幕間3・苦労の絶えない高天原家
一方その頃、高天原家。
「は? トウマ様、お姉様に会ったのですか?」
「うん。それで、コノハが顔にひどい火傷を負っていたんだ」
中國トウマは、すでにサクヤとの婚姻を済ませ、婿入りしていた。
彼女としては、彼が姉に会ったという事実に、生きた心地がしない。
――お姉様ったら、よくあんな醜い顔で祭りなんて行けるわね。面の皮が厚いんじゃないの。
心のなかで毒づきながら、顔は「まあ、お姉様が顔に傷をつけられるなんて……」と白を切って、ついでにミコトに罪をなすりつけている。
「いっしょにいた、コノハの旦那とかいうやつが怪しい。もしかしたら、アイツがコノハに火傷を負わせたのかもしれない」
「まあ、なんて恐ろしい。きっとそのとおりですわ」
適当に相槌を打ちながら、サクヤはホッと一安心するとともに、この状況は何かに利用できるのでは、と策略を巡らせた。
ひとまず、トウマはコノハの火傷の犯人をミコトだと思いこんでいるので、高天原家が怪しまれることはないだろう。
これを上手く活用すれば、あの神様を自分の言いなりにすることができるかもしれない。そうすれば、彼を愛人にしてトウマと両手に花。完璧な計画だわ……。
「何をニヤニヤ笑っているんだ。僕は真面目な話をしているんだよ」
「失礼いたしました。それで、トウマ様はこれからどうするおつもり?」
「もちろん、コノハを助ける。君だって、姉が無事に高天原家に帰ってきたほうが嬉しいだろう?」
サクヤは思わず「はぁ?」と顔をしかめそうになった。
今、この男、なんと言った?
「お姉様を、高天原家に連れ戻す、とおっしゃったの?」
「ああ、当然だろう。あんな暴力男に大事なコノハを預けておけるものか。新しい夫を探す手伝いは当然僕もする。君の姉の幸せは、君の幸せにもつながるだろう?」
――馬鹿じゃないのか、この男。
サクヤは流石にあきれてしまった。
真相を知らないとは言え、彼女がコノハに嫉妬していたことにも気づいていない。
そして、すべての元凶が自分であることすら、彼は自覚していないのだ。
サクヤが評するならば、トウマは「貧しい人に釣りを教えて一生暮らしていけるようにはせず、腐るほど大量の魚を一度に与えて、その後、貧しい人が腐った魚を抱えて不幸になるのも知らずに自分は善いことをしたと優越感に浸るタイプの偽善者」である。
実際、彼は「今の時代は女でも教養が必要だ」とコノハに勉強をさせて自己満足にふけったが、肝心の「教養がある生意気な女を受け入れてくれる場所」は作らなかった。サクヤはそれを察知して、学問を敬遠したのである。たしかにトウマの言うことは正しいのかもしれないが、世の中正しいだけでは回らない。少なくとも理解のない家庭でそれを実践しても白い目で見られるだけの机上の空論というものである。
それはひとまず置いておくとしても、縁切りの契約のためにミコトに売ったコノハを高天原家に連れ戻されるのは困る。
契約違反になれば、縁切りの神様からどんな報復が来るか、わかったものではない。
それに、姉が事件の真相をトウマに告げれば、彼は間違いなく高天原家を断罪するだろう。
なんて面倒臭い男……。
サクヤは唇の端が引きつっているのを感じながら、彼に「お姉様の心配はありがたいのですが、トウマ様のお手をわずらわせることではございませんわ。我が家で新しい婿を決めますから、どうかお気になさらないで」と無理やりほほえむ。
しかし、婚約者は首を横に振った。
「どうか、僕にも手伝わせてほしい。コノハが幸せになれるように、僕も尽力するよ」
――だから、余計なことをするなと言っているのに!
こんなに伝わらないことがあるのか、とサクヤはだんだん頭が痛くなってきている。
相手にするのもアホらしいと、この夫にいらだちを覚え始めていた。色んな意味で苦労が絶えない高天原家を、灰色の鳩が窓の外からじっと見つめている。




