表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
292/332

8話 大きくなったな、総一郎58

 葉が、紅葉していた。


 すっかり秋めいて、涼しい風が窓から入ってくる。総一郎は換気も終わったと窓を閉めて、後ろに寝る彼女にこう語り掛けた。


「もう秋だね。穏やかで、過ごしやすくなった」


 振り返ると、白羽が僅かに首肯した。ベッドに寝たきりのまま、彼女は薄目を空けてぼんやりとこちらを見ている。


 総一郎はいつものように、白羽の軽くなった体を横に転がした。放っておくとずっとこの体勢のままでいて、床ずれを起こしてしまうとアプリで指導があったのだ。総一郎の怠慢で、白羽の美しい身体が壊れていくのを許すわけにはいかなかった。


「はい、これでよし、と。ついでに体も拭いちゃおうか」


 首肯が返ってくる。総一郎は白羽の寝間着をまくり上げて、近くに用意してあった濡れタオルで背中を拭き始めた。体に力の入らなくなってしまった白羽ではシャワーも難しく、何より体の負担が大きいという事で、こうする運びになっていた。


 白羽の背中は、いつ見ても美しかった。陶磁器めいた滑らかさが、肌全体に感じられる。


 総一郎は、その肌を丹念に拭いていた。感覚的には、磨く、の方が近いかもしれない。ここ最近の白羽は、以前の溌溂とした感じが薄れていくにつれ、超然とした美しさを身に纏うようになった。それこそまるで、従来の天使めいた隔絶感を抱かせられる。


 それが、総一郎は嫌いだった。


 体も拭き終わり、また服を下ろす。それからまた白羽を仰向けになるよう転がすと、気持ち先ほどよりもほっとした顔になって、白羽は総一郎を見上げていた。


「……ぁ、り……」


「どういたしまして。疲れてなければ、お話する?」


「ぅ、ん……」


 か細い声で、白羽は肯定した。総一郎は、「そうだなぁ」と考えをまとめる。


「市長選、もうすぐだってね。ARFのみんなから進捗聞いてるけど、順調みたいだよ。……白ねぇが望んだ亜人差別のないアーカムは、もう、すぐそこだ」


「……」


 白羽は、無言で微笑んだ。美しい、と思う。その感想は、人間に対するものというより、彫刻に対するそれだ。


「イキオベさんはすでにスピーチの原稿をまとめに掛かってるし、ARFから応援演説予定のメンバーも、それで四苦八苦してるみたい。特にシェリルなんかは長い文章を書いた経験がないから、様子見に言ったら泣きそうな顔してたよ」


 白羽は、変わらない。微笑んで総一郎の話を聞いているだけだ。


「Jを始めとした警固班は、今は元ARFの有志を集めて訓練中。市長選で余計な茶々が入った場合、彼らが鎮圧してくれる手はずになってる。俺もそっちに混ざる予定なんだ。多分、彼らじゃ対処の難しい敵が一組いる。それを、俺が死力を尽くして打ち倒す」


「むり、しちゃ、め……」


 心配そうに眉根を寄せる白羽に、総一郎は相好を崩して、「大丈夫だって。俺も、準備してない訳じゃないからさ」と元気づける。


「だから、安心して欲しいんだ。ゆっくり体を休めてくれれば嬉しい。今はまだ体調が良くならないけど、こうやって休んでいればいつかは」


 白羽が、申し訳なさそうな目で総一郎を見つめていた。総一郎は心臓を鷲掴みにされたような気持ちになる。だが、それをおくびにも出さず「ごめんね、大丈夫。ゆっくり休んでいよう。俺はずっと傍にいるから」と白羽の手を握った。


 白羽の手は、以前に比べてずっと冷たくなった。ひんやりとさえ感じる体温だ。以前は温かくって、子どものようだと思った。白羽は実際、子どものように無邪気でまっすぐだった。


 今は、と考え、総一郎は首を振る。今だけだ。これは本当の白羽の姿じゃない。時折、怖いくらいに美しいのも、美しすぎるあまり遠さを感じるのも、今だけ。回復すれば何も問題はない。以前の、近づきすぎるくらい近づいてくる、闊達とした姿を見せてくれるはずだ。


