第11話 神様のお仕事
六月。桜国では梅雨の季節である。
じめじめとした湿気は、葦原神社に恵みの雨をもたらしていた。
「うーん、さすがにこの天気では縁側でお茶、というわけにもいきませんか」
葦原ミコトは残念そうな声を上げている。
ちなみに、彼はコノハに素顔を見せたあとも、狐面を相変わらずつけていた。
いわく、「神社に急なお客さんが来たらびっくりさせてしまうから」とのことである。
「旦那様、本日はお仕事の予約が入っておりますよ」
「ええっ? 誰です、こんな雨の中、神社なんて来るのは」
眷属が予定を確認すると、素っ頓狂な声を上げるミコト。
なんだかおかしくて、コノハは思わずクスッと笑ってしまった。
「……まあ、こんなじめじめした季節、縁切りにはちょうどいいかもしれませんね」
「ミコト様、あまりご自分を卑下なさらず。……というのは、お前が言うな、という感じでしょうか」
夫は、妻の言葉に、口元を緩ませる。
狐面をしていても、優しい目をしていると分かった。
「ミコト様のお仕事、拝見してもよろしいでしょうか?」
「構いませんが……そんなに面白いものでもありませんよ?」
「大丈夫です。夫の仕事ぶりが見たいだけですから。お邪魔はいたしません」
初夜で旦那様に愛されているのを実感してからというもの、花嫁は前よりもずっと明るくなっている。
社の主も従者たちも、口には出さないが安心していた。
そろそろ、この神社のことを教えてもいいかもしれない、という点で、彼らの意見は一致している。
「それでは、ついてきてください」
ミコトに先導されて、住居用の建物から拝殿へ。中に入って、予約した依頼人を待ち構えた。
彼の恰好はいつもよりもかしこまったものである。「仕事では神様らしく、威厳のある姿を」と眷属たちが着せたものだった。
令嬢は彼の後ろ、目立たないように狐面をつけ、部屋の隅っこで夫の業務を見学させてもらうことにする。
やってきた依頼者は、若い女性だった。二十代くらいだろうか。
しかし、その顔は険しく、なによりコノハの目を奪ったのは、その女がずぶ濡れであったことである。傘もささずに、この神社まで徒歩で来たらしかった。濡れそぼった髪が顔に張り付き、その鬼気迫る表情も相まって、まるで般若を思わせる。
「お願いします、葦原命主様。私の彼を奪った泥棒猫との縁を切ってください」
コノハからは、ミコトの背中しか見えない。だが、きっと彼は笑ってはいないだろう。
「あなたの彼と、その浮気相手の縁を切ってほしい、ということですか?」
「そうです。あの女にたぶらかされなければ、彼は私と結婚する予定だったんです」
「後悔しませんか? 人を呪わば穴二つ、と申しますよ」
神様の声はひたすらに冷ややかで、硬い。
しかし、依頼人の女は「構いません」と、こちらも頑なな態度で縁切りを懇願する。
「あの女さえいなくなるなら、私はどうなったって構わない」
女の目はギラギラとしており、よほどの怨みがあるらしい。
コノハは恐ろしくて固まってしまい、その場から動けなかった。
ミコトは小さくため息をつくと、「わかりました。では、糸を」と女に語りかける。
依頼者はうなずくと、懐から赤い糸を取り出す。同時に、彼は赤いハサミを袖から取り出した。
「あなたの悪縁を、断ちましょう――」
女が赤い糸を両手でピンと張ると、縁切りの神様は赤いハサミで、それをパチンと切った。
依頼人は「ああ、ありがとうございます。これでやっと彼も目を覚ましてくれるはず」と泣いて喜んでいる。
女は何度も何度も頭を下げて、ようやく鳥居から神社の外へと出ていった。
コノハはまだドキドキしている。人の覗いてはいけない秘密を見てしまった気分だ。
「……ね? そんなに愉快な仕事ではなかったでしょう?」
夫はため息交じりに妻に笑いかけた。人間にあきれたような声色だ。
「ミコト様は、いつもこのようなお仕事を……?」
「縁切りなんてこんなもんですよ。自分に都合の悪い縁を切れば、己に良縁が舞い込んでくると思っている。必ずしも、そんなことはないというのに」
ミコトは小さく笑みをこぼしながら、狐面越しに右目を押さえる。どうやら、さっきの女からろくでもない感情が視えたらしい。
「大丈夫ですか、ミコト様」
「ええ、いつものことです」
それは平気とは言えないのでは。
彼は常日頃から、あんな恨みがましい目と対峙しているのかと思うと、令嬢はやるせない気分になった。同時に、この神社に参拝客があまり来ない理由も察したのだ。おそらく、たまに来たとしても、先ほどの女のような恐ろしい依頼人しか来ないから、ミコトはいつも自分と縁側でお茶を飲みながら話をして暇をつぶすくらい時間を持て余しているのだろう。
「なにか、美味しいお菓子でも食べて休憩しましょう」
「そうですね。幸い、今日の依頼はあの一件だけでしたし」
そう言いつつ、神様は花嫁を抱き寄せる。
「あ、あの……?」
「コノハさん、私、疲れました。癒やしてください」
拗ねたような態度を見せる彼に、彼女は困ったように眉を下げてほほえんだ。
「それは構いませんが……具体的には、何をしたらよろしいのでしょう?」
「そうですねえ……。抱きしめて、スリスリして、コノハさんになでてもらいつつ、膝枕をしてもらうなどいかがでしょうか」
「いかがでしょうかとおっしゃいましても……?」
妻の顔は真っ赤に染まり、ミコトはそれを見て笑みながら、自室に連れて帰ったのである。




