8話 大きくなったな、総一郎38
優先順位をつけよう、と思った。
まず、シェリルと段取りを整理して、可能ならシェリル一人でも進められるようにする。これが最優先であると定め、今しがた終えたところだ。期待していたところ悪いが、二人での対応は難しいと判断せざるを得なかった。
次に薔薇十字団の離反についてだが、明日に対談が控えてるのもあって、今日中にローレルに会って事情を聴かなければならないだろう。
第三にJの連絡先収集の妨げとなっている、拉致事件の解決。これも余裕がないが、他に比べればマシなので、いったん置いておくとする。
「お、返事が来た」
ローレルと会って話を聞くという提案に合意した旨を伝えると、すぐに連絡が返ってきた。こういうのはありがたいな、と思いつつ、総一郎はARFの拠点を出る。
スラムと繁華街の境目を歩いていると、夕焼けに照らされる街並みが瞳に映った。どことなく寂れていて、しかしどことなく賑わいがある。そんな衰勢の入り混じる街並みは何ともアーカムらしくて、総一郎はほうと息を吐いた。
「古き魔法も、新しき科学もある街なだけはあるね」
総一郎は足取り軽く道を進んだ。向かう先は繁華街のカフェの一つ。何となく覚えのある場所だ、と思って歩みを続けると、「ああ」と思い当たる節に声が上がった。
「ここ、ヴィーの行きつけだ」
以前気さくなオーナーも交えて、いくらか話した覚えがある。そんな思いで窓から店の中を覗き込むと、ローレルの姿があった。
彼女もちょうど総一郎の到着に気付いて、窓越しにクスッと微笑み総一郎に手を振った。総一郎も手を振り返して、カフェの扉を開く。
「いらっしゃいませ、お連れ様はそこに座っていますよ」
「ありがとうございます」
案内をしてくれるオーナーに礼を言って、総一郎はローレルの向かいに座った。「お待たせ。待たせちゃったかな」と言うと「ふふ、待ってませんよ、ソー」と何だか心の底から嬉しそうな笑みが返ってきて、総一郎も嬉しくなってくる。
「ローレルは、前よりも朗らかになったね。日々接するごとにそう思うよ」
「それはそうです。ソーにこうやって、会おうと思えばいつでも会えるんですから。私、今は楽しくって仕方がないんです」
「はは。そう言ってもらえると、俺も嬉しいよ」
座りつつ机の上に手を置くと、そこにローレルは手を伸ばしてきて、そっと指を絡めてくる。なので総一郎はそれに応えるように絡ませ合う振りをして、指相撲の形に持っていった。
「勝負!」
「負けませんよ!」
ローレルも流石カバリスト。とっくに総一郎の考えなど読んでいたのか、蜜月めいた雰囲気を一瞬で振り払って総一郎の勝負に乗ってきた。隙を伺いお互いの親指を狙いあう。だが、やはり男女では手の大きさからして違うもの。
総一郎のすばやい押さえ込みに、ローレルは「むぐっ」と唸った。脱出しようにも、アナグラムを徹底的に固めた押さえ込みは、ローレルには荷が重い。総一郎はあえてゆっくりと十秒数えて、ローレルに敗北を強く実感させる形で勝利した。
「勝ち」
「負けました……」
それから肩をゆすってカラカラと二人で笑いあい、「こうやってふざけ合っていると、UKにいた頃を思い出します」と言うローレルに、総一郎は頷いた。
「本当だね。あの頃は、辛いこともあったけど、君と無邪気に仲良くいられるあの日々が楽しかった。――本題に入ろう。薔薇十字団について教えて欲しい」
総一郎の切り替えに、無論ローレルはついてきた。「単刀直入に言います」と彼女は切り出す。
「薔薇十字団は、ヒイラギに乗っ取られました。彼女の影響下にいないのは、私だけです」
「ッ……!」
ローレルの口ぶりに、総一郎は動揺を隠せない。辛うじて「よく、無事だったね」とせめてもの安堵を示すばかりだ。
しかしローレルは落ち着いた様子のまま微笑む。
「あなたのお蔭ですよ、ソー。私は、そう思っています。少なくとも、ソーのお蔭で死者は出ない形に落ち着きました」
「それは、どういう」
「ヒイラギは、現状あなたの打ち込んだフィアーバレットによって、暴力的な攻撃手段はとれなくなりました。そのことが、今回の薔薇十字陥落に大きく関わっています」
ローレルは、顔を上げる。そこには、静かで、秘められた、しかし強い怒りがあった。
「ヒイラギの『平和的な攻撃手段』が、薔薇十字団には効果があり過ぎたのです。彼女は心を入れ替えたと称して、我々やARFでは決して獲得しうることのない利益を約束しました。結果として、薔薇十字団は陥落したのです。そして、彼女はさらにこう提案しました」
――あなた方の救世主のお蔭で心を入れ替えられたのです。このご恩を、お返ししなければなりません。
背筋に、嫌な汗が伝った。総一郎は、体を固くしてローレルの話を聞くしかない。
「聞いてもいいかな。具体的に、何が起こったのか」
しかしローレルは、目を伏せてそっと首を横に振った。
「ごめんなさい、分かりません。私は現状薔薇十字団において、もっとも身の安全を重視される立場でしたから。ヒイラギの襲撃に際して、真っ先に身を隠すようにと……」
安全の確保された隠れ場所で、暗闇の中、ほとんど情報のない状況で、可能な限りアナグラムを拾って見出した筋道であるという。総一郎はその健気さに、それにただ感謝を示すしかない。
「ヒイラギが去って、その場所を出た時には、薔薇十字団の面々は困惑していました。そして、私の追放を決めたのです。ただ、明日の会議には来てもいいと言っていました。申し訳ありませんが、それ以上の情報は……」
「そっか。いや、十分な情報だったよ。ありがとう、ローレル」
「そう言っていただけて、よかったです」
少し気落ちした様子で、ローレルは語り終えた。しかしそれも僅かな時間の事。彼女は一呼吸の内にみるみる平静を取り戻し、普段通りの態度に戻って「それで」と切り出す。
「明日の席では、何を話す予定なのでしょうか? 私からはただ、会議があるとしか聞いていなくて」
「ARFから離反する、ってことだった。けど、俺がARFを率いるのなら取りやめる、だって」
「……意図が見えませんね」
「うん。特段薔薇十字団が白ねぇを敵視する理由はないはずだしね。俺に執着する理由は、よく分からないなりにあるらしいけど」
ヒイラギが絡んでいる、という前提で考えると、さらに意味が分からない。騙し討ちでもするなら、離反などという議題は掲げないはずだ。総一郎を無意味に警戒させるだけだろう。
となると、一つの仮説が浮かんでくる。
「薔薇十字団は、本当に裏切ったわけではないのかもしれない」
「それは、あるかもしれません。彼らはヒイラギに抗う事は出来ないようでしたが、ソーに対して不満があるようには見えませんでした」
「というか、本当に俺を裏切ってどうこう、ならローレルを追放って形で逃がしたりはしないはずだ。多分、自分たちと一緒にいるよりも、俺に預けた方が安全だって判断したんだろうね」
「なら、議題として『ソーがARFを率いるなら』という条件を付けたのも」
「何かのメッセージか、あるいは」
総一郎とローレルは、顔を見合わせて、明日の交渉内容について吟味を始める。二人してアナグラムをほどき、そして整えながら、状況を整理し始めた。
「第一に、図ったように白ねぇが倒れたタイミングで、俺に向けて『トップが交代しなければ離脱する』って主張するのは、間違いなく意図があるはずだ」
「えっ、お姉さま倒れたんですか!? おっ、お見舞いに行かなきゃです!」
「ひとまず落ち着こうか。お見舞いは喜ぶと思うからいずれ行くのは賛成だけど、今じゃない。……考えたんだけど、この主張で得するのは、俺や白ねぇじゃないかな?」
「というのは?」
「白ねぇが倒れたって情報は、ARFのメンバーのやる気を大きく削ぐことになる。白ねぇはカリスマの持ち主だからね。だからこそ、白ねぇの入院という情報を省いて俺が指揮を執れる体制に移る原因を作ってくれるのは、ありがたいんだ」
「それは、複雑ですが、そうですね」
総一郎は電脳魔術のノート機能に、ローレルは実際のノートにアナグラム情報を分解しては再構築を繰り返す。単純なはずだった議題は、解くとまるで何度も圧縮された電子情報のように何度も展開を繰り返し、膨大なアナグラム量になりつつあった。
「しかし、それでは疑問が生じます」
ローレルの鋭い一言に、総一郎は聞く態勢に入る。彼女は視線をせわしなく動かして、目いっぱいに言葉を探して総一郎に重要なことを伝え―――
―――られなかった。
「ごめん、電話」
電脳魔術経由の通話が総一郎に掛かってきたので渋々断りを入れて出ると、Jが『イッちゃん今すぐにおれらの所来れるか? 拉致事件についてなんだが』と静かだが切実な様子で助けを求めてくる。
「あー……、今立て込んでるんだけど。どうしても?」
『イッちゃんじゃなきゃ多分状況が悪化しかねねぇんだ。だが、イッちゃんが来てくれれば多分何とかなる』
「……分かった」
予定を鑑みるにJの要請はもっとも優先度が高い。それを妨げる拉致事件とやらを早々に解決できるなら、ローレルとの蜜月も投げ売らざるを得ない、というところ。
そんな訳で、総一郎は断腸の思いで立ち上がった。そして「ごめん、どうしても行かなきゃならなくなった。話の続きは今度聞かせてほしい」と謝罪を入れてその場を立ち去る。去り際に見たローレルの寂しそうな顔には心が締め付けられたが、仕方がなかった。
「心を亡くすと書いて、忙しい、か……」
忙殺とは、なんと嫌な言葉だろうか。心亡くして殺される。今の総一郎がまさにそれだ。こんな環境でずっとやってきた白羽には、全く頭が上がらない。
つなぎっぱなしだった通話状態を保って、Jの居場所を聞き出す。幸いにも場所は近いらしく、スラムの奥の端の辺りに総一郎はたどり着いた。日の長い夏故、まだ日没は遠い。だがこういったスラムの奥側からは、ぞわぞわとした異質な雰囲気を感じ取ってしまう。
「おぉ! イッちゃん、流石早かったな」
「そりゃ恋人との甘いひと時を切り上げて来たんだ、少しの時間のロスも許さないさ」
「お、おう。タイミングが悪かったみたいだな、すまん。じゃあちゃきちゃき済ませようぜ。アレを見てくれ」
Jの指さす先を見る。そこには、ぼーっと路地の真ん中で突っ立っている人物がいた。
総一郎はJと共に建物の影に隠れ、目を細めてその人物のアナグラムを拾いにかかる。だが、よく分からないという結論に至った。首を傾げてJを見る。Jもまた、総一郎に首を傾げ返してきた。
「いや、君が呼んだんでしょ。説明してよ」
「違うんだって。おれには分からないことだけはハッキリわかってさ。けど、それっておかしいだろ? おれ滅茶苦茶鼻が利いてよ、よほどのことがない限りはそいつの事初対面でも結構わかるんだぜ?」
「……なるほど」
確かに、言われてみれば『よく分からない』という結論に至るのがおかしい、というのは筋が通った主張なのだ。Jの鋭敏な嗅覚もそうだし、総一郎のカバラとて“普通の人間相手”ならば、見ているだけで考え程度なら読めてしまう。
「――何で分からないんだろ?」
「分からん。何だろうな。人間の臭いは間違いなくするんだが、何つーか、人ごみの中で匂いが混ざってよく分からん時みたいっつーか。とにかく捉えどころがねぇんだよ」
言われて、確かにその例えに近い感覚を抱いたと自覚する。掴みどころがない、というのか、後ろから見て窺えるアナグラムの一つ一つが僅かずつズレていて、統一感がないというか、結局分からないという感想に至ってしまったのだ。
「ちなみに、何で俺が来たら拉致問題が解決するって?」
尋ねると「ああ。そりゃあいつから、拉致被害者のニオイがしてよ」とJは話し始める。
「五人ほど拉致被害者が居るんだが、捜査ってんでそのニオイの分かる服とかを嗅がして貰ったんだよ。んで、そのニオイ全部が奴から香ってくるわけだ」
「――なら、彼が拉致の犯人だと?」
「分からん。ただ、ちょっと不気味でな。直感だが、おれが手を出すのはやめておこうと思ったんだ」
「……そっか」
分かった、とだけ言って、総一郎は物陰から出ることにした。「お、おい」と制止するJの声も黙殺して、接近する。
近づけば近づくほど、伺い知れない不気味さが増しているように感じた。思えば、こうやって道の真ん中で、何をするともなく突っ立っている時点で妙ではあったのだ。その人物は微かな身じろぎを繰り返すばかりで、後ろ姿からはやはり何も分からない。
総一郎は深呼吸をして、それから努めて朗らかに、急に話しかけても不審がられない内容で声をかけた。
「あの、すいません。迷ってしまって。もしよろしければ、駅はどちらにあるのか、お教え願えませんでしょうか?」
語り掛けながら前に回り込む。そして、総一郎は凍り付いた。瞬時に臨戦態勢に入る。だが、戦闘にはならなかった。
それは、あまりに穏やかな異形だった。ベルのときとは全く違う。彼は、こちらに攻撃の意思を全く持っていない。だからただ、それは、どうしようもなく、そこに立ち尽くしていただけだったのだ。
「おい! イッちゃん、加勢するか!?」
咄嗟に飛び退って構えを作った総一郎を見て、Jが声を上げた。だが、総一郎は。
「……J。来て」
総一郎は戦闘態勢を解いて手招きをする。訝しげに、恐る恐る近づいてくるJは、その人物の容姿を改めて確認して、理解に数秒を要し、そして即時に目を背けた。
「何だよこれ……こんなの、悪夢だ。―――はぁ? 意味が分からねぇ。吐きそうだ。こんな、こんなこと、あるかよ」
「拉致被害者全員のにおいがするのも、納得だ。こんな、ひどい真似……」
総一郎は、手を伸ばす。この救いのない五つの命を、終わらせようとしたのだ。
だが、出来なかった。内側でウッドの笑い声が上がる。そうか、と思い直して、手を下ろした。これは命なのだ。ベルのような、修羅の分離体とはわけが違う。
「ごめん、Jに任せていいかな。俺がやろうとしたけど、無理だった」
眉根を垂れ下げて自嘲気に笑う総一郎を見て、Jは口を押えながらもその人物に向かった。そして、肘から先を狼に変貌させる。
「安らかに眠ってくれ。あとは、おれたちに任せろ」
一薙ぎ。その人物は細切れに吹き飛んだ。その瞬間的な衝撃は、痛みもなかっただろう。総一郎はその飛び散った体の破片を、遺伝子ごとにアナグラムで分離し、魔法で細かく仕訳する。
そして、空中に五人の空中に浮かぶ血だまりが出来上がった。総一郎は言う。
「せめて、別々に埋めてあげよう。Jはその相談主に、被害者たちは死体で見つかったって教えてあげて。それから、こっちで埋めたとも」
「……ああ、そう伝える。それしか、ねぇもんな」
総一郎は血だまりの一つ一つを魔法で作り上げた袋で包んで密閉し、異次元袋に収納した。それから、無言で共に歩き出す。語るべきことはあった。だが、言葉にならなかった。
ただ、Jがこう言ったのみだ。
「ヒイラギ――あの狂人がよ……ッ」
憎しみに塗れたその言葉に、総一郎はただ拳を握り締めて同意する。
だが、一つ疑問があった。
フィアーバレットで暴力を禁じられたヒイラギが、何をどうすればこんな冒涜的な所業が出来るのかと。




