幕間2・妖術師とサクヤ
「――今、なんと言ったの、猫八」
高天原家の屋敷にて、サクヤが硬い声で妖術師に問いかける。
猫八と呼ばれた妖術使いは恐縮しきった様子でひざまずいていた。
「へ、へい……ですから、猫を使って葦原神社を偵察していたのでやすが……」
「律儀に最初から説明しなくていいわよ、回りくどい。要するに、あの女が三ヶ月遅れでやっと初夜をしたと思ったら? 白髪の爺が実は美形だった? どういうことよ……!」
妹は頭痛がすると言いたげに眉根を寄せながら紅茶を飲み干し、ソーサーにカップを叩きつけるように置く。
高天原サクヤはかんしゃく持ちである。姉の持ち物を譲ってもらえないと分かると地団駄踏んで暴れるので、姉のコノハは譲らざるを得ない状況だった。それが彼女のワガママに拍車をかけたと言えるのだが、コノハに何ができたであろうか……。
「具体的にどういった美形なのよ。それ次第でお話が変わってくるわ」
「葦原命主の似顔絵を用意しやした。猫の目を通して見えたものを描いておりやす」
猫八は小器用な男で、絵を描くのを得意としていた。
彼の描いた葦原ミコトの似顔絵を見たサクヤは感嘆する。
「な、なんという絶世の美貌……。縁切りの神様だからと侮っていたわ……私好みの美丈夫じゃないの……」
くらっと目まいがしたように額に手を当てていた。
「これからどうしやすか」
「お姉様にこんな美形はもったいないわ。あたくしがもらってあげる」
「へ? 旦那の中國トウマ様はいかがなさるんで?」
夫の名を出されて、サクヤは猫八をギロッとにらみつける。それだけで妖術師は「ヒィッ」と震え上がった。
「トウマ様とはこのまま婚姻関係を続ける。それに加えて、お姉様からミコト様を奪って愛人にでもするわ。あの人はお忙しいお方ですし、まあ気付かないでしょう」
そもそもトウマがそういった感情の機微に敏感であれば、サクヤに対して何度もコノハの話題は出さないはずなのだ。
だから、浮気される夫が悪い。彼女の中ではそう結論付けられた。
「トウマ様ったら、未だにお姉様に好かれていると思い込んでいるのよ。幼い頃の年上に対する憧れを自分に対する好意だと真に受けるだけではなく、それをいつまでも引きずっているだなんて、あまりにも子供じみていると思わない? あんなの、あたくしに釣り合う男ではなくてよ」
サクヤは夫に対して、あまりにも容赦のない批評を向けた。彼女の初恋はすでに冷めている。単に姉が恋をしていたから奪い取ってやっただけで、そこに好意はもう存在しない。
彼女にとっては、自分は愛されて当然、あんな醜い姉が愛されるわけはないし、仮に姉が愛されているのなら、自分が少し愛嬌のある笑みを見せればみんな自分のほうをもっと愛してくれるに決まっているのだ。自分を中心に世界が回っていると本気で信じている女である。
「あたくしは葦原神社へ向かう支度をするわ。猫八、あなたは引き続きあの神社を見張りなさい。なにかあったら、すぐにあたくしに知らせること。いいわね?」
「へい、お嬢様」
「まずは貢ぎ物……この場合はお供え物になるのかしら。ミコト様を魅了するような豪勢なものを準備してから向かいましょう。ふふ、楽しみ。お姉様はどんな絶望の表情を見せてくれるのかしら」
――猫八という男にとって、サクヤは魔性の女である。
彼は猫背で百五十センチほどの、下手をしたら女よりも小さな体躯をしており、そこらの女は相手にもしない。
だが、サクヤが彼の妖術師としての才能を見出し、父親に進言して高天原家のお抱えとして拾った。
猫八は彼女をおそれながらも、その悪の偶像としての魅力にどうしようもなく惹かれている。
自分に振り向くわけがないとわかっていた。仮に振り向いたとして、この男には手に余る女であることは明白である。
ただ、彼女に付き従い、自分には隠すことなく見せてくる、その悪辣を特等席で間近に見るのが、彼の悪趣味であり愉しみでもあった。
そして、猫八は街じゅうに使い魔の猫を放ちながら、神社へ向かうためにお供え物の準備をするサクヤを眺めていたのである。
そんな悪の主従を、灰色の鳩が見ていた。