 そう思うのに、その姿を想像できないのは、何故だろうか。


「けほっ」


 白羽が、か細く咳をした。それに、総一郎は「大丈夫?」と呼びかける。


「……ん……」


 白羽はどことも知れぬ場所を見て、肯定とも吐息とも取れない声を漏らした。最近、こうなることが多い。白羽が、白羽でなくなる瞬間。総一郎の、大嫌いなひと時だ。


「……」


 総一郎は白羽の視線の先を一睨みして、それから電脳魔術でARF幹部メンバーに連絡を飛ばした。白羽の体調を報告するのは、ここ最近の日課だ。いつも通り『変化なし。全体として反応が薄く、ぼーっとしていることが多い』と報告して、連絡アプリを落とす。


 ナイも、ヒイラギも、薔薇十字ですら、その行き先は杳として分からないままだった。ARFが持ちうるあらゆる人脈を使って彼らのことを調べたはずだった。だが、何もつかめずに、こうして時間は過ぎていった。


 総一郎とて、白羽が一日中寝たきりの日などは、こっそりと調査に出ていた。だが、何もなかった。気味が悪いくらいに、彼らのアナグラムは見つからなかったのだ。それこそ、最初からこの街に来てなどいなかったように。


 そんな思考を遮って白羽に視線を向け直すと、彼女は目を閉じていた。だが、眠ってしまったというより、集中して何かを聞いている、という風に見える。こうなると本格的に総一郎の声は届かない。だから、手元に用意していた本をとって、ペラペラとめくり始める。


 その時だった。以前のような、はっきりとした白羽の声を聞いたのは。


「……そう。今日なんだね」


 総一郎は肩を跳ねさせて、白羽の方を見た。手を滑らせ、そのまま本を落としてしまう。だがそんなことは気にならなかった。「白ねぇ?」と呼びかけた先には、少し前の、衰弱しながらも意識のハッキリとしていた白羽が居た。


「あ、えっと。おはよう。今日は元気だね。よかった。その」


「……総ちゃん、みんなを呼んでもらえないかな?」


 総一郎がどう声をかけたものか悩んでいると、白羽は穏やかながら強い意志でそう要請してきた。


「……いいけど、どうして?」


 総一郎の心の奥で、恐怖に震えるものがあった。嫌な予感がする。それは、白羽の次の言葉で確信に変わった。


「お別れをしたいの。最期に言いたいことが、たくさんあるから」














 総一郎はただ、白羽の手を両手で握って、祈るようにうずくまっていた。


 扉はすでに開けてあることを伝えてあった。だから、ドスドスと走りくる足音を聞いて、来客が来たのだとすぐに分かった。


「姐さん! 大丈夫ですか!?」


 いの一番に現れたのは、意外なことにヒルディスだった。彼は白羽の姿を見て、表情をくしゃりと歪めた。それから跪いて、こう言う。


「何度も助けていただいた恩を忘れて、無礼な真似を働き、この期に及ばなければ顔を見せもしない心づもりだったことを、謝らせてください」


「ううん……、大丈夫。ここに来てくれただけで、嬉しいよ」


 寝たきりのまま、白羽は「こっちに来て」と言う。言われるがまま近寄ったヒルディスに、白羽は「あは、久しぶりに副リーダーの顔見た……」と生気のない声で笑う。


「もう、見られないと思ってたんだ。娘さん、元気にしてる……?」


「ええ。姐さんの弟相手でも数秒やり合えるくらいには、強固な仕組みを作りましたから。あいつが傷つくことは、それこそオレが死なない限りあり得ません」


「総ちゃんを相手取れるなら、間違いないね……。元気そうでよかった。他のARFのみんなは……?」


「すぐ来ますよ。少し待っていれば――――」


 そのタイミングで、扉をそっと開く者がいた。シェリル。ヒルディスが「昔は集会に来もしなかったお前が、こんなに早いとはな」と茶化し、シェリルが「豚の人うるさい」とそれを振り払って近寄ってくる。


