本番に弱い侯爵のお話
本番に弱い男がいましたとさ。
本番に弱い男がいた。国王に謁見する時は口上を述べるに、屋敷では立板に水の如く喋れるのだが、本番になると、一箇所二箇所と、危ういところで失敗をしそうになる。幸い彼は高貴なる家柄を背負っていた為に、その失態を追求される事なく、生活を送っていた。
そんな彼が、ある日決闘を申し込まれた。それは、教会から命をうけた十五人の各種分野の専門家が、立ち会いの元に行われる正式なるもの。
旧教徒と新教徒がお互い譲り合い暮らしていた時の話だ。しかし剣をつき合わすものではない。屋外で行われるものでもない。しかし男の、尊厳と名誉をかけたものには違いない、その戦いに敗れると、男に対して大変不名誉な称号を得る事が決まっているからだ。
そしてそれは始まった。ある日ある時ある場所で。
「では、これより検証会を始めます」
静かなる立会人の声が上がる。場所は教会が用意した、一室、夫婦と、立会人達、そしてそれを見るために押しかけた庶民、彼ら達はゲラゲラと笑っている。
男のうら若き妻の一言から始まる。
「貴方には、できっこありませんわ」
彼女の夫である男が、がふんぞり返っって、それに答える。
「ふん!何を小癪な!一発で世継ぎをはらませてやる」
夫はこの勝負に、どうしても勝たなくてはいけなかった。それは自身の名誉の為でもあり、負ければ離婚が認められた挙げ句、妻の持参金を、そっくりそのまま返さなくてはならないからだ。
「ふ、出来もしないのに、さっさと出来ませんと認められたら?」
妻は誘うように妖艶に笑むと、用意されている寝台に、きしりと音立て腰をおろす。
「この私を何だと思っているのか!」
夫は上着を脱ぎ捨てる、そして『事』に挑むべく、余裕綽々な妻にたち向かって行った。
二人は離婚調停の真っ最中。神の名のともに約束を交わした二人。本来ならば認められないソレだが、夫婦どちらかに子孫繁栄における行為の不具合が認められれば、旧教徒であれ、離縁出来ると特例があった。
先ず今回は、妻からの訴えがあった。結婚してからわたくしは旦那様と、あれこれありません。清き身体です。旦那様はわたくしに対して、出来ないお身体なのです。それを聞き入れた教会は、彼女の純潔を調べた。
夫はそれに対して、否をとなえた。彼の言い分と、妻の診断の結果、教会は離婚申請の無効を言い渡した。夫は手を叩き喜んだのだが、それは甘かった。世の中は妻だけが身を晒す様には出来ていなかった。何故なら
『夫婦の営みができる事の証明』
を実証しなければならなかったからだ。衆人環視の元で、一定時間内に事を成し得なければ、妻の言い分が認められる、その試練を夫は、定められた日時と場所で、こなさなければならなかったのだ。
「ふふふ、旦那様、頑張ってくださいませね」
「おのれ!そなた夫を何だと思っているのだ」
「はい?ではお聞きいたしますが、貴方様のお側仕えのジェシカ!彼女はどうして毎朝貴方様の寝室から、出てこられますの?旦那様のお部屋の小さな扉、あそこを潜ればジェシカのお部屋じゃないですか」
「ぐ!そなた主である私のプライベートを探ったのか!それにアレは、側使えだ、しかも私の乳母だ!身の回りの世話をしておるのだから、部屋から出てくるもの当然だ」
「…………、三年間あのお屋敷で眺めてましたけど、彼女が一人で入るのは見た事ございませんの、出る一方、そして扉で御座いますが、あれはわくしが、輿入れをしてまなしの頃、夕食の時に、ジェシカと、何やら夜会の打ち合わせをすると仰ってましたから、お茶を用意して運びましたのよ、しかしお部屋はもぬけの殻、そして見つけたのが秘密の扉、開けるのは妻として当然、それより時間は大丈夫ですの?」
さらりと妻は話す。夫は顔を真っ赤にして言い募る。
「ぐ………、お前は私をどういう目で見ておるのだ?触れてないとぬけぬけといい加減な事を」
