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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
234/332

7話 死が二人を別つまでⅩⅩⅩⅥ

 ノア・オリビア跡地は、建物が経っていた範囲をそのままくり抜くように崩落していた。


「ウエー、何これェ。地下深くに掘り進めスギでショ。違法建築とかいうレベルじゃないヨ」


 呟いたのは、仙文だった。目深に被ったキャスケットやデニムのショートパンツなどの、完全にボーイッシュな女の子といった服装で変装し、縁にしゃがみこみながら下を覗き込んでいる。


「ウーン。これを調べなきゃ、カァ。ちょっと面倒くさいナァ。ま、仕方ないけどネ」


 くるんと宙返りして、そのままに落下する。着地はあまりにも音がなく。その場に人が居ても気づかれないほど存在感がなかった。


「さってと……見つかったり聞かれたりするだけでも業が発生しちゃうから、気をつけなきゃ。ボクは本来ここに居ちゃいけない人間なんだかラ」


 ら、と言い直す。イントネーションを根気よく治そうとしてくれている同級生たちのことを思い出して、少し気分が上向きになる。


「サァ、行こう」


 大きな瓦礫に手を掛ける。軽く掴んで、ぽんと上に力を掛けた。まるで発泡スチロールで出来ているかのように、コンクリートの瓦礫はひっくり返りって音もなく反対側に倒れた。


 そこには、ちょうどよく地階への階段が残されている。


「コノ階段はコンクリートとは比べ物にならないくらい頑丈だネ。それだけ、守りたいものがあった、ト」


 足を踏み入れる。暗がりに視界が遮られる。闇は、未知だ。未知は、無限だ。仙文にとって闇とは陰。陽の対極に位置する、この世で最も重要なものの片割れだ。


 下る足は止まらない。怖がることも、闇を照らすことも、業が発生する。だから仙文は何の感情もなく下り続ける。突き当たって、見えもしないのに仙文はまるで見えているかのようなスムーズさでUターンしさらに階下へと向かう。


 すると、だんだん薄暗い光を感じ始めた。目的地が近づいている、と判断したとき、足を止めた。


「……」


 息すら、緊張すら無しに、仙文は停止した。背後で得体の知れないものが動いている。しかし、動いているだけだ。仙文には気づいてすらいない、探してすらいない。ただ、ウロチョロと“生きて”いるだけ。


 通り過ぎる。それからまた、仙文は下る。感情的な動揺はない。そうすれば業が発生してしまうから。この地との業にまみれた彼とは、仙文は真逆なのだ。


 仙文は、あくまでこの世界にとって端役でなければならない。それが、求められた役割だからだ。


「そんなボクについ介入させるなんて、本当に主人公だよネェ、イッちゃんは」


 最下層へとたどり着き、仙文は足を止めずに横へ進んだ。そこには、崩壊の兆しの見えない迷路めいた廊下が広がっている。だが仙文の歩みは迷わない。通学路を往復するように、仙文はそこにたどり着いた。


「サテサテ、拝見させてもらおうカナ」


 小さな舌で唇を舐め、扉の影から覗き込んだ。そこに居たのは、マザー・ヒイラギだ。


「何故、何故、何故、何故、何故、何故失敗しましたの? 何故。わたくしの視点からも、未来視でも失敗の予兆はなかったはず。『祝福されし子どもたち』の力はそれだけ絶大という事ですの? 分かりません。この宇宙において、わたくしを欺ける存在などお父様、お兄様、お姉様の三柱だけのはず」


「う、ぎぃ、アァァァアアアアガ、ア」


「五月蠅いですわ。もう少しボリュームを絞りなさい」


 マザーは手近な手斧を持って、吊るされた男の頭蓋を割った。シン、と辺りは静かになる。だが、そのことにマザーは激怒した。


「わたくしはッ! ボリュームを絞りなさいと言ったんです! 黙りなさいといつ言いましたかッ!?」


 彼女の手の平に魔法陣が広がった。途端、手斧に頭蓋を深々と割られた男が息を吹き返し、絶叫を上げる。それに「それじゃあ五月蠅すぎると、言ったでしょうが!」と手斧を抜いて、何度も何度も男に刃をたたきつける。