「ボス、それにソウイチ……」


「……シェリル」


 総一郎には、よく来てくれたね、なんて労う余裕はなかった。ただ、手の内にある姉の手の体温の低下に、縋りつき、祈っているだけだ。


 シェリルは、そんな総一郎の心情を慮ってくれたのか、静かにヒルディスの隣に並び、息を殺すようにこちらを見つめた。


 するとそのタイミングで、また騒々しい足音が聞こえ始めた。ドタドタと騒がしい音を立てて現れたのは、Jだ。続いて愛見が顔を出し、最後に足音もなくアーリが姿を見せる。


「シラハさん! イッちゃんから急に呼ばれて、何事だって……」


「Jくん! ごめんなさい、白ちゃん、イッちゃん。うるさくしてしまって~……」


「ううん、ARFは騒がしいくらいじゃないと……。ハウハウも、よく来てくれたね」


「来ない訳に行かないだろ」


 慌てるあまりそそっかしくなるJに、それを諫める愛見、そしてどう振る舞っていいか居心地の悪そうなアーリと、態度はそれぞれだ。


「それで、その、本当なのかよ。こ、これがシラハさんとの、最後になるって……!」


 震える声で問うのはJだ。それに、白羽は答える。


「……うん、本当だよ。やっぱり天使だから、そういうの、分かっちゃうんだ」


 自分の死期が分かるってヤダね、なんて言って白羽がクスクス笑うから、Jは「こんな時でも、シラハさんはシラハさんだな……」と言って、泣き笑いをする。


「泣いてくれるの……? でも、大泣きって感じじゃないの、ウーくんらしいね。……せっかくだから、最初はウーくんと話そうかな。こっち、来てほしい」


 呼ばれたJは、神妙な顔つきで、しかしいつも通り機敏な足取りで、白羽に近づいた。白羽はそれをして、こう評する。


「ウーくんは、いい意味で昔から何も変わらないね……。安心感があるっていうのかな……。一貫性があって、ARFにとって、……間違いなく柱の一つになってくれてた」


「そう在れたのは、シラハさんのお蔭だ。シラハさんが支えてくれるって言ってくれたから、おれはおれで居続けられたんだ」


「ふふっ、嬉しいこと言ってくれるね……。でも、ウッドの時にも、ウーくんはウーくんだった。むしろ、ウッドと行動を共にすることで、ウーくんはウーくんらしさをより高められたって気もするの」


「……ハハ、そうかもしれないな。おれはおれの出来る限りをするだけだ」


「ウーくん。最期に、一つお願いしてもいい?」


「何でも言ってくれ。おれにできることなら、何だって叶えてみせる」


 白羽は大きく呼吸してから、息絶え絶えな語調を可能な限り押さえ込んで、話す。


「総ちゃんのピンチをね、任せたいの……。総ちゃんは、私が死んでからも、きっと苦難と戦うことになる。きっと窮地に陥る。そのとき、揺るがないウーくんが駆けつけてくれたら、きっと大丈夫だから……」


「ッ」


 総一郎は顔を上げ、白羽の視線誘導に従ってJの方を向いた。Jは総一郎をチラ見てから軽く肩を竦めて「言われるまでもないぜ、シラハさん。おれはイッちゃんの親友だ。親友の苦しみを一緒背負えねぇ狼男なんて、狼の名が泣くってもんさ」と返答だ。


「ふふっ……。頼もしいね」


 けほっ、と白羽は小さな咳をする。それにJや愛見が色めき立つが、白羽はそれを視線で制した。今更、咳の一つで心配しても仕方がない。そういう意図が込められていた。


 続き近寄ったのは愛見だった。「白ちゃん~……」と泣きそうな声で、愛見は寄り添う。白羽は微笑みながら、こう口を開いた。


「愛ちゃんの人生には、たくさんの苦しみがあったね。亜人差別のせいで、愛ちゃんはとても辛い思いをしてきた」


「そんなことありませんっ! わたしは、わたしは、白ちゃんとこうして巡り合えて、幸せでした……!」


「ふふっ……、昔からちょっと思ってたけど、愛ちゃんって雰囲気よりも、結構激しい人だよね……。感情が表に出ると、発音もハキハキしちゃって、感情が爆発するって言うか……」


「そう、ですね~……。普通に過ごすときと、素の態度で、……少し乖離があるのは、自覚があります……」


「色々なことがあったもんね……。目、痛むことない……?」


「最近は、全然ありません~。貰える目薬が日ごとに改良されているらしくって、今では昔の視界のそれと、何も変わらないとすら感じられるんです~」


 その言葉を聞いて、Jが安堵したような面持ちになったのが、総一郎の視界の端に映った。総一郎は、ただやり取りを聞くだけだ。


「―――愛ちゃん。愛ちゃんにもね、最後のお願い」


「はい~。……何でも言ってください」


「市長選での応援演説。シェリルちゃんにも匹敵する苦痛を味わった愛ちゃんこそ、そしてこうやって激しい感情を訴えられる愛ちゃんにこそ、きっと勝機がある。今……台本を作ってるところだと思うけど、本番はそれを忘れて、思いのたけをぶつけてみて。きっとそれで、うまくいく」


