第21話 もうひとつの『魔眼』
「――神を脅すとは、最近のご令嬢はずいぶん度胸があるとみえる」
ミコトは、サクヤが取った宿の個室で、彼女とともに食事をしている。
サクヤの食事を摂る所作は美しく、しかし、外面が美しいだけではこの女の本性はミコトの魔眼の前では意味をなさない。彼にはサクヤの心の醜悪さが視えており、それだけで箸が進まなかった。
「それで、私の秘密を知っているとのことですが、どれのことですかね?」
「その口ぶりでは、秘密をいくつも抱えていらっしゃるように聞こえますわ」
絹のハンカチーフで口元を拭きながら、サクヤはほほえむ。
それは良家のご令嬢らしい仕草で、知らぬ者から見れば優美なお嬢様なのだが、ミコトは吐き気がこみあげてきた。
「まあ、秘密を知っているというのはあなた様を呼び出す口実のようなものですの」
「……神を脅した上に騙すとは、ますます不遜な輩だな」
「あら、秘密を抱えていらっしゃるのは事実なのでしょう?」
サクヤは食事を終えて膳を下げさせると、甘えるような口調でミコトの胸にしなだれかかる。
それを、彼は黙って押し返した。
「用事がそれだけでしたら、私はもう帰りますが」
「よろしいの? 本当に秘密を知っているかもしれないのに、このままみすみす帰ってしまって」
ミコトはサクヤの言葉を測りかねているようである。
彼女は笑みを崩さないまま、ミコトの服に手を入れた。
「すでにご存知かと思いますが、あたくし、妖術師を通じてあなたがたの動向は掴んでおりますの。それならあなた様の秘密を知っていてもおかしくないのではなくて?」
「それで? 秘密を秘密のままにしておく条件が、私の身体ですか」
「悪いようにはいたしませんわ。愛人契約を結んで差し上げてもよろしいと思っておりますのよ、あたくし」
――要するに、痺れを切らしたサクヤが、ミコトと既成事実を作ろうとしているのである。
ミコトを優しく押し倒し、彼女はその狐面に手をかけた。
面を外すと、金と赤の宝石のような瞳があらわになり、サクヤは思わず感嘆の息を漏らす。
「なんて美しい……。どうしてこんなお面で隠すのです?」
「答えは簡単ですよ。――『私の目を見ろ』」
ミコトがギンッと目を見開くと、途端にサクヤは痺れたように身動きが取れなくなった。
「な、なに、これは……!?」
「おや、この目のことはあなたの知っている『秘密』ではないようですね」
「いえ、知ってるわ。人の心を読む『真理の魔眼』とかいう……」
「それは右目の話。やはりコノハさんの前で左目の話をしなくて正解だったようだ」
ミコトの赤い左目が爛々と輝いている。
「私の左目は『呪詛の魔眼』。目を合わせた相手を、その意志と関係なく操ることができる。私と目を合わせた時点で、お前はもう私の手の内だ」
「そ、そんな卑怯なことあります!? 右目と左目で、別々の魔眼なんて……!」
身動きができないまま、サクヤはわなわなと震えていた。
「お前の知っている私の秘密なんぞ、猫を通して知っていることばかりだろう。全部、魔眼で視えていたぞ」
「ならなぜ、わざわざあたくしの誘いに乗ったのです!?」
「こうやって、魔眼で縛り上げて、お前を辱めて懲らしめるためだ。さあ、洗いざらい白状してもらおうか。まずはお前がコノハさんに働いた悪事から」
それからは、サクヤは自分の姉にしでかした出来事をひとつひとつ言わされた。
姉の持ち物を、ワガママを言って譲ってもらったこと、譲られないとかんしゃくを起こして暴れ、姉を困らせたこと。姉の初恋の相手を奪ってやりたくて彼女の顔に火かき棒を当てたこと、火傷を負った姉を「不細工」と罵り、虐げたこと。両親のみならず、使用人もそそのかして、家の者全員で彼女を虐待した事実……。
「どうしてそんなことを?」
「いや……もうやめて……言いたくない……」
「言え」
ミコトは有無を言わせず、赤い魔眼が煌々と輝く。
サクヤは自らの手で口を覆うことも出来ず、震える声で真相を告げた。
「あ、あたくしは……お姉様が、羨ましかった……! あんなガサツで男に混じって遊んでいるような格下の女が……あたくしよりも優秀だのなんだのとチヤホヤされているなんて、許せなかった……!」
「なんだ、要は嫉妬か。まったくもって見苦しい」
ミコトに一刀両断され、サクヤは屈辱から涙で潤んだ目で彼をにらみつける。
「さっさと、この術、解きなさい……ッ!」
「ほう、私の魔眼に抗うとは、なかなか骨のある人間と見える」
縁切りの神様はそんなサクヤを見て、愉快そうに蛇のような目を細めた。
「この、化け物ッ……!」
「なんだ、今更気づいたのか。まったくお前たちは忙しない。勝手に神様と祀り上げたかと思えば、勝手に化け物とさげすむ。だいたい、私もお前の口実とやらは魔眼で見抜いたうえで、こうして話に乗ってやったのに、話を聞いてみれば、実につまらん人間だ」
あきれたように肩をすくめながら、「お前はもう用済みだ」とばかりに、「眠れ」とだけ言葉を発する。サクヤは力尽きたように倒れ伏し、そのまま眠ってしまった。
「布団に寝かせますか」
どこからともなく現れた眷属が、ミコトに声を掛ける。
「この女には不要だ。それより、猫は」
「捕まえました。妖術師の使役する白い猫です」
従者の腕の中では、たびたび葦原神社を偵察していた白猫が暴れていた。
「見えているな、妖術使いよ」
『お、お嬢様は……』猫の口が動いて、妖術師――猫八の声が聞こえる。
「安心しろ、殺してはいない。本当はコノハに危害を加えた者を生かしておきたくはないのだが」
猫八はひゅっと息をのんだ。
『だ、だからあっしは神様になんか関わりたくなかったのに……』
「お前にも手伝ってもらうぞ」
『ヒッ……』
ミコトは白い猫と目線を合わせ、「私の目を見ろ」と赤い魔眼を輝かせる。
猫の視界を通じて、妖術使いすらも彼の手中に収めたのだ。
「今に見ていろよ、高天原家の者どもよ。縁切りの神を怒らせたらどうなるか、その身を以てじっくりと教えてやる」
ミコトの目は、復讐と怒りの炎に燃えていた。
夫の帰りを、コノハは大人しく待っている。
ミコトが家に戻ったあとも、彼女は事情を尋ねるべきか否か、迷っていた。
「あの、ミコト様……サクヤはあなた様に、なにか粗相などしなかったでしょうか」
本当は、二人で密会してどんな会話をしたのか知りたい。
しかし、彼は詳細を語ることはなかった。
「ご安心ください、たいした用事ではありませんでした。少し二人で話をして、そこで別れましたよ」
あのサクヤが、執着心を向けていた様子のミコトを、少し会話をしただけで解放するとは思えないが。
しかし、ミコトはやはり説明するつもりはないらしく、コノハの肩にぽんぽんと優しく手を置いて、「大丈夫です、あとは私にお任せください。私が話をつけておきましたので、サクヤさんがこの神社に再び来ることは決してないでしょう」とやけに清々しく笑っていた。
どんな交渉をしたら、あの妹を説得できたのだろう。
コノハは不思議に思いつつ、「もう二度と夫を疑わないと決めたのだから」と思い起こして、根掘り葉掘り事情を詮索するのはやめることにした。




