第30話 葦原神社の年末年始
葦原神社の年末年始は忙しい。
十二月三十日にはコノハも交えて眷属たちが一斉に大掃除をする。
拝殿から社務所までホコリひとつなく、境内にきれいな砂利を敷き、鳥居までピカピカに磨き上げた。
大晦日の夜には参拝客が集まってきて、年越しを過ごすのだ。神社の格を示すためにも、掃除の手は抜けない。
コノハは社務所にお守りや御札、破魔矢などを並べるのを手伝う。
葦原神社のお守りは、ミコトがひとつひとつ、丁寧に霊力を込めて作っていた。縁切りや厄除けに絶大な効力を発揮するそれは、この神社の年に一度の書き入れ時を支える主力商品である。
「縁切り神社というものは、年末年始にも人が来るものなのですか?」
「ええ。むしろ、新年を迎えるにあたって、不要な縁を切り、清々しい一年を迎えたいという需要もあるようですよ。私の神社は少しいわくつきなので、他の神社よりは参拝客が少ないとは思いますが」
コノハの素朴な疑問に答えるミコト。
大掃除を終えて、お客様を迎え入れる準備ができた神社は、いつもより清浄な空気が流れているように感じられた。
大晦日の夜。
本当にまばらではあるが、参拝客が集まり始める。
立ち並ぶ灯籠の光がぼんやりと境内を照らし出し、眷属たち――人の姿に化けているので誰もあやかしとは気付かない――は、温かい甘酒を配っていた。遠くから、除夜の鐘の音が聞こえてくる。
狐面をしたコノハとミコトは、拝殿の中でお祓いを行っていた。一年の穢れを洗い流す、とても大事な仕事だ。
「葦原命主様!」
ミコトに声を掛ける女性がいる。誰かと思い、よくよく目を凝らすと、あの六月の雨の日に縁切りの依頼に来た女であった。
「これはこれは、お久しぶりです。その後はいかがですか?」
「はい! 浮気男と縁が切れて、新しい恋を見つけました!」
ミコトとコノハは思わず顔を見合わせる。
「あのときは本当にありがとうございました。私、あの男に執着していたけれど、世界に男はアイツだけじゃないって気付いたんです。しかも、あの浮気男、浮気相手の女にも見捨てられたそうで、ザマァ見ろって感じ」
女はスッキリしたような顔をしていた。
何度も何度も頭を下げて、社務所に破魔矢を授かりに行った女を見て、コノハは「やっぱり、ミコト様のお仕事は大切なものなのですね」と明るい声で夫に話しかける。
「ミコト様は、立派な神様です」
彼は、照れくさそうに顔を下に向けて、頭を掻いていた。
日付が変わり、一月一日、正月から三が日を終えるまで、葦原神社は大忙しである。
他の有名な神社に比べれば参拝客など微々たるものだが、「この神社の縁切りはえげつないほど効く」という口コミが広がり、縁切りのお守りを求めて人が殺到した。
ミコト本人が駆り出されて縁切りの儀式を行ったりもする。
一月四日が過ぎてから、神社は静寂を取り戻した。
「毎年、この時期は大変ですねえ」
ミコトは熱いお茶を飲んで一息つく。
コノハは「お疲れさまでした」と彼の肩をもんでいた。
高天原家はもう存在しない。中國トウマも他の女性と結婚して家庭を築いている。二人を阻むものは、もうない。
ミコトは肩をもんでいた妻の手を優しく握り、彼女に向き直ると、腰に手を回して抱き寄せる。
コノハは顔を紅潮させながらも、そっと夫の背中に腕を回し、抱きしめ返した。
ミコトはしばらくコノハの髪を撫で、「ずっとこうしていたいですね」と耳元でささやく。
「来年も再来年もその先も、ずっとあなたと一緒にいたいです」
葦原神社は神域である。そこに留まる限り、コノハは永遠にミコトと共に歩むことになるのだ。
コノハは返事の代わりに、愛する旦那様を抱きしめる力を強めたのだった。