「―――分かりました。必ず、やり遂げて見せます」


「ふふっ……。頼もしいな」


 白羽は、そう言って呼吸を深くする。その弱り果てた姿に感極まったのか、愛見は体を震わせ、顔を覆い泣き出してしまった。それを、Jが支え遠ざかる。


「ボス」


 次に声をかけたのは、アーリだった。ポケットに手を突っ込んで、どこか所在なさげに立つアーリに、白羽は「思えば、ハウハウとの関係って、ちょっと複雑だよね」と言う。


「私が迎え入れたハウハウは、弟の、ロバート君の方で、お姉さんのアーリちゃんの方じゃない。その事をなぁなぁにしてきちゃったからかな。あなたはいつも少し端っこにいて……」


「仕方ねぇよ。飛び入り参加だったアタシが悪い。入れ替わってるなんて誰も気づいちゃいなかったし、アタシだって自覚したのはウッドの一件だ」


「だからね、ハウハウには―――アーリちゃんには、感謝を伝えたいんだ」


「感謝?」


 意外そうに片眉を跳ね上げるアーリに、白羽は言った。


「亜人だらけの機械音痴集団ARFがこうやって戦えてるのはね、全部アーリちゃんのお蔭なんだよ……。あなたが身を粉にして、みんなを楽にしてくれた。一時期の総ちゃんみたいな根を詰めるギリギリを、何年も続けてくれた。アーリちゃんがいなければ、きっとARFはどこかのタイミングで情報戦に負けて壊滅してた。そのくらい、あなたはARFにとって重要な人」


「そ、そんなこと、ねぇさ。確かにちょいと無理をしたこともあったが、ソウほど働いた覚えはない」


 恥ずかしがっているのか、アーリは野球帽を前に回し、そのツバで顔を隠した。白羽は、「それでね」と繋ぐ。


「そんなアーリちゃんに、大きなお願いは出来ないなって思ったんだ。だから、ささやかなお願い、聞いてもらっていい?」


「ああ、ささやかってんなら、問題ないぜ。仕事に差しさわりない範囲でな」


「私ね、アーリちゃんに、自由になって欲しいんだ……」


 アーリは、キョトンとした。それから戸惑い気味に、「どういう意味だ……?」と尋ね返す。


「その、あらためて感謝なんか伝えてきたボスだから、土壇場になってお払い箱、みたいな意味じゃないとは思う。思うが……なおさらどういう意味なのか、ちょっと戸惑った」


「ふふっ……、ごめんね……? 不安にさせるつもりはないの。ただね、アーリちゃんって、ロバート君にARFでの活動を肩代わりさせられたって言うか、……あなたは、ARFで活動したくて、ARFで活動してるわけじゃないでしょう?」


「それは……そうなるな」


 アーリは、事実を確認され、ただ認めるばかり。それに、白羽はこう続けた。


「別にね、動機がないんだからARFを脱退して欲しい、なんて話じゃないんだ……。でもなし崩しの義理で活動してる今は、ちょっとおかしいなって。だから、そういう意味を込めて、自由になって欲しいって思ったの……」


 白羽は、とこさら笑顔になって、アーリに語り掛ける。アーリは、それを神妙な面持ちで聞いていた。


「ARFは、アーリちゃんを縛らない。ここで動くのも、離れるのも、その他すべての自由は、もうアーリちゃんの手の中にある。それを伝えたくて……」


「……どこまで読んでんだか」


 アーリは、ボソッとそんなことを呟いて、白羽に近づく。そして、こう言うのだ。


「アタシはさ、前に、その、赤ちゃんのことで、ボスにひどいことを言った」


「アーリちゃん……。もう、そのことは何度も謝ってもらったから」


「聞いてくれ。それにさ、アタシは、本当は、もう限界寸前だったんだ。ハウンドとして別人格でいられたうちは良かった。でも、今は、ARFで動くのは辛いことが多すぎる。―――アタシは最低だ。ボスに暴言吐くわ、次ロバートがらみで何かあったら、その時こそやめようとか、そう思ってた」


「……」


「だからさ」


 アーリは苦笑した。


「多分、アタシはやめねぇよ。嫌だ嫌だって口に出してる内は、大丈夫なんだ、アタシ。マジでキツイことほど口に出せねぇっつーか、な。今この場まで、そうだった。でも、……こうやって吐き出せた」


