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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
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8話 大きくなったな、総一郎37

 総一郎は白羽の執務室で、白羽のイスに深く座り込みながら、白羽の抱えていた仕事の量の多さに硬直していた。


「これは……一人で抱え込む量じゃないよね」


 電磁ディスプレイを思い切り下へとスクロールしても次から次へと出てくるタスクには、総一郎とて口端を引きつらせるしかない。象徴とかそんな思わせぶりなことを言って、過労を隠したかっただけではないのか、と思わないでもないほどだ。いや本気で多い。何これ。


「……これを、期日までに。そもそも期日っていつ?」


 総一郎はカレンダー機能で最終期日を確認する。今日からだいたい一か月ほどで、イキオベさんのスピーチが待っている。それまでに場所の確保や設営、告知などの諸々の準備の手はずは、意外にも手元の資料を見る限り整いつつあった。


「あれ、じゃあ後もう少しってところで倒れちゃったの? 白ねぇ」


 首を傾げながらさらに詳細に見ていく。手はずの整っている分野は、然るべき相手に仕事振るだけでいい。だが、一部専門性のある特殊な業務に関しては、それをこなせる人間を酷使することになってしまう、というのか心苦しげにメモに記されていた。


 そして、そのタスクを見て総一郎は絶句した。


「……なるほど、これか」


 スラム在住の亜人たちの連絡先収集、J、三日以内。反ARF的思想の亜人たちの動向把握、シェリル、一週間以内。亜人差別的思想を有する集団の資金形成分析、アーリ及び薔薇十字団、五日以内。


「いや明らかにそんな数日で終わる仕事じゃないでしょ」


 は? という顔になる総一郎である。だが、先ほどまで見ていた資料に関連事項があった気がして、急いで開き直し、蒼白になった


「……嘘だぁ」


 総一郎は、口を押えてしばらく考え込む。先ほどの無茶ぶりのような仕事の数々は、そこまでに出来れば余裕ができるとか、そう言った甘いものではなかった。


「これまでに終わらせないと、全部詰まっておじゃんになる」


 ボトルネック、と大文字で記入されている。和訳するなら瓶の首。総一郎が連想するのは、どちらかと言うと砂時計だ。


 つまりは、『そこさえ何とかなれば、後は全て順調に運ぶ点』。もっと言うなら、『全体の足を引っ張っている部分』『他がどれほど優れていても、そこがどうにかならなければ何も上手く行かないところ』。


 砂時計の首。砂時計は、首さえ太ければひっくり返すだけで砂がすべて下に落ちるのだ。だが、首が細いがためにアレだけ時間がかかる。他の部分がどんなに広くても、砂時計の首が細い限りは変わらない。


「それが、この三つだと」


 確かに、Jでもなければスラムに十分なコネクションがなく、連絡先などの情報を集めることは難しいだろう。だが、普通のやり方では目が回るような労力を要するのも事実。シェリルの動向の把握も、きっと蝙蝠へと群体化できなければ不可能だろう。アーリや薔薇十字団のカバラは、言うまでもなく専門性の塊だ。


 そして、だからこそ負荷が集中し、上手く回らなくなっている。


「……ひとまず、それぞれから話を聞かないことには始まらない」


 総一郎は電脳魔術でそれぞれに連絡を飛ばした。アーリからはすぐに連絡が返ってきて、Jは数分後、シェリルは恐らく寝ているのだろう。昼の今は、いつまでも返信がなかった。


 総一郎は、思案にふけりながら来客を待った。いの一番に来たのは、Jだった。


「おう、来てやったぜイッちゃん! シラハさんの休暇中、ARFのリーダーやんだってな! まぁ肩の力抜いてさ、いっくらでもおれに頼ってくれていいからよ!」


「頼もしいね、ありがとう。頼もしいついでに、残り二日が期限らしい連絡先の収集のお仕事、順調?」


 総一郎に切り返され、Jはピシッと硬直した。それから、ぎこちないロボットのような動きで、踵を返す。


 いや帰ろうとするな。


「J」


「いっ、いやぁ、そのだな。決してサボってた訳じゃなく、地道にやって行こうと思ってたらいつの間にかこんな事になってただけで」


「君のそれ、上手く行かないとイキオベさんのスピーチの日程にまで響くよ」


 総一郎の言葉に、Jが素早く振り向いた。それから目を剥いて、総一郎に詰め寄ってくる。


「……マジか?」


「うん、マジ。君のその仕事、滅茶苦茶重要度高い。しかもJにしかできない仕事だから、あと二日以内に終わんないと本気で色んなものに支障出る」


「……マジか」


 Jは口を引き結んで、考え込むように俯いた。総一郎は尋ねる。


「あとどのくらい?」


「百人いない程度だ。全員名前は掴んでるし、昔の連絡先なら持ってる。連絡して繋がればそれで解決だ」


「繋がんなかったら?」


 Jはまた俯く。しかし、答えが返ってくるまでに長すぎる時間は要しなかった。


「会いに行く。アーカム内なら多分臭いで追えるし、アーカムの外なら会いに行く必要がねぇ。今までの感じだと、割合的に三割程度を追う必要があると思う。つまり、30人を追えば全員の連絡先が手に入るはずだ」


