7話 死が二人を別つまでⅩⅩⅩⅠ
マナミの死者蘇生実験は、順調に進んでいたようだった。カエルやネズミに始まった蘇生は数か月後には犬や猫など中型以上の動物に移行していて、今では複数の内臓の修復までならそこまで苦戦はしなくなってきたとの話だった。
「それで、今日は何に挑戦すんだ?」
「あ、今日は脳です。脳さえ修復が出来るようになれば、中型動物もきっと生き返ると思いまして」
目の手術をしたものの、まだ包帯の外せない時期だった。Jとマナミはヒルディスの家の裏手に生きた犬、死んだ犬をそれぞれ一匹ずつ保健所から引き取ってきて、死んだ犬のみ檻の中に入れて比べ見ていた。
生きた犬の方は、元気そうにマナミにすり寄っていた。すでに懐いていたようだ。
「……何で死んでる方を檻に入れるんだ?」
「カエルの時みたいに暴れられても困るじゃないですか」
「ん? あの交尾のこ、いってぇ!」
Jは思い出したことをそのまま口にして、太ももの辺りを強めに叩かれた。「デリカシーがないですよ」と叱られたのにシュンとしつつ、マナミに懐いているらしい犬を撫でさすることで精神安定剤代わりに。中々人懐こい犬らしく、嬉しそうな反応だった。
Jはワシワシと犬を撫でつつ質問。
「脳ってどうやって直すんだ? イメージつかないんだけどよ」
「わたしもよく分かってないですよ。だから“お手本”を用意して、目で同じように整えるんです」
言いながら、マナミは軽い調子で生きている方の頭を指先で撫でた。その所作に少し思うところがあって「なぁ」と尋ねていた。
「その、生きてる方の犬、何て名前なんだ?」
「……考えてませんでした。そういう風には見てなかったので」
Jは口を閉ざした。それから、吟味だ。苦言を呈するべきか、否か。
口を、開いた。
「じゃあ名前付けようぜ。格好いいの」
「この子女の子ですよ」
「え、可愛い名前とかまったく思いつかねぇぞ」
「そうですね、白百合とか」
「SHIRAYURI? 何だそれ」
「ホワイトリリーですよ」
Jの頭の中で白い百合の花が浮かんだ。それから如何にも雑種といった風情の犬に目を向けた。
毛並みは白というよりも灰色だ。
「ホワイトリリー……?」
「いい名前でしょう?」
Jの疑問符にこの答え。皮肉というのではなく、本気で言ったようだった。
「……まぁ、マナさんがいいならそれでいいか」
そんな訳でシラユリと名付けられた犬に目を向けて「よろしくなシラユリ」と撫でると、嬉しげに一鳴きだ。こうも人懐こいと可愛がってやりたくなって、Jはマナミに「ジャーキーか何か無いか? 餌やりたい」と提案した。
「あー……、そうですよね。飼うならちゃんとその辺りもしっかりしないといけませんよね」
うん、とマナミは自らの呟きに頷いて、じっとシラユリを見つめ始めた。それから、「Jくん」と手の目だけこちらに向けて、頼み事を。
「わたしのお財布渡しますから、白百合ちゃんのごはんを買ってきてもらえませんか? わたしはこっちの子を見ていないといけないので」
マナミはそう言って、死んでいる方を指し示した。それから「この子も生き返らせることが出来たら名前を付けてあげませんとね」と少し笑った。
「――そうだな」
Jは、うまくいったという確信を抱いた。何が悪い、どこがいけない、そんな言い方では反発を招くだけだ。嫌いな奴なら口げんかで論破して終わりで良いが、親しい相手を導くためには違うやり方がある。
「にしたって財布ごと渡すのは不用心じゃないか?」「Jくんは悪いことしないでしょう」という会話をしつつ、Jは室内に戻り出かける準備にかかった。多少寒い時期だったからコートを羽織ると、いつの間にか自室に戻っていたらしいマナミから財布を手渡し。
「好きなの買ってきてください。ついでに好きなお菓子も買ってきていいですよ」
「おお、ならミヤさんとこでポテト詰め合わせでも買ってくるか」
「美味しいですよねミヤさんのポテトフライ」
