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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
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8話 大きくなったな、総一郎69

 翌日、ローレルがソーの病室を訪ねると、彼は病室の片隅で鼻歌を歌っていた。


「……」


 彼の背後にある窓の奥で、紅葉した葉が散っている。秋。涼しくて、何をするにもちょうどいい時期。そんな中で、彼は秋の寂しさを背負うように、静かで豊かに安寧を楽しんでいた。


 ローレルは、その姿を万感の思いで眺める。愛おしさ、郷愁、そして不安。彼を平穏と幸福の中で生かしたい。今ローレルの目に映るその姿は、まさしく平穏と幸福の中にあって。


「記憶がなければ、ないままでも」


 ローレルはそこまで口にして、首を自らに横に振り、それから一歩踏み出した。ソーはこちらに気付いて「こんにちは」と穏やかに微笑む。ローレルは挨拶と問いを投げ返した。


「こんにちは。私のこと、覚えてますか?」


「……」


 にっこりと笑って、ソーは、“ユウ”は返答をしなかった。だが怪しんだり拒絶したりする様子はない。ならば問題はないはず、とローレルは近くの折り畳み椅子を広げて、彼の傍に座る。


「今日も、お話を聞かせてもらってもいいですか?」


「うん、もちろん。そうだね……何の話をしようか」


 ユウは、斜め上を見て、何かを思い出すような所作をし始めた。ソーとは少し違う所作だ。ソーなら、考えるとき口元に手を当てる。姉のシラハもそうだった。


 前世。


「彼女さんとの、なれそめを聞いてもいいですか?」


 ローレルは、気付けばそんなことを質問していた。ユウは嬉しそうに相好を崩して「興味を持ってくれるの? 嬉しいね」と言って、また少し上を見て「そうだね」と切り出した。


「彼女とは、大学で知り合ったんだ」


「……大学、ですか」


「うん。彼女は教育学部で、先生になるんだって話だった。理系の大学で、彼女はとてもキレイな人だったから、今でも何で付き合ってもらえたのかって思うと不思議だよ」


 ローレルは、その話をどういう気持ちで聞けばいいのか分からない。だが、微笑みと共に話すユウの表情はただ愛に満ちていて、ローレルは気づくと、下唇を軽く噛んでいた。


「大学のサークルで知り合ったんだ。文学サークルだった。理系の大学でもこんなのあるんだって思ったよ。変わってる人が多かったな。彼女も変わってた。朗らかで、天真爛漫で、優しくて、なのにふとした瞬間に牙をむくんだ。ふふ」


 その話を聞いて、ローレルはシラハのことを思い出す。


「とても誇り高い人だった。いつも誰かを助けていて、誰かに助けられることをひどく嫌った。何で教育学部に行くのって聞いたら、『だって今の日本の教育クソでしょ?』って。ふふ。だから教師免許をとって、現場でやっぱりクソだって確認したら、官僚になって教育を変えるんだって」


 ローレルは続く話を聞いて、ユウの言う“彼女”がシラハにしか思えなくなった。誰か弱い人の助けになるために、徹底的に強い人に歯向かう姿勢。革命家気質のそのエピソードは、ローレルから嫉妬心を奪い去った。


「……あなたは、そんな彼女とどう接したのですか?」


「特筆すべき話はないよ。ただ、彼女の話を聞いてただけ。僕から彼女に意見を述べることは、ほとんどなかったし、多分これからすることもないと思う」


「それは、何故です?」


「だって、言っても聞かないんだもの」


 ローレルは吹き出してしまう。ユウは「楽しんでくれて何よりだよ」と、ちょっと皮肉っぽいニュアンスで首を傾げ笑った。そんな彼の様子をして、ローレルは言う。


「よき理解者だったのですね、あなたは」


「そうかな。そうだといいね。でも、きっと理解しきることはないんだと思う。彼女はとても魅力的で、難解な人だから」


 ユウは肩を竦めて、そんな風に言った。それから、窓の外、散り行く紅葉を眺め始める。


「……そうか。もう、付き合って三年になるんだ。僕が研究所に入所して三年目だから……彼女は今頃就活か。大変だね。でもきっと、何とかして見せるんだろうな」


「そうですね」


 ローレルが相槌を打つと、ユウは「ごめんね、少し眠くなってしまったから、一休みするよ」とベッドに身を横たえ、寝息を立て始めた。「はい、お休みなさい」とローレルはそれを見守る。


 それから、しばらく彼の寝顔を見つめながら、考えていた。ソーが、記憶を取り戻すのかどうか。彼の記憶を戻させることができるのかどうか。記憶が戻ることが、彼にとっていいことなのかどうか。


 人間の人生で起こる苦しみの総量が決まっているのだとすれば、とっくにソーの苦しみは来世の分まで支払っている。葛藤、喪失、冒涜。ソーは他人のために自らが苦しむことを是とし、自分の身体を切り分けるように周囲の人間に献身した。


 故にこそローレルはソーを愛さざるを得なくて、だからこそその献身を憎んだ。だが今の彼はどうだ。献身すべきあらゆる関係性を失って、彼はただ静かに豊かに生きている。


 ソーは孤独を楽しめるだろう。見ていて、ローレルはそう思う。


「……私は」


 ローレルは、驕っていた。今そのことを、強く自覚させられている。―――数百人いた薔薇十字のカバリストの中で、頂点の実力持っていたローレルだ。記憶喪失の今なら、彼の記憶を今すぐに取り戻させることも、永遠に奪い去ることも出来る。


 そのように思っていた。だが、彼に接しながらアナグラムの収集を続けるうちに分からなくなった。


 記憶喪失の相手に記憶を強制的に戻させることは出来る。そういうアナグラム操作の手順は知っていたし、何なら自分に試したこともある。ソーに奪われた記憶は無事取り戻したし、取り戻せたように失わせることも出来る。


 だが、その考えが誤っていれば? 今のソーは、ナイの言う通り、どこかカバラの適用外に置かれているような感触がある。現に今の彼は、アナグラム分析上“正常”だ。記憶喪失といった異変を検出することができない。


 要は、今の彼はある種、亜人の種族魔法のようにカバリストからは見えるのだ。そして種族魔法はカバラで扱おうとすれば破綻を招く。


 だが、問題はそれだけではない。例えカバラでの手順が正常に作用したとて、それがソーの本当の幸せにつながるかどうか。それが、ローレルにとって一番の関心ごとだった。


「……」


 今、ローレルには、どこにソーの真に幸せが置かれているかが分からない。今まで辿ってきた道は、ソーにいくらかの苦しみを強制せざるを得なかった。そうするしか幸福にたどり着けない道だった。


 だが今は判別不能の道が示されている。そしてそこには、ここまで彼に強いてきた必要最低限苦しみさえ存在しないかもしれなくて。同時に、今まではなかった、リスクというものが付いて回った。


「……っ」


 ローレルは、歯を食いしばり考える。本当なら、ソーには苦痛一つない人生を歩んでほしい。心を壊されることも、体を蝕まれることもない、平穏な生活を送って欲しい。


 だがそれは、今までわがままで、叶うことはないと最初からはっきりしていた。だから、その苦しみの量が最小になるように動いた。それで良かった。その最低限の苦しみがあったときは、彼の横でそれを分かち合えばいいと思っていた。


 今は、分からなくなってしまった。前世の彼女を語る“ユウ”の表情は愛と幸福に満ちていて、そこにローレルが介在していないことが悔しくて、それでも何より尊い時間で。


 ソーはローレルが好きになった時からずっと、屈託のない笑顔を見せてくれたことはない。いつもどこかに陰があって、それは彼の血と業に満ちた人生故のもので。


「……また明日、ソー。明日も、お話を聞かせてください」


 ローレルは、何もせず立ち上がった。それから後かたづけをして、部屋を出る。


 それから病室を歩いていると、見たことのある顔を見つけた。名前は、一瞬の内には思い出せなかった。彼女、と認識してから、アナグラムが男性を示していることに気付く。


 彼は手を上げ、ローレルに向かってこう話しかけた。


「こんにチはヒロイン。主人公の付き添い人。ボクは仙文。仙術の到達点、天仙に至り“創造主”に限りなく同化した存在だヨ」


「……えっ、と」


 目の前の、中性的な何者かは、にっこり笑って肉薄してきた。途端、その内にアナグラムが収束する。0。かつて、ローレルがナイを出し抜くために成し遂げた奇跡の一瞬。


 あり得ない現象だった。あれは、ローレルが死ぬほどの努力と偶然発生した幸運の全てを逃さなかったがために起こし得た現象だ。それを、彼は、まるで『自らがその体現である』とばかりの振る舞いで立っている。


「ボクは、君にお願いをしに来たんダ。こノままでは、“視点”を満足さセ得る結末に辿り着けなイ。危機的状況なんダ。端役にすぎナいボクが、君のような重要人物に接触しなければならないほどニ。邪神が旧作の主人公たちに助力を求めるなんて逸脱行為を許容してナオ、破綻の可能性を残しているほどニ」


「……あなたは、何ですか」


 ローレルは、彼の自己紹介の意味の分からなさに問いかける。


 アナグラムが0から1に上がり、そしてまた0に戻った。彼は笑う。それこそ、屈託もなく。


「君たちに分かりやすイように言うのなラ、デウス・エクス・マキナ、かナ。舞台装置と言い換えてもいイ。大統領が“視点”に触れてしまった以上、ボクがボクの正体を隠すことに意味はナい」


 ――ならばモう、ボクは全力デこの物語をハッピーエンドに持って行くしかないンだ。“創造主”とて“視点”の前にハ全能性を失うケれど、出来ることをスるしかないし、すべキことヲするしカない。


 ローレルは、気味の悪さに身を固くするも、そこに悪意なしと見定め「分かりました。私に接触したという事は、あなたも私に要求があるのですのよね? 私は、何をすればいいのですか」と質問する。


 彼は、仙文は言った。


「ベルを説得して欲しイんダ。その時がきたラ、彼から受け継いだ武器を手に戦場へ赴くッテね」


「ベルを説得……? それに彼から……それは、ファーガスの剣のことですか? アレは今ARFで厳重に管理されていて、ソー以外の誰にも手に入れることはできないことになっているはずですが」


「ウン。そうだネ。だから、それをどうにかして欲しイ、という要求だヨ」


 ローレルは、その言葉に眉をひそめた。それから、こう返す。


「即答しかねます。ファーガスの剣は、人の手には余る道具です。元々ベルが使っていたものですので、他の人が使うよりは彼女が適任でしょうが、そもそもベルが自身の精神的安定を信じていませんし、仮に渡されようとも受け取りを拒むでしょう」


「その通りだヨ。だから、それをどうにかして欲しイ」


 ローレルは眉間を押さえて、ナイよりも厄介な要求に頭を悩ませる。


「……つまり、目的の達成こそが大切で、その過程は問わない、ということですか」


「そうだネ。君の言葉の通りだヨ。君がそれをすれバ、あとはナイや他のみんなデ勝手に整う。足りないピースはこれだけなんダ」


「私のやり方が、他に悪影響をもたらすという可能性は?」


「薔薇十字のエースたる君以上ニ、悪影響を可能な限り減らセる人物をボクは知らなイ」


 仙文は、やはりにっこりと微笑んだ。「ト」と彼は呟き、それからこう言う。


「この辺りにしておこうカナ。じゃアね、世界の中心を見つけた人。次会うとき、ボクはきっと何も知らないかラ、問い詰めたりしないであげてネ」


「それは、どういう」


 ことですか、というよりも前に、彼は空気に溶けて消えてしまった。まるで霧が晴れるように、最初から何もなかったかのような気持ちになる。


 そのとき、姦しい声が聞こえて、ローレルは振り返った。そこには、先日ARFを訪ねたときに言葉を交わしたウィッチ、そして彼女にからかわれる仙文の姿があった。


「……」


 微妙な気持ちになって、ローレルは彼らに近づいた。聞こえてくる会話を聞く限り「それにしても、分かりずらいわね……。イッちゃんの部屋ってココ?」「た、タブン……?」と、ソーの見舞いを目的としているらしいと分かる。


「こんにちは。ソーは今しがた寝てしまったので、可能であればまた今度にしていただけませんか?」


「わっ! びっくりした……。ローラ、よね? あなたもイッちゃんの見舞い?」


「見舞いが終わったところなんじゃないかナ? 今しがた寝て、って言ってたし」


「ああ、なるほどね」


 ローレルとは面識もほぼありません、とばかり、仙文はウィッチに向かって話していた。それにローレルは思うところがあって、半眼で「あの」と彼に呼びかける。


「え? ボク? うん、どうしたノ?」


 そう問い返されて、何故かローレルは、“何を言おうとしたのか忘れてしまった”。その不思議な気持ちにパチパチとまばたきして、「いえ……、すいません。何を言おうとしたのか、忘れてしまいました」と恐縮に頭を肩に埋める。


「えへへ、気にしないで。でも、そっか。イッちゃん寝ちゃったんだ……。じゃあ、起こしちゃうと悪いネ」


「そうねぇ~。噂の記憶喪失イッちゃんと話してみたかったのだけれど、仕方ないわね。じゃあせっかくだし、三人でどこかに行かない?」


「いいネ! ア、もちろん、ローラさんが良ければだけド……」


 明るく提案するウィッチに、おずおずと聞いてくる仙文。そのコンビに何だかほだされてしまって、「お邪魔でなければ、是非」とローレルは提案に乗った。


 それから、三人で歩き出す。その過程でウィッチに「あなたのことは、何と呼べばいいんでしたでしょうか?」と尋ねてみる。


「あ、そっか。あなた私たちのことニックネームで呼んでいたものね。私は、ヴィーでいいわ」


「分かりました。ヴィーに、仙文ですね」


 ローレルが確かめると、ヴィーは「あれ? よく仙文の名前分かったわね」と言われる。仙文もキョトンとした顔をしていたので、ローレルは答えた。


「恐らくですが、以前ソーと皆さんが話していたことがありましたので、その時に覚えてしまったのかもしれません」


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