「アーリちゃん……」


「自由にして良いって言ったよな? なら、アタシはアタシの自由を行使して、ARFの最後を見届けてやるよ。このアーカムから差別が消える瞬間に、はぐれカバリスト流のやり方で導いてやる」


「……それは、嬉しいなぁ。でも、忘れないで。あなたは、自由なの。いつだって……」


「くどいぜボス。―――もう、アタシに対する用事はないよな。なら、ここで席を外させてもらう」


 言うが早いか、足早にアーリはその場を去っていった。ヒルディスが一瞬止めようとしたが、結局そうしなかった。それは白羽に背を向けたアーリが、顔をこわばらせて、涙を滲ませて、泣き崩れる寸前のような顔をしていたためか。


 その背中をしばらく目で追ってから、白羽は次の人に視線を向ける。


「シェリルちゃん……」


 白羽に呼ばれ、シェリルは驚いたように肩を跳ねさせた。最初は戸惑い気味に周囲に視線をやっていたが、総一郎の視線での促しにしたがって、シェリルは前に進み出る。


 白羽は「シェリルちゃんは、すっかり立派になったね……」とひどく静かで、穏やかに告げ始めた。


「副リーダーが言う通り、昔は規則も守らない、好き放題のわがままっ子だったのに……。今では、可能な限り自分で動いて、さっきみたいに気遣いも出来るようになった……。ふふ、やっぱり、総ちゃんのお蔭かな……?」


「ボス!」


 シェリルは顔を仄かに赤くして、大きな声で抗議の姿勢だ。だが白羽はクスクスと笑って、「最期にもう一回からかっておいてよかった。可愛いんだから……」と本音をこぼす。そしてこう続けた。


「でも、本当にしっかり者になった。咄嗟の時には自分で判断も出来るし、上からの指示を理解してちゃんと動ける。種族魔法も強力で――名実ともに、幹部に相応しくなったね。本当に、立派だよ」


「ボス……。その、私」


 口ごもりながら、シェリルは目を瞑った。口をもごもごさせているのは、言葉をまとめているからか。やっと開かれた口から出てきたのは、こんな言葉だった。


「ボス、もうここを逃したら言えないと思うから、言うね。あのとき、私を見つけ出してくれて、ありがとう。ボスが見つけ出してくれなきゃ、私は今でも、あのタンスの中にいたと思う。私がまともになったきっかけはソウイチだけど、あのときボスが私を見つけ出してくれなきゃそれもなかったんだって」


「ふふ、嬉しいこと言ってくれるね……。そう思ってくれてるなら、良かったよ。大丈夫、もうシェリルちゃんは、これからもずっと良くなっていける。私、そう思うよ……」


「……ボス」


 シェリルが、涙を拭った。それにつられたのか、ヒルディスもズズッと鼻をすすってそっぽを向いている。総一郎は目を瞑って、白羽の傍にいた。


「シェリルちゃんには、お願い、しようかな。十分すぎるくらい成長してくれたし、今さら何か言う事、あったかな……?」


「ボス、ひどいよ。私にも何か言って欲しい」


「ふふっ……。自分からそう言ってくれるのは、嬉しいね。じゃあ……そうだね」


 白羽は少し悪戯っぽい表情で、こんな事を言った。


「シェリルちゃん……、学校に行かない?」


「えっ? がっ、学校? 吸血鬼の私が?」


「うん、吸血鬼のシェリルちゃんが。って言っても普通の時間は日光とかで難しいだろうから、夜間学校とか……? それこそ、亜人差別をどうにか出来たら、ARFの残り資産全部つぎ込んで、亜人学校を作ってもいいかもね……ふふっ」


「えっ、まっ、待ってボス。何で学校行って欲しいの?」


 シェリルのストップに、白羽は「あ、そっか……」と理由を説明していないことに気が付く。


「シェリルちゃんって段々と立派になっているんだけど……、それはそれとして人間関係が狭いなって、そう思ったんだ……。だから、色々な人と交流を持てる環境に飛び込んでいけたら、きっと世界が広がるだろうなって」


