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卑屈令嬢と甘い蜜月〜自己肯定感ゼロの私に、縁切りの神様が夢中です〜  作者: 永久保セツナ


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第12話 サクヤ、襲来

 事件はそんな六月の、貴重な晴れの日に起こった。

 じめっとした雨雲が晴れて、気持ちの良い青空が見える下で、境内に出たコノハはうーんと伸びをする。天気がいいおかげだろうか、風が緑の匂いを運んでくるのを感じた。そこでは眷属の一人が、竹箒で石畳を掃いている。


「奥様がお外に出るとは、珍しいこともあるものですね」


「たまには外に出たい日もあるわ。ずっと家にこもりきりだったもの」


 高天原家にいた頃は、外に出たくても出してもらえなかったのだ。顔の火傷を見られれば、虐待を疑われて、家の体裁が悪くなってしまう。ほぼ監禁状態だった。人に会うのも禁じられていたし、なにより彼女自身が己の顔を気にして閉じこもっていたのもある。


 高天原家の人間はずっとコノハのことを「重い病気にかかった」と誤魔化していたが、それなら自分の会社の霊薬で治せば良いものを。実際、コノハの顔の火傷も本来、高天原製薬の「不可能を可能にする」霊薬なら完治できたはずなのだ。それをしなかったのは、やはりあの妹、サクヤのワガママによるものだった。彼女にとっては、コノハの傷が治って美貌を取り戻すのは許せなかったし、自分の犯行が露見するのを恐れたのだろう。家族も使用人も人を虐げるという快楽に囚われてしまって、誰も彼も歯止めが効かなかった。コノハが五体満足で生きて高天原家を出られたのは奇跡というほかない。


 葦原神社に輿入れしてからは、自己肯定感が快方に向かっていた彼女は、神社の敷地内ならば移動できるようになっていた。


「コノハ、体調は大丈夫なのか」


「問題なし。やっぱり天気がいいと気分も晴れるわね、烏丸」


「ああ、それには同意だな」


 烏丸は使い魔契約により、いつの間にか人語を解することができるようになったらしい。最初に彼が喋りだしたときはたいそう驚いたものだ。

 コノハは烏丸を肩に乗せ、会話をしながら神社内の施設を見て回っていくことにした。自分たちの住居の外観を眺め、拝殿や手水舎、最後に鳥居を見上げる。朝露に濡れていたそれは、ツヤツヤと朱に輝いて、参拝者を待っているようだった。

 そこから下を見れば、石段が地上まで続いている。せいぜい三十段ほどの少ない段数だ。若者ならば数分で昇れるだろう。

 ふと、その一番下から、誰かが上がってくるのが見えた。日傘を差しているところから、女であろうか。使用人らしき男も複数連れている。顔は見えない。だが、しゃなりしゃなりとした品のある歩き方はどこか見覚えがある気がする。

 疑問が確信に変わる前に、女は石段を昇りきり、鳥居の前で呆然と立っているコノハの目の前に立っていた。


「ごきげんよう、お姉様。いいお天気に恵まれましたね」


「――サクヤ」


 日傘をさした、あの忌まわしい妹が、ニッコリとほほえんでいる。

 コノハは、目の前がぐにゃりと歪んでいくような錯覚を覚えた。


「お前、奥様の妹君か。何をしに来た」


 竹箒を持った葦原の従者が、牙をむき出してうなる。

 それを、妹は「まあ怖い」と、口に手を当てて眉をひそめ、馬鹿にするように笑った。


「ミコト様の下僕というのは、しつけがなっておりませんのね。初等部の子どもだってもっと上手く感情を隠せますわ」


「貴様……!」


 サクヤと眷属が揉めていると、「何事です」と鈴の鳴るような凛とした声が、背後から聞こえてくる。

 ミコトは、妻を後ろから支えるように抱き寄せ、狐面がサクヤを視界に捉えた。


「まあ、ミコト様。ご機嫌麗しゅう」


 妹は花が咲くような明るい笑顔で、日傘を閉じる。傍にいた使用人に渡すと、彼はクルクルと傘を綺麗に巻いて畳んだ。


「本日はあたくし、ミコト様に会いに参りましたの」


「私ですか。どのようなご用向きで?」


 神社の主が尋ねると、サクヤはちらりと姉を見る。

 コノハは顔色が悪く、脂汗をかいていて、今にも倒れそうだった。


「その前に、お姉様を休ませたほうがよろしいかと存じますわ。ひどい顔をしていらっしゃいます。まあ、元からですけれど」


 葦原の従者は「誰のせいだと思っているんだ」と言いたげに顔を歪めている。

 きっと、花嫁は妹に再会して、高天原家のトラウマを思い出しているに違いない。

 しかし、夫はそれについては何も言わず、妻を優しく支え、その顔を覗き込んでいた。


「たしかに、ひどく体調が悪そうです。コノハさん、一度部屋に戻ってお休みになるのがよろしいでしょう」


 コノハは妹の用事というのがひどく気にかかったが、体調不良を押してまで彼女と向き合う余裕はない。結局、配下に付き添ってもらって、自分の部屋まで戻った。その間、他の眷属が主と客人を見張る形になる。

 自室に戻る際、サクヤが「本日はお供え物を持ってまいりましたの」と高級な貢ぎ物を大量に使用人に持ってこさせていたのが見えた。彼がお供え物を断れないことを把握したうえで、それを利用して自分との会話に持ち込もうという魂胆なのだろう。

 布団を敷いてもらって横たわると、止まり木の上の鴉が、不安そうにコノハの顔を覗き込む。


「大丈夫よ、烏丸。私のことはどうでもいいの。それより、ミコト様が心配だわ」


 あのサクヤが、わざわざ姉の夫に会いに来る理由がコノハにはわからない。

 自分が結婚したら会わずに済んでせいせいするのではなかったのか。

 彼女が「爺」と罵ったミコトに会って、何をするつもりなのか……。

 様々な思考が頭の中を駆け巡って、脳の神経が焼ききれそうだ。

 疲れ果てたコノハは、一旦考えるのをやめて、意識を手放すことにした。


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