第15話 私にしか叶えられない願い事
そんな事件も起こった六月は過ぎて、七夕の時期。
葦原神社の住居の玄関先には、笹の葉が飾られている。
靴箱の上には短冊が置かれ、眷属たちが自由に願い事を書いて笹に吊るすことができるようになっていた。
「コノハさんも、願い事を書くのですね」
長方形に切られた紙を手に取った彼女を見て、ミコトが「ふぅむ」と腕を組んでいる。
「願い事があるのでしたら、私に直接頼んでみてはどうですか? 私、これでも本物の神様ですよ?」
彼は「自分に頼ってほしい」という気持ちを隠すことはない。
コノハは遠慮がちに、「それは……」とためらった。
「私には頼みづらいことですか? たしかに、縁切りの神様に叶えられることに限度はあるかもしれませんが……」
「そ、そんな本気で落ち込まなくても……」
がっくりと項垂れるミコトに、コノハは慌てて背中をさする。
彼は狐面をしていても、身体で感情を表現するくせがあるらしく、実にわかりやすい男であった。
「では、願い事を申し上げますが……」
コノハは照れくさそうに、ほんのりと顔を赤らめている。
「その……ミコト様と、ずっといっしょにいられますように、と……」
「え。それこそ、私にしか叶えられない願い事では?」
旦那様は、「織姫や牽牛に頼ることではない」と唖然としていた。
きっと、仮面の下の目はまん丸になっているに違いない。
それを思うと、コノハはクスクスと笑いをこらえきれなかった。
――サクヤが葦原神社に襲来した後。
コノハは夫からの謝罪を受け入れ、許したものの、悶々としていた。
もしかしたら、いつか妹に彼を奪われるかもしれない。
少なくとも、今、サクヤはミコトに狙いを定めている。
しかし、夫が浮気をする可能性など疑いたくないのも事実だった。
彼女は、彼に自分の思いの丈を告げることにする。
神様は、寂しそうに笑っていた。
「あなたも私と同じ魔眼を持っていれば、お互いの心が通じ合えたのに……」
そう呟いたミコトにハッとしたコノハは、すぐに謝罪した。
そして、今度こそ彼を信じよう、もう疑うのをやめようと考えを改めたのである。
「ところで、コノハさん。そろそろ夏祭りですね」
不意に、ミコトが話題を変えた。
令嬢は短冊を笹にくくりつけながら、「そういえば、そうですね」と返す。
実のところ、外見の問題で、この夫婦はめったに外に出ることはない。
そのため、お祭りも自分たちとは関係のないことだと思っていた。
だから、ミコトの予想外のお誘いに、コノハはたいそう驚いたものだ。
「いっしょに、お祭りを回ってみませんか?」
彼女は、ミコトの提案に、しばしキョトンとしていた。
彼が言うには、夏祭りで祀られている神様に、冷やかしと結婚報告の挨拶をしたいとのこと。
「その神に、コノハさんのことを紹介したいのです」
「し、しかし……この醜い容貌をお見せするわけには……」
コノハは尻込みしていた。
いくら懐の広い神様といえども、自分の焼けただれた顔を見て、どんな表情をされるか分からない。彼女にとっては、そういったことで気を使われたり、腫れ物に触るような態度を取られたりするのが一番傷つくことである。
そこで、ミコトはある提案をした。
「それなら……」と了承したコノハは、夫婦で夏祭りに繰り出すことにしたのである。