「いいね。出来そう? 手伝う必要は?」


「ハッ、舐めるなよイッちゃん。おれは流石に本気のイッちゃんよりかは遅いけどよ。その分小回りが利くんだぜ」


 得意がるJに、総一郎は相好を崩して「じゃあ任せたよ、ウルフマン。この件は継続して君に一任する。亜人差別を打ち払うためにも、共に頑張って行こう」と伝えた。Jは力強く頷いて「任せとけ、親友」と言い残し、意気揚々と部屋を出て行った。


「これでJは解決、かな」


 発破をかけるだけで上手く行くのは、アナグラムで分かっていた。Jの亜人としての能力はカバラで計算できないが、彼の人柄、その自信のほどから見る成功率は計算できる。後は、信じて待つだけだ。一番切羽詰まっているようで、別段不安要素もなかった。


 だが、ここからは違う。一人は完全な過負荷で、一人は本人のやる気のなさで、どうにもならないままでいる。


 その時、電脳魔術に通知音が響いた。履歴を見れば、アーリから『今それどころじゃない』と端的に伝達だ。案の定か、と総一郎は息を吐いて、ひとまず対応できる方を、と執務室を出て階下に向かう。


 総一郎が向かうのは、一階の奥まった部屋だ。そこはなるべく光の届かない構造に改造されている。扉を開けると、暗がりの中から静かな寝息が聞こえてくる。


「シェリル? まだお休みかな」


「んー……、ソウイチ……? もう夜……?」


 思いのほか眠りが浅かったのか、シェリルが棺桶の形をしたベッドから体を起こした。それから伸びをして、大きな欠伸を一つ、総一郎を半眼で眺めてくる。


「シェリル、ちょっと白ねぇが居ないから、代わりに急かしに来たよ。反ARF的な思想の持ち主の亜人が、アーカムにどれだけいるかっていうのを調査してるんだよね」


「えー……? あー、うん。そうそう。あのめんどーな奴ね」


「そうだね。シェリルにしかできない仕事だ。どれくらい進んでる?」


「ん~……? 分かんない」


 総一郎、曖昧に過ぎる返答に、非常に困ってしまう。


「そう……か。分かんない、分かんないかぁ……。ちなみにシェリル、その仕事の重要度、理解してる?」


「え? 面倒ごとをあらかじめ露払いってとこでしょ? 私しかできないってのは分かってるけど、重要って程じゃないよね」


「……」


「……え、重要なの? この仕事」


 やっと言葉づかいが明瞭になってきたシェリルに、総一郎はただ深く首肯した。シェリルは少し戸惑い気味に「え、何で何で? そんな、絶対に突っかかってくる厄介な敵組織を潰す、みたいな話じゃないよね?」と尋ねてくる。


 それに、総一郎は白羽の資料を電脳魔術で確認しながら、懇切丁寧に説明だ。


「今シェリルが言ってくれた例が、結構ドンピシャなんだよ。彼らは明確に組織って訳じゃないけど、似た思想だけあって緩やかにつながってる。だから事を起こす寸前に手を結びあって、突発的に攻撃を仕掛けてくる可能性があるんだ。そして、そういう危険そのものを完全に排除しなきゃならないのが、イキオベさんのスピーチなんだよ」


 特に亜人が暴れるっていうのは最悪だ。そう結ぶ総一郎の説明に、シェリルは眉根を寄せて難しい顔だ。小さなヴァンパイアは人差し指でこめかみをこねてから、さらに聞いてくる。


「つまり、今は組織じゃないけど寸前で組織になって攻撃してきそうな敵になり得る相手だから、今の内に行動を掴んでおこうって、そういう話?」


「その通り。まだ生まれてもない敵組織の構成員を、今の内に把握しておく。それがシェリルの仕事だよ。そして、その名簿をもとにJVAが平和裏に仕込みを入れてくれる予定になってる。先んじて問題が起こらないように、血を流すことなく事象を操作しようっていう一大案件なんだよ」


