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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
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8話 大きくなったな、総一郎85

 気配がして振りむくと、ナイがこちらに飛び込んできた。


「総一郎くーん!」


 ものすごい勢いで飛び込まれたが、総一郎も百戦錬磨。上手く横に勢いを受け流しつつ、ちゃんとナイを掴んでぐるりと一回転。倒れることなく受け止めることに成功する。


「ナイ! 良かった、帰ってこられたんだね」


「ついさっきまで、総一郎君のお父さんの中に取り込まれてたけどね。お父様方を通したからちょっと不安だったけど、打っておいた手でどうにかなったみたい」


 その説明で、総一郎は気付く。


「……ってことはナイ、みんなを助けてくれたの?」


「えっ? ……」


「……」


 ナイはキョトンとして総一郎を見つめた。総一郎もキョトンとしてナイを見つめる。


 それから一拍して、「あは、あはははは!」とナイが乾いた笑い声を上げた。


「そ、そんなことするわけないじゃないカー! このボクが? 無貌の神の化身たるボクが? 総一郎君~、そんな馬鹿な質問はやめてほしいな~」


「……」


「……ねぇ、何か言ってよ。生暖かい目で見ないでよ。やめてよ……」


 どうしよう、ナイが可愛い。


 そう思っていると、正面から小さな影がもう一つ近づいてきた。彼女は総一郎を見るなり「ソー!? だっ、大丈夫ですかっ? あ、ああ、腕が、そんな」と悲鳴を上げる。


「あ、ローレル。良かった。君も何ともないみた」「何が良かったですか! 熾烈な戦いがあったのは理解しますが、もっと自分のことを労わってください!」


「……はい」


 激怒である。しかも涙をぽろぽろ流してのそれだ。総一郎には対抗の手立てがない。


 しかし、そんな再会に喜びを分かち合うだけの時間は無いようだった。よろめきながら立ち上がる傷だらけのグレゴリーに、険しい顔をしたベルが駆け寄ってくる。


「おい……。水を差して悪いが、敵はまだ残ってんだろ」


「ああ。ソウのお父様も倒さねばならない難敵だったが、もとはと言えば彼女が呼び出したことを忘れてはいけないよ」


 その忠告に、総一郎は我に返る。ヒイラギ。総一郎は「ごめん。もう少しだけ付き合って」とローレルに告げると、「せめて私の肩につかまってください」と無事な左腕を彼女の肩に取られる。


「それで、このどこかに入り口が」


「ああ、それなラここだヨ」


 仙文が、軽い調子で瓦礫の一つを蹴飛ばした。まるで発泡スチロールのように、蹴られた瓦礫が宙を舞う。


「……仙文?」


「ン? アハハ。もう終幕も間近だからネ。ボクが正体を隠している必要もなくなったという訳サ」


 ネ? という言葉と共に総一郎の中に記憶がよみがえる。『灰』。総一郎は呼吸が止まるような衝撃と共に、仙文を見上げた。


「……君は……」


「そんなことハ、どうでもいいコトサ。さ、行こう。彼女が待っているヨ」


 我先に、と進む仙文に、一同は顔を見合わせつつも、ついて行くことになった。地下深くの階段を、下る。下る。時折謎めいた生物が襲い掛かってきたから、魔法で簡単に退治した。


