第13話 醜悪な心
次に目を覚まして枕元の時計を見たときには、十分もたっていなかったようだ。
それでも、少しは回復しただろう、となんとか思い込む。内心、焦りがあった。
すると、廊下の向こうから、パタパタと小さな子どもが走ってくる音がする。
「奥様、たいへん、たいへん!」
子どもの姿をした従者が、泡食ったような顔で部屋に飛び込んできた。
「旦那様が浮気してる!」
コノハの部屋で世話をしていた眷属がギョッとしている。
「これ、なんということを言うのだ。奥様一筋の旦那様が、そんなことするもんか!」
「ホントだもん、俺見たもん。知らない女が旦那様に腕を絡めて寄っかかってたんだよ!」
コノハの顔は青ざめていた。
大人の配下があわあわとして子どもの従僕の口を塞ごうとするが、子どもは逆にコノハの手を引いて「早く旦那様を止めなきゃ!」と彼女を連れて行こうとする。
「これ、やめなさい!」
「いえ、いいんです。私、見に行って確かめます」
花嫁は震える声で、よろよろと立ち上がった。
夫が妹とそんな関係になるはずがない。
そう思いつつ、自信が揺らぎ始めていた。
――そうだ、サクヤは、昔から男を喜ばせる演技が得意な女だったのだ。
ミコトにそれが通じるかはわからないが、もしかしたら神様も骨抜きにするかもしれない。
子どもの眷属にグイグイと手を引かれるまま、コノハはよたよたと廊下を歩いた。
彼女の目に飛び込んだものは――自分の夫に腕を絡め、抱きつき、すりすりと甘える妹の姿。
「ミコト様……実はあたくし、あなた様のことが前々から気になっておりましたの」
「ほう。こんな白髪の爺にどんな興味が?」
「いやですわ、おとぼけにならないで。その面の下には若々しい美貌が隠れていらっしゃるのはお見通しでしてよ」
そして、サクヤは「その面の下の素顔をお見せくださいませ」と狐面に手をかける。
そんな彼女を、ミコトは突き飛ばすように拒絶した。
「私に触れるな。お前の心は醜悪すぎて、関わるとこちらの魂まで穢れる」
コノハがそこまで強い口調の彼を見たのは初めてで、思わず目を丸くする。
突き飛ばされた妹は地面に倒れ伏すようにして、まるで悲劇のヒロインにでもなったかのように目に涙をため、ミコトを見上げていた。
「どうして、そんなひどいことをおっしゃるの。あたくしが醜いだなんて……」
「我が妻にあんな仕打ちをしておいて、自覚がないとしたらタチが悪いな。二度とこの神社の鳥居をくぐるな。コノハにこれ以上関わるな」
「……やはりあの女があなた様をたぶらかしていらっしゃるのですね」
「それはお前が言うことではない。もう話すことはないだろう。さっさと出ていけ」
周りに待機していた葦原の従者たちがサクヤを追い出そうと動き出すと、彼女の使用人たちがそれを阻止しようと前に立ちふさがる。
眷属と使用人が揉めているところに、サクヤの目が立ち尽くしている姉を捉えた。
その目は獣のように獰猛である。
「お姉様。あなたは愚図で役立たずなばかりでなく、人の恋路の邪魔までするのですね」
サクヤはミコトにふられた八つ当たりをするように、コノハに駆け寄り掴みかかった。
ミコトはお互いの従者同士の争いに巻き込まれ、二人に近づけない。
「どうしてお姉様は存在するだけで、ここまで人の神経を逆なでできるのでしょう。ある種の才能すら感じますわ。漬物石のほうがまだ役に立つでしょうに」
妹が姉の胸ぐらを掴んで揺さぶると、コノハはもともと体調が完全に回復していないのもあり、視界がグラグラとしてめまいを覚えた。
サクヤはここぞとばかりに、姉には存在する価値がないと改めて教え込む。
「あなたなんか、生まれてこなければよかったのに。ご自分でもそう思っていらっしゃるんでしょう? なら、さっさと消え去ってしまったほうがミコト様のためになるのではなくて?」
それは何よりコノハの心を抉り、自尊心をへし折る言葉だった。
彼女の目線が下を向く。立っている地面が揺らぐような錯覚を覚える――。
そのとき、「カアァ!」と鴉の鳴き声がした。
「烏丸!」
コノハの部屋にいたはずの烏丸が、サクヤに飛びかかったのだ。
妹は悲鳴を上げて後ずさった。
「コノハ、悔しくないのか。俺は悔しい」
烏丸は羽ばたきながらコノハと視線を合わせる。
その目つきは鋭く、口調には怒気がこもっている。よほどサクヤにご立腹らしい。
「俺はコノハの味方だ。絶対にあのサクヤとかいう女を見返してやる。お前はどうする。お前が決めろ」
「私は……」




