第十話 目指すは世界の頂点
「剣持――じょうぶか、――返事を――」
……意識が朦朧とするなか、誰かがオレを呼んでいる。
しかし頭痛が酷いな。 オレはノックアウトされたのか?
……くっ、練習初日に醜態を晒したぜ。
「剣持、――の声――聞こえるか」
……少し意識が戻ってきた。
オレは上半身を起こして、左手で額を押さえた。
「……起きたか。 剣持、具合はどうだ?」
「……松島さん? ……頭がまだ少し痛みます」
「そうか、なら今日はもう練習を上がれ!」
「……いえまだやれます!」
「馬鹿野郎、無理はするな! 休むのも練習のうちだ」
「……はい」
オレは松島さんの言葉に気圧されて、思わず頷いてしまった。
そしてオレは冷やしたタオルを額に当てて、黒い長椅子に腰掛けた。
リング上では、彼――南条さんがスパーリングしていた。
その動きにはまるで無駄がなかった。
最低限の動作で相手のパンチを躱し、的確にパンチを打ち込んでいる。
こうしてみると南条さんがいかに強いボクサーか分かる。
まあそりゃ現役の日本&東洋王者だもんな。 そりゃ強いわ。
オレは少し自惚れていたのかもしれん。
正直、手も足も出なかった。
くっ、思い出すとやっぱり悔しいぜ。
「剣持、どうした? 早くシャワーを浴びて来い」
「あ、はい」
「ところで剣持、お前は何故途中で左ジャブを打つのを止めたんだ?」
と、松島さんが無表情で聞いてきた。
う、なんか異様に圧迫感があるな。
なんかこちらの心を全て見透かされたような感じだ。
なのでオレは思ったまま、こう答えた。
「すいみません、プロのチャンピオン相手に自分のパンチが
どれだけ通用するか、試しました」
「成る程、お前は随分と欲深い男だな。 ある意味それは褒めるべき美点だ。
だがジャブは全ての基本のパンチ。 それを忘れたらボクシングにならない。
お前のフックが強力なのは、オレも認める。 だが世界の頂点を目指すなら、
左ジャブを忘れてはならん。 左は世界を制するというだろ?」
「……はい、以後気をつけます」
「よしならさっさとシャワーを浴びて来い」
「……はい」
15分後。
オレはジム内に設置されたシャワーボックスで、汗を洗い流した。
クソッ……未だに頭がジンジンと痛むぜ。
そう思いながら、ロッカー室でジャージから私服に着替えていると、
ロッカー室のドアががちゃりと開き、南条……さんが部屋に入ってきた。
「あっ……お、お疲れ様です!」
「おう、お疲れさん」
南条さんはそう言葉を交わすなり、
オレの隣のロッカーで着替え始めた。
……やべえ、なんか気まずいな、と思ってると――
「いやあ、剣持はパンチ力あるねえ。 この腕を見ろよ?
ガード越しにこんなに赤腫れしてるぜ、 いやぁ~マジでエグいフック打つね」
「い、いえ……大したことありませんね」
「またまたまた、初スパーで俺を倒す気満々だったじゃん」
「い、いやあ……そんなことありません」
何だ、この人? 随分と陽気な性格だな。
だが不思議と嫌な感じはしない、いやむしろ良い感じだ。
「でも流石にフックを振り回しすぎでしょ?
やっぱりジャブを入れないとね、やっぱジャブだよ、ジャブ!」
「は、はい。 松島さんにもそう言われました」
「お? 早速、松島さんの指導を受けた? なら素直に従うんだな。
じゃないとあの人は何も云わないようになるよ」
「……そうなんですか?」
「ああ、基本的にあの人は無口だけど、時々ぽつりぽつりとアドバイスして
くれるんだよな。 だからその時は絶対に聞かないと駄目」
「わ、分かりました。 なんかオレ、松島さんに嫌われてるかも……」
何となくだが、そう感じるんだよな。
やはりオレみたいなアマエリートは嫌いなんだろうか?
すると南条さんが即座にそれを否定した。
「いやいやいや、逆だよ、逆! キミは目をかけられてるんだよ。
それにあの人、超淡泊なんだよ。 なんか噂じゃジムに十年ぶりの
世界チャンピオンが誕生した時も、いつものように仏頂面してたらしいよ」
「ま、マジッスか?」
「なんかそうらしいよ。 でもね、あの人のボクシング眼は超一流だよ。
まああの人は口下手だし、メディアにも出るのも苦手な人だから、
世間的にはあまり認知されてないけど、俺は日本有数の名伯楽と思ってる」
「そっスか、それは選手として心強いですね!」
「ああ、まあキミの場合、俺と同様にアマエリートだからね。
多分目の前の試合じゃなく、先――世界の頂点を想定した
練習になると思うよ。 まあキツいけど、やりがいはあるよ」
「……世界の頂点ですか?」
「ああ、ボクシングを真剣にやるなら世界の頂点を目指すべきでしょ!
少なくとも俺はそうだよ。 そしてこの聖拳ジムはそれだけの
環境が整ってる。 後は俺達、次第というわけさ」
南条さんはそう言って、右手でオレの胸を軽くポンと叩いた。
「……成る程」
「まあとにかく一日でも早くプロの水に慣れることだね。
後、最初が肝心だから色々気をつけた方がいいよ。
まあ俺から云えることはこれくらいかな」
「……色々と教えていただき、ありがとうございます」
「んじゃ俺はまだ練習するからさ! それじゃお疲れ様!」
「お疲れ様でした!」
オレ達はそう言葉を交わして、ロッカー室を後にした。
そしてオレは周囲に挨拶してから、ジムから出た。
……目指すなら世界の頂点か。
確かに本気でボクシングやるならそれぐらいの気持ちでやるべきだ。
そうだな、オレは少し自惚れていたのかもしれん。
だがこんな事でへこたれるオレじゃねえぜ。
とりあえず当面の目標は南条さんと互角以上にスパーすることだ。
その為には、毎日必死こいて練習する必要があるが、オレはそれで構わない。
「……なんだか燃えてきたぜ」
オレはそう思いながら、テンションをやや上げながら、
帰りの電車に乗って、帰路についた。




