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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
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8話 大きくなったな、総一郎54

 数日間総一郎がつきっきりでいて、白羽も落ち着いてきたようだった。


 ローレルが用意したご飯も「おいし~い! まっずい病院食とは比べ物にならないよ」と嬉しそうにかき込み、清に遊んでほしいとねだられても、「疲れやすくなってるから、長くは出来ないけど、それでもいい?」と譲歩を求めつつも応じていた。


 運び込んだ初日から、随分顔色が良くなっていた。恐らく環境のお蔭だろう。病院で一人きりよりも、家族や親しい友人たちに囲まれている方が、良いに決まっている。


 一方で、総一郎自身調査は継続していた。旧約、新約問わず聖書は読破したし、コーランも取り寄せようか迷っているほどだ。


 だが、病に臥せった天使の描写などありはしない。どこまでも聖書は、天使を通じて神に導かれる人間の物語でしかなかった。


 総一郎は思うのだ。このまま治ってくれはしないか。総一郎の調査が上手く行かずとも、結局白ねぇはただの過労だったねと、また元気溌剌な白羽の姿を見られはしないかと。


 調査は手掛かりのない道だった。天使といえど亜人。神の技術たるカバラでも、天使の生態についてのアナグラム分析法は存在しなかった。ましてや、病気の天使を癒す方法などない。もとより、天使は普通なら死んでも死なないという特質を有している。


 死なない存在を癒す技術を、誰が遺そうというのか。


 だから、総一郎が出来ることなんて、本当に白羽のそばでただ彼女を安心づけるくらいのものだった。身の回りの世話をし、求めに応じ、良き話し相手となる。それが、今の総一郎の全てだ。


「ふぅ……ありがとう、総ちゃん」


 風呂場でシャワーなどなどの世話をして、総一郎は白羽の手を引いて寝室まで連れていく。


 立ち歩くくらい今の病んだ白羽でも行えてはいたが、それでも時折足取りが怪しいのと、久しぶりに一緒に入りたい、とせがまれた結果だった。


「それにしても、総ちゃんは相変わらずいい身体してたねぇ~。やっぱり素振りしてムキムキのが男の子は格好いいよ」


「くっ……病人だからって好き勝手セクハラして……」


 手をワキワキさせる白羽に悔しがる総一郎だ。そんな冗談めかしたやり取りをしながら、白羽がベッドの中に潜り込むのを補助する。最後に毛布を掛けてあげると「総ちゃん優しい。お母さんみたい」なんてからかうように白羽は言う。


「白ねぇからそう言われるのは複雑だなぁ……。お母さんって、今どうなってるとか、白ねぇなら分かるの?」


「今はちょっとコンタクト取れないかなぁ……。数週間前に取ったのが最後かも」


「何て言ってた?」


「『総一郎が今度は自主社畜で自傷してるから止めて来なさい』って」


「……はい。反省しております」


「本当に反省してね。毎回やけになって自傷行為に走られるこっちの身にもなって欲しいよ」


「はい……本当にごめんなさい……」


 分かればヨロシイ、なんて上から目線で、白羽は総一郎の頭を撫でる。ぐうの音も出ない総一郎としては、されるがままでいる他なかった。


 だが、そこでふっと白羽は手つきを変え、壊れ物に触れるような注意深さで、手を総一郎の頬へと移動させる。


「本当に、どうしてこうなっちゃったんだろうね。アメリカ来た頃からすでに闇抱えてたって話は聞いたけど、そこからウッド化して、ウッド化解けたら罪悪感塗れでどうにもならない~って……」


 哀れなものを見る目に受け取った総一郎は、少しむっとしてこう言い返す。


「罪悪感の方は、少しはマシになってきたつもりだったんだけど」


 言い返すと、白羽はツンとすました表情になって言った。


「総ちゃん、好き勝手に生きようって決めた理由、『いつか誰かが復讐に来て総ちゃんを殺すから』だって?」


「うっ」


 痛いところを突かれ、総一郎は呻く。何故それを、という目で見ると「もちろんベルちゃんから聞きました♡」と満面の笑みだ。


「……ベル、意外に口軽いんだね……」


「ううん、強情だったよベルちゃん。私の篭絡術の方が上だったけど」


 今の白羽は本当に強くって敵う気がしない。そう思い、総一郎は両手を上げる。


「降参。でも、これを批判されたら俺はそれこそ袋のネズミだ。追い詰められれば、ネズミだって猫を噛む。俺は白ねぇに噛みつきたくない」


 語気強めに告げると、白羽は軽く受け流して「ダメなんて言ってないでしょ~。努力してるのは偉いと思います」と首を振る。


「でも、やり方がどうもひねくれてるのがねって話なんだよ。逆に、お仕事頑張るのはやり方としては正しかったよ。罪悪感を貢献感で打ち払おうとするのは適切。加減はして欲しかったけどね」


