8話 大きくなったな、総一郎75
早朝。その日、ローレルは夜が明けないくらいの時間帯に目を覚ました。
薔薇十字で確保しているホテルで、マーガレットを起こさないように上体を起こした。それからベッドを抜け出し軽くストレッチをしていると、窓の向こうから朝の陽ざしが差し始める。
「……とうとうですね」
ローレルは今日の演説会を考え、その成功を祈り、そしてソーを想った。
今日、きっと、全てが終わる。あらゆる問題が、良くも悪くも、決着する。
ローレルは十字を切って、神に祈った。それから窓を開け放つと、秋の中頃の、涼しい風が舞い込んでくる。
「ん……、寒い……」
マーガレットの寝言に苦笑して、ローレルはホテルのベランダに出た。そこからは、アーカムの街が一望できる。新市街、旧市街、大学近辺とスラム、古くからの住宅街と日本人街、工業地帯があって、それらをミスカトニック川が貫通している。
「こうしてみると、美しいですね。……ソー、あなたと、こんな風景を一緒に見れますでしょうか」
自然と口にしていた言葉をして、ローレルは口を閉ざした。それから、このように評する。
「違いましたね。ソー、あなたと共に、この美しい景色を見るのです。そのために、私は動きます」
ローレルの静かな獰猛さが、言葉にこもって自らの耳へと届いた。ローレルは牙をむかない。爪も翳さない。ただ、意思だけを鋭くして進む。
「今日、決着を付けましょう。何なら、ソーがいない間に全部片づけてしまいましょうか」
口にして、ふふっとローレルは笑った。それもいいかもしれない。ソーが慌てて現れた時に、笑って教えてあげるのだ。『もう全部済ませてしまいましたよ』と。
「そうしましょう。わざわざソーを危険にさらす必要なんて、どこにもありません。私で全部こなしてしまいましょう。リッジウェイ警部も、ヒイラギも、そして亜人差別も、この手で打破してしまうのです」
ローレルは拳を握り締め、それからもう一度朝焼けに照らされる街並みを眺めて、部屋へと戻った。肩口くらいの長さの金髪を、秋風がなでつけていく。
「よし、みんな集合したな」
ARFの拠点に朝6時くらいに集まると、グレアムが薔薇十字メンバーの点呼を取っていた。ローレルはマーガレットを連れて二番着だ。流石のワイルドウッド先生が一番着で、最下位は案の定アンジェだった。
「我々は先に向かっているハウンドの指揮下について、諸々の設営に当たる。と言っても大掛かりなものは昨日の時点で業者が完了させているらしいけれどね。マイクだったり、という機材関係が、我々の主な仕事だ」
「細工し放題なところじゃないですか。腕が鳴りますね」
「だから妨害はなしだと言っただろう、ボーフォード」
グレアムに首を横に振られ、不満げなアンジェだ。しかしそこで、「ああ」とグレアムが何か思いついたように付け加えた。
「だが逆に、敵の細工を見つけたらどんどん潰していってくれ。何なら逆探知して大本を潰しに行ってくれてもいい。そのくらいの楽しみはあった方がいいだろう?」
「さっすが団長! 話が分かるぅ!」
それだけのことに飛び上がって喜ぶのだから、アンジェも大概性格が悪い。
「具体的な内容はハウンドが?」
「ああ。……楽だと良いがね。彼女の下は働きやすいが実にタスク量が多い」
「それは……そうですね」
何度か地獄を見てきたため、その気持ちはよく分かる。時折ソーの贔屓でタスク量を明らかに少なくしてもらえるのは、ありがたいやら申し訳ないやら。
「では、向かおうか。Mr.ワイルドウッド、車をお願いします」
「ああ、任されたよ。もっとも、私はもう教職ではないのだがね」
「先生、言ってないです」
「おっと、これはしつれ、……今言わなかったかい?」
「言ってないですが……」
「んん……? これは失敬」
グレアムのテクニカルな言い回しに翻弄されるワイルドウッド先生に、女子三人はクスクスと。だが大人なワイルドウッド先生は「からかわれてしまったみたいだね」と大人の余裕で受け流し、EVフォンから車を開錠した。
「さぁ乗りたまえ諸君。アーカムで購入した、自家用車だ」
「このご時世で免許を取るっていうんだから気合入ってますよね、先生」
「もちろんだとも。記念すべき日だ。この日を無事に乗り越えるためには、あらゆる出資を惜しまないよ」
その言葉に、昨日の先生の言葉を思い出し、ローレルは背筋に冷たいものが走る感覚を抱く。だが他の面々はそれどころではなかったようで「せ、先生。そう言う冗談は、少し控えていただけると……」と苦言を入れるマーガレットに、それぞれ追い打ちで首肯していた。
「ハハハ、君たちは繊細だね。シルヴェスターくんの冷静ぶりを見習うと良い」
「ローラ先輩を引き合いに出すのは良くないですよ、先生。特殊個体にしかできないことってあるじゃないですか」
「誰か特殊個体ですって? アンジェ」
「ひぅっ、いやいやいや、これはモノの例えというかですね。いやその前にあれですよ! 特殊個体って別に悪口じゃないって言うか、ほら! エースっていうなれば特殊個体ってことじゃないですか! 集団の中でも特筆して優れた特殊個体、つまりエース!」
「今謝れば許しましょう」
「すいませんでしたっ!」
まったく、と腕を組み許しの構えになるローレルに、アンジェは首を竦めて縮こまるポーズ。
そこで「さ、もういいころ合いだろう。車に乗るんだ諸君。早々に到着して、可能な限り迅速に物事を進めようじゃないか」とグレアムが団長らしく取りまとめに入った。
「はーい」とアンジェが言えばもう、うだうだ言う人間はいない。カバリストたちは車に乗り込み、ドアが自動で閉まる。
「今日、全てが」
隣に座ったマーガレットの呟きに、ローレルは「私たちは、やれることをしましょう」と元気づける。車が静かに走り出す中で、マーガレットは苦しそうに笑い、「そう、ですね。……せめて、神に祈りを」と十字を切った。
行きの車の中は、沈黙が満ちていた。狭い空間に押し込められることで、それぞれの緊張感が露わになったのだ、とローレルは思った。ローレルとて、緊張していないわけがない。ただでさえ大舞台だ。それが、星の命運さえ、と言われて、平然と受け止められはしない。
「……ソー」
窓の外を見ながら、自然と口にしていた。今もなお苦しんでいるのだろうか。あなたの傍で、あなたを励ませれば。だが、それで救われるのはローレルだけだ。ローレルしか救われない欺瞞を、ローレルは拒絶する。
考え事をしていると、到着はすぐだった。車の停止に気付くと同時、扉が自動で開かれる。降りると「待ってたぜ」とハウンドが歩み寄ってきた。野球帽に金髪のツインテール、そしてドクロの革ジャン。一見すればただの不良少女が、我々にとっては上司同然なのだから、人生というものは分からない。
「今日の兵隊のご到着ってな。団長、コンディションはどうだ」
「君にこき使われるのが今日で最後だと思うと、肩の荷が下りるというものさ」
「皮肉を言えるなら上等だな。ま、泣いても笑っても今日の成果でアナグラム合わせはほぼ完了だ。やっとここまでこぎつけたんだ、かっちり揃えるぞ」
「任せたまえよ」
グレアムが軽く返すのを見て、「よし」とハウンドは頷いた。それから彼女は薔薇十字メンバー一人一人に指示を出し、それを受けるなりメンバーは散り散りに持ち場へと移っていく。
「さて、最後はシルヴェスターだな」
残る一人になって、ハウンドはローレルに目を向けた。「私は何を?」とまっすぐに見返すと、ハウンドは「やる気十分だな。お前にはアタシのフォローに回ってもらう」とニヤリ笑って踵を返した。
「フォロー、とは具体的には何を?」
「アタシが困んないように手を回す、ってことだ。お前レベルのカバリストなら、その指定だけでも十分具体的と言えるだろ? 他メンバーはそれぞれ得意分野に当てたが、シルヴェスターはカバラにおいちゃ何でもできるからな。だから『何でもやってもらう』ことにした」
「……それはまた」
「無茶ぶりだって? お前にはちょうどいい仕事だよ。上手く動いて、“いい具合”にしてくれ。それが巡り巡ってウチのボスのためになる」
「……」
そう言われれば、
ローレルには、動かないという選択肢はない。
「……良いでしょう。口車に乗って差し上げます。さしあたり、会場のあそことあそこ、アナグラムに違和感があります。調べてもらってもいいですか?」
すぐそこの演説台を指さしすると、ハウンドは「んん……?」と目を細めてから「うわ、ありゃ早速工作が入ってるな。しかもちょうどこっちの演説の手番で働くような、狙いすました手抜きだ。早速お手柄だ、シルヴェスター」と言って、耳を押さえ誰かと連絡を取り始めた。
そんな様子を横目にしながら、ローレルは会場全体を見回していた。繁華街ほどの賑わいがある場所ではないが、だからこそ興味のある人間だけが訪れる旧市街と繁華街の狭間の空間。まだ早朝だというのに、すでにちらほらと様子を見に来ている人が居た。
「とうとう、ですね」
カバラでの計算結果では、おおよそ街の人口の三分の一が集まるという推定が出ていた。SNSで収集できた多くのアナグラムから、この市長選は亜人差別へと投じる大きな一石として明確に世間から注目を集めている、と判明している。
「ああ、そうだ。犯人の捜索も含めて、よろしく頼んだ」
指示を出し終えたハウンドが「よし、出だしは良い調子だぜ、シルヴェスター」と軽く肩を叩いて、会場へと歩き出した。ローレルは、それに半歩遅れてついていく。
「ひとまずは、アタシの後ろについてきながら、今の感じで気になるところを言ってくれればいい。この後のプログラムについては聞いてるか?」
「ええ。確か……設営が済んだら休憩を入れて対抗演説の導入。リハーサルはそれぞれの陣営で前日に済ませてあるんでしたよね。それから交互に応援演説をして、最後に立候補者同士で直接討論、と」
「おう、ちゃんと分かってくれてるみたいだな。ひとまず設営は人間の容姿になれる亜人連中がガンガン進めてくれてるから、アタシらはその監督……要は見回りだ。それから演説で妙な横やりが入らないかってのをチェックする流れになる」
観客整理の柵を設置している面々に「調子はどうだ?」とハウンドが声をかける。「おう! バッチリだ。気前よく報酬も貰えるんだ、手は抜かねぇよ」とガラの悪い巨漢が答え、それにつられてその仲間たちが笑った。「それは何よりだ。邪魔したな」とハウンドはその場を離れる。
遠ざかるハウンドについていきながら、ローレルは小声で尋ねた。
「……今の、前々から対策を必要と議題に挙げられていた、ARFを敵視していたアーカムの亜人ですよね?」
「ああ。上手いこと交渉して、金で抱き込んだ。人間の肉を食らいたいだのと格好を付けちゃあいたが、破格のドルを積まれちゃあ見栄を張ってる場合じゃなかったらしいな」
「そのお金は……愚問でした、忘れてください」
「ハハハ。お察しの通り、薔薇十字の稼ぎだよ。アイツら数字が絡むと本当に役に立つよな」
―――出資金を何万倍にもしてくれるんだから驚きだぜ。余った資金で、またアルフタワーでも再建するか?
ハウンドはそう言って、くつくつと笑った。ローレルは思う。薔薇十字といえどもそこまで稼ぐのは難しい。つまりは、ハウンドに相当こき使われた、ということだ。それをこの物言いなのだから、何とも人使いが荒い限り、と渋い顔。
そんな風に話しながら、会場の様々なところを歩いた。思いつくままに不自然なアナグラムを指摘していると、気付けば日が昇り切り、昼食をはさむという塩梅になってくる。設営もほとんど終わっていて、ちらほら応援演説のメンバーが視界の端に映るようになった。
「ひとまず見回りはこれで終わりだ。シルヴェスターには役不足だったな。もっと重いの考えておくんだったぜ」
「勘弁してください。私だって、体力がある訳ではないんですよ」
「冗談だよ。もしお前をいじめてるのをボスが見たら、アタシなんか一発で退場だ」
「ソーはそんなに短慮ではないですよ」
「まず否定する先がそこだっていうんだから、お前も堂に入ってるよ、シルヴェスター」
本当に敵わん。とハウンドは後ろ頭で手を組んだ。それから、完成した演説台、そして観客用の柵と、そこにじわじわ集まりくる観客の様子を見て、言うのだ。
「やっとだな。やっと、正しいやり方でロバートの敵を討ってやれる」
「……」
ローレルは、そこに彼女の、彼女だけではない、多くの人々の万感の思いを感じ取った。ワイルドウッド先生の提言だけではない。それ抜きでも、やっと達成を目前としているのだと。
「気を」
「ん?」
ローレルは、一度咳払いをして、「私がこんな事を言うのは筋違いかもしれませんが」と前置きして言った。
「最後だからこそ、気を引き締めて事に当たりましょう。ここにきてつまらない失敗をしてしまっては、悔やむに悔やみきれません」
「……ハハ! 違いない!」
ハウンドはローレルの肩を組んで、「本番でも頼りにしてるからな、エース」と鼓舞してくる。ローレルは肩を竦めて「任せてください。ソーのためですから」といつものように答えるのだ。




