第19話 高天原家の『罪』
「ミコト様が、祖母を呼んでくださったのですか」
「コノハさんが、会いたいのだろうと思いまして。おばあさまからもひと目、様子を見たいとのお言葉をいただきました」
居間では、眷属に淹れてもらったお茶を、三人で飲んでいた。
コノハの祖母は、「コノハちゃんが結婚したって聞いてびっくりしたのよ。しかも神様とだなんて!」とニコニコ笑っている。
「ミコトさん、コノハをよろしくお願いしますね」
「もちろん。骨になっても守り続けます」
ミコトのやや重い愛を聞きながら、コノハは不安そうな顔をしていた。
「おばあさま、その口ぶりですと、この神社にはとどまってはくださらないのですね」
「ええ。高天原家にも寄っていくつもりよ。本来、あそこが私の家ですから」
そんな言葉を聞くと、コノハは胸が鉛のように重くなる。
現在の高天原家は、とても善良な家庭ではない。祖母が見たらがっかりしてしまうのではないか。
そんな彼女の気持ちを汲んだように、祖母はスッと真剣な顔つきでコノハとミコトに向き合った。
「実は、私は高天原家を視察して、地獄に落ちるかどうか監査することになっているの」
「え……どういうことですか?」
「私は、天国には行けなかった」
コノハは、ひゅっと息をのむ。
ミコトは、落ち着いた口調で「あなたのおばあさまは獄卒になられたのです」と答えた。
「まあ、獄卒とは言っても、直接死者をいたぶるわけではなく、書類仕事とうかがっておりますが」
「私のようなおばあちゃんに拷問なんて、とてもとても。閻魔様には良くしてもらっているから、安心してほしいわ」
コノハは、ホッと息をついた。
「それで、監査というのは……」
「高天原家は、昔から評判の悪い家柄で、先祖代々地獄に落とされてきたのよ。製薬会社を立ち上げた当初から、あの家はとある『罪』を犯している」
コノハの祖母は鋭い目つきをしている。あの優しかった老婆が、たしかに獄卒と言われても納得してしまう険しい顔をするのを見て、令嬢は背中が寒くなる心地だった。
「その『罪』を、高天原家が今も犯しているのか、それを調べるのですね?」ミコトが膝の上で指を組む。
「そうね。とはいえ、うちの家系に霊感のある人間はいないから、私が勘付かれる心配はないでしょう」
「私に今、おばあさまが見えているのはどういうことなのですか?」
コノハも当然霊感はない。しかし、祖母に触れて、抱きしめることすら可能であった。
そこへ、ミコトが思い出したようにぽんと手を叩く。
「ああ、コノハさんには言っていませんでしたね。この葦原神社は、一種の神域になっています」
「神域?」
「簡潔に言うと、この神社の敷地内にいる限り、異界の存在とも交流ができます。ちなみに時間の流れが緩やかなので、人間でも実質不老不死に近い状態になります」
コノハは口をあんぐり開けている。すなわち、彼女もミコトと同じく、悠久の時を生きることになるのであった。
たった今、初めて聞いた衝撃的な発言を「そんなことより」とミコトは流す。
「今のうちにおばあさまとお話したいことを伝えてしまうのがよろしいでしょう。私は席を外します」
ズズッとお茶を飲み干すと、ミコトと眷属は居間から出ていった。
居間には、コノハと彼女の祖母のみが残されている。
老婆は、孫娘の顔の火傷を、そっと指でなでた。
「コノハちゃん、私がいない間に大変な目にあったのね。守れなくて、ごめんなさい」
「そんな、おばあさまのせいではありません」
コノハの祖母は、孫が八歳の頃に亡くなり、つまりはコノハが火傷を負った十歳の頃にはすでにこの世にいない。
祖母は、中國トウマを除けば、高天原家の親族の中で唯一、コノハを大切に可愛がっていた人物である。
しかし、その死後、コノハは……今更説明は不要であろう。
「おばあさま」
彼女は真剣な眼差しで祖母を見つめた。
「高天原家の犯している『罪』とは――なんなのですか」
祖母は口を開いては閉じる。言うか言うまいか、迷っているようだ。
やがて、あいまいに笑って、「あなたは知らないほうが幸せかもしれないわ」と答えた。
「しかし、私は」
「あなたには関係のないことなの。もし関係があったら、今頃あなたはこうして五体満足でいられなかったはず」
コノハは目を見開いた。余計にわからない。
あの家は……一体、何をしていたというのだ。
薄気味悪さを覚えた彼女に、祖母は「もしかしたら、ミコトさんがすべてを暴いてくれるかもしれないわね」とほほえむ。
「そのときに、あなたは真実を知ればいい。それまでは、まずは心の治療があなたには必要だわ」
たしかに、未だに「高天原家」という単語を出されただけで脂汗が噴き出る彼女にとっては、それが一番かもしれなかった。
「それじゃ、私はそろそろ行きます。この目であの家を見極めるわ」
ソファから、祖母が立ち上がる。
「おばあさま、最後に」
「ええ、おいでなさい」
コノハは力強く、優しい祖母を抱きしめた。老女も同じくらいの力で孫娘を抱きしめ返す。
獄卒になってしまった祖母。それほどまでに、あの家はおぞましい罪を犯しているというのか。
「コノハちゃんは、この神社にいる限りはきっと死なないし、地獄に落ちることもないでしょう。だから、私とはここでお別れね」
「来年も、再来年も、その先も、ここでお待ちしています。精霊馬を用意しますから」
「そうね。じゃあ、また来年」
コノハは名残惜しそうに、祖母の手を離した。
祖母は寂しそうに笑うと、廊下に立っていたミコトとすれ違う。
「あの子をよろしく」
「ええ。コノハさんは、必ず私が守ります」
「まあ、頼もしいこと」
老婆は目を細めてにっこり笑い、玄関に向かっていった。
からから、ぴしゃん。
引き戸が閉まったのを確認し、ミコトは玄関の鍵を締める。
こうして、お盆に孫娘が祖母と再会するという奇跡のような一夜が終わったのだった。