「ここが最奥サ」


 下った先には、気分が悪くなるような臭いが充満していた。総一郎は、かつてオーガの肉を生で食らったこともあり、その臭いを知っている。


「内臓と、血と、汚物の臭いか……」


 みんな、と総一郎は振り返った。それから、簡単に問いかける。


「こんなところまでついて来てもらってなんだけど、ここは見るに堪えないものがきっと多く存在する。よければ、今の内に戻った方がいい」


 それに、誰よりも早く反論したのはグレゴリーだった。


「おい、いまさらそんな奴が、ここに居ると思うのかよ。つーか、人間の内臓ごとき、あのクソ神々に比べりゃグロくも何ともねぇ」


 ベルはしきりに頷き、ローレルは苦笑気味に総一郎を見た。ナイは少し小ばかにしたように肩を竦める。総一郎は悟った。なるほど、愚問だったらしい。


「分かった、一緒に行こう。ヒイラギはまだ手を残しているかもしれない。油断しないで」


「あんな奇跡が二度起こるとは思えないけどね」


 ナイの軽口を聞き流しつつ、総一郎は仙文に視線を送った。仙文はにっこり頷いて「コッチだヨ」と案内を続ける。


 その道程で見たものについては、詳しい描写を省こうと思う。ただ、ヒイラギの犠牲者たちが、生死問わず居たとだけ言っておこう。


「ここだヨ」


 厳重な扉で守られる一室を前に、総一郎は先陣を切って手を当てた。「原子分解」と呟き、その扉を無に帰す。部屋中に紫電が走り、中の脅威を排除する。


「あ、がっ、ぎ……!」


 その中に、ヒイラギは居た。彼女は数々のおぞましい手下を引き連れ、少しでも抵抗しようと待ち構えていたらしかった。だが、そのすべてが総一郎の原子分解の余波の電撃によって痺れ動けなくなっている。ナイが「任せて」と言うのに頷くと、彼女はその生物たち一瞬にして消し去った。


「殺したの?」


「まさか。質がいいものばっかりだったからね。もらったのさ」


 ナイは説明しながら、「さて」とヒイラギに近づいていった。痺れて動けないままに、ヒイラギはその表情を恐怖にゆがめていく。


「やーっと追い詰めたよ、ヒイラギ~」


 嗜虐心にあふれた声色で、ナイはヒイラギに話しかける。ヒイラギは「あ……、あ……」としか、痺れて言う事が出来ない。


「さぁ、どうしてくれようかな~? ボクらはほとんど不死だけれど、幸いにもここには、不死殺しの剣がある。でもなぁ、惜しいよねぇ。だってさぁ」


 ナイは、これでもか、とヒイラギに顔を近づけて言った。


「こんなにボクらを苦しめてくれた君だもんねぇええええ。同じくらい苦しめてあげなきゃ、フェアじゃない」


 そうだよねぇ、とナイはこちらに振り返った。それを、止める者などいない。グレゴリーや仙文は興味がないが、総一郎も、ローレルも、ベルも、ナイ本人だって、大きな“貸し”がある。


「……そうだね、どうしてくれようか」


 総一郎が静かな声で言うのに反応して、ヒイラギは「ぅっ、~~~~~~~~~~~っ!」と声にならない悲鳴を上げた。


「じゃあ~、誰から行くぅ? あ、ボクはね、最後がいいなぁ。たーっぷり、お返ししないとだからね」


 あは! と笑うナイは、邪神らしい邪悪さに満ちていた。だが、この場にいる誰もが似たり寄ったりだろう。


「あーでも、それでいうと、ARFのみんなを連れてこられなかったのは残念だね。彼らの方が、いっぱい、恨みつらみもあったろうに。うーん、むしろ、今からでも連れてきてあげようかなぁ?」


 どうする? と尋ねてくるナイ。答えたのは、ベルだった。


「その辺りを、私に一任してもらえないか。あと、一番槍も」


「……」


 ナイは総一郎を見た。総一郎が頷くと「もちろん! さぁ、好きにすると良いよ、ベルちゃん」と先を譲る。


「……ヒイラギ」


「っ、ひっ、ひひ、ひーっ、ひーっ」


 ヒイラギはうずくまり、ひどく情けない体勢でひたすら首を振っていた。それをして、ベルは躊躇わず手を握る。ビクリと跳ねるその手を押さえつけて、ベルは言った。


「ヒイラギ。最初の契約通り、ファーガスを生き返らせろ。じゃなきゃ、ARFのみんなを呼んでもらう。お前に、与える苦しみを、倍に増やす」


「ッ」


 その交渉に、ヒイラギは顔を上げた。ナイが「総一郎君?」と肘で突いてくるのを、「いいよ、俺たちはいざというときのために控えていよう」と答える。


「ッ。ッ、ッ」


 しきりに頷くヒイラギを見下ろして、ベルはじっと黙りこくっていた。それがヒイラギをさらに必死にさせる。泣きながら、言葉もなくアピールするヒイラギを見て、「なら、ARFのみんなは呼ばない」と頷いた。