「……じゃ何で叱られてたの、俺」


「完璧じゃないのに完璧面してたから」


「あー……」


 六十点の点数で胸を張るような真似をしていた、という事らしい。確かに、それは釘をさすのが適切だ。点数が上がったのであれば褒めるべきだが、満足してもらっては困る。


「でも、仕方ないのかなぁ~……。総ちゃんって傍から聞いてるだけでも壮絶な人生送ってるし。今までも、今もね」


「これからも、だよ」


「一緒にアメリカに連れてこられればなぁ~! こんな捻くれちゃうのは絶対阻止したのに。少なくとも、出会った瞬間に別人だと思わない程度には抑えられたはず」


 またもや総一郎が「う」と言うと「あ、いやいや違うの。これは、私がやらかしたなって話だから、総ちゃんを責めてるわけじゃなくてね」と白羽は慌てて訂正だ。


「今でもね、悔やんでるの。再会したあの時に、総ちゃんの悲鳴に気付いてあげられれば、抱きしめてあげられれば、って」


「……」


「でも、私にはそれが出来なかった。出来なかったことは、きっとどうしようもなかったこと。それを変えようなんて思うほど私は傲慢じゃないよ。けど――総ちゃんが私と一緒にアーカムに来られたらって妄想くらい、楽しんでも罰は当たらないかなって」