「そ、そんなの要らないよ。私、別に、これでいいし……」


「そう……? じゃあ、それでいいよ」


「えぇっ、あ、あの、ボス? それで、いいの?」


「うん……。だってシェリルちゃん、ちゃんとしてくれてるし。お願いらしいお願いはないからね……。シェリルちゃんが嫌なら、仕方ないよ」


「う、ぐ、うぅぅぅうううううう!」


 シェリルは頭を抱えて唸り、そして手をグーに固めて、言い放った。


「分かった! いいよ! そんな風に言うんなら、学校でも何でも行ってあげるよ! 仕方ないなぁもう!」


「あれ、上手い事乗せちゃったかな……? でも、それでシェリルちゃんの人生がより良いものになれば、嬉しいな……」


 最後に一杯食わされた、という顔で、シェリルは引き下がった。次に、白羽と視線が合ったらしいヒルディスが、のそっと前に進み出る。


「姐さん」


「副リーダーは、さっきも言ったけど、本当に、久しぶりに会えたね……。今は、総ちゃんに変わってARFを運営してくれてるって聞いたよ」


「はい。僭越ながら、任されています」


「その様子だと、上手く回してくれてるみたいだね……。でも、心配はしてなかったよ。だって副リーダーは、私と出会ったときから、ずっとしっかりした、まともな大人だったもん……」


「そんな。過分な言葉です。オレは、私情のために組織を二回捨てた。一度は宴。二度はARF。オレには、本当なら、ARFで活動を再開していい資格なんてないんだ」


「でも……その事情って、どっちも娘さんのためでしょ……? その場の気分なんかで投げ出したなんて、そんな風には思ってないよ……。むしろ一貫性がある分、頼もしいって思う」


「ですが、オレは……」


「でも、もしARFの一時離脱を申し訳なく思ってるなら、私から重要なことを頼んでも、聞いてくれる……?」


 ヒルディスは白羽を数秒見て、「いいんですか。オレは、また投げ出すかもしれませんぜ」と皮肉っぽい顔をした。白羽は「大丈夫だよ。必要なときは、きっと副リーダーは見捨てられないから」と見透かしたような物言いで、ヒルディスを怯ませる。


「副リーダーには……、総ちゃんの補佐を、これからもお願いしたいな。大人の立場から、総ちゃんを導いて欲しい。総ちゃんは大人ぶってるけど、テンパると結構視野が狭くなっちゃうところあるから、そういうときバシッと叱ってくれる人が居たらなって……、そう思うんだ」


「……分かりました。任されましたよ、姐さん。オレが、責任をもって、弟さんを導きましょう――ソーイチロ」


 ヒルディスに呼ばれ、総一郎は顔を上げる。


「そういう訳だ。お前が無理したら、オレが今後はしばく。そのつもりでいろ」


「……」


「……今は、それでいい。可能な限り、別れを惜しめ」


 ヒルディスは言って、また部屋の隅の定位置に戻っていった。総一郎が視線を戻すと、白羽の息が少し荒くなっている。疲れてしまったのか。総一郎がそれを察して声を投げかけようとすると、白羽は総一郎を見返して、そっと首を横に振った。


「もうね、本当に、これで終わりなんだ……。だから、全部言いつくしておきたいの」


 その言葉に、総一郎は胸を突かれたような気持ちになった。ぐっ、と胸の奥に迫り上げる気持ちを抑え込んで、無言で首肯を返すばかりだ。


「じゃあ次に……そこにいるんでしょ、ローレルちゃん」


 白羽が声を上げると、入口の扉が開かれ、「流石、お見通しですね」とローレルがはにかみながら現れた。


「ローレル……」


「ソー、ごめんなさい。こんな重要な場面、ほとんど部外者の私が来るべきじゃないとは思ったんです。ですが、お姉さまがそんな状態と聞いて、居ても立っても居られなくて……」


「ううん、来てくれて嬉しいよ、ローレルちゃん」


 白羽に言われ、「ありがとうございます」とそっとローレルは近づいてくる。


「ローレルちゃんとは……そっか、そういえば出会ったことそのものは、本当に最近なんだね。数か月とか、そのくらい……?」


「はい。何だか、信じられませんけど」


「ふふっ……そうだね。ローレルちゃんとは、たくさんの仕事を一緒にやったから。何年も一緒にいたような気がするよ……」


 穏やかに笑いあう二人を見ながら、改めて総一郎は、白羽がどれだけ他の面々と深くかかわり合ってきたのかを理解した。Jに始まり、愛見、アーリ、シェリルにヒルディス。幹部メンバーだけでも総一郎の知らない絆があって、ローレルともそうなのだ、と実感した。