「あら、わたくしは一度も、貴方に愛の名の元で、触れて頂いてございません、まさか初めて真実の愛を頂けるのが、このような場でとは。あら、ジェシカ?ほほほほ」
涼しく笑う妻、彼女の肩に手を置き、押し倒そうとした夫だったが、彼女が呼んだ名前にはっとして、恐る恐る事の成り行きを見物している者達に、ちらりと視線を向ける。
そこには若魚の様な瑞々しさ、スラリとした妻とは違う、ふくよかでたわわな、熟した果実の様な身体を持つ、中年を過ぎつつある女の姿。ぼっちゃま、頑張ってくださいませ、神よお助けあれと切なく唇を動かしている。
「ほーほほほ、わたくしは知っておりますの。貴方様は年上のお方が、それもふくよかなお方が、好みなのですものね、何時だったか、わたくしの実家の夜会の時に、わたくしよりも叔母様に、色目を送ってらしたのは、知ってましてよ。さぁ、どうぞ、時間がありませんことよ」
なんとぉ!そっちの姉ちゃんのが絶対にいいよな。と声が上がる。事を始めようとしない夫に、立会人が声をかける。
「出来ぬ事を認めるのか?」
その声にはっとする夫、そして、とりあえず雰囲気を作らねば!と決意をすると、ちらりとまたまた背後を伺う。そこには、彼にあれこれ産まれてから今まで、朝から夜まで尽くしている乳母の姿。
『ぼっちゃま!今こそ大人になるのです!教えた事をすればいいのですよ。予行演習は、乳母でバッチリでしたよ!張ってくださいませ、ぼっちゃまならお出来になります』
ジェシカがそのハシバミ色の瞳に、切なく熱い願いを込めて送ってきている。正面を向けば、ベッドの端に座り、見上げてくる妻の琥珀の色の瞳。その色の中には少女の様な、無邪気でイタズラっぽさが残っている。
ここで頑張らねば、後に大変に不名誉な呼び名が付くことになる事は、避けられぬ運命。と、とりあえず………夫は妻の足元に片膝をつき、阿吽の呼吸で差し出された、その柔らかな手を取る。
「すまなかった。我が愛しき妻よ、私の愛を受け取って欲しい」
手の甲に接吻をしながら、ざわめく周囲の声を聞かぬようにしながら甘くささやく。冷や汗がどっと身体中から溢れた。唇が乾き、口の中がカラカラに乾く。ざわりと嫌な予感が頭に浮かぶ。
ムリだな………ふとそう本音が漏れた。ブンブンとそれを打ち消す様に頭を振ると、いや!ここでやらねば男がすたる、頑張れ俺様!と叱咤激励を己にかけた夫だった。
「いざ!」
まさに己の名誉をかけた決闘をするべく、夫は妻にたち向かって行った………。
♡❤♡❤♡❤………、★。そーれから。
わたくしが、旦那様の元に、莫大な持参金と共に輿入れを致しましたのは、十四才の時、旦那様が二十才でございました。薔薇の花咲く季節に、素敵なお式を挙げましたの。
「あの侯爵ならば、我が家と釣り合うわね、少し頼りないけれど………貴族の婚姻には関係無い、どうにもダメなら教会に申し立てをしなさいな」
家を出るときにお母様に、旧教徒の特例とやらを教えて頂きましたの。なんの事かは、小娘だったわたくしは、その時はわからなかったですけれど。
ランデュ侯爵夫人、わたくしはその日から、周囲の皆様にそう呼ばれてましたわ。三年程は辛抱してましたの、だけどどうにもね、なので教会に申し立てをしたのは、ご存知ですわね。だって旦那様はねえ、そうなのですから。
検証会?たっぷりと旦那様は、汗をおかきになられましたけど、ふふふ、ほら、見てくださいな、素敵な婚礼衣装でしょう?わたくし、再婚いたしますの。お相手は公爵様ですけれど、とても情熱的に、わたくしに求婚をしてくださいましたの。
「うふふ、わたくし幸せになりますわ、ほほほほ」
ジューンベリーの花が咲き乱れる季節、彼女は再び輿入れをした。そしてその後夫婦仲睦まじく、子供にも恵まれ穏やかに過ごしたという。
どうやら元夫は、敗北だった様だ。何故なら彼は恐れていた通りの通り名を頂いていた。
ランデュ侯爵、またの名を、
『不能の男。検証会侯爵』
はぁぁ、と彼の乳母は大きくため息をついた。
「ぼっちゃまは、本番に弱いから…………」
終。