 話の種として、ね。


 白羽が舌を出してそんなことを言うから、総一郎は近くのイスを引き寄せて腰を下ろした。


「そうだね。話の種としては、面白いと思う。そうだなぁ……。うーん、いざ考えようとすると、中々思いつかないね」


「私これ絶対そうだと思うんだけど、まず間違いなくウー君とは一回滅茶苦茶な大げんかしたと思うんだ!」


「白ねぇの妄想が逞しい」


 しかも内容が喧嘩である。余程高度の人格シミュレーションが、白羽の脳内で行われているらしい。


「何で俺、Jと大喧嘩するの?」


「そりゃあ昔の総ちゃん空気読めなかったし」


 それは確かに、と思う。子どもらしい立ち振る舞い、というのは本当に分からなかった記憶が残っている。


「ウー君はウー君で、昔は礼儀とかそういうの全くなってないクソガキだったから」


「中々痛烈な評価だね」


「ウー君と出会った頃って、まだモンスターズフィーストがあった時代だからね。冷静に考えたらギャングのボスの一人息子だよ」


「そりゃクソガキなわけだ」


 ナマイキじゃない理由が見つからない。そう考えると、彼の目上の相手に対する丁寧さ、というのは頑張って身につけたものなのか。総一郎の中で株を上げるJである。


「で、激しくやり合う訳でしょ?」


「うん」


「それで総ちゃんの魔法で生きてるまま首ちょんぱにされる、と」


「あ、もうそれ確定なんだ」


「ウー君のあの首の姿、インパクトが強いというか、何か目になじむんだよね……。何でだろ」


 首だけの動物が馴染む、というのは多分はく製からの連想があるためだろう。Jが哀れに感じてくる総一郎だ。


「で、愛ちゃんとは今通りほどほどに仲が良くって~、そうだね。ジュニアハイスクールまでは、この四人で一緒にいるんじゃないかな」


 つまり、私、総ちゃん、ウー君に愛ちゃん。と白羽は四人の名を挙げる。これで現ARFの幹部メンバーが大体揃ってしまう、というのも恐ろしい。


 残りは、アーリ、シェリル、そしてヒルディスだろうか。総一郎も頭を捻って、考えてみる。


「アーリとは、中学時代に仲良くなりそう。勘だけどね」


「多分そうなったと思うよ。っていうのは、その頃辺りでウー君の実家周りがJVAの捜査できな臭くなってて、愛ちゃんも……色々あった時期だから」


 総ちゃんに特別な不幸がなければ、ハウハウたちと仲良くなるんだろうね。と白羽は言う。総一郎は少し年頃を考えてこう呟いた。


「あ、そっか。アーリはハウンドとしては二代目だもんね。まず、今は亡きロバートくんと仲良くなる……のかな」


「そうそう。それで私たちのどっちも、やっぱり思春期に入り始めるころでしょ? 親が居ないから姉弟で反抗期になり合って、結構険悪になったりして」


「俺が叱る側なのか、白ねぇが叱る側なのか、中々判断が難しいね」


「どっちもだよ」


「どっちもか」


 言って、クスクス笑いあう。総一郎が「どんなこと、白ねぇ言うと思う?」と聞くと、白羽は「多分すーっごい細かいこと言うと思う。普通にやってたら総ちゃんに何も勝てないから」と唇を尖らせる。


「俺は真逆だろうな。Jとかの社会的な立ち位置とかも分かってきて、関係を切って欲しいとか言うのかも。うわ、自分で想像して嫌になった。でも言うんだろうなぁ。心配でさ」


「心配してくれるの? 嬉しい」


「もちろんだよ。……こうやって素直に言えるのも、大人になった証拠なのかな」


「そりゃあ私たち、親になるんだもん。大人にならなきゃ」


 ほら、パパが撫でてくれますよ~。そう言いながら、白羽は総一郎の手を取って、自らのお腹へと誘導する。触れると、見た目よりも張っていることが分かった。臨月には程遠いが、命の芽吹きを感じる。


「そうだね、大人にならなきゃ。あぁ、ってことは、俺、子供に将来言うんだろうなぁ。あの子は評判が悪いから、付き合っちゃダメとか何とか……」


「本当にダメな相手なら手を切らせるのも親の役目とは思うけどね」


 過干渉の親にはなりたくないなぁ、と総一郎。そう思うなら大丈夫だよ、と白羽。それから白羽は考えるそぶりを見せて、こう言う。


「シェリルちゃんとは今よりも断然苦戦しそう」


「分かる。シェリルは正直ウッドが居たから今みたいに解きほぐせたのであって、ウッドが居なければ無理だった」


「だよねぇ……。頃合いとしては、私がハイスクールに進学したてくらいだったかな? ちょっとあやふやだけど、その辺りだから、多分ハウハウ側がARFに加入して、総ちゃんが付いてきて、私とばったり! みたいな」


「一回それでだいぶ俺たち喧嘩しそうだよね」


「ふふ、絶対する。でも、私たちってお互い自分の落ち度は素直に認めるから、それを指摘し合って、どっちもシュンってなって、お互いに許し合う、みたいな感じが自然かな」


「だろうね。で、話戻すけど……」


「……いやぁ、シェリルちゃんは無理でしょ」


 むしろ今が奇跡。とのたまう白羽に、総一郎は深く首肯だ。白羽のお腹を撫でり撫でりしながら、総一郎はシェリルの記憶を遡る。


「シェリルってさ、辻さんにマジックウェポンのデモンストレーションで両親殺されて、それから隠れるためにずっと、数年がかりで家のクローゼットの中に閉じこもってたんでしょ? で、心を開きかけたタイミングで、ヒイラギに拷問を受けて」


「そうそう、そうだよね。それでシェリルちゃんは閉じこもって、拷問を受けて、精神まで分裂させてしまった。あんなあの子を今みたいにしっかりした状態まで持っていくのは、確かに総ちゃんが居なければ無理だったと思う」


 つまり、ウッドを抱えた今の総ちゃんじゃなきゃ、って。


 白羽の言葉に、総一郎もううむ、と唸るしかない。酷な話だが、イギリスでの壮絶なイジメ、陰謀、そして修羅化でもって己をどうにか保とうとした経験のない総一郎では、シェリルは手に余ったはずだ。


 だが。


「それでも、諦めないと思う、俺は。特に、昔から子供というか、目下には可能な限り優しく接したい気持ちがあるから」


「シェリルちゃんには特別優しいもんね~。あと、ナイとかも」


「シェリルは妹みたいなものだよ。そういう気持ちはない。ナイは、その、良くも悪くもね」


「私の前でナイへの想いを語るの禁止~。拗ねちゃうよ?」


「俺は大人なので、ナイの話を振ったのは白ねぇだという事は指摘しないでおきます」


「思いっきり口に出てますけど」


 またお互いにクスクスと。それから、総一郎はこう呟く。


「でも、やっぱりどうしようもないんだろうね。イギリスでの苦しみをスキップした分、人生初めての挫折になるのかもしれない。凹むんだろうな。そこで凹めるほど、ぬるい人生だったともいえるのかもだけど」


「ぬるくていいよ。そのくらいの挫折くらいでちょうどいいよ。総ちゃんのこれまでは、過酷だった。これで良かったなんて、思わないで」


「……ありがとう」


 総一郎は礼を言いながら、白羽の腹部を労わるように撫でる。白羽は「ふふ、そろそろくすぐったいかも」と総一郎の手を腹部から取り上げて、歪な握手のような体勢でやんわりと手をつないだ。


「そこで登場副リーダー、かな? 凹んでる総ちゃんには、優しくしてくれそう。それで言えば、総ちゃんと似てるのかもしれないね。副リーダーも親分肌で、下に優しいから」


「あぁ……。そうだね、そういう節はあると思う。警察署襲撃のとき、部下が一人死んだらしいね。犠牲なしでリッジウェイ警部を相手に取れるとは思ってなかったけど、ヒルディスさんの落ち込みようは覚えてるよ」


 それでも、彼は自らに課した制約を破らないのだろう。リッジウェイ警部だけは、その手で殺さないと。例え勝てる場面だったとしても、命を奪うまでは出来ず、そうやってまた味方の誰かの命を奪われてしまうのだろう。


 リッジウェイ警部は、殺されたがっているというのに。


「……」


 総一郎は、下唇を噛む。彼らの関係は、とにかく救われない。総一郎のように頑なに警部を殺さないヒルディスに、ウッド同様殺されるために憎まれようと殺しまわるリッジウェイ警部。その関係性はともかく不毛で、ただ周囲に被害のみをまき散らす。


 総一郎は右手を見下ろしてウッドを考えた。今、奴は眠っている。ベルに被せた修羅の面は、気付けば異次元袋の中に戻っていた。


 総一郎は、人間であることを諦めれば、いつだってすべてをウッドに託すことが出来る。


「総ちゃん?」


 名を呼ばれ、ハッとした。「ごめん、少しぼーっとしてた」と総一郎は誤魔化し笑いをし、つないだ左手をやんわり握り返す。


「今のところあんまり副リーダーと接点ないけどさ、総ちゃんと副リーダー、相性いいと思うんだ。総ちゃんは上から見るとほっとけないし、愛嬌があるから、何かと面倒みてあげたくなるって言うか」


「それ白ねぇが個人的にってことじゃなく?」


「私がその程度で満足するとでも?」


「返しが強い」


 笑ってしまう。だが、この分なら回復もすぐだろう。そんな風に思いかけた時だった。


「総ちゃん。私に何かあったら、副リーダーを頼ってね」


 白羽は、静かなトーンでそう呟いた。総一郎は口を噤み、つなぐ手のこわばりを感じる。


「……白ねぇ?」


「副リーダーは、とっても頼れる人だから。私の前では悪ぶってたけど、みんなの周りではそうじゃないの、知ってる。ちゃんと子供を育てられるいい大人って、貴重でしょ? 副リーダーはそうなの。私も育ててもらった。ARFにとって私は旗印だけど、柱は副リーダーだから」


「白ねぇ、そんな。俺はそんなこと、白ねぇの口から聞きたくないよ」


「……ごめんね。眠くて、弱気になっちゃってたかも。ちょっとお昼寝してもいい?」


 長話をした所為か、どことなくまぶたの重そうな様子の白羽。総一郎は僅かな逡巡を乗り越えて「もちろん」と頷いた。


 ここ最近、いつも昼寝をするとき添い寝を求められていた。だから今日も、奥に移動する白羽の横に潜り込む。白羽はそんな総一郎を見て、微睡む表情で相好を崩し、総一郎の胸元に頬を寄せた。


 そして、こんな事を言うのだ。


「そうだよね……私、まだまだ頑張るよ。だって、このお腹の中には、総ちゃんとの赤ちゃんが居るんだもの。元気に生んであげるまで、絶対に死ねないんだから」


 早く会いたいな。白羽はそう呟いて、穏やかに眠りへ落ちていった。総一郎は白羽を大切に抱きしめながら、自らも目を瞑る。


 眠くはなかった。


 ただ、不安に押しつぶされないために、白羽を守るように、丸まっていた。


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