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卑屈令嬢と甘い蜜月〜自己肯定感ゼロの私に、縁切りの神様が夢中です〜  作者: 永久保セツナ


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第5話 白と黒と赤

 それから更に三日たった頃のこと。

 葦原神社に、朝日が昇る。

 鳥居は陽光に照らされて朱を映し、白い猫が境内で悠々と伸びをしていた。

 早朝から、眷属たちは忙しそうに立ち働いている。彼らはいつ休んでいるのだろう、とコノハは常々不思議に思っていた。

 彼女も高天原家で雑用をさせられていた名残で、朝早く起きるのには慣れている。布団を部屋の押し入れにしまうと、洋服に着替えながら「今日は何をして過ごそうか」と思いふけった。

 どうせ、早起きしたところで、自分に任される用事はないというのに。できることといえば、旦那様――葦原ミコトと一緒にお茶を飲みながら、話し相手をして過ごすくらいだ。せめて彼の暇つぶしになれていればいいと思う。それはそれとして、日がな一日、何もせず時間を浪費するのは落ち着かない。どうにかしなければ。夫に土下座してでも頼み込んで仕事を割り振ってもらうか、この何もしない生活に慣れるか。


 そういったことをつらつらと考えながら部屋の障子を開けると、目の前には雪の振り積もった白い庭が相変わらずそこに鎮座している。

 だが、その色はいつもと少し違った。

 白の中に、昨日までなかった、なにか黒い塊がうずくまるようにしてピクピクと痙攣(けいれん)するように動き、近くには赤いものが散らばっている。

 庭に降りて近寄ると、黒いものは鴉、赤いものはどうやら血が散っているらしいと気づいた。

 一瞬、血の気が引いて立ちすくんだが、すぐに冷たい雪の中にしゃがみこんで鴉を抱きかかえ、廊下に戻る。鴉の体温は雪に半ば埋まっていたせいか、かなり下がっていた。このままでは命の灯火が消えてしまうのも時間の問題だろう。

 通りかかった眷属に包帯をいただきたいと相談していると、急いでミコトが駆けつけた。


「猫にでも襲われたのでしょうか。酷い傷だ」


 狐面をつけているとはいえ、彼の声は重く沈んでいる。

 出血が酷く、止血しようと手当した令嬢の両手は赤に染まっていた。


「あの……自分の家でもないのに不躾(ぶしつけ)なお願いだとは重々承知しているのですが……」


 思い切って話しかけると、夫はその思惑に気付いたらしい。


「あなたが面倒を見たいのですね?」


 こくりとうなずく。

 野生の命は本来、人間が自分の気まぐれで手を出していいものではない。死ぬならそれまで、勝手に生きて勝手に死ぬのが野の生き物である。その(ことわり)をねじ曲げてはいけないのだろう。それでも、コノハにはどうしてもこの鴉を見殺しにはできなかった。

 ミコトは妻の血に染まった手を見て、「ふぅむ」とうなる。


「とりあえず、止血は終えたようなので、まずは手を洗いませんか?」


 彼は鴉の保護を了承した。

 神様とて、人間の運命に干渉する立場である。そのため、他の生物の生死に首を突っ込んだとしても、特に異論はない。

 それからは、令嬢は懸命に鴉を看護する。

 黒い鳥はとても賢く、彼女が己に敵意を向けていないこと、自分を助けようとしていることを理解して、おとなしく治療を受けた。

 一ヶ月がたった頃には、もう傷も完全に塞がり、自由に飛べるようになったのだが、鴉はすっかり花嫁に懐いてしまい、葦原神社から飛び立つ気配はない。


「ふむ、さてはコイツ、餌の食いはぐれのないこの神社に住む気だな?」


「ご、ごめんなさい……やっぱり保護しないほうが良かったでしょうか……」


 コノハは申し訳なく眉尻を下げるが、今更であった。

 ミコトが「構いませんよ、妻のお願いはなるべく聞き入れたいですから」と笑いかけると、彼女は頬を薄赤く染める。


「しかし、そうですね……どうせですから、使い魔として契約してしまってもいいかもしれませんね」


「使い魔、というと……妖術師の方がよく動物を使役するという……?」


 高天原家にもお抱えの妖術使いがいて、父はよくその人物が放った使い魔からの報告を聞いては眉をひそめたり、反対にニヤニヤ笑ったりしていた。桜国では通信・諜報技術として使い魔が発達しており、情報収集にはそれらを操ることのできる妖術師が重宝されている。


「ごめんなさい、私、妖術のたぐいは使えないのですが……」


「そうでしょうね。では、使い魔契約は私がしておきましょう。私の命令でこの鴉があなたの護衛をするということでいかがです?」


 鴉はカア、と一声鳴いた。命の恩人の肩に乗り、すりすりと彼女の頬にすり寄る様子を見るに、異存はないらしい。


「使い魔にするなら名前が必要ですね。コノハさん、なんという名が良いでしょうか」


「えっ」


 突然名付け親に任命され、「ええと、ええと」と考える。


「……。……烏丸(からすま)、では安直ですよね、ごめんなさい」


「いえ、いいんじゃないですか? ねえ、烏丸」


 名付けられた黒い鳥は満足そうにカア、と花嫁の肩の上でぴょんぴょん跳ねた。

 次に、契約主となるミコトは己の親指を爪で軽く切る。ピッ、と赤い線が引かれ、血が滲んだ。

 それをくちばしの前に差し出し、「契約だ、烏丸」と言うと、鴉は血を飲んだ。


「この契約ってなにか意味があるのでしょうか。仲の良い動物ならわざわざそんなことしなくても、傍にいてくれるのでは」


「これをしておくと、使い魔の五感を共有できるのですよ」


 知らなかった。それで妖術師たちは情報を得ているのか。


「このお方を守ってあげてくださいね、烏丸」


 旦那様が優しく鳥の頭を指先でなでると、カア、と返事をする。

 新しい家族ができたことを喜ぶ花嫁を、庭から白い猫が、見ていた。


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