ。


 あの女性だけでなく、劇場内に居た多くの一般人にも被害は及んだ。

 その事実が今も俺を苦しめている。

 そして今朝もまた悪夢を観た。

 どうすれば俺はこの悪夢から解放されるんだ?


 ……もしかして永遠に続くのか。

 誰か教えてくれ、だが誰も答えてくれない。


 ……しかし俺も自分が可愛い。

 特にイーナには幸せになって欲しい。

 だから俺はこの悪夢に怯えながらも、プロボクサーとして戦っていく。

 ボクシングをしている時だけは、この悪夢を忘れるからな。


 それから俺はイーナと二人で簡単な朝食を摂った。

 そう言えば今日はパーベルと会う約束が会ったな。

 

「イーナ、ちょっと出掛けてくるよ。

 古い友人に会って来るよ」


「うん、……軍人時代の友人かしら?」


「ああ、幼年学校からの付き合いの古い友人だ」


「そう、じゃあ行ってらっしゃい!」


「ああ、行って来ます」


 そして俺は白ワイシャツに黒い上下のスーツという格好で、パーベルとの待ち合い場所へと向かった。



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― 新着の感想 ―
[一言] ザイツェフ、軍人でしたか... 哀しい過去を持って。 そして、剣持もジョルトカウンターを。 剣持も山猫パンチを放つことはあるのか?! そしたら、胸熱展開ですね。
[良い点] なかなか軍人らしい過去がありますね。 ただ、これで納得してはいけないので、南条さんにはリベンジを必ず成し遂げてほしいですね。もちろん、剣持も一緒に2人でザイツェフにリベンジしてほしいですね…
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