「何だか、おかしいね。同じ人を好きになった者同士、最終的には相いれないのかなって思ってたのに……」


「ふふ、はい。結局、不思議なくらい仲良しになれました」


「総ちゃんに秘密で、私たち二人で仕事終わりにデートしたりなんかして」


「そんなこともありましたね。あそこのパフェ、本当に美味しかったです」


 総一郎の知らない思い出を交わし合う二人に、総一郎は意外な思いをする。すると二人そろって総一郎を見るのだから、ああ、と流石に勘づくのだ。


「ついでで俺のことからかわないでよ」


「からかってなんてないですよ? ただ、少し反応が気になっただけです」


「そうだよ……? ふふ、あのときも可笑しかったなぁ。二人でデートして、イチャイチャして、話すこと全部総ちゃんの事なんだもん。このこと言ったら総ちゃんどんな顔するなぁって……」


「あ、お姉さま」


「あれ……? あ、……言っちゃった」


 白羽の失言に二人揃って笑いだすのだから、総一郎としてはもう何も言う事はない。肩を竦めて「楽しそうで良かったよ」と受け流すのみだ。


 そうして、二人がひとしきり笑ったところで、白羽がこう切り出した。


「ローレルちゃん……。ローレルちゃんにも、大事なお願いがあるんだ。聞き方によっては、ちょっと重く聞こえちゃうかもなんだけど……」


「望むところです。聞かせてください」


「ふふっ、やっぱりローレルちゃんは強気だなぁ……。ローレルちゃんにね、私、総ちゃんの幸せを託したいの」


「……」


 総一郎が、無言で白羽を見つめる。そんな総一郎の頬に、白羽は手を伸ばし続けた。


「総ちゃんってね、物事を解決する力はすごい高いんだけど、幸せになるのがね、とことん苦手なの……。薄幸っていうより、不幸を呼びこんじゃうっていうか……。でもね、その点、ローレルちゃんはすごいんだ。驚くくらい、自分の望む未来ってものを強引に掴み取っちゃう。……私思うの。ローレルちゃんとの縁を結べたことは、総ちゃんにとって最も大きな幸運だったって」


「お姉さま……」


 ローレルは指先で滲む涙を拭い、静かで、しかし強い声色で答えた。


「お言葉ですが、そんな事は頼まれるまでもないです。私が、ソーを幸せにします」


「ふふ、あはは……。流石ローレルちゃんだなぁ。……お願いね、ローレルちゃん」


「ええ。お任せを」


 白羽は満足そうに頷いて、総一郎を見た。白羽が、明らかに衰弱しているのが分かる。本当にもうどうしようもないのか? そう自問して、やはり解決策は見つからなくて、総一郎は拳を握る。


「最後に、総ちゃん」


 総一郎は、目を伏せたまま答えられなかった。ただ全身が、震えている。体を満たしてあふれ出すような緊張と焦燥が、総一郎を苦しめる。


「最近ね、総ちゃんに寄り添ってもらいながら、ずっと私……、小さかった頃の思い出の中にいたんだ」


 独特の語り口に、総一郎は黙って聞くことしかできない。


「私たち揃って小さくて、隣に小さな般若兄妹がいて……。ふふ、総ちゃん知ってた……? 私、三人への最後の挨拶、総ちゃんの寝てる隙に済ませておいたんだ……」


「そう……なの……? それは、知らなかったな」


「ずっさんはね、泣かなかったよ。寂しそうではあったけど『向こうでも元気でな』って。るーちゃんは戸惑ってた。仕方ないよね。昔の記憶、ないんだし。清ちゃんは――大泣きして大変だったな……」


「もしかして、昨日の夕暮れ? 俺がうたたねして、起きたら清ちゃんを図書にぃとるーちゃんが揃ってなぐさめてた」


「うん……。他にも、色々。出来ることは、出来るうちに済ませておく主義だから……。お世話になったミヤさんの所には、行けないし、呼ぶほどじゃないから、手紙送ったりして……」


「そっか……。しっかりしてるね。昔は、本当にお転婆で、そんな印象全然なかったのに」


「ふふ……、お姉ちゃんも日々、成長してるんだ……。ケホッ、ゴホッ、ゴホゴホッ!」


「……」


 総一郎が過度に心配せず、そっとその手を掴むと、白羽は咳が治まってから「ありがとう……。続けるね」と総一郎を見上げてくる。


「ずっとね、四人で、野山を駆けまわってるんだ……。あつかわ村の、あの山の中で……。天狗さんや、シルフィード、タマのこと、総ちゃん覚えてる……?」


「忘れるもんか。天狗さんとはイギリスで再会した。シルフィードはアレから会えてないけど、悪戯っ子だったのを覚えてる。タマは……清ちゃんの命を救った、小さくてすごい奴だった」