んじゃ言ってくる、とリュックを背負い手を振って、Jはヒルディスの家を出た。マナミは包帯で目こそ伺えないものの、口元にこやかに手を振り返していた。
家を出て、最寄りのスーパーに訪れ、ドッグフードエリアを探してうろちょろ。そうしていると所持していたEVフォンに通知が入って、スーパーのドッグフードエリアへの道案内が始まった。人の姿では鼻が利かないな、と僅かに恥じる思いを抱いた。
購入にマナミの財布を開く罪悪感に顔をしかめつつ、五キロのドッグフードをリュックサックの中にしまい込んだ。それから岐路の途中で少し道をそれ、ミヤさんの料理屋へと足を運んでいった。
「あら、Jじゃない。なーにー? お昼ご飯食べ損ねたの?」
「違うって。お使いがてらミヤさんのポテトをお土産に買いに来たんだ」
「オヤツってわけね。じゃあ今から作っちゃうから、店の中で待ってなさい」
大体三時を回った頃だった。お昼時の混む時間が終わって暇そうにしていたミヤさんは、Jを歓待しつつ厨房へ。言われた通りカウンターで待っていると、目の前にコーラが置かれた。「頼んでないぜ」と言うと、「サービスよ」とニッと微笑み。
「最近色々動きがあって大変そうだからね。白羽ちゃんの手伝いしてんでしょ? 色々聞いてるわよ、ゴロツキにイジメられてるところをJに助けられた、とかね」
「やめてくれよ。すげぇのはおれじゃなくてシラハさんだ。おれはその手伝いしかできない」
「あのやんちゃ坊主の双璧を為すJが謙遜かぁ……。時代は変わるわねぇ」
やんちゃ坊主の双璧のもう片方ことグレゴリーを育てたミヤさんは、しみじみ呟きながら冷蔵庫からポテトの細切りを取り出した。あれを揚げればすぐに完成ということなのだろう。Jは少しコーラを見つめてから、結局口を付けた。
「でも、最近は白羽ちゃんヒルディスさんコンビの話ばっかりなのよね。Jはもうお手伝いやめちゃったの?」
「いや、必要なときは声がかかることになってるよ。それに、おれはシラハさんから直々にマナさんの傍にいてやれって言われてるから、今はそっちが優先なんだ」
「――ああ、あの子ね」
ミヤさんの声に翳が差した。スラムの事情通は、大抵マナミの事件を知っている。ミヤさんが知っていても何ら不思議ではない。
だが、そんな小さなことが癪に障る程度には、Jは当時未熟だった。
「何だよ、その言い方。今マナさんはマナさんなりに頑張ってんだ。変に同情するような言い方やめてくれ」
多少棘のある言葉だった。しかしミヤさんにとって、そんなことはきっと些事でしかなかったのだろう。ポテトフライを揚げるためにJの方に背を向けたミヤさんは、静かな声色でもって尋ねてきた。
「J。その、愛ちゃんって子、変なことしてない?」
ドキリとした。Jは言葉を探して、黙り込むしかなかった。芋が油の中で揚げられるじりじりとした音だけが、その空間を占めていた。
辛うじて、問い返した。
「へ、変なことって、どういうことだよ」
「ちょっと前に聞いたのよ。アンタと目に包帯巻いた女の子が、犬を二匹、それも片方死んでるのを引き取りに来たって」
「……」
もはや返す言葉などなかった。核心の部分を突かれていて、Jにはどうすることも出来なかった。沈黙。破ったのは、ミヤさんだ。
「J、悪いことは言わないから、愛ちゃんを止めなさい。友達がろくでもないことをしようとしているなら、それを止めるのが本当の友達よ」
「止めるって、でも、マナさんは頑張ってるんだ。両親も居なくなって、仇もなまじ簡単に討っちまって、今のも取り上げたら、マナさんが」
「だとしても、このまま放置していればいずれ取り返しがつかなくなる。まだ私の出る幕じゃないけど、それでも早めに止めなさい」
「取り返しがつかなくなるって、どういう」
「J」
ミヤさんの背中が、言った。
「大切な人が壊れるのを見て、一番つらいのはアンタよ」
Jは、二の句を継げなかった。俯いて、目をつむって、それから自分の中で一生懸命考えて、最後に「分かった」と頷いた。
「止めるよ。おれ、これ以上おかしくなるマナさんなんて見たくない」
「よく言ったわね。ほらポテト。アツアツが一番美味しいから、早く家に帰りなさい」
微笑みと共に、ミヤさんは熱を放つ紙袋を手渡してきた。Jはそれもリュックにしまい込み、「じゃな。今度はマナさん連れてくる」と別れを告げて店を出た。
それから速足でヒルディスの家へと向かいながら、そうだ、と腑に落ちるような思いを抱いた。ずっと、おかしいと思っていた。だがこれ以上マナミから何かを取り上げることは良くないと考えて、死者蘇生を止めようという考えが湧かなかった。
「でも、それじゃダメだ。止めるんだ、おれが」
家に到着し、「ただいまー!」の声と共に扉を開けた。リュックから取り出したポテトを机の上に、ドッグフードは袋ごと持って庭に出ると、マナミがしゃがみこんでいた。
「マナさん、買ってきたぜ! シラユリとおれらでオヤツタイムと洒落込も」
う、ぜ……、とJの語気が少しずつ静かになっていった。庭全体に立ち込める、異様な雰囲気に気付いてしまったから。ぽつんと立ち尽くすマナミが両手で耳をふさぎ、そうすることで同時に目も覆っていたから。
「……マナ、さん?」
「ダメ、ダメだった。足りなかったんです。最初から、わたしには出来なかった。これじゃ、これじゃあ……」
ぶつぶつと独り言を繰り返しながら、マナミは小さく首を振り続けていた。それにJは眉根を寄せて近づき、その惨状を知った。
「何だ、これ。ま、マナさん。何、何やったんだ。これ、これ……!」
檻の中に入っていたはずの、犬の死体。それが、蘇って檻を歪めてまで鉄格子の間から顔を出し、勢いそのままにシラユリの首をかみ砕いて死んだ。恐らくそんな顛末を描いただろう惨憺たる様子に、Jは唇を震わせた。
「し、シラユリ、お前、……」
手を伸ばし、その脱力した体に触れた。だが、生気を感じ取ることは出来なかった。瞳には虚ろな光がぼんやりと灯っていて、とうに息絶えたことを示していた。
「……J、くん」
手のひらの瞳をJに向け、マナミは少年の名を呼んだ。それから、「分からないんです」と震えだした。
「体は、もう何も問題ありません。でも、脳は、どうしたらいいのか……。腐ってる部分は取り除いて、足りない部分はシラユリの物を真似て、ちゃんとシラユリのと同じ健全な脳になったはずなんです。でも、この、この子は」
「マナ、さん」
「体も脳も正常になって、この子、すぐに目を覚ましたんです。蘇ったんです。でも、目で訴えてくるんです。何かおかしい、ズレてる、足りないって」
「マナさん」
「それで、白百合を見つけてものすごい吠えて。取られた、返せって必死に檻から出ようとして、白百合は怯えて動けなくて。わたし、それを見て、分かっちゃったんです。この子に無くて、白百合にあるのは」
――魂だって。
「マナさん!」
何度も名前を呼んで、大きく声を張り上げて、やっとマナミはハッとしてJを見た。そこで足腰の力が抜けてしまったのだろう。マナミが尻餅をつきかけたのを、Jは素早く支えた。
「もうやめようぜ、死者蘇生なんて。マナさん、最近ずっとおかしかったじゃんか。命を扱うなんて、子どもの俺たちには荷が重い。それも死者なんて、手に負えねぇよ」
言って、Jはシラユリを見た。今日来たばかりの人懐っこい犬は、無残な姿をさらして地面に横たわっていた。マナミは何かを言おうとしたが、シラユリの姿に何も言えなくなって、ただ「……はい」と頷いた。
何か見えないものを捉えようとするような、あやふやに動くマナミの手が止まった。
明日にイッちゃんの死が迫っている、というタイミングで、ヴァンプが解放された。
「もう要らないからお返ししますわ。精神面で強固に拘束してありますから、どうせ逃げ出せはしません。あとは好きなようになさってくださいな」
マザーはそう言って、一見すると傷のないヴァンプをマナミの部屋に放り投げた。そして機嫌良さそうにスキップで去っていく。
「……」
ヴァンプは地面に投げ出されている、という状況にもかかわらず、呆然と虚空を眺めていた。その無気力さにウルフマンは、微妙な顔つきで眺めるしかない。
「おーい」
机の上から呼びかけてみる。反応はない。
どうしたものか、と体のないウルフマンは考える。生きた生首であるところの狼男に一体何が出来るだろうか。マナミも出払っている以上、誰かに頼るということも難しい。
「喚いたらうるささで正気にならねぇかな」
視線でもってヴァンプの状態を推し量る。正直生半可な行動では影響を及ぼすことは不可能だろう。
「喚くか、耳元で」
口をパカパカしたり顔の筋肉を全力で駆使して、ウルフマンは机から転げ落ちる。首の断面の魔法部分による無痛着地には慣れたもの。魔法の効果で音もなく地面に落下し転がって接近した。
そんで叫んだ。
「アォーーーーーーン!」
ひとまず古来からの遠吠えスタイル。信者が少し扉を開けて確認してきたので、ウィンクといい笑顔で返すとすげなく去っていってしまう。だがウルフマンは見逃していない。あの信者が少しだけ口端を持ち上げていたことを。
「おれのコミュニケーション能力も来るとこまで来たな」
敵の中でも全くと言っていいほど関わらない末端とすら、ちょっといい感じになれるコミュニケーション能力だ。もしやシラハと同レベル帯にまでは来られたのでは、という自負が出てくる。
「……いや、シラハさんは敵勢力のボスから末端まで口説き落としてたな。おれ如きじゃ太刀打ちは無理だ」
冷静に考えるとそんなことなかった。コミュ力お化けと比べるのはいけない、と自己完結しつつ、さてヴァンプの様子は、と眺めた。
何も変化はない。何も。死んだ目で力なく倒れているばかりだ。
「どーしたもんか」
単なる刺激の多寡では目覚めなさそうだ。ふむんと考え、こう言った。
「あ、ヴァンプの頑張りイッちゃんに伝えといたぞ。甘やかしてあげないとって言ってたぜ」
ぴくっ、と動いた。指先だけだが、ゼロとイチでは雲泥の差がある。ウルフマンは続けて話し続けた。
「よく頑張ったな、お疲れ様だ。ヴァンプはヴァンプに出来る全てを成し遂げた。あとはおれ達に任せろ。おれ達一人一人に出来ることは限られてるけど、全員の力が合わされば絶対にノア・オリビアだって打ち負かせる。だから安心してくれ」
ほろ、とヴァンプの瞳から涙が零れた。それから、かすれたひどくか細い言葉が紡がれる。
「もう……、もう、いいの……? 私、もう、耐えなくていいの……?」
「ああ、ありがとうヴァンプ。お前が頑張ってくれたおかげで、しばらくの間おれが自由に動けた。お前は間違いなく役目を果たしてくれたんだ。そのことを誇ってくれ。そんで、今は心置きなく休め」
「う、ぁ」
ヴァンプの全身が震えだす。それから、涙の量が目に見えて増えた。体を丸く縮こませながら、声を上げて泣きだす。
「私、ずっと痛くて、苦しくて……! もう、終わりで良いんだよね? もう、苦しいの無いよね?」
「ああ、終わりだ。よく頑張ってくれた」
その言葉を皮切りに、ヴァンプはしばらく泣きじゃくっていた。あれほどの責め苦を受けてなお、声をかけるだけで正気を取り戻し、会話可能な状態に戻ってくる。それはとてつもない努力だったろう。ウルフマンには、労う気持ちしかない。
それからヴァンプが落ち着くまで待って、ぽつぽつとウルフマンは話を始めた。話すのは、とりとめのない雑談だ。刺激するような話は極力避け、地面に腰を下ろしてマナミのベッドを背にするヴァンプが、少しでも笑ってくれるような話題を選んだ。
「それでさぁ、イッちゃん夢の中で延々とそのローレルって子のことで惚気てんだよ。確かに参考になる部分は結構あったけどよ、それでもお前自慢したいだけだろ~ってさ」
「落ち込んできた」
「あれ?」
ヴァンプは頭を抱えて深くため息を吐いた。先ほどとは別ベクトルでだいぶ参っているように見える。
「お、おいどうした? ヴァンプが喜ぶかなって思ってイッちゃんの話をメインにしたつもりだったんだけどよ。他の話の方がいいか? つっても他の話題は大体グロいのばっかなんだが……」
「いや……もういいよ狼さん。狼さんの努力は伝わったから、ストップ」
あ、はい。と狼の生首は口を閉ざす。その様子を見て、小さなヴァンプは難しい顔。それから、思いつめた様子で呟いた。
「ソウイチ、今もナイに捕まって眠ってるんだよね」
「ああ、そのはずだぜ」
「……私には、もう出来ることはないのかな」
言いながら、手を伸ばす。それから力が籠められるが、何も起こらなかった。マザーの語った、強固な精神的拘束の所為だろう。改めて見れば、ヴァンプはそれだけで顔を蒼白にして、過呼吸を起こしかけていた。
「出来ることがないんじゃない。役割をすべてやり切ったんだ。背負いすぎるのは良くないぜ、ヴァンプ」
「だけどッ……ソウイチは、まだ捕まってるの……!」
ヴァンプはそう言って立ち上がろうとする。だが、すぐに腰が抜けたように座り込んでしまった。そんな自分の様に唖然と瞠目して、それから目を細めて震えながら「立つことも満足にできないなんて……ッ」と拳を握る。
「私、やっぱり何も出来なかった。耐えるだなんて、そんなの誰でもできる。私、役立たずだ……!」
珠のような涙をこぼすヴァンプを見て、彼女は本当にイッちゃんに焦がれているのだと思った。その一途な献身を見て、ウルフマンは切なくなる。
だが、役立たずなんて間違いだ。ウルフマンは、口を開く。
「そんなことないぜ、ヴァンプ。お前はまだイッちゃんのために動ける」
「え……?」
呆然と眺めてくるヴァンプに、ウルフマンはキメ顔。軽くポカリとやられて「叩くことないだろ」と反論する。
「ごめん、何か腹立ったから」
「そんな荒れてるときのイッちゃんみたいな理由で叩くなよ」
「え、ソウイチ荒れてると叩くの?」
「いや、暴力はしないけど絶妙に嫌なことしてくる。頭を逆さまにして回すとか」
「やってたね……。あのときのソウイチ本当大人げなくって」
ふふ、とヴァンプは笑う。そして一息ついて、鋭い目でもって尋ねてきた。
「ソウイチのために、私に何が出来る? 教えて、狼さん」
「……本当は、さっきのお前を見て聞くのは止めようって思ってたんだけどな。死体に鞭打つような真似だって」
余りの落ち込みように、つい口が滑ってしまったのだ。だが今更撤回しようとしても、ヴァンプは聞かないだろう。気の咎める心持ながら、問うた。
「ヴァンプ、お前が両親を失ったときのことを教えてくれ」
「―――――」
ヴァンプは、絶句する。それから、絞り出すように聞き返した。
「……それが、狼さんがソウイチから私に聞けって言われたこと?」
「ああ。その、悪いと思うし、ヴァンプがよほど元気でもない限り聞かねぇってイッちゃんにも言ったんだけどよ。でも、確かにマナさんもヴァンプも両親を失ってて、マナさんのことをちゃんと理解して説得するために、ヴァンプの話を聞くのが役に立つって」
「分かった。いいよ、狼さん。話す。……私にとっても、良い機会だから」
言って、ヴァンプは少し深呼吸して、「ソウイチの役に立てるんだよね」と念押しした。ウルフマンは「ああ」と力強く頷く。ウルフマンがその矜持にかけて、役立てて見せる。
「――私がね、お父様お母様が本当に亡くなったって実感できたのは、割りと最近のことなんだ」
ヴァンプのことは、あらましだけだがシラハから聞いていた。姉を失い、両親を失い、怯えのために十年近くタンスの中にこもっていたこと。ずっと成長できないまま幼稚にふるまい、自らの分身を姉と呼んでストレスをすべて押し付けていたこと。
そして、それらをイッちゃんが立ち直らせたと。
「シルバーバレット社との交渉が済んですぐ、私ソウイチと一緒にお父様、お母様のお墓参りに行ったの。って言っても、二人のちゃんとしたお墓がある訳じゃなくて、亜人が死んだらまとめて死体のあるなしに関わらず、スラムの方で墓を建ててくれる人が居て」
ボスの紹介で行ったんだ、とヴァンプは結んだ。
「そこの墓守さんが私を見て、『懐かしい』って言ってくれたの。それから、『ようやく墓参りできるようになったんだね』って。とっても優しい顔をしたおじいちゃんだった。ジャパニーズが亡命するより前に、アーカムに来た日本国籍持ちのおじいちゃん」
アメリカ国籍も有しているらしい彼は、イッちゃん、ヴァンプを誘導してご両親の墓にまで誘導してくれたらしい。そこにあったのは、死体の埋まっていない墓であったと。
「周りにね、一つも十字架型のお墓がないの。私は気づかなかったんだけど、ソウイチが墓守さんに聞いてた。そしたらね、墓守さん『ここに来るのは亜人の皆さんですから』って。すごい細かな気遣いだなって。こういう人だから、亜人の墓を作ってくれるんだなって」
その人、私のお父様、お母様のこと知ってたよ。とヴァンプは語る。
「最初ね、私二人のお墓見てもピンと来なくて。おかしいよね、私ツジ相手にも『お父様とお母様を返して!』って言った癖に、二人がもう居ないっていう事、よく分かってなかったんだ。ただショッキングなことを思い出して、子どもみたく喚いてただけだった」
墓守に連れられた二人は、両親の墓を少しだけ見て、それから墓守の家に連れていかれたらしい。そこで飲み物を出され、しばらく話していたと。
「墓守さん、いろんな話をしてくれたんだ。お父様がどれだけ革新的な人だったかって、すごいすごいって。私はよく分かってなかったけど、お父様って人間の血を吸うのをやめて、人間と仲よくしようって言いだした人だったんだって」
知っていた。だから狙われたと。だからシルバーバレット社の代表によって殺されたと。
「お母様の話も、お姉さまの話もしてくれたよ。お父様がこういう人で、それを受け入れていた人だって。お姉さまの一件が、お父様たちの考え方を変えたんだって」
ヴァンプは、一拍おいて言った。
「すごいな、立派だなって、思ったんだ。お父様もお母様も、お姉さまの復讐を考えなかった。受け入れて、変わるべきは自分たちだって、ちゃんと認識して、実行してた。そこに葛藤がなかったなんて思わないよ。だって私がそうだったもん。でも、しなかった」
――そこでね、やっぱり家族は似るんだなって思ったの。ヴァンプは、声に涙を滲ませて続ける。
「シルバーバレット社の件で、私は結局、復讐じゃなくてこれからもっと良くなっていく道を選ぶことが出来た。それはね、私の力じゃないよ。ソウイチを始めとしたみんなの力で、お父様、お母様の教育で、血なんだって。みんなに助けられて、私も復讐なんて短絡的な道を選ばずに済んだんだって」
堪らなくなって、飛び出しちゃった。とヴァンプは冗談めかした。
「全力で走って、お父様、お母様のお墓の前に立ってね。そこで私、やっと二人がもうこの世に居ないってことを理解したの。胸のあたりにね、ぽっかり穴が開いたみたいな気分だった。でもね、それが少し嬉しかったんだ。やっと私、本当の意味でお父様、お母様のために悲しくなれたんだって」
ヴァンプはそこで、神に祈るかのように手を組んだという。唯一神に蛇蝎のごとく嫌われている純血の亜人でありながら、両親の冥福を祈るためにどうすべきか分からず、ただそのようにしたと。
「私ね、怖くなったよ」
眉を垂れさせて、ヴァンプは言った。
「人間は死んだら天国とか地獄に行く。神が確かにいるこの世界においては、きっとそれも確かなこと。でも、私たち亜人はどうなんだろうって。あの時私は一体何に祈って、二人の冥福を願ったんだろうって」
亜人に神はいない。特に、唯一神が幅をきかせるこのアーカムにおいては。
だから、死後に何があるのか、誰も分からない。それは、かつてまではきっと当たり前だったはずなのに。
「……私の話は、こんな感じ。狼さんの参考になったかな」
「ああ、ありがとう。すげぇ助かったぜ。絶対に役立てて見せるからな」
そっか、よかった。と語るヴァンプからは、いい具合に力が抜けているように見えた。日本語で言うところの、憑き物が落ちたようだ、という事なのだと思った。
――そして、狼男は思う。マナミはきっと――