 そこでローレルが口を挟む。


「あの、可能であれば、裏切らないように条件を付けるべきかと。例えばヒイラギが今の約束をたがえた場合、……そうですね。私なら、“殺すまでの時間を倍に延ばす”など提案しますが」


「……ローラ、君も大概容赦がないな」


「所詮ヒイラギですし」


「ローレル、その辺りで」


 総一郎に諫められ、むっとしつつローレルは引っ込んだ。しかしその会話を経て、ヒイラギは、より真っ青に青ざめている。


「じゃあ、やってくれ」


「……」


 ヒイラギが、困ったように眉を垂れさせてベルに振り返る。その様子を見て「痺れていてできないみたいです」とローレルが通訳を。ベルは考え込んでから、総一郎に向き直った。


「申し訳ないけれど、この痺れを取ってあげられないか」


「確認するけど、それがリスクになるってことは理解してるよね?」


「もちろんだ。そのとき何かあれば、私が責任を取る」


 どう責任を取るのだろう。だが、その瞳には強い覚悟があった。彼女の手元を見れば、僅かに修羅が蠢いている。それをして、総一郎は「分かった。信じよう」と答える。


「じゃあ、ヒイラギ。君のしびれを取るよ」


 ヒイラギを『闇』魔法で包み、可能性を模索してから破壊した。砕けた闇の中から、「え……? わ、わたくしに一体何が」と困惑するヒイラギが現れる。


「イチ、今何したんだ」


「父さんに使った技の真逆。詳しい説明は後でするよ」


 険しい顔で問い詰めるグレゴリーに、総一郎は軽く答えた。それから、「さぁ、ベルの言う通りに」と命令すると、ヒイラギは震えながらコクコクと頷いた。


「す、少しお待ちになってくださいまし。わた、わたくしとて、魔法のようにその場で簡単に、人間をよみがえらせられるわけではございません」


 言いながら、どこからともなく取り出したチョークで、ヒイラギは地面に魔方陣を描き出した。総一郎がナイを見ると、彼女は言われるまでもなく、その魔方陣をチェックしている。


「……確かに、注文通り死者蘇生の術式だね。っていうか、ベルちゃん。ヒイラギは別世界からお望みのファーガス君を呼び出せると思うけど、死者蘇生でいいの?」


 ナイの問いに、ベルは固く頷いた。


「ああ。いいんだ。私のファーガスは、あのとき、私が助けられなかったファーガスだけだから」


「ふーん、そっか。ま、気持ちは分からないでもないよ」


 やり取りが行われる中でも、ヒイラギは一心不乱に死者蘇生の魔法陣の作成を進めていた。この短時間でも、複雑な魔法陣は、すでに半分以上完成しているように見える。


「ふぁ、ファーガス様ですのね。分かっております、分かっております……。けひ。分かっておりますわ……」


 引きつった奇妙な笑い声をあげるヒイラギに、総一郎は警戒心を強める。だがベルは、「いいんだ。後生だから、余り目くじらを立て過ぎないようにお願いしたい」と目を伏せる。


「……分かった。俺も、会えることならファーガスに会いたい」


 だが、要求通りに会えるかどうか。疑わしいが、ナイの監視があれば問題ないだろう。彼女は彼女で、冷酷な目でヒイラギを見下ろしている。その手には、謎めいたナイフが握られていた。ゴテゴテとした装飾がついた、いつかどこかで見たようなナイフだ。


