第16話 夏祭りと見知らぬ男性
祭りの会場は、大勢の人で賑わっていた。
浴衣や着流しを着て、たくさんの人々が屋台の前に並んだり、食べ歩きをしながらワイワイと仲間内で盛り上がっている。
「コノハさん、人混みに酔ったら、すぐに私に言ってくださいね」
ミコトは無地の紺色に染め上げられた浴衣を着て、コノハと手を繋ぎ、屋台を覗き込んだりキョロキョロと辺りを見回していた。よほど祭りというものが珍しいのだろう。縁切りの神様はあまり祭られたことがないのかもしれない。
コノハも、祭りに来るのは火傷を負う前に行ったきりで、かなり久々のことである。
二人で物珍しげに祭りの会場を見回している光景は、他人から見たら珍奇かもしれない。
ちなみに、ミコトはいつもどおりの顔の上半分を覆う狐面であるが、コノハも顔全体を覆う狐面をしていた。
彼の提案で、「お面をしていたら顔を見られずに済むし、祭りだからお面をしていても誰からも奇異の目で見られることはない」ということだったので、彼女もそれで了承したのだ。
「いやあ、祭りというのは面白いものですね。なにか買っていきましょうか」
「その前に、このお祭りの神様にご挨拶をいたしませんと」
「ああ、そうでした。私としたことが、コノハさんといっしょにお出かけできたものですから、舞い上がってしまいました」
ミコトの言葉に、コノハは照れくさそうにうつむいてしまう。
そんな彼女の耳に、夫は唇を寄せた。
「浴衣、とてもお似合いですよ」
コノハの浴衣は、水色の波紋と赤い金魚を染め抜いた模様である。
耳元でささやかれた彼女は、表情は見えないものの、耳が真っ赤になっていることから、その感情は筒抜けであった。
そんな妻を見て、夫は上機嫌に笑い、手をつなぎ直そうとする――。
が、突然人がごった返し、人混みに呑まれたコノハとミコトは、繋いだ手が離れてしまった。
そのまま、彼女は人の波に流されてしまう。
「コノハさん!」
「わ、あ、どうしよう……」
あっという間にミコトの姿が、コノハよりも背の高い人達の波間に隠れて見えなくなった。
人混みをかき分ける力もなく、「すみません、道を開けてください……!」という彼女の声も、喧騒にかき消される。
どうしよう、どうしよう、と恐慌状態に陥った彼女の手を、誰かが引いた。
ミコトだろうか、と思いつつ、さきほどはぐれた彼のいた位置とは真逆なので、何かがおかしい気がする。
とはいえ、他に頼れるものもなく、彼女を引っ張る手の力も一層強く、ひとまずその導きに従うしかなかった。
人混みを抜けると、コノハは「はぁ……」と息をつく。人々に圧迫されて呼吸すらも苦しかったのだ。
「御婦人、大丈夫ですか?」
手を引いてくれた見知らぬ男性が声をかけてくれて、彼女は「助かりました……」とお礼を述べる。
「あの、主人とはぐれてしまったのですが、どうしたら見つかるでしょうか」
「あらかじめ、はぐれた場合の集合場所は決めてありますか?」
「……いいえ」
「では、この場で動かず待つのが得策でしょう。下手に捜しに行くと、またすれ違う可能性があります」
コノハは再び耳を赤くした。こういう場では、はぐれた場合を想定しなければいけなかったのか。ミコトともう少し相談しておくんだった。とはいえ、二人とも祭りというものに慣れていなかったので、不可抗力ではあるのだが。
男性は、「実は僕も友人と来たのですが、はぐれてしまって。しばらくここでいっしょに待たせていただいても?」とほほえんだ。もしかしたら、コノハに気を使っているのかもしれなかった。
彼女はこくりとうなずいて、少しの間、その男と会話を楽しむ。
「ご主人とはぐれたとおっしゃいましたね。どんな特徴をしているか、わかりますか?」
「上半分の狐面をしていて……浴衣は紺色の無地です。あとは、白髪で……」
「白髪、ですか?」
男性はいぶかしげな目をしていた。
コノハは誤解をされていると気付き、「あ、いえ、若白髪なんです」と付け加える。
「狐面を取ると、とても綺麗な目をした方なんです」
「まるで、普段からお面をしているような物言いですね」
――この人、鋭い。
コノハは少し警戒した。それを察知したように「申し訳ない。他人の事情に首を突っ込むべきではありませんでしたね」と彼は頭をかく。
「ところで」と男性は彼女の狐面を覗き込むように接近した。
「あなたのお声をどこかで聞いたことがあるような気がするのですが、もしかして僕の知り合いではないでしょうか?」
「え……すみません、覚えがないのですが……」
コノハは戸惑いを見せる。随分と距離の詰め方が不躾な人だ。こんな知り合いが自分にいただろうか。
「そのお面を外して、顔を見せていただけませんか?」
「そ、それは……ちょっと……困ります」
「なぜですか? 顔を隠さなければいけない事情でも?」
コノハは立ちすくんでしまう。どういう言い訳をすれば、この男性の追及から逃れられるだろう。
男がスッと手を伸ばし、狐面に触れようとした。
「や、やめてください……!」
彼女の声は震えている。助けて、と誰にともなく叫びそうになった。
この顔を、見られたら。
自分に親切にしてくれた人間が、汚物を見るような目を向けてくるかもしれないのが、怖い。
「――コノハさん、こんなところにいましたか。探しましたよ」
背後から救いの声が聞こえ、身体が後ろに引っ張られて、ぽすっと腕の中におさまった。
「ミコト様……!」
「私の妻に、なにか御用でしょうか?」
ミコトは、今にも狐面の下から魔眼でにらみつけるように、相手の男性に圧力をかけていく。
しかし、見知らぬ男性は、なぜか嬉しそうに笑っていた。
「やはり、君はコノハなんだな?」
「え……?」
どうして、私のことを。
彼女はわけがわからず、頭の中が疑問符で埋め尽くされる。
「僕だ、中國トウマだ。久しぶりだな、コノハお嬢様」
「――え、トウマさん……?」