「ア、アア、アァァアアアアアアガァア……」


「そう、そのくらいですわ」


 仙文はその光景を目の当たりにしながらも、何の感情も抱かない。「狂ってるネ」とだけ呟いて、バレないように入り口のところでくるりと宙返りしそのまま違う部屋へと向かった。


 たどり着いた先に居たのは、二人の影だ。一人は気力なくベッドの上で寝転んでいて、もう一人は焦ったようにグルグルと部屋の中を歩き回っている。


「くそ、くそ、どうすれば良いんだ。腕も、ファーガスの剣も取られてしまった。おいッ! ナイ、どうするんだこれから! マナすら居なくなって、死者の蘇りも出来なくなったんたぞ!」


「……どうでもいいよ。好きにしなよ……」


 ベッドの方の影――ナイは無気力の極みといった声色で、ぼそぼそと言うだけだ。その声にこたえるように、アメリアとかいった猫が一つ鳴き声を上げる。その様子に、歩き回っていたクリスタベルが詰問する。


「私はッ! ファーガスを生き返らせてくれるというからノア・オリビアについたんだ! それが、私は、ファーガスの形見すら奪われてッ! 君だって悔しくないのか! あんな見せつけるようなやり方で、ソウを奪われて置いて!」


「……総一郎君……」


 声もなく、嗚咽すらなく、ナイはただベッドの上で涙をこぼす。「重症だネェ」と仙文が口の中でこぼすと、ベルは「もういいッ! 君が動かないなら、マザーと私だけでも動く」と言って部屋を出て行ってしまう。


「……行かない方がいいと思うけど」


 ナイの呟きだけ最後に聞き取って、仙文はベルの後をついていった。ベルは先ほどの拷問室に着き「ナイはもう腑抜けになってしまった。私たちだけでも動こう」とマザーに持ちかける。


「動く……? 何を、どう、ですの? 作戦は? もうすでにタワーの補修工事を始めているような輩ですのよ、ARFは。潰すなら徹底的に、同時多発的にしないといけません。あなたとわたくし、二人でいったいどうするつもりですの」


「その作戦を、今から二人で考えようと言っているんだ」


「二人で? この世の知性の集大成たる無貌の神の化身たるわたくしと、無知蒙昧にして矮小極まりない人間のあなたの、二人で? 前回はわたくしとナイの二人が立てた計画でしたのよ? それが訳の分からない理屈で破られて? あなたと二人で立てた計画が通用するとでも?」


「……それは」


 マザーの容赦ない質問攻めに、ベルは口を詰まらせる。その様子に苛立ったらしく、マザーは男にたたきつけていた手斧をそのままベルに叩き付けた。


 だが、ベルはカバリストの中でも一等武闘派で、しかも修羅を中に宿していた。平然と斧を受け止め、「そうカッカしないで欲しい。まず、事に向かうことが大切だ。一つ一つ段取りを整えれば、きっと目はある」と語り掛ける。


「……一つ一つ、段取りを整えれば」


 その言葉が気に入ったのか、マザーは目を輝かせて「そうですわね。そうですわよね! こんな暗がりで鬱々としているだけでは何の役にも立ちませんわ! そうですわよ! 人間の体に囚われているからって、考え方まで人間の矮小な枠に囚われていては無貌の神の名折れですわ!」とベルの手を取った。


「ああ。分かってもらえて嬉しいよ、マザー。それで――」


「ところで、あなた最近つまらないんですのよね。どうしたら面白くなるかしら」


「……は?」


 マザーは、ベルの手を固く握りしめながら声のトーンを一気に下げた。ベルは様子の一片を察知して手を振り払おうとするも、出来ない。


「まっとうな人間らしく、生産性に溢れた発言をして、目標が死んだ恋人を蘇らせること? あなた、そんな風で無貌の神の隣に居ようなんておこがましいと思いませんの? 我々が主、あなたはペットとして飼われているシュラとかいう面白生物。違いますか?」


「な、何を、私たちを、あくまで対等な協力関係として」


「対等? 対等ですって!? けひ、けひひひひひひひひ!」


 ベルの皮膚を破るほど強くマザーは彼女の手を握る。ぶつかりそうなほどベルへと顔を近づけて嗤う姿は尋常の世界では見られないものだ。


「思いつきました」


 そして、マザーは静かになる。握る手の力を弱めると、素早くベルはその手を振り払ってマザーから距離を取る。そして、即刻別れの言葉を告げた。


「何が何だか分からないが、マザー、君は私のことを対等な仲間として見ていなかったんだな。それなら、もう終わりにしよう。私の意見が採用されない組織にいるのでは、薔薇十字団にいた時と変わらない。これっきりだ」


 決断早いナァ、とは仙文の感想だ。だが、それですんなり関係が切れるなら、無貌の神は恐れられていない。


「これ、何だと思います?」


 マザーが取り出したのは、うねうねと蠢く肉の塊だった。ベルの言葉をまるっきり聞いていない行動に、修羅の少女は顔をしかめる。彼女が息をのむのは、それから数秒後のことだった。


「……それは、爆発させた私の分身……?」


「ええ。何かに使えないかと思って、回収させておきましたの。いざとなればあなたの管理下にないシュラの軍団を構築するのに使おうかと思いましたが、考えが変わりました」


 あなたにお返ししますわ。マザーは屈託のない笑みを浮かべ、ベルを怯えさせる。


「か、返すって、何だ。私は、そんなの要らない」


「そんなこと言わないでくださいな。あなたの悪意によって無垢なままARFに潜入し、仲間として活動し、そして最後に失意の中死んだあなた自身ですのよ? それをただ切り捨ててさようなら、なんてそうは問屋が卸しません。おっと、これは日本のことわざでしたわね。失敬失敬、ですわ」


「や、止めろ。止めてくれ」


「けひ、けひひひひ。そんなこと言う資格が、あなたにあって? ああ、何て面白いことを思いついてしまったのかしら、わたくしは。さぁ、これを――」


 マザーの言葉を遮るように、ベルは弓矢の機構を展開させ片手だけで修羅の矢をマザーに放つ。それをまともに受けマザーは吹っ飛んだ。


「クソッ、敵がまた増えた。まぁいい。どうせすべて敵なん――」


「『過去遡及』。死んだあなた自身を添えて」


 けひ、と倒れながら嗤うマザーの言葉に従って、事象が遡る。マザーは逆再生されるように元の立ち位置に戻り、矢は抜け、その矢と共にマザーの握っていた修羅の塊がベルの中へと戻っていく。


「ウワー、えぐ」


 仙文の言葉に共に、ベルが絶叫を上げた。「いたい、いたい、いたい」と倒れながら呟くのは、爆発四散させられた記憶が肉の中に保存されていたからか。


「あ、あ、わた、私、何てことを、ソウ、違うんだ。誤解なんだ。わた、私? ファーガス、ファーガスを蘇らせるためにノア・オリビアについた? 敵を討つためにARFに協力関係、を? うら、裏切り。嘘、私、何てことを、ああ、アアァァァァァアアアアアア!」


 ベルは二つの異なる事象に混乱し、胡乱な言葉を喚き散らす。そこにナイが現れ「あーあ……」とどうでもよさげに言った。


 蹲るベルにアメリアが近寄って、心配するかのように猫の手でたしたしと叩く。


「あら、シスターナイ。どうですこれ? いい感じではないかしら。修羅化したカバリスト達もちゃんと残っていますから、全てこの中に統合してしまおうと思いますの。殺した側と、殺された側が一緒くたに一つの体の中におさまる。けひ、面白いと思いません?」


「それは、とんでもないバーサーカーが生まれそうだね。どうでもいいけど」


「あら、ツレませんのね。でも、ARFへの嫌がらせくらいにはなりそうじゃありませんこと? というか、あなた、このままでは殺されるばかりですわよ? ARFの元幹部で奪われた聖女ともう一つ、隠し玉があったでしょう」


「あれは制御下にないよ。元が別の神話体系の出身っていうのが悪かったね」


「じゃあ、どうしますの。復讐は? わたくしたちをあれだけコケにした彼らを、このまま放置しますの?」


「だから、どうでもいいって……」


 うんざりした様子で言うナイに、マザーは不満げに唇を尖らせる。


「何ですの。あなた本当にやる気がないんですのね。それとも、殺されるのがお望みですの?」


「ハッキリ言ってしまうなら、そうなるね。総一郎君は、ボクに勝利して殺す瞬間、一緒に死んでくれるって言ってたから。ボクはもう、勝とうとは思えないんだ。ただ、早くここを見つけて、さっさと殺して欲し」「許しませんわよ、そんなの」


 ずい、とマザーはナイに肉薄し、睨みつける。だが、ナイとて同格の無貌の神だ。「文句があるの? 君よりずっとこの地球に慣れたボクに、君が敵うとでも?」と睨み返す。


「そんなの、やってみなければ分からないでしょう? それに、あなたは小さな小さな少女の姿。わたくしはこれでも、一応成熟した女性と言える程度には成長していますもの」


「ハッ。たかが十数歳で成熟、ねぇ。ボクが何歳か知ってる? 無貌の神にとって、体が一体何の役に立つって?」


 化身同士の怒りがぶつかり合う。それだけで、この場に瘴気めいた空気が立ち込め始めた。仙文は影響を受けないものの、不快感に「業が発生しちゃいそう」とぼやく。


 至近距離での睨み合い。二柱は、同時に腕を上げて指を鳴らした。


 背後からそれぞれ、化け物が姿を現しぶつかり合う。精神魔法的汚染がばらまかれ、瘴気と混ざり合って小爆発が断続する。食らってもどうにもならないが、仙文は一応身をかがめて耳をふさいだ。


「ああ、だいたいずっと不愉快でしたのよねぇ。少し先に現界した程度で先輩面して。あなたとわたくしの間に一体何の差があると言いますの?」


「そりゃあ経験と実力の差さ。言わなかったっけ? ボクはこれでも、同胞と賭けをして一柱分余計に力を蓄えているんだよ? 単純計算で君の二倍の力があるのさ。だからほら、見てごらんよ」


 ナイの出現させた翼の生えた象めいた化け物が、マザーの出現させた巨大な蛇を圧倒し始める。マザーは舌打ちをして〈魔術〉を展開させようとするが、「そんなのが今更通じるとでも?」とナイは嘲り交じりに魔法陣を打ち砕く。


「ぐっ、ああ! 苛立ちますわ! 何でこんな無駄な感情というものを抱かなければならないんですの! 卑小で、猥雑で! だから人間はくだらないんですのよ!」


「くだらないから、ボクらはこの体に入れられているんだろう? 破滅を味わうためにね。いくら人間の器に入れられてるからって、それが理解できないほど愚かになる必要もないと思うけど?」


 ケタケタとナイはマザーを嘲笑う。マザーは屈辱に打ち震え、拳を固く握り――思いつく。


「アーア」


 仙文は壁の裏で片目を瞑る。


「ナイちゃん、自分で言ってたノニ。近づかない方がいいっテ」


 マザーは、指を鳴らす。彼女の使役していた化け物が消え失せ、ナイの化け物だけが残された。「どうしたの? もう反抗するつもりはないの?」と訝しげに問いかけるナイを黙殺し、マザーは高らかに言った。


「ねぇ、あなたはどう思いますの? 無貌のあなた」


 ナイはポカンと目を丸くする。しかし、その問いに答えるものが居た。


「ああ、少し問題だとは思うがね、我が化身よ」


 二人の間に、黒い肌をした燕尾服の男が現れる。仙文は息をのみ込み、ここからは本気で感情も何もかもやめ、完全に周囲に業が発生しないように試みる。


「……驚いた。君、呼べば来るものだったんだ」


「諸君は我が目的のために切り離した存在だ。取り込まない限り諸君のことは分からないのでね。わざわざ教えはしないが、呼ばれれば現れるくらいのことはするとも」


 ナイのキョトンとした言葉に、底知れない笑みを燕尾服の男は漏らす。そんな彼に、マザーは言った。


「ねぇ、無貌のあなた。わたくし、提案したいんですの。よろしくて?」


「何を提案しようというのかな」


 マザーは、嗤う。


「このナイという化身は、『破滅』という我々の目的に最も近い癖に、その目的を放棄して人間如きと添い遂げようとしていますわ。我ら無貌の神の化身として、相応しくないのではありませんこと?」


「なっ」


 マザーの指摘に、ナイは色めきだつ。燕尾服の男は「ふむ」と思案し、ふ、と嗤った。


「その指摘に論理性も妥当性もないが、提案としては面白い。なるほど人間の化身同士を近くに置くとこういう結果をもたらすこともあるのか。実に興味深いアプローチだ」


「でしょう? さぁ、では早くこの化身から力を奪って差し上げて?」


 マザーはけひけひと嫌らしい笑い声を漏らす。だが、ナイとて黙っているばかりではない。


「無貌の君。その化身の言う事をそのまま聞くのもどうかと思うよ。彼女の指摘通り、ボクは破滅に最も近い化身だ。だからこそ、無力化してしまっては君の本当に望むものも手に入らないと思うけど。違うかな?」


「いいや、違わないな。しかし、聞けば聞くほど面白い。人間の化身と言うだけで、ここまで考え方や内面の異なるものになるとは。人間とは単純な思考回路をしているが故に、明確な差が生まれるのか? ふむ」


 燕尾服の男は考え込む。それから、「いいだろう」と言った。


「では、やはり賭けだ。対等な立場なら、そうするのがいい。ナイの方は経験済みだろう? ヒイラギに付き合ってあげなさい」


「えー、まぁいいけどさ」


「チッ、まぁいいですわ。それで、賭けとは何をするんですの?」


 燕尾服の男は底冷えのするような深い声で、ルールを制定した。


「今回渦中となるのは、『祝福されし子どもたち』の一人、武士垣外総一郎だ。それ以外の『祝福されし子どもたち』は、どうせ自然と彼の周りに集まるだろうから、気にしなくていい。――今回の賭けは、彼の取り合いだ」


 ナイは鋭い目を燕尾服の男に投げかけ、マザーは「あら」と面白そうに頬を吊り上げる。


「ヒイラギ、君は武士垣外総一郎を殺せば勝ちだ。ナイは恐らく、死なないままに破綻するだろう。そうすれば今回の試みは完結し、私の目的も果たされる。ナイ、君はマザーから武士垣外総一郎を守り抜け。方法は問わないが、有利すぎるため、一部制約を課す」


「……聞こうじゃないか」


「一つ。マザーを直接殺す、拘束するなどの妨害行為の禁止。君のが自力で優っているため、これは仕方がない処置だと思って欲しい。次に、そこの修羅、だったか。それを殺すことも禁止だ。彼女はマザーの右腕になってくれることだろうからね」


「それだけじゃ、ないんだろう?」


 ナイは完全に喧嘩腰だ。燕尾服の男は「もちろんだとも」と笑みを浮かべる。


「最後の制約。それは――武士垣外総一郎の合意のないマザーへの対抗行為のすべての禁止だ。平易に言い換えるなら、彼の信頼を完全な形で勝ち取れ。そうすれば、ヒイラギの攻撃もさしたる問題ではなくなるだろう?」


「……それ、ボクに有利すぎない?」


 一時は結婚式まで上げたんだよ? ナイは首を傾げる。だが燕尾服の男は「そうかい? そう思うなら、それでいいとも」と笑いかけるばかり。


「では、両者ともに問題がないならここで私は失礼させてもらおう。賭けは私が消えた瞬間からだ。いいね?」


「うん。いいよ」


「ええ、構いませんとも」


 二人は頷く。それを見て満足そうに燕尾服の男は嗤い、消えた。


「……さて。そんな訳でここに賭けが成立したわけだけどさ。君、何処に勝算があってこんな賭けを受け入れ」


 たの、とナイは言い切れなかった。何故なら、マザーの召喚した化け物に突撃されたからだ。


「がぁっ、は」


「けひ、けひひひひひひ! あなた、お馬鹿さんですのね。お馬鹿さん、お馬鹿さん、ほぉんとうにお馬鹿さん。だって、冷静に考えて見なさいな。武士垣外総一郎の同意を得なければ、対抗行為を取れないんですのよ? こんな地下深くで、どうやって同意を得ると言いますの?」


「……っ!」


 ナイは青ざめる。どうしてこんな簡単なワナに引っかかってしまったのかと、考えているのか。その表情を見て、マザーはけひけひと嘲笑する。


「あなたが結婚式で口のしていた毒。あれ、本当にあなたが死ねるようなものだったのかしら?」


「……え……?」


「すり替えられている、とは考えませんでしたの? それとも、あなたを貶めるような存在はノア・オリビアに居ないと? わたくしが、同胞を尊重するとでも?」


 ナイの小さな体全体が、軋みを上げる。骨にひびが入り、内臓が圧迫される。


「人間の体に入っているなら、人間の毒だって効きます。人間を超越した知性を持っていても、毒があなたの脳に回れば少しは馬鹿になるでしょう? とくに、あなたはあなたとあなたの恋人以外に興味がなさ過ぎた。こんな簡単なワナさえ警戒しないほどに、ね」


「……! 最初から、ボクが目的だったってこと」


 ナイが睨みつける。マザーは、けひけひと嗤う。


「だって、面白そうじゃありませんの! 気丈な人間よりも、同胞をイジメ抜く方が! ずっと! ずっと面白いに決まっていますわ! わたくし、あなたを一目見た時から泣き叫ばせてみたいと思っていましたの! ああ! やっと念願のおもちゃが手に入りましたわ! けひひひひ! じゃあこれから、あなたの恋人を放っておいて、楽しい楽しい拷問の時間を始めましょう!」


 化け物による圧迫が強さを増す。抵抗すら許されていないナイは、とうとう骨が折れ始め、内臓のいくつかが破裂し、大量の血を吐いた。だが、死なない。体が人間のそれでも、中身が無貌の神だから。


「ごぼっ……はは、残念だったね。痛覚なんて余計なもの、とっくに停止させてるに決まっているじゃないか。ボクに拷問なんか効かないんだから、無駄なことは止めた方が」「じゃあ痛覚を作動させますわ」「ぎっ、ぃ、あ……!」


 マザーの指鳴らしと同時、ナイは血の気を失って骨折、内臓破裂の痛みに震えた。がくがくと上下の歯をぶつけ合い、首を振る。


「なに、なに、これ。い、あ、知らない。やだ、だめ。こんなの、こんなのこわれちゃ」


「壊れていいんですのよ? わたくし、あなたを壊したいですわ」


「やだ、やだ。たすけ、たすけてそういちろうくん、たすけ」


「来ませんわよ。あ、でもあなたが壊れて反応しなくなったら、彼の首を取って持ってきてあげます。けひ」


「ひ、ぃ」


 ナイはパニックを起こしかける。そこで、仙文はハッとした。燕尾服の男はとうに消えている。ならば、役割を果たさねば。


 仙人は、言霊を飛ばす。


『指輪を思い出しテ。逃げるという目的を忘れテ、会いたいって思いだケで指輪を作動させるんダ』


 ナイは瞠目し、「総一郎君!」と叫ぶ。すると彼女の左薬指を中心に空間が歪み、消し飛んだ。


 残ったのは、抉り抜かれた化け物の死体とマザー、そしてうずくまりすすり泣くベルだけだった。マザーはキツネにつままれたような顔をしてから、つまらなさそうに「ああ、なるほど。結婚指輪に細工をするのを忘れていましたわ」と吐き捨てる。


「でも、ひとまずは上々と言ったところですかしら。わたくしはシスターナイの〈魔術〉にも、化け物の召喚にも反感を覚えていますから、対抗手段と認識され使えないことでしょう。ついでに指輪のことも覚えておきましょうか。こうすれば、もうシスターはただの人間同然」


 けひ、とマザーは嫌らしく笑う。


「でも、案外これはこれで楽しいかもしれませんわ。人間同然になっても、だからこそあの子を、武士垣外総一郎を始めとしたARFが受け入れるのか。放っておけば野垂れ死ぬような見た目通りの幼子でも、今までの行いが疑心暗鬼的に排除を招く……」


 後はわたくしが、少しだけ介入するだけで泥沼になりますわね。とマザーは地面の上で丸くなったベルの上に腰かけた。それから、「あなたのことも忘れていませんわよ。ちゃあんと働いてもらいますからね」とけひけひ嗤う。


「あぁ、私、私は何てことを……。ソウ、許してくれ。ファーガス、会いたいよ。う、うぅぅぅうううう……」


「けひ、けひひひひひひひひひひひひひひひひひ」


 歪な笑い声が、地下深くの闇の中で反響していた。役目は終えた。と仙文はその場を後にする。


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― 新着の感想 ―
[良い点] イギリスのファーガス視点あんま感情移入できんなー、早く主人公視点戻らんかなーと思いつつ読んでいたのですが、それが後々のストーリーに深みをもたらしてくれて最新話まで一気に読み終えました! 異…
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