「もし妙なことをして見なよ。君の死体は、屍食鬼に食わせるのじゃ済まさない。もっと下等で、汚らしい虫の苗床にしてやる」


「わ、分かってますわ。分かっています。まじめに、まじめに取り組みますから……」


 ナイフを首筋に添えられて、ヒイラギのチョークの走る速度が僅かに早くなった。そろそろ出来上がる。それが、何故だか分かった。


「出来ました」


 各々が、目配せし合う。そして最後に、ベルへと視線が集まった。彼女は唾を飲み下し、「儀式を」と命じる。


「え、ええ。粛々と、行わせていただきますわ。……――――――――――」


 人間には聞き取れない音域の声で、ヒイラギは詠唱を始めた。どこからともなく取り出した何かの粉、印の刻まれたネックレス、そして蝋燭の火を適切と思われる場所に配置して、ヒイラギは淡々と儀式を進める。


「イチ。いざとなればどうする。オレは、奴を殺せないぞ。無貌の神でも『能力者』の範疇に入る奴と、入らない奴がいる」


「脅威として現れたのが『能力者』だったなら、一緒に対処しよう。それ以外なら、君は手を出さなくていい。俺たちでどうにか出来るから」


「分かった」


 儀式が進む中で、この場の酸素が薄くなるのを感じる。だが、カバラで検査したところ、雰囲気に当てられているだけだと判明した。炎の揺らぎや、“生き残り”のうめき声。それが、精神的に総一郎を圧迫しているだけだと。


「――――――――――――」


 ヒイラギの唱える祝詞の語調が上がる。暗がりの中で、蝋燭の火と共に全員の影が揺らいだ。息苦しさが増す。祝詞の様子が最高潮に達する。そして、ローレルが吠えた。


「ヒイラギ! 止まりなさい! それ以上アナグラムを揃えるなら」


「もう遅いですわ、おバカさんたち!」


 総一郎は、そのやり取りだけでヒイラギに出し抜かれたことに気付いた。ローレルはフィアーバレットを発砲し、総一郎は魔法を展開し、ナイはナイフを飛ばす。だがそのすべてが魔法陣中心に現れた人物によって止められる。


「―――ファーガス」


 ファーガス・グリンダー。数年前、総一郎が殺した少年。彼は時が止まったように、そのままの姿でそこに立っていた。そこで、グレゴリーが戦闘態勢に入る。だが、ヒイラギは依然として勝ち誇っていた。


「けひひひひひひ! ああ、なんてことですの! わたくしに僅かでも信用を置いてしまうなんて、本当にお人好しで、おバカな皆さん! でも、分かっていますのよ! この場の『能力者』はナイの想い人とグレゴリー・アバークロンビーのみ! そしてナイの想い人は概念戦を経たばかりで、回復しきっていない! あとはアバークロンビーの相性最悪の『能力者』を用意すれば、もうわたくしの勝ちですわ!」


 哄笑をあげるヒイラギを前にしながら、ローレルに「ヒイラギは何を?」と尋ねる。彼女は「ナイの監視を潜り抜けるために、儀式そのものはまともに進めていました。ですが小さな所作で、精神魔法のアナグラムを……」と。


「すいません、私がもっとよく見ていれば……!」


「いいや、俺も見抜けないような盲点だった。それで、やっぱり」


 視線が、ファーガスへと集まった。彼はうつろな目をして、ヒイラギの命令を待っている。掛かっているのは強固な精神魔法。総一郎にも解けないことはないが、時間を要するそれだ。


「さぁ! ファーガス・グリンダー! あなたの噂はかねがね聞いていますわ! その『物質の特性を強化する能力』で、彼らすべてを薙ぎ払ってしまいなさい!」


 ヒイラギはけひけひと高笑いを浮かべながら、ファーガスに命じた。ファーガスはゆっくりと手を上げ始める。この場の全員がそれを警戒のまなざしで見つめている。


 だが、その手は何かを放つという事もなく、そのままファーガスの頭に触れた。そして小さく、パツッ、と電気の爆ぜる音が響く。「え……?」とヒイラギの困惑する声。だらんと下ろされたその体、その瞳には、理性が戻っていた。


「……何だココ。これどういう状況だ?」


「……!」


 その場で、肩透かしを食らわなかった人間はいなかっただろう。ヒイラギは腰が抜けてしまったのか、「う、嘘、嘘ですわ……」とへなへな崩れ落ち、ファーガスを見上げるばかり。ファーガスはそんな彼女をあきれ顔で見下ろして、こう言った。


「あー……俺を洗脳しようとしたのか? 残念だけど、その辺り、前世ですげー痛い目見てっからさ。今世ではガチガチに対策してあんだよ」


 誰だか知らねーが、ザマミロバーカ。ファーガスに一蹴され、ヒイラギはそのまま呆けてしまう。


「っていうか、少しずつ思い出してきた。そうだよ。俺、今しがたソウイチロウに殺され……て……」


 そこで、ファーガスの視線と、総一郎の視線がかち合った。ファーガスは驚いた様子で、「お、おま、お前、ソウイチロウ、か……?」と目をパチクリさせる。


「う、うん……。そ、その、なんて、言うか」


 疑ってかかっていた分、ただファーガスに会えたというこの状況で、総一郎には何かを言うような心の準備が整っていなかった。しかも、話に聞く限り、総一郎の対決の直後の記憶でいるファーガスである。何を、どう話しかければいいというのか。


 だが、ファーガスはそうではなかったらしい。


「……成長、してるな。あれから、何年たった?」


「え、あ、……二年、くらい」


「そう……か……」


 ファーガスの視線がそれる。ローレルを見つけて、彼の表情がほぐれる。


「あ、はは。そうか、いまだによろしくやってんのか。仲良かったもんな。そうか、そうか……」


 それから、ファーガスは総一郎に視線を戻した。彼はどこか後悔を顔ににじませて、話し始める。


「ソウイチロウ。ごめんな。俺、早とちりしてたんだな」


「ファーガス……?」


「俺、お前がさ。もう、止まれなくなってたんだと思ってたんだ。人を殺して、おかしくなって、放っておいたら不幸のどん底まで走っていくしかない、みたいなさ」


 言われて思い出すのが、リッジウェイ警部だ。彼は、まさしくその状態だった。かつての総一郎も、その状態に近かっただろう。


「でも、違ったんだな」


 ファーガスは言う。


「ローラともまだ仲良くして、何人も仲間引き連れて、お前は幸せになれたんだな。あそこからだって、お前は、幸せになれたんだ。その可能性に、俺は気づけなかった。ネルの言う事を鵜呑みにして、お前を殺すことでしか、お前を助けられないと思い込んでた」


 余計なお世話だったな。そう言葉にするファーガスの姿が、先ほどの父と重なる。


「違う、違うんだ。ファーガス。俺は、俺はあの時、本当なら君に殺されたっていいって」


「ソウイチロウ。そんなこと言うな。お前は、あの後も立派に生き抜いて、幸せを掴んで見せたんだろ。もしくは、その途中なのかもしれないけどよ」


 言われて、総一郎は黙りこくる。喉を鳴らし、ファーガスの話の続きを聞く。


「なら、胸を張れ。自分をバカにすんな! お前は、俺の大切な友達だ。お前が自分のことを悪く言うんなら、俺は怒るぞ!」


「ファーガス……」


 総一郎は、自然と流れ出した涙を拭い、答える。


「分かった。俺は、俺のことをバカにしない。君の大切な友達であれたことを、誇りに、思う」


「……うん。そうしてくれると、俺も報われる」


 笑顔で答えてから、ファーガスは手を掲げた。何かと思うと、その手から炎が出現する。それは最初単なる炎だったが、見る見るうちに膨大なアナグラムを纏い始めて、ファーガスの『能力』の一端であるのだと知る。


「じゃ、俺はこの辺で失礼するかね。ついでにこいつも連れていくか?」


「ひっ、い、いや、嫌ですわ! 嫌ぁ!」


「はっはっは。わっかりやっすい悪役の最期だな。ま、こういう一期一会があってもいいんじゃねーの? 俺、勘違いで親友殺しかけたようなアホだけどさ、一緒に地獄めぐりに付き合ってくれよ」


 腰が抜けたまま逃げようとするヒイラギを、どうやってかファーガスは、手で吸い込んで引き寄せた。ヒイラギの頭を乱暴につかんで、「じゃあな、ソウイチロウ。ローラも、会えてよかった」と炎を落とす。


 その炎は、ひどく鮮烈で、美しい炎だった。外側にいるこちらには何の熱も伝わってこないのに、ヒイラギは「熱いッ! 熱いですわッ! 助けてッ! 助けてェッ!」ともがき苦しんでいる。


 そこに、駆け込んでいくものが居た。


「ファーガス!」


「うぉっ。……お前、ベルか? おっ、おい! ここにいたら燃え死ぬぞ!」


 慌てて追い返そうとするファーガスを、ベルは強く抱きしめた。数年の歳月は、気付けばベルを、ファーガスよりも高い身長に成長させたらしい。ベルはファーガスを胸に抱きしめて、声いっぱいに叫ぶ。


「いい! それでいいんだ! 私は、私はファーガスと一緒に居たい。君がいないこの数年間は、本当に寂しかった。孤独で、敵だらけで、救いなんか何もなかった」


 ファーガス、とベルは彼の名を呼ぶ。


「私は、君のいないところで、何度も何度も罪を重ねた。償わなければならないんだ。地獄に落ちなければならないんだよ。でも、私は一人は怖くて、生きろってみんなは言うけれど、もう、私は……!」


「……参ったな。そんなに言われちゃあ、追い返すもんも追い返せねぇよ」


 炎が、燃え上がる。それは静かに三人を焼き、焦がしていくようだった。それに総一郎は手を伸ばしかけ、しかしローレルに阻まれる。だからせめて、大声で彼の名を呼んだ。


「ファーガス!」


「何だ?」


 笑顔でこちらに振り向いた彼に、総一郎は泣き笑いを浮かべて、こう言った。


「じゃあ、またね」


「……またな。ソウイチロウ」


 炎が、一度派手に燃え上がる。そして、包まれる三人の何もかもを消し去った。ファーガスの笑顔も、ベルの涙も、ヒイラギの絶叫も。


「……ソー」


「うん……」


 総一郎はローレルと手を取り合って、そっと肩身を寄せ合った。だが、そのまましんみりとした空気で終わらせまいとするものが一人、奥から現れる。


「諸君、見事だった。実に、見事な決着だった」


 拍手と共に現れたのは、底知れない、黒い肌の男だった。総一郎は奴を前に、本能レベルで緊張が張り詰める。そこでちょうど、グレゴリーが前に出た。


「こいつは、オレがやる」


「おやおや、剣呑なことだ。しかし、ここまで戦闘続きだったのだ。致し方ないことか。ひとまず、私は敵でないことを約束しよう。契約書は要るかい?」


 差し出してきた紙は、羊皮紙ならぬ人皮紙のようだった。総一郎は怖気が立って、「要らない!」と強く拒絶する。


「おや、気分を損ねてしまったようだ。これは失敬。では、手短に用を済ませていこう」


 そうだろう、我が化身よ。呼びかけられ、前に出たのはナイだ。


「ああ、そうだね、無貌の君。それで? ボクもこれから何が起こるのか把握していないのだけど」


「おや、これまた失敬。何のことはないよ。君の中の“私”を返してほしい。それだけさ」


 穏やかにナイに手を差し伸べる黒い肌の男に、総一郎は敵愾心をむき出しにする。


「ナイに何か危害を加えてみろ。お前の存在の根幹にまでさかのぼって殺してやる」


「手伝うぜ、イチ。こいつは、何だか知らんが癪に障る」


「おーやおやおや! 初対面だというのに、そこまで嫌われてしまっては悲しくて泣いてしまいそうだなぁ! だが、安心したまえ。危害など加えないよ。君たちの認識上は、ね」


 含みの多い言い回しに、総一郎は強く奴を睨みつける。だが、それをナイが制止した。


「大丈夫だよ、総一郎君。彼が要求しているのは、ボクというより、ボクの中の無貌の神だ。人間の中から、自分の分身を引き抜いて吸収したい。要求としては、それだけでしょ?」


「ああ、そうだとも我が化身よ。そうして起こることと言えば、まぁ、君たちに聞こえのいいように言うのであれば、無貌の神としての宿命からの解放だ。要するに、ただの人間になる。それとも化身の愛し人よ。君が価値を見出したのは、彼女の無貌の神たる側面かな?」


「違う。俺が愛しているのは、人間のナイだ」


「っ」


 正面から言われてしまい、ナイはそっぽを向いて、黒い肌の男は「大変結構だ。ならば、返してもらうよ」とニッタリ笑う。


「では、お見苦しいところを見せてしまうが」


 黒い肌の男は、ナイの口の中に思い切り手を突っ込んだ。総一郎は色めき立つが、ナイから手で制止され動けない。それが数秒。黒い肌の男は「見つけた」と呟くなり、するりとナイの口から手を抜き出した。


「いやぁ、重畳重畳。これで自ら破滅を願う化身に、実際に破滅した化身がそろったのだね。うーむ、マーベラス! 素晴らしい成果だ」


「ごほっ、けほっ」


「ナイ、大丈夫!?」


 駆け寄って心配する総一郎に、ナイは苦しげに笑いながら、「だっ、けほっ、大丈夫、だよ。ちょっとむせたけどね」と平気がる。


「いやはや。中々面白い成果を出してくれたよ。戻ったら即鑑賞会だ。お父様もお喜びになるだろう。いや、お父様は人間の記憶など、難しくって理解できないか! ハッハッハ!」


 自分の君主までもを嘲笑する姿勢に、本当に話通りだと総一郎は睨みつける。すると黒い肌の男は総一郎に興味を持ったらしく、「ふむ、しかしだ。こうしては私ばかりが得することになるね」と覗き込んでくる。


「褒美にナニカ与えようか。この宇宙すべての知識が欲しいかね? それとも宇宙の中心に至る足を上げようか。君は探求心旺盛のようだから、セラエノ図書館への入場チケットとかもいいね! 植え付けられた知識より、読み取った知識の方が、価値があるものだ」


 ケタケタと嗤う黒い肌の男に、総一郎は嫌な顔でのけぞった。代わりにナイがずいと前に出て、こう告げる。


「要らないよ。総一郎君はこれからボクとイチャイチャして過ごすんだ。君の横やりなんてごめんだね!」


「……それは結構。そうだね。君たちにとっては、あるいは、無貌の神の回収こそが望むべくもない褒美であったか。ならば、それでいいだろう。幸せに過ごしたまえよ、ナイ」


 黒い肌の男は、すっと姿勢を正して「では諸君! 面白き生を歩みたまえ!」と挨拶をし、そのまま奥の闇の中に歩き去っていった。「イヤー、何度見てもワケワカンナイネ、彼」とは仙文のコメントだ。


 そうして、それぞれは他に何か妙なものが出て来はしないか、と警戒しながら、地上へと戻った。それからJVAを呼び(父を倒したお蔭で、みんな無事に生還したらしい)、せめて生きている人をヒイラギのあの場所から助けてほしいと依頼する。


 そこよりしばらくは、目まぐるしい時間だった。大量のJVA、救急車が大わらわで駆け回る。それの案内や補助に駆け回り、気付けば世界の終わりのような夜は明けていた。


 総一郎は疲れ切って、地面に倒れて空を見上げる。そこには、世界が始まったかのような晴れ晴れしい太陽が差し込んでいた。


「……きれいな朝焼けだ」


 総一郎は、満足感に目を瞑る。


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