「……へー……」


 シェリルは呆気にとられた様子で、ポカンと総一郎の説明を受け入れた。それから腕を組み、少し考え、言った。


「責任重すぎ。種族魔法的に私しかできないのは分かるけど、私一人じゃ無理だよ」


「……それは、うん、シェリルの今までの仕事って腕っぷしだけでもなんとかなるもの多かったしね」


 名簿の作り方一つとっても、社会人経験がないと難しいものだ。特に亜人は戸籍がない場合も珍しくない。顔と名前が分かればそれで終わり、という訳には行かないのだ。


「っていうか、私そんな説明受けてないよ。ボスから『何かARFのこと敵視してる亜人の事調べることになったから、よろしく!』って雑に仕事振られたから雑に何となくやってただけだし」


「詳しい話は教えてもらえなかった?」


「また後でしっかり話すね! とは言ってた。だからボチボチ蝙蝠になって街を探り始めたのが昨日かな」


「……昨日」


「ちなみに仕事振られたのが一昨日」


 白羽が倒れた日である。


「ほ、他の仕事に比べれば期日に余裕があるなとは思ったんだ」


 だがまさか、その一週間がすべてだとは思うまい。どれだけ忙しかったのだろうか、白羽は。天使なのに過労になったのはおかしい、というより、天使だからここまで耐えられたのではないだろうか。我が姉の事ながら、何だか泣けてくる。


「分かった。じゃあ、その辺りは細かく決めて行こう。俺も手伝うよ」


「本当!? やった、ソウイチと二人っきりで仕事だ」


「それで喜んでくれるのは嬉しい話だね。じゃあひとまず、細かい段取りから―――」


 そこで、電脳魔術に電話の通知が入った。送信者はアーリ。シェリルに中断を詫びつつ通話を開始すると『ソウ、緊急事態だ』と端的に助けを求める声が聞こえた。


『と、すまん。今いいか?』


「辛うじてってとこ。シェリルにお仕事のそれこれを伝える前だから、手短にお願いしたいかな」


『分かった。じゃあ率直に述べさせてもらうが、薔薇十字がARFから離脱するって言い始めた。だがソウがARFを率いてくれるなら話は別だって言ってる。アタシ自身はソウがこいつらに恨み辛みあることを理解してるから微妙なんだが、どうだ?』


 この忙しいタイミングを見計らったように、と総一郎は渋面になる。もしやそれで総一郎の判断能力の低下を狙っているのか。どちらにせよ、厄介極まりない。


「……分かった。とりあえず、薔薇十字団に交渉の席を用意することを伝えて。で、可能な限りは今のお仕事を続けてほしい」


『了解、ソウ。いや、新ボス代理。だがあらかじめ言っておくが、量が量だからアタシ一人の作業だと気休めにしかならないのは理解しておいてくれよ』


「スパコン使っても難しい?」


『スパコンにカバラのアナグラム式全部入れるとよ、神の雷が降ってくんだよ。小規模なバベルの塔の事件が再来する訳だ』


「それ、一部のアナグラム式を別のコンピュータに入れて、データが出来次第転送で処理とかできない?」


『なるほど、その手があったか。だいぶ処理速度は落ちるが、そこは大量のパソコンを並列につなげばいいだけの話だしな。やってみるぜサンキュー。ところで交渉はいつにする?』


「明日かな。昼の一時からって伝えてもらえる?」


『了解だ。じゃあ以上』


「はい。引き続き頑張って」


 通話が切れる。ほっと一息つくと、シェリルが「それで、どんなふうに進めていく予定なの?」と問い直してきた。「ああ、えっと」と総一郎が考えを巡らせようとしたとき、Jが愛見をつれて部屋に飛び込んでくる。


「イッちゃん! 大変だ! おれ自身もよく分かってねぇけど、大変らしい!」


「まずは落ち着こうか。何があったの?」


 総一郎の質問に答えたのは愛見だった。彼女は「その~……」と少し歯切れの悪い語り口で、こう説明する。


「何でもですね~、スラムの亜人の皆さんの間で、妙な行方不明事件が起こってるらしいんですよ~。それで、それが片付かなきゃ連絡先は渡せないって何人かがごねて来ていて~……」


「それは、大変だね。分かった。引き続きごねてない人の連絡先を収拾を頼むよ。その拉致事件に関しては俺が調査してみる」


「おう、何だか頼もしいじゃねぇか、イッちゃん!」


「そうですね~。白ちゃんが今外しているのは不安ですが、その代わりにイッちゃんがこれだけ頑張ってくれるのは、心強いですね~」


 褒められて、総一郎はむず痒さに「きょ、恐縮です」と頭を下げた。すると、くいくい、と袖を引っ張る存在を思い出す。シェリルに「ごめんごめん。段取り決めて行こうね」と仕切り直そうとしたときに、こんな連絡が届いた。


『ソーへ。薔薇十字団について、お話があります。会議の席の前にお話しできませんか? ――ローレル』


「……」


 総一郎は思った。そろそろ何が何だか分からなくなるぞ、と。


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