「うん……ふふ。懐かしいなぁ。あの頃は、何も心配してなかった……。毎日が木漏れ日みたいに優しく輝いていて……、気がかりなことなんて、何もなくて……」


 白羽が、手を握ってくる。その表情は不安に彩られ、総一郎を一心に見つめていた。


「総ちゃん……。やっぱりね、お姉ちゃん、総ちゃんが無理しないって約束してくれないと、安心して逝けないや……。怖いんだぁ。私が死んで、総ちゃんがまた自分から苦しむようになってしまったらって思うと……。怖くて怖くて、堪らないの……」


 色んな人に、総ちゃんのことを頼んだけどね。と白羽は言葉をつなぐ。


「それでも、やっぱり、私は総ちゃんに約束して欲しい……。お願い。総ちゃんが、私がいなくても幸せになろうとしてくれるって。どんなに自責の念が重くっても、自殺めいたことをしないって……」


 総一郎は、その言葉に全身を縛り付けられていくような気持ちになった。肯定したら、きっとその通りになる。どんなに思い自責の念に駆られても、総一郎は自傷行為に走れなくなる。緩やかな自殺を封じられる。それでいいのか。アレだけのことをして、苦しんで死ななくていいわけが。


 呼吸が荒くなる。違う。そうだ。ベルにも言ったじゃないか。総一郎が自分から不幸になる必要はない。総一郎が何をするまでもなく、総一郎を憎み、裁く誰かがきっといる。だから、その日まで幸せに生きればいい。どうせ総一郎は、全てを奪われ、苦しんで死ぬ。


「総ちゃん。違うよ。違うの……。総ちゃんがどれだけのことをしても、どれだけの苦しみを生んでも、それでも幸せに生きて欲しい。自分から苦しんだり、死ぬような選択肢を取らないでって、そう約束して欲しい……」


「ッ―――――、で、も、それは」


「うん……。総ちゃんは責任感の強い人……。だから、少し前までは、そこまでは望めないって思ってた……。けどね、もう、私は死ぬの。死んじゃうの……!」


 手を握る白羽の力が、強くなる。白羽が、涙をこぼしながら懇願してくる。


「死ぬ前に、安心させてほしいよ……。もう、お姉ちゃん、居ないんだよ……? 私は、私がどうにもできないところで、総ちゃんがあんな苦しみ方してるって思ったら、胸が張り裂けそうになるの……。お願い、約束、してよぉ……。私、総ちゃんに苦しんでほしくな」


 白羽が、激しく咳き込んだ。腰を折るほど、もがき苦しむほどのそれは数十秒続き、終わった頃、白羽の息は絶え絶えだった。死んでしまう、と思った。本当に、このままだと白羽は死ぬ。安心もさせられないまま、死なせてしまう。


「約束する」


 総一郎には、もう、葛藤する猶予なんてない。


「約束、するよ。白ねぇ。俺、もう白ねぇに怒られるような真似はしない。死に場所も求めない。不幸にもなろうとしない。だから、白ねぇ」


 両手で、白羽の手を握る。白羽は、ひどく弱々しい面持ちで、しかし微笑してくれた。


「――……約束だよ、総ちゃん」


 白羽のまぶたが、ゆっくりと閉じていく。総一郎は息をのむ。口を開き、咄嗟のままに言葉を投げかけた。


「ずっと愛してた。これからも変わらない。何度生まれ変わったって、俺は、君のことを愛し続ける。だから、また」


 一瞬、白羽のまぶたがピクリと開こうとした。白羽の口が曖昧に動く。


「またね……総、ちゃ……」


 白羽の目が、完全に閉ざされた。握っていた手から力が失われ、だらんと重くなった。総一郎は震えながら、その手を握り締める。


 病室に、誰とも知れず泣き声が響いた。きっと誰もが泣いていて、確かに白羽は、誰もが惜しむような人だった。


「ソー……」


 ローレルが涙を湛えながら、動けなくなった総一郎を抱きしめる。自身も嗚咽を漏らしながら、それでも総一郎の悲しみを慰めようとしてくれている。


 だから、不思議だった。


 総一郎は思う。


 ―――何故この瞳は、涙を流さないのだろうか、と。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=199